〈アクタス〉は単に上質な家具を売るだけの企業ではない。プロダクトに込められた作り手の情熱や、長年人々に愛されてきた歴史に価値を見出し、その価値観を現代のライフスタイルに投影するお手伝いをしている。これまで〈アクタス〉が出会ったマスターピースと共に、創業からの道のりを辿ってみよう。
TEXT BY Mari Matsubara
ALL PHOTO ©︎ACTUS
ENCOUNTER ❶
1966 ——「現代ヨーロッパのリビングアート展」の衝撃
1966年「現代ヨーロッパのリビングアート展」のカタログ。ヨーロッパの美術工芸品や陶磁器をいち早く日本へ輸入した吹田貿易の当時の社長、吹田安雄氏がキュレーションのお目付役だった。
ここに1冊の古びたカタログがある。1966年、国立近代美術館京都分館(現・京都国立近代美術館)で開催された「現代ヨーロッパのリビングアート展」のカタログだ。この展覧会を訪れた大阪〈湯川家具〉の若手社員は、展示された北欧やヨーロッパのモダンな家具に衝撃を受けた。それらは当時、日本ではほとんど流通していないものばかりだったからだ。1960年代初頭は百貨店やJETROがほんの数日という短期間で、デンマークやフィンランドの家具展示即売をやっており、富裕層には少しずつその存在を知られるようになっていたが、この京都での展覧会によって、ようやくヨーロッパのモダンな家具が一般に認知され始めたのだ。
カタログより。ブルクスボ社の応接セット、ハンス・J・ウェグナーのピーコックチェア、ノルウェーのトールビョン・アフダルの食堂椅子などが展示された。
この展覧会について興奮入り混じった報告を受けた〈湯川家具〉の湯川社長は、自らも足を運んで展示を見て、大いに納得。すぐにノルウェーとデンマークへの買い付けを決め、英会話も貿易の知識もないまま、現地へ飛び込んだ。
買い付けの成果は、大阪・豊中市で「第1回ノルウェー家具展」を開催して披露され、評判も上々だった。ほとんど誰も見たことのない未来的な家具は、新しい生活様式を求めていた関西のハイエンドな顧客たちの心をガッチリと惹きつけたのだ。
この成功を契機として、〈湯川家具〉は1969年、東京・青山に輸入家具を扱う「青山さるん」を開店。実はこの店こそ、〈アクタス〉の第一号店なのだ。まだヨーロッパ家具はものめずらしく、今以上に高価だったが、上質な家具を末長く愛用する豊かな暮らしを提言する企業の姿勢は、この頃から何も変わっていない。
青山通りに面して当時建てられたばかりのビルに1969年にオープンした「青山さるん」、のちの〈アクタス〉第1号店。
「青山さるん」店内。
ENCOUNTER ❷
1973 ——〈山の上ホテル〉のソファ
約50年前に〈アクタス〉が納入したソファが現役で使われている「山の上ホテル」1階ラウンジ(2019年12月改装前)
〈アクタス〉第1号店である「青山さるん」は、1973年に東京・御茶ノ水の老舗ホテル〈山の上ホテル〉にソファを納入した。それはノルウェーのバットネ社製の重厚な革のソファで、今でも現役でラウンジに置かれている。使われ始めてから来年で50年になるソファは、座面を何度か張り替えてはいるものの、ローズウッドの躯体は非常に頑丈で、びくともしていない。ホテル自体も何度か改装を経ているが、ソファは新調することなく、ずっと使い続けられてきた。このホテルで結婚式を挙げた人が、今では孫を持つほどの長い歳月の間、常にホテルの顔として、人々にくつろぎを与えてきたソファ。これ以上サステナブルなことはないと言えそうなプロダクトを〈アクタス〉は提供してきたのだ。
〈山の上ホテル〉に納められたノルウェー・バットネ社のアームチェア。
ENCOUNTER ❸
1981 ——ウェグナーの幻の椅子《ジャパンチェア》
〈MOA美術館〉のVIPルームにあるハンス・J・ウェグナーの超レアなアームチェア。
それまで、一般家庭向けに家具を販売していた〈アクタス〉は、1981年からホテルや公共施設のインテリア工事を請け負うようになっていった。その記念すべき最初のプロジェクトが、翌1982年1月に開館した静岡県熱海市の「MOA美術館」だ。
超一流の所蔵品を誇る美術館にふさわしい家具を納入するため、〈アクタス〉はデンマークへわたり、北欧最大のコンベンションセンターである通称「ベラ・センター」に現地の有名家具メーカーを招き、説明会を開いた。たったひとつの施設に納入する家具を探すために、はるばる日本からやってきて、名だたるメーカーに協力を仰いだ説明会は、地元の新聞にのるほど注目された。
その新聞記事を興味深く読んだ一人の男が、〈アクタス〉にコンタクトをとった。その人こそ、あのハンス・J・ウェグナー、北欧家具の大巨匠だった。ぜひ自分にMOA美術館のための家具を作らせてほしいと連絡してきたのだ。ウェグナーが〈MOA美術館〉のためだけにデザインし、PPモブラー社で製作された限定80脚の《ジャパンチェア》は、〈MOA美術館〉のVIPルームに納められ、以後、市場に流通しなかった。美術館が40周年を迎える現在もなお同じ場所に置かれ、使用頻度が少ないためか、状態は非常に良いという。一般人は決して立ち入ることができない場所で、ほとんど誰も知らないウェグナーの超レアな作品が今も使われている。
〈MOA美術館〉VIPルーム。
ウェグナーがこの美術館のためだけにデザインしたチェア。躯体はローズウッド。
ENCOUNTER ❹
1990’s ——400年以上のロングセラーを伝えること
数世紀前に作られ、使い込まれた「シューメーカースツール」3脚と、現在デンマークでたった一人の職人が作っている「シューメーカースツール」。横木をつけて強度を増したほかは、まったく形が変わっていない。
〈アクタス〉が扱ってきた家具の中でも、飛び抜けたロングセラーといえば、起源はなんと16世紀にまでさかのぼる3本脚の椅子《シューメーカースツール》だ。〈アクタス〉では1990年代から取り扱っている。これはもともと酪農家が牛の乳を絞るときに使っていたもの。安定の悪い地面では、4本脚の椅子は必ずガタつくものだが、3本脚だとしっかりと椅子が固定されるのだ。17世紀に入って、靴職人たちが使うようになり、この名前で呼ばれるようになった。
名もなき職人が作っていたアノニマスなスツールを、1970年代初頭に復活させたのが、今でもたった1人でこの椅子を作り続けるラース・ワーナー氏の父親だった。生育地として最北にあたるデンマークゆえ、80〜120年かけて非常にゆっくりと成長するブナ材は、木目が詰まって非常に硬い。これを手作業でカットし、お尻の丸みに合う絶妙なカーブをつけていく。
切り出したブナ材を大まかに機械でカットしていく。
やすりをかけて、丸みのある滑らかな座面を作っていく。
最後に脚を付ける。すべてが手作業だ。
スーパー・ロングライフ製品である《シューメーカースツール》は、時空を超え、現代の日本の暮らしの中でダイニングチェアやビューローチェアに重宝されている。
節のある材で作られた《シューメーカースツール》も販売。かえって節ありの味わいを好むお客様もいる。
4世紀以上もの間受け継がれてきた不朽の形を、時代の変化に揺らぐことのない機能美を、こうして21世紀の今も、人々の手へと送り届けられることは、〈アクタス〉にとって大いなる喜びだ。さらに、従来では節の入った材は製品にはならなかったのだが、たとえ節があっても強度に問題のない場合は製品化し、少しだけ価格を下げて販売している。貴重な森林資源を最大限活用すること、節さえも愛嬌ある見どころととらえて、長く慈しむ心の豊かさを、〈アクタス〉は大事にしている。
ENCOUNTER ❺
2007 ——樹齢92年のYチェア
ウェグナーのヴィンテージチェアを集めて2007年に〈アクタス〉の店舗で行われたフェアのポスターより。
80年代初頭から〈アクタス〉と関わりが深かったハンス・J・ウェグナーは惜しくも2007年1月、この世を去った。92歳だった。彼の代表作で、日本でも非常に人気の高い《Yチェア》は、当然〈アクタス〉でもコンスタントに売れるアイテム。そこで、巨匠ウェグナーへのオマージュを込め、彼と同じ年齢の樹齢92年のビーチ材で作られた《Yチェア》を100脚限定で販売することを思いついた。《Yチェア》の製造元であるカール・ハンセン社は、最初難色を示したものの、1914年に植えられたビーチ材をなんとかかき集め、100脚を作ってくれた。それが、もののみごとに1週間で完売したのだ。
もともと評判の高かった《Yチェア》に、デザイナーのストーリーを結びつけ、付加価値を与えることで、より喜ばれる製品になる。使い手側は、製品自体のクオリティのみならず、そこに紐づけられた歴史や記憶にこそ価値を見出しており、その価値観に〈アクタス〉の思惑がぴたりはまったプロジェクトとなった。
ENCOUNTER ❻
2003 ——ミナ ペルホネンとの出会い
〈ミナ ペルホネン〉のファブリック「タンバリン」を着せた《エッグチェア》。2004年に〈アクタス〉で販売された。Photo by Shu Tomioka
フリッツハンセンの工房を訪ねて、制作を見守る皆川明さん(2003年) Photo by Shu Tomioka
もともと北欧好きだった〈ミナ ペルホネン〉のデザイナー皆川明さんをお連れして、〈アクタス〉がデンマークを一緒に旅するという雑誌の企画があった。デンマークでは、インテリアファブリックのトップブランド「Kvadrat(クヴァドラ)社」を訪問。その時、皆川さんが日本から持参したオリジナルのテキスタイル見本を見せると、デザインマネージャーは非常に興味を示し、その場で、皆川さんにデザイン提供を依頼したのだ。
そこで、〈アクタス〉はすぐにフリッツハンセン社に連絡。アルネ・ヤコブセンの名作チェアである《スワンチェア》と《エッグチェア》を、皆川さんデザイン・Kvadrat社製の「タンバリン」柄のファブリックで覆うスペシャルエディションを作るよう掛け合った。
このコラボレーションは、それまでの《スワンチェア》《エッグチェア》に対する固定概念をくつがえし、まったく新しい感覚の製品となって世に受け入れられた。
座り心地を確かめる皆川さん。Photo by Shu Tomioka
1958年に発表された不朽の名作が、現代日本のクリエーションと融合を遂げた象徴的なプロダクト。そのお手伝いをできたことを〈アクタス〉は誇りに思っている。
翌年のミラノサローネでは、多くのブースで〈ミナ ペルホネン〉のファブリックを見かけたことは良き思い出だ。
※ アクタス各店舗の営業時間等についてはこちらよりご確認ください。
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