大企業の事業改革や新規事業創出をミッションとして虎ノ門ヒルズにて始動したインキュベーションセンター「ARCH(アーチ)」。企画運営は虎ノ門ヒルズエリアにおいてグローバルビジネスセンターの形成を目指す森ビルが行い、米国シリコンバレーを本拠地とするWiLがベンチャーキャピタルの知見をもって参画している。WiLの小松原威氏が、第一生命の白鳥央氏を迎え、同社の取り組みに迫った。
TEXT BY Kazuko Takahashi
PHOTO BY Koutarou Washizaki
イノベーション推進部の拠点はARCH
小松原 第一生命は、保険ビジネス(Insurance)とテクノロジー(Technology)の両面からイノベーションを目指す取り組みを“InsTech”と銘打ち、グループ全体で推進されています。
白鳥 はい。私はイノベーション推進部のビジネスデザイン課で、保険以外の分野での新事業の創出に取り組んでいます。ビジネスデザイン課の活動拠点はARCHです。ここで他企業と知見を交わしながら様々な可能性を探っています。
小松原 イノベーション推進部の設立に先駆けて、御社は2018年に「Dai-ichi Life Innovation Lab」(以下、イノベーション・ラボ)を東京とシリコンバレーに立ち上げました。WiLはその創設時から新規事業創出に向けた取り組みに参加し、ワークショップなどを通じて人的交流や情報交換を行ってきました。白鳥さんはイノベーション・ラボ創設時のメンバーでしたね。
白鳥 はい。
小松原 それ以前はどのような仕事に携わっていたのですか?
白鳥 私は2012年の入社で、今年4月で11年目になります。最初の3年間は大企業の従業員様向けの保険商品を扱う部署にいました。その後、支社に移り、中小企業の社長様向けに保険をご提案する仕事に携わり、そのほかに営業職員の研修なども担当していました。この頃に社内の海外派遣プログラムに希望を出して、当社が業務提携しているアフラックのアメリカ本社に1年間勤務しました。
小松原 アフラックではどのような仕事を?
白鳥 現地の社員とともに市場調査などを行っていました。後半はIT系の部署に入り、お客様からの問い合わせにチャットボットで対応するシステムなど、保険に関するIT系のノウハウを学びました。そして2018年の春に帰国しました。
小松原 帰国のタイミングが、ちょうどイノベーション・ラボ新設のタイミングだったんですね。
白鳥 はい。PoC(新しいコンセプトの実用化が可能であることを検証すること)の実行部隊といえるイノベーション・ラボでの私の仕事は、LINE等のスマートフォンアプリを活用してお客様とのコミュニケーションをどう変革できるか検討するための実証実験の実行などでした。また、イノベーション・ラボに移って2年目に「始動 Next Innovator」に参加しました。
小松原 「始動 Next Innovator」は、経済産業省とJETROが主催、WiLが運営するイノベーター育成プログラムで、毎年300人前後の応募者の中から約100人が選ばれ、講師やメンターのもとで事業計画を磨き、選抜された約20人がシリコンバレー研修に参加できるという内容です。白鳥さんはなぜ参加しようと思われたのですか?
白鳥 イノベーション・ラボで活動する中で、自分にどの程度のスキルが身についたのか、社外で確かめてみたくなったのです。WiLの研修を通じて“猛者”が集まるプログラムと噂を聞いていたので、参加するのは勇気がいりました(笑)
小松原 白鳥さんは体験されたのでよくご存じですが、「始動 Next Innovator」の参加者は皆さん意欲的で、プログラムに臨む熱量がものすごいんですよね。プレゼンテーションに説得力がないと講師やメンターから厳しい指摘を受けますし。
白鳥 社外活動なので自分のアイデアが認められなくても失うものはないはずなのに、いつの間にか「ここで失敗したら人生終わり」という気持ちになっていました(笑)。他社のイノベーションの取り組みに学ぶことも多く、異業種の人たちと交流することの大切さを痛感しました。
小松原 参加以前と以後で、何か変わりましたか?
白鳥 変わりました。人生の転機と言えるほどの影響を受けて、プログラムを終えてすぐに若手を中心とした有志のコミュニティーを社内で立ち上げました。
小松原 すばらしい。何人くらいのコミュニティーなんですか?
白鳥 100人くらいです。コロナ下の今はオンラインの集まりが多いですが、アイデアを交換したり、キャリア相談会を行ったりしています。
業務課題と自由課題を並行して推進
小松原 イノベーション推進部では、目下どのようなテーマに取り組んでいるのでしょう。
白鳥 当社は「一生涯のパートナー」というミッションを掲げ、お客様のQOLの向上と、「well-being(幸せ)」の実現を目指しています。具体的には、万が一の時の「保障」に加え、「資産形成・承継」「健康・医療」、人や地域や社会との「つながり・絆」という4つの領域における新たな価値の創出に取り組んでいます。
小松原 白鳥さんが主に携わっているのは?
白鳥 ビジネスデザイン課は現在6人のメンバーがいて、各々が会社の方針に沿った業務課題と、自分の興味・関心を深掘りする自由課題を持っています。私の業務課題は、健康・医療データの活用に関すること、自由課題は、主に睡眠に関することです。
小松原 業務課題は事業の方向性が絞りやすい一方で、関心のない分野だとモチベーションを保つのに苦労します。自由課題はモチベーションが上がる反面、的外れな方向に走ってしまう可能性もあります。そのへんの難しさはないですか?
白鳥 業務課題は経営層と一定の合意形成を図りながら進めているのでスピード感をもって事業化を目指すことができます。自由課題は取り組んでいて純粋に楽しいですね。「始動 Next Innovator」で学んだことを実践できている感覚もあります。
小松原 なるほど。さらに言うと、業務課題と自由課題がうまく交差する新規事業が見つかると、そのビジネスが大きく育っていくんでしょうね。
白鳥 そう思います。
小松原 第一生命はコア事業である保険領域の業績が好調です。それでもあえて新規事業にチャレンジしています。
白鳥 当社がInsTechの取り組みを始めた2015年が1つの節目だったと思います。フィンテックの波が保険業界にも来るというトップの判断によってイノベーションを推進する動きが加速し、各部署からメンバーを集めた専担チームが17年に発足。18年に営業企画部にイノベーション・ラボが創設され、20年いよいよイノベーション推進部が新設されました。「競合は同業他社ではなくGAFA」という意識で、全グループを挙げて取り組んでいます。
小松原 御社は若くしてトップや役員になる方が多いですよね。現在の稲垣精二社長は大手金融で最年少の53歳で社長に就任された方ですし、部長クラスも40代が活躍されています。イノベーション推進に勢いがあるのは、そのへんも関係しているのでは。
白鳥 若くても実力や実績があれば認めてもらえる社風があるのは確かだと思います。
小松原 新規事業に対して社内の理解がないと、反対勢力を説得するための資料作りなどに労力を割かれてしまいます。第一生命はトップが明確な方向性を示し、オープンイノベーションにも積極的です。
白鳥 予算も案件ごとではなくイノベーション推進部としてまとめた予算確保ができているので、部長決裁で話が進みます。予算編成の資料を作ってトップの判断を仰いで……というプロセスがない分、物事がスピーディーに進むのです。
小松原 重要なポイントですね。特に体力のある企業は、体力があるうちにそうした体制を敷いておく必要があると思います。業績が悪化すると「既存事業で1円でも多く稼げ」という空気になってしまいますから。
睡眠の選択肢を広げるサービスに着目
小松原 睡眠に関しては、どのような新規事業の可能性を見ているのですか?
白鳥 睡眠に取り組むきっかけは、ARCHでした。NTT東日本と、睡眠医学の知見を持つブレインスリープ社が協働で行っている、仮眠と生産性に関する実証実験に誘っていただいたんです。私自身、良い眠りを通じて仕事の生産性を上げたいという願望がありましたし、家族が寝付きの悪さに悩んでいたこともあって、興味を持ちました。
小松原 新規事業につなげるために、どのようなことから始めたのでしょう。
白鳥 睡眠に関するインタビュー調査から始めました。インタビューにおいては、ARCHの会員であるキャノンマーケティングジャパン様にご紹介いただいて、Spready社の調査サービスを利用しました。
小松原 そこもARCHのつながりだったんですね。
白鳥 そうなんです。ちなみに私が最初に考えていたビジネスモデルは、バイタルデータの結果から個々人に合った睡眠方法をレコメンドするサービスでした。しかしインタビューを通じてわかったことは、睡眠を妨げる要因は十人十色で、眠りの質も、食事の内容、メンタルの状態、1日の運動量、気候や季節など、条件によって変わるということでした。そこで、睡眠方法のレコメンドというよりも、睡眠の選択肢を広げるサービスを展開できないかと考えるようになりました。
小松原 睡眠の選択肢を広げるサービスとは?
白鳥 もうすぐ実証実験が始まる取り組みですが、ホテルなどの宿泊施設に、睡眠グッズメーカーが提供する品々をそろえておくのです。宿泊するお客様は、興味を持った睡眠グッズを気軽に試すことができて、睡眠計測デバイスを利用することで自身の睡眠データを受け取ることができます。グッズを提供するメーカーは、お客様が気に入れば購入やPRにつながるだけでなく、フィードバックされた睡眠データやユーザーインタビューを商品開発に活かすことができます。
小松原 どのような睡眠グッズを想定しているのですか?
白鳥 ブレインスリープの枕をはじめ、疲労を軽減するリカバリーウェア、アロマグッズやマッサージ器、自然な起床を促すウェイクアップライトなどです。
小松原 家庭で試してもらうという方法ではなく、宿泊施設に着目したのは?
白鳥 最初はレンタルサービスにしたらどうかと考えたのですが、アンケート調査をしたところ、「使ったグッズを返送するのが面倒くさい」という意見がとても多かったんです。また、デパートの寝具売り場などに行けばいろいろなグッズを試せますが、実際に眠ることはできないので、自分に合う商品かどうかの確かな判断材料にはなりません。また、高価格の商品の場合は、どうしても購買が慎重になります。宿泊先で試すのであれば返送の手間がなく、高価格の商品も気軽に体験できて、しかも朝まで眠って自分に合う商品かどうかを確かめることができます。
小松原 なるほど。
白鳥 実証実験は、まずARCHで参加者を募り、睡眠グッズや睡眠計測デバイスを試していただくことから始めました。そのデータをフィードバックしたところ、参加者からも睡眠グッズメーカーからも良い反響があり、手応えを感じています。近々某ホテルグループで実証実験を行うことが決まっている他、ホテル以外の様々な企業からも引き合いが来ています。
小松原 事業化も視野に入ってきたのではないでしょうか。
白鳥 そうなったらうれしいですね。ARCHを通じてつながりのできたNTT東日本はボトムアップでの新規事業取組が進んでいる企業でもあるので、ノウハウを学んでいけたらと思っています。
小松原 事業の育て方を学び合えるのもARCHならではですよね。
白鳥 新規事業やオープンイノベーションを効率的に進める上では、コミュニケーションコストをいかに下げられるかが重要な課題です。ARCHは同じような課題を持った新規事業担当者が集まっているので、何をするにも話が早い。それはすごくありがたいですね。
夢は“Sleeperience”を通じて「すべての人々を睡眠の悩みから解放すること」
小松原 睡眠に関するBtoBビジネスの実現が最初の目標として、他にチャレンジしてみたいことはありますか?
白鳥 最終的な目標は、今回検討しているサービス“Sleeperience”を通じて、すべての人々を睡眠の悩みから解放することです。Sleeperienceとは“Sleep(眠り)”と“Experience(体験)”をかけ合わせた造語で、つまり睡眠グッズの利用体験を通じて、自らの睡眠をアップデートいただくことを目指しています。私としては、このSleeperienceによって、ホテルが「宿泊する場所」から「心身の健康を取り戻す場所」になればいいなと考えています。
小松原 いいですね。私は出張が多いのですが、宿泊先のベッドや枕が合わないことが多いので、「泊まりの出張=疲れる」というイメージなんです。ですからそういったホテルがあったらぜひ泊まりたいですね。私のようなビジネスマンは多いんじゃないでしょうか。
白鳥 そうですよね。Sleeperienceはホテルの付加価値になると思うんです。
小松原 白鳥さんご自身がSleeperienceのモニターになることも多いのでは?
白鳥 試したグッズを個人的に購入して自分で使ったり、家族に送ったりしています。睡眠に悩みのある家族は、夜中に目が覚めてしまう回数が少なくなったと喜んでいます。新規事業は、そうした“自分事化”がとても大事ではないかと思っています。私はWiLの研修などを通じて「デザイン思考」や「アート思考」を学びました。大雑把に言うと、デザイン思考はお客様起点の思考法、アート思考は自分起点の思考法ということになるかと思いますが、どんな案件も自分事として考えられると、より推進力が生まれるのではないかと思います。今後、蓄積した睡眠データの研究が進めば、究極の睡眠グッズの開発につながるかもしれません。
小松原 睡眠の話をしている時の白鳥さんは本当に楽しそうですね(笑)
白鳥 楽しいです(笑)。手探りのところもありますが、会社が自由に取り組ませてくれるので、やりがいがあります。また、業務課題の方も面白く取り組めています。日本は今、地域医療や家庭医療の体制を整備する動きが広がっていて、PHR(パーソナル・ヘルス・レコード)と呼ばれる個人の健康・医療情報の活用を医療機関や自治体が進めています。そうした中で、健康や医療のデータを活かした新たな価値を創出できたらと思っています。
小松原 睡眠も、健康や医療のデータ活用に関することも、社会課題の解決に貢献する取り組みです。事業化を楽しみにしています。
白鳥 ありがとうございます。実現を目指して取り組んでいきたいと思います。
小松原威|Takeshi Komatsubara
2005年に慶應義塾大学法学部卒業後、日立製作所、海外放浪を経て2008年SAPジャパンに入社。営業として主に製造業を担当。2015年よりシリコンバレーにあるSAP Labsに日本人として初めて赴任。デザイン思考を使った日本企業の組織/風土改革・イノベーション創出を支援。2018年にWiLに参画しLP Relation担当パートナーとして、大企業の変革・イノベーション創出支援、また海外投資先の日本進出支援を行う。
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