ARCH PARTNERS TALK #07

マインド変革から始めた企業変革。「ユーザーファースト」を当たり前にしたい——静岡新聞社・静岡放送 奈良岡将英 × WiL 小松原威

大企業の事業改革や新規事業創出をミッションとして虎ノ門ヒルズにて始動したインキュベーションセンター「ARCH(アーチ)」。企画運営は虎ノ門ヒルズエリアにおいてグローバルビジネスセンターの形成を目指す森ビルが行い、米国シリコンバレーを本拠地とするWiLがベンチャーキャピタルの知見をもって参画している。WiLの小松原威氏が、静岡新聞社・静岡放送の奈良岡将英氏を迎え、同社の取り組みに迫った。

TEXT BY Kazuko Takahashi
PHOTO BY Koutarou Washizaki

興味のある仕事を勝手に作ってしまおう

小松原 今回は静岡新聞SBSグループの企業変革の取り組みに迫りたいと思います。御社は静岡新聞と静岡放送というマスメディアの強固な事業基盤を持っています。その会社が2018年にシリコンバレーに駐在員を派遣しました。奈良岡さんがその人です。

奈良岡将英|Masahide Naraoka 静岡新聞社・静岡放送 編成業務局プロダクトマネジメント部長 兼 報道制作局ライブ制作部 兼 コーポレートマネジメント局コーポレートセンター経営企画部。1998年静岡新聞社・静岡放送に入社。グループのSBS情報システムでウェブサービスの企画開発に従事したのち、社長室経営戦略推進部でブランドマネージャーを15年にわたって務める。2018年5月に渡米。シリコンバレーWiLに駐在し、企業変革のための活動を行う。2021年5月に帰国。現在はデザイン思考、OKR、プロダクトマネジメントを社に根付かせようと挑戦を続けている。

奈良岡 はい(笑)

小松原 当時は私もシリコンバレーと東京を行き来していて、奈良岡さんの活動を拝見しながら、静岡新聞社・静岡放送が変わろうとしていると強く感じました。

奈良岡 私が派遣される前年には、社長の大石剛(現・代表取締役顧問)がシリコンバレーを訪れ、WiLへの出資を決めていました。

小松原 企業変革の話に入る前に、大石氏がなぜ奈良岡さんに白羽の矢を立て、シリコンバレーに派遣したのか伺いたいです。

奈良岡 そこに至るまでには紆余曲折の長い道のりがありまして……(笑)

小松原 ぜひ伺いたいです。聞くところによると、奈良岡さんは静岡大学工学部情報知識工学科のご出身で、音楽制作や映像制作、舞台演出なども手がけていらっしゃいます。いったい何者? と思います(笑)

奈良岡 母親がピアノを教えていたこともあって、幼い頃から音楽は身近にありました。映像や演劇に熱中したのは大学時代で、その流れでテレビの仕事に興味を持ち、1998年に静岡新聞・静岡放送に入社しました。

小松原 キャリアのスタートは?

奈良岡 情報システム局に配属されました。

小松原 ということは、システムエンジニアとしてのスタートですね。職種としては大学で学ばれたことに近い?

奈良岡 確かに学んだ分野ではありましたが、やりたかったテレビの仕事ではありませんでした。しかも、業務の大半は外部の仕事でした。公共機関や医療機関などのシステム運用を請け負っていたんです。

小松原 テレビの仕事とはかけ離れていますね。

奈良岡 はい。そこで、自分の興味のある仕事を勝手に作ってしまおうと、静岡のグルメやイベントの情報を載せたウェブサイトを立ち上げました。大学時代からインターネットへの関心は強く持っていましたし、サイトを立ち上げた2000年当時は静岡の情報発信サイトが皆無に近く、今から始めれば勝てると思ったんです。

小松原 デジタルメディアの走りですよね。社内の反響はいかがでしたか?

奈良岡 自分としては、「これからの時代はネットだ」という意気込みでしたが、新聞とテレビが圧倒的に強い時代だったので、波風ひとつ立てられませんでした。結局、本業の仕事と半分かけ持ちのような形で、ウェブサイトの運営を続けました。

小松原 現在の静岡新聞社・静岡放送の公式サイト@S[アットエス]の前身ということですよね。

奈良岡 そうです。

“オールドメディア”からの脱皮を目指す

小松原 いわば二足のわらじで活動されていた奈良岡さんですが、ターニングポイントがあったのでしょうか。

奈良岡 ウェブサイトを立ち上げた同時期に、社内でブランディングのプロジェクトがスタートしました。最初は局長クラスの委員会でしたが、しばらくして人を募るようになり、興味があったので手を挙げてチームの一員になりました。その後、2003年に社長室経営戦略推進部に異動になり、ブランディングを担当することになりました。

小松原 ブランディングのプロジェクトが始動したということは、その頃から企業変革が始まっていたんですね。

奈良岡 社内の一部が少しずつ意識し始めたという感じでしょうか。生活者調査、社内調査、キーマン調査などを基に、静岡新聞とは何か、静岡放送とは何か、チームで議論を重ねました。調査を通じて世間の認識と社内の認識にギャップがあることも見えてきました。ギャップを埋めるうえで打ち出したのが、「やる気を喚起し、人々を動かすメディア企業へ。」というブランドビジョンです。

小松原 正攻法のブランディングですね。

奈良岡 はい。2004年にはウェブを中心とするメディアの企画・制作を行う総合メディア局が設立されました。既存事業である新聞・テレビ・ラジオ以外のメディアを開発したいと、当時経営戦略推進部長だった大石と一緒に企画書を書いて実現した部署でした。

小松原 つまり、新規事業を模索し始めたということですね。

奈良岡 自分としてはそういう考えでした。ただ、やはり既存事業が強いので、思うようにいかないことも多かったです。

小松原 現在の御社は、ネット分野で次々と新しい試みをされています。あとでくわしく触れますが、ランナー向けアプリ「RUN de Mark(ランドマーク)」などは、既存事業とは一線を画したメディアサービスです。どのあたりで社内の風向きが変わったのでしょう? 経営環境の変化もあったのでしょうか。新興のネットメディアが台頭する一方で、新聞購読率やテレビ視聴率が全国的に下がり始めていましたよね。

奈良岡 静岡新聞の部数は、2006年の75万部をピークに減少に転じました。広告収入も2008年のリーマンショック以降、縮小が顕著になりました。そうした中で、数字と日々向き合っている社内の一部は「このままではいけない」という空気に変わっていきました。ブランドキャンペーンにおいても、新聞やテレビについてまわる“オールドメディア”というイメージからの脱皮を目指しました。2016年の静岡新聞創刊75周年、静岡放送開局65周年に際して制作したキャンペーンCM「超ドS静岡兄弟」篇は、第54回ギャラクシー賞CM部門大賞を受賞しました。2017年には、長年にわたって静岡市民に親しまれ、「ちびまる子ちゃん」にも取り上げられた「フェスタしずおか」を18年ぶりに現代に合った形で復活させ、20万人を動員しました。

小松原 奈良岡さんがシリコンバレーに派遣されたのは、その翌年の2018年です。ようやく冒頭の話に戻りましたね(笑)。大石氏がなぜ奈良岡さんに白羽の矢を立てたのか、お話を伺ってきてよくわかりました。奈良岡さんは入社当時から企業変革に並々ならぬ情熱を傾けてきた人なんですね。

企業変革への思いを胸にシリコンバレーへ

奈良岡 シリコンバレー行きは企業変革のヒント探しが目的でしたから、期待を胸に渡米しました。ところが、早々に壁にぶち当たりました。「主力事業に負けない何かを見つけてこい」というフワッとしたミッションで派遣されたので、現地で出会う人に「あなたは何がしたいのか」と問われても、明快に答えられなかったんです。「会社として何か新しいサービスを生みたい」などと答えてみるものの、「会社じゃなくて “あなた”は何がしたいんだ」と返されてしまう。長く企業ブランディングに携わる中で、何事も会社を主語にして考える「ザ・サラリーマン」になっていたことに気づかされました。

小松原 なるほど。

奈良岡 ひどく落ち込んで、最初の3カ月は自己分析に費やしました。自分が何に興味を持ち、何を面白がり、何を得意としてきたのか、子ども時代までさかのぼって自問自答しました。たどりついた答えは実にシンプルで、「誰かを楽しませたい」ということでした。

小松原 個人のミッションが見えてきたんですね。会社のミッションではなく。

奈良岡 そうです。

小松原 悩める3カ月を経た奈良岡さんは、本社と連携しながらWiLのブートキャンプ(シリコンバレー流の方法論を使った「マインドセット変革」のための研修プログラム)への参加を社員に促し、現場のリーダーとして奔走されました。シリコンバレーのベンチャー探索や新規事業の創出にいきなり取りかかるのではなく、マインドセットの変革から始めたねらいは?

奈良岡 WiLのオフィスで、同じ静岡が地元のスズキをはじめ、他企業の皆さんと話す中で、たとえいいアイデアやいいベンチャーを発見できても、その価値に気づける人が社内にいなければ、物事は前に進まない。まずは社内の意識改革から、という思いに至ったのです。

小松原 上司に提案してもアイデアが通らないというケースは、確かに日本の大企業にはよくあるようです。

奈良岡 他企業の方々と話してみて、同じ悩みを抱えていることがわかりました。部長クラスから意識を変えた方がいいというアドバイスは特に参考になりました。

小松原 ブートキャンプの第1弾では、まさしく部長クラスがそろっていましたね。

奈良岡 はい。営業系と管理系の部長約20名が参加しました。というのも、当時、営業系と管理系の若手社員の離職率が高かったんです。メディアが多様化する中で、新聞やテレビは生き残れるのか、新規のアイデアが通らない会社に未来はあるのか、疑問を感じる若手が増えていました。

小松原 なるほど。

奈良岡 ブートキャンプでは、相手のアイデアを「Yes」と肯定的に受け止め、さらに「And〜」と他のアイデアを積み重ねていくマインドセットや、デザイン思考などについて学ぶことができます。1期生は、いい意味でシリコンバレー流の方法論にカブれてくれました。帰国後、「Yes And」というおそろいのTシャツを作って報告会を開いたくらいです(笑)

小松原 そういうノリの良さが静岡新聞社・静岡放送の魅力ですよね。中でもいちばんノリがいい営業系から火をつけたのが良かったと思います。

奈良岡 彼らの変化は社内でかなりのインパクトがあって、特に若手社員が敏感に反応しました。すかさず2期生の公募をかけたところ、20代・30代の社員が多く手を挙げてくれました。

小松原 2期生のブートキャンプも盛り上がりましたよね。パワフルなメンバーが多かった。

奈良岡 2期生の中から「俺たちもイノベーションリポートを作ろう!」という声があがりました。ニューヨーク・タイムズの社員有志が内外数百人を取材し、同社の問題点について指摘した「イノベーションリポート」が、DX推進の契機となったという話に刺激を受けたのです。この発案はブートキャンプの卒業生の間で共有され、2020年8月に「静岡新聞社イノベーションリポート」として結実しました。

小松原 「静岡新聞社イノベーションリポート」は社内だけでなく社外にも発表されましたね。

奈良岡 はい。「ユーザーファーストで、変わり続けるのが当たり前の企業文化を身につける」と宣言し、変革への覚悟を表明しました。

小松原 ブートキャンプ第3弾の参加者は、既存事業の現場の方々でした。

奈良岡 3期生は、新聞の編集局やテレビの報道制作局など、主力事業の現場の上長たちを中心に集めました。社内で発言力が大きい層だけに、いよいよ「本丸」という思いがありました。

小松原 「本丸」の意識が変われば、変革の話が進めやすくなりますからね。

奈良岡 はい。結果的に大成功でした。「正解がある世の中」(ビフォアーインターネット)から、「誰も正解がわからない世の中」(アフターインターネット)へのシフトが求められている現実を共有し合う機会となりました。そして次の4期生は再び公募で参加者を集めました。現在は新型コロナウィルスの感染拡大により渡航が難しいため、オンラインでのブートキャンプに切り替えています。これまでに静岡新聞社・静岡放送の社員約610人のうち126人がブートキャンプを卒業しました。全社員の約20%が参加したことになります。

ランナー向けアプリ「RUN de Mark」を開発

小松原 ブートキャンプ卒業生の活動には注目すべきものがたくさんあります。「イノベーションリポート」もそうですし、2020年10月には、先に触れたランナー向けアプリ「RUN de Mark」を発表されました。

奈良岡 卒業生たちは、新規事業を創出するオフェンシブチームと、既存事業の変革に取り組むディフェンシブチーム(後にビジョニングチームに改称)を組成し、活動を始めました。オフェンシブチームの最初のリーダーは、中途入社ということもあって、忖度なく物事をグイグイと前に進められる人で、「月に100個のアイデアを出そう」とメンバーを鼓舞しました。シリコバレーの体験を体験だけで終わらせず、実際の行動に移せたのは、彼のような存在がいたからです。

小松原 奈良岡さんはビジョニングチームのリーダーとして活躍されました。さらにシリコンバレーを経験した方々が、アフターインターネットの時代に向けた課題を「自分ごと化」して変革に取り組んでいます。理想的な形でサイクルが回り始めましたね。

奈良岡 お互いに積み重ねてきた知見を補い合えるように、情報共有にも努めています。

小松原 私はWiLの一員としてオフェンシブチームのプレゼンテーションに立ち合うことがありました。「月に100個」のアイデアからこれぞというアイデアを絞り込み、事業化を検討する会議を月イチのペースで行っていましたが、メンバーの誰もが「プレゼンテーションさせて!」という熱意持っているのがすごいなと思いました。そうした中で、事業化の先駆けとなったのが「RUN de Mark」でした。

奈良岡 「RUN de Mark」は、市民ランナー同士をつなぐ有料マッチングサービスです。ランナーがアプリで時間や場所、距離、ペースなどを設定してリクエストすると、一緒に走ってくれる「ペーサー」やランナーを見つけることができます。

小松原 他にも新規事業の卵はたくさん生まれていて、まだ多くは語れないと思いますが、ARCHのセミナーを起点としたプロジェクトも進行中ですね。

奈良岡 オフェンシブチームの活動は、ブートキャンプの卒業生が既存事業の仕事を持ちながら社内副業的に取り組んできましたが、新規事業開発にもっと本腰を入れて取り組みたいというチームメンバーの声が高まったのを受けて、昨年1月に「Future Creation Studio(未来創造工房)」を始動し、“出島”をARCHに作りました。Future Creation Studioは、新規事業創出を担う新組織で、既存事業から社内投資ファンドのような形で予算を割り当て、新事業の卵を増やしながら育成しています。

小松原 Future Creation Studioが新設されるタイミングで静岡新聞に掲載された企業広告は衝撃的でした。「静岡新聞SBSは、マスコミをやめる。」というキャッチコピーが強烈でしたよね。

奈良岡 ボディーコピーは、「かつてマスと呼ばれひとくくりにされた大衆はもういない。その大衆にむけて一方的に情報を送り続けたコミュニケーションももはや通用しない。静岡新聞SBSは、マスコミュニケーションをやめる。静岡の一人ひとりに、静岡新聞SBS一人ひとりで向かい合うことから、もう一度はじめようと思う」という内容でした。ユーザーファーストな企業に生まれ変わるという決意を改めて表明した形です。

小松原 静岡新聞社・静岡放送の今後がますます楽しみです。一方、奈良岡さんの近況はというと、シリコンバレー勤務を終え、放送の現場に異動されました。

奈良岡 今後は現場から企業変革に取り組んでいきたいという思いから、帰国を願い出ました。現在は編成業務局の仕事に従事していますが、それ以外に、なぜかラジオの放送休止中に流す音楽を作ったりしています(笑)

小松原 今は二足のわらじどころか、いつくも兼業されているようにお見受けします(笑)。企業変革に対する情熱もそうですが、奈良岡さんのバイタリティーはいったいどこからくるのでしょう?

奈良岡 純粋に「面白いから」です。「誰かを楽しませること」が私の根幹だと話しましたが、不謹慎を承知で素直な気持ちをさらしますと、企業変革の途上で起こる様々なこと、誰かに影響を与えることを、どこか楽しんでいるところがあります。当社は長らく「誰かを楽しませること」の土台でした。私も入社前には、この会社を土台にしたエンタテインメントに親しんでいた一人でした。それが凋落していくのを見るのは忍びない。これからの「誰かを楽しませること」のベースになりたいと思っています。

 

profile

小松原威|Takeshi Komatsubara
2005年に慶應義塾大学法学部卒業後、日立製作所、海外放浪を経て2008年SAPジャパンに入社。営業として主に製造業を担当。2015年よりシリコンバレーにあるSAP Labsに日本人として初めて赴任。デザイン思考を使った日本企業の組織/風土改革・イノベーション創出を支援。2018年にWiLに参画しLP Relation担当パートナーとして、大企業の変革・イノベーション創出支援、また海外投資先の日本進出支援を行う。

ARCHは、世界で初めて、大企業の事業改革や新規事業創出をミッションとする組織に特化して構想されたインキュベーションセンターです。豊富なリソースやネットワークを持つ大企業ならではの可能性と課題にフォーカスし、ハードとソフトの両面から、事業創出をサポート。国際新都心・グローバルビジネスセンターとして開発が進む虎ノ門ヒルズから、様々な産業分野の多様なプレーヤーが交差する架け橋として、日本ならではのイノベーション創出モデルを提案します。場所 東京都港区虎ノ門1-17-1 虎ノ門ヒルズ ビジネスタワー4階