大企業の事業改革や新規事業創出をミッションとして虎ノ門ヒルズにて始動したインキュベーションセンター「ARCH(アーチ)」。企画運営は虎ノ門ヒルズエリアにおいてグローバルビジネスセンターの形成を目指す森ビルが行い、米国シリコンバレーを本拠地とするWiLがベンチャーキャピタルの知見をもって参画している。WiLの小松原威氏が、ANA(全日本空輸)の山口忠克氏を迎え、同社の取り組みに迫った。
TEXT BY Kazuko Takahashi
PHOTO BY Koutarou Washizaki
自分の原点と言える現場経験
小松原 ANAとWiLは、WiL設立当初からのおつき合いです。初めに、山口さんが所属するイノベーション・KAIZEN部の活動内容について、概要をご紹介いただけますか?
山口 もともとは別々に存在していたKAIZENを推進する部署とイノベーションを推進する部署を統合し、2019年に新設された部署になります。KAIZENは、職場をより良くするために、日々の業務から問題を見つけて、「あるべき姿」の実現に向けて、ムリ・ムラ・ムダを取り除きながら、品質向上や生産性向上を推進すること、イノベーションは、新規事業開発というよりは、本業のエアライン事業をより良く進化させるために、お客様・職場のペインを把握し、「ありたい姿」の実現に向けて、他企業との連携・協創を通じて新たな価値創造や働き方改革を推進することになります。この2つの領域は補完し合う関係ですので、1つになることでより連携を深めていきたいと考えています。
小松原 ANAのイノベーションの取り組みというと、「DD-Lab(デジタル・デザイン・ラボ)」の活動が象徴的です。「破壊的イノベーション」をキーワードに、ドローン事業、宇宙事業、アバター事業、仮想旅行事業など、様々な分野で新たなチャレンジをされています。コロナ禍の現在は例外として、ANAは「就職したい会社ランキング」などで常に上位に入る会社です。盤石なイメージのある会社が、飽くなきチャレンジを続けるのはなぜでしょう。
山口 それはもう、創業来のDNAですね。規制や権益が多く存在する業界の中で、常に独立自尊の精神のもとで、純民間企業として既存の規制や権益に対して挑戦しながら成長してきた会社です。「努力と挑戦」の企業文化が今も変わらず続いているのです。
小松原 すばらしいことです。山口さんはチャレンジの最前線にいらっしゃるわけですが、キャリアの歩みについて伺ってもいいでしょうか。
山口 新卒で1993年にANAに入社し、最初は羽田空港で制服を着てカウンターに立ち、チェックイン業務などに従事していました。
小松原 新入社員が必ず通る道なんですか?
山口 全員ではありませんが、「まずは現場を経験する」ということを大事にしている会社です。私の場合は、当時の人事担当が山口は空港に向いているからということで配属されたようです。ちなみに、当時の人事担当は、この4月に新社長に就任する井上慎一でした。
小松原 そうなんですか!
山口 はい(笑)。空港の現場業務はとても貴重な経験になりました。現場では、様々な問題が発生しその対応策を検討・実施しますが、面白いところは、実施した施策の効果・リアクションがすぐに実感できるということです。私はアルバイトをしていた学生時代から、現場をいかに効率的に回すかということを考えるタイプでしたので、そうした問題意識を持って臨んでいました。
小松原 若い頃からKAIZENに関心があったんですね。
山口 そうかもしれません。羽田の現場には3年間いました。その後、大阪へ転勤し、パイロットのスケジュール作成や日々のオペレーションを支援する現場業務に従事しました。パイロットの資格取得に向けた訓練・審査を管理しながら、様々なワークルールに基づき、効率的なスケジュールを組んでいく仕事です。これに加えて、乗員組合との労使交渉も担当しました。
小松原 組合が強い業界ですから、大変な仕事ですね。
山口 当時の労使関係は決して良好ではない状況でしたので、パイロットにいちばん近くにいる事務職として、自分達に何が出来るのかと日々、悩みながら仕事をしていました。5年ほどこの仕事に携わったのですが、あるパイロットから言われた一言は今も忘れません。当時の会社の経営状況は非常に苦しい状況にあったのですが、「我々パイロットは無事故で運航しており、会社が求める『安全運航の堅持』という責務を100%果たしている。しかしあなた方事務職は、経営のプロとしての責務を果たしていない」。二の句が継げませんでした。「責務を100%果たしている」と自信を持って言えない自分がいたからです。悔しかったですし、この現場経験が自分の原点となりました。
小松原 といいますと?
山口 事務職の中にも経営のプロとしての責務を果たそうとしている人間がいることを示したいという想いから、外で学ぶ機会を得るべく、KBS(慶應義塾大学大学院経営管理研究科)に願書を出したのです。MBA取得のプログラムは2年間全日制ですから、退社を覚悟し、学費を借りるために父親に頭を下げました。ところが幸いにも会社で社外留学に関する休職制度を検討中だったため、当時の上司の取り計らいにより、人事部付休職・会社派遣という形で学べることになりました。
小松原 それにしても大きな決断でしたね。
山口 はい。うれしかったのは、当時、労使交渉で対峙していた乗員組合の大阪支部の書記長から部屋に呼ばれ、恐る恐る部屋に入ったところ、「頑張ってこい」と万年筆をプレゼントしてくれたことです。あの時の感激は私の心に深く刻み込まれています。その方は情に厚く男気溢れる人物で後に経営側でも活躍されましたが、あるべきリーダー像を見せてくれた方だと思っています。
会社を動かすために必要な2つの視点
小松原 KBSで学んだ頃の山口さんの年齢は……。
山口 31歳~32歳の2年間です。KBSの学友は、私と同じように会社から派遣されてくる人もいれば、退職というリスクを取ってゼロから新しい道を開こうとしている人もいました。刺激的な2年間でしたね。ちなみに私の修士論文は、労使関係を考察する内容でした。航空業界の労使関係は当時、20~30年も遅れていると言われる中で、遅れているからこそ、日本企業が持つ企業別組合という特徴を経営システムのなかに活かし、労使関係を進化させることで、戦略と実行を上手く連動させられるのではないかという問題意識がありました。日本的経営が否定的に語られる文脈が多い中で、企業別組合が持ちうる特徴を活かせば、グローバルに通用する強い経営につなげられるのではないか、ベースとして求められる労使の信頼関係とはどのように構築していくべきなのか、そういった内容をまとめました。
小松原 労使交渉を身をもって経験した山口さんならではのテーマですね。
山口 そうですね。高度成長期世代には労使関係に興味や問題意識を持つ人がどの業界にもいたと思いますが、2001年当時はめずらしかったですね。そもそもビジネススクールで労使関係について関心を持つ人もあまりいませんでしたね。
小松原 職場に復帰後は、どんな仕事に?
山口 自分としては、2年間学んだことを現場で実践したいと思っていましたが、企画室に配属となりました。
小松原 企画室となると、立場的には労使の「使」の側。
山口 はい。経営会議体の運営や経営戦略を策定する部署ですね。一方で、私としては修士論文を絵に描いた餅にしたくなかったので、本社にある東京支部で組合役員としても活動しました。企画室の業務においては会社の戦略や考え方を発信しながら、支部委員長の役割においては実行を担う働く側の社員の代表として、社員の考え方を取り纏めて発信するという立ち位置です。矛盾するようですが、ひとつの事象を2つの立場からを客観的に見ていくことは、他者を巻き込み、物事を進めていく上で非常に大事なことだと思いますし、この経験も私の財産にもなっています。さらに、私の経歴で特異なのは、企画室から真逆に位置する労働組合専従になったことです。
小松原 会社から期待されている証左ではないでしょうか。
山口 労働組合の人事に会社は介入しませんので、会社の期待ということではないですが、当時の東京支部での活動を見て労働組合には必要とされたということかもしれません。私としては、組合自身の改革も必要だと思っていましたので、労組本部で活動できるいい機会をいただけたと思いました。
よく言っていたキーワードは、「万年キャッチャーからの脱出」です。会社からの提案をただ受け止めるだけではなく、自らも提案というボールを投げて会社と建設的な議論を重ねていこうと。ただ、何しろ直前まで企画室に所属していた人間なので、「会社の言い分を説得しにきているのではないか」と私に疑念を持つ人もいました。特に整備部門からは厳しい意見を貰うこともありましたので、2年目に羽田の整備部門の担当になった時は信頼関係を構築することに苦心しました。
会社としては、限られた原資で効果の最大化を実現したいと考えますので、労働組合の役割は、現場がいきいきと働ける環境を作り、モチベーションを向上させて実行力を高めるために、その限られた原資をどこに投下すればいいのかを示すことにあります。どこにボールを投げればいいのかを示し、どこにキャッチャーミットを構えれば、会社とウィンウィンのキャッチボールができるのか、また、構えたミットを信じてボールを投げて貰えるためには何が必要なのか、徹底的に話し合いました。
小松原 どちらが良い悪いではなく、どちらも正しいからこそ、難しい交渉だと思います。山口さんは常に相対する意見の間に立って物事を前に進めてこられました。意見をすり合わせていく上で、何か心がけていることはありますか?
山口 立場で主張し合うということではなく、出来るだけ早くお互いが本音で語り合える関係を築くことですね。お互いの本音が分かれば、相手が何に価値を置いているのかが見えてきますので、合意形成に向けた着地点を早く見つけ出すことができます。
小松原 タフネゴシエーターですね。
山口 そんなにかっこいいものじゃないです(笑)。ひとつ気づけたのは、ビジネススクールで交渉論の授業を受けた時に、自分が苦しみながら何となく実践してきた経験知が学問的にも間違っていなかったということです。ビジネススクールでの学びは、経験をあとから整理したり、効率的に知識を得たりという意味では役に立ちますが、やはり悩みながら意志決定をした実体験にまさるものはないと思っています。
小松原 そうしたご実感は、「現場」を見ながらMBAを修めたり、企画室からの異動で労組専従を務めたりと、ずっと同じ畑にいることなく対極の立場を行き来されたからなんでしょうね。結局、労組専従は何年くらい?
山口 2007年~2011年までの4年間です。会社への復帰部署は、初任地である羽田空港の旅客業務を行う部署になりました。
小松原 なんと!
山口 40歳を越えたおじさんが中途半端な時期に突然、異動してきたので、現場の若い人たちは驚いたと思います。「何かやらかしたのかな?」なんて(笑)
小松原 そう思っちゃいますよね(笑)
山口 当時、羽田空港の空港ハンドリング業務をグループ会社化し、ANAの業務を委託していくプロジェクトが進んでおり、その一端を担うための配置だったと思います。現場に戻ることを望んでいたため、久し振りに制服を着てカウンターに立つことを楽しみにしていました。ところが、15年の年月が経っていましたので、若いころの感覚で業務に臨んでも、昔のようには臨機応変に対応できない自分に戸惑い、気持ちばかり焦る運動会のお父さんみたいな状況でしたね。チェックインのセルフ化が進んだ分、カウンターにお越しになるお客様は何か問題を抱えている確率が高く、昔よりも係員にはストレスフルな現場になっていることも身をもって知ることができました。いい年になってから接客の現場の最前線で体感することができて良かったと思います。
実行から成果までを一気通貫で考える
小松原 現場勤務を経て、その後はどのような仕事を?
山口 本社に戻りまして、2年ほど全社的なプロジェクトの推進役を担ったのち、より現場に近いオペレーション部門の企画部署に4年半おりました。前部署であるオペレーションサポートセンターでは、空港ハンドリング業務におけるイノベーション推進を担当し、主には人口減少に伴う人手不足を見据えて、グランドハンドリングという空港の裏方業務の省力・省人化に携わりました。労働集約型な業務を新しい技術の活用を通じて改革するべく、空港内外で用いる車両の自動運転化、PBB(旅客搭乗橋)の接続自動化、手荷物の積み込みにおけるロボット活用などに取り組みました。
小松原 搭乗客の目に触れることはありませんが、いずれも重要な現場ですね。
山口 航空会社のイメージはどちらかというと洗練されたイメージを持たれるかもしれませんが、私たちはよく白鳥にたとえます。見える部分は優雅で洗練されていて、水面下では忙しく足を動かしていると。
小松原 なるほど(笑)
山口 普段は見えない現場の仕事が時には大活躍する場面もあります。例えば、航空機のデアイシング(防除氷雪)作業は、普段は裏方の重要な仕事ですが、ANAグループでは、この作業車のボイラー機能を活用し、2007年の新潟県中越沖地震、2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震の際に、被災地でお風呂をご用意する支援活動を行いました。私は熊本地震の際に、会社業務の一環として事務局を担いましたが、約80日間の支援活動を通じて、延べ約5000人の方々に入浴支援を行うことができました。
小松原 裏方の現場力がそうした機会にも発揮されていたのですね。空港を拠点に地域の人々と深くかかわるANAらしい取り組みです。
山口 ANAらしさとは、「あんしん・あったか・あかるく元気」に自らが汗をかき「実行する」ことにあると思います。机上で現場も見ずにもっともらしいことを語ることは誰でもできますが、実行するには様々な困難が生じます。その困難を乗り越えて成果を出すことにこそ、私は価値があると思っています。経営戦略も同じではないでしょうか? 戦略は完璧でも、実行できなければ成果はゼロです。戦略・計画×実行力=成果。これは私のポリシーであり、ライフワークでもあります。イノベーション・KAIZEN部の部員には、我々の仕事は、職場に現存する制約や障害・問題を取り除くための手法・考え方・新たな技術を職場に伴走する形で提供し、実行力を高めるために貢献することにあると伝えています。つまり戦略・計画と実行力の間にある×の大きさを可能な限り大きくしていく役割があると思っています。
小松原 山口さんがイノベーション・KAIZEN部の部長に就任されたのは、昨年4月でしたね。
山口 はい。冒頭でお話したように、もとはイノベーションを推進する組織とKAIZENを推進する組織が別々に存在していたので、そこをいかに一つにしていくかに心を砕いています。どんなに革新的なイノベーションも、社会実装を進めていく上では、現場のオペレーション構築が不可欠であり、そこにはKAIZENは必須になりますので、イノベーション戦略チームとKAIZEN推進チームがより横断的に連携し、問題解決に臨めるような組織づくりを進めています。
小松原 コロナ禍において、ANAはどこよりも先駆けて職域接種に取り組みましたが、それを主導したのがイノベーション・KAIZEN部だと聞いています。
山口 そうですね。航空従事者は人の移動を支えるインフラ機能として、どんな状況にあっても日々、お客様と接していますので、グループ社員の安全・安心の確保という観点と、一日も早く航空産業が以前のような活気を取り戻すためにも、ワクチン接種が少しでも早く進むことで、コロナ禍の収束に貢献したいという思いから迅速に行動を起こすことになりました。短時間でコストをかけずに予約管理の仕組みを構築する必要がありましたので、ワクチン接種予約システムは、WiLの仲介でHey社の提供を受けました。Hey社にとって病院以外からの提供依頼は初めだったそうです。
小松原 それほどANAの動きが速かったということですよね。
山口 実質的には2週間で準備を整え、6月13日から接種を開始しました。「まずはやってみる」でスタートさせて、現地現物で小さなKAIZENを繰り返しながら、表示や動線・レイアウト等の工夫を行い、効率化なオペレーション体制を構築しました。また、慣れない人でも運用できるように現場のハンドリングをマニュアル化し、コロナ禍で搭乗の機会が減った客室乗務員たちに接種会場の運営を担ってもらうようにしていきました。
今こそイノベーションとKAIZENが求められている
小松原 山口さんは、WiLの活動についてはどのような印象を持っていましたか? というのも、コロナ禍さえなければ、山口さんはシリコンバレーのWiLに出向される予定だったんですよね。
山口 そうなんです。WiLについては、弊社がWiLに出資するタイミングから気になっていましたし、ANAグループがホールディングス体制に移行して、新たな事業や価値を生み出していくためには、WiLとの連携は、必要不可欠かつ象徴的な取り組みだと感じていました。コロナ禍で自分が3代目としてシリコンバレーに赴任することは叶いませんでしたが、オンライン上でつながった皆さまとの人間関係を大事にしながら、今の立場においてしっかりとWiL関係者の皆さまとの連携を深めていきたいと思っています。4代目をシリコンバレーに送る時期がいずれ来ると思いますので、その時に備えて、シリコンバレーから投げられたボールを日本側でしっかりと受け止められる体制をイノベーション・KAIZEN部の中に構築したいと思っています。労使関係を同様に、いいバッテリーづくりが私の役割になりますね。
小松原 ANAはARCHのイベントにも積極的に参加されている印象があります。
山口 まだまだイベント参加に留まっているというところが正直なところです。航空業界は多種多様な職種が連携してビジネスを成り立たせているという性格上、横連携に時間とパワーを割くことが多く、外の世界との接点が希薄になる社員も多いため、ARCHのようなフィールドは貴重な場です。イノベーションの起点は、多様な価値観に触れて新しい視点を得ること。ARCHで生まれる他企業との交流は、「航空村」以外の考え方に触れる貴重な機会になっています。
小松原 最後に、今後の展望をお聞かせください。
山口 大手調査会社の一般社員に向けた「コロナ禍を経て社員が会社に期待すること」に関するアンケートを見ると、約3割の方が「新しいことや改善にチャレンジする機会」と答えています。航空業界はコロナ禍の影響を大きく受けていますが、受けているからこそ、イノベーションとKAIZENに取り組むチャンスも多いと思いますので、実行と成果を積み重ね、ANAグループの夢に溢れる明るい未来を若い人たちに示していけたらと思います。
小松原威|Takeshi Komatsubara
2005年に慶應義塾大学法学部卒業後、日立製作所、海外放浪を経て2008年SAPジャパンに入社。営業として主に製造業を担当。2015年よりシリコンバレーにあるSAP Labsに日本人として初めて赴任。デザイン思考を使った日本企業の組織/風土改革・イノベーション創出を支援。2018年にWiLに参画しLP Relation担当パートナーとして、大企業の変革・イノベーション創出支援、また海外投資先の日本進出支援を行う。
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