大企業の事業改革や新規事業創出をミッションとして虎ノ門ヒルズにて始動したインキュベーションセンター「ARCH(アーチ)」。企画運営は虎ノ門ヒルズエリアにおいてグローバルビジネスセンターの形成を目指す森ビルが行い、米国シリコンバレーを本拠地とするWiLがベンチャーキャピタルの知見をもって参画している。WiLの小松原威氏が、スズキの熊瀧潤也氏を迎え、同社の取り組みに迫った。
TEXT BY Kazuko Takahashi
PHOTO BY Koutarou Washizaki
畑違いの新規事業をたった1人で
小松原 スズキは、2016年からシリコンバレーに駐在員を派遣されています。また、これまでに幹部も含めて200名もの社員の皆さんがWiLのブートキャンプ(シリコンバレー流の方法論を使った「マインドセット変革」のための研修プログラム)に参加されています。熊瀧さんは、最初に参加した13人のうちの1人なんですよね。
熊瀧 はい。2017年9月のことです。私は当時、スズキの新規事業部門に異動したばかりで、当初の部員は私1人でした。
小松原 たった1人だったんですか?
熊瀧 ええ。それまでは海外勤務が長く、2015年に帰国してから2年間は海外営業の企画部長を務めていました。海外のニーズを商品企画にフィードバックしたり、モーターショーや広告宣伝の企画を行ったりする部署です。その仕事の一環として、コネクテッドカーサービス(車とネットをつないで提供する様々なサービス)の調査を行っていました。そして、CASE(Connected[コネクテッド]、Autonomous[自動運転]、Shared & Services[カーシェアリングとサービス]、Electric[電動化]からなる言葉)と呼ばれる自動車業界における変革に対応するため、当社でも専門の部署が設立されることになり、私が配置されたのです。
小松原 営業とはまったく領域が違いますから、最初は大変だったのでは?
熊瀧 川下から川上へと領域が大きく変わり、社内の第一線のエンジニア集団とかかわる仕事になりました。文系の私にとっては戸惑いの連続で、仲間が欲しいところでしたが、「何をやるかまだ決まっていないのだから、まずは1人で知恵を絞れ」という社命でした。
小松原 なるほど(笑)
熊瀧 今思えば、1人で動けてよかったと思います。社外のセミナーや発表会に片っ端から参加して他企業の人と交流し、知識を仕入れることで、視野を広げることができました。当社はコネクテッドカーサービスの後発組でしたので、最先端の現場にいる方々とお話する機会はとても貴重でしたね。WiLとの出会いは、まさにその頃です。
小松原 シリコンバレーでのブートキャンプはいかがでしたか?
熊瀧 学ぶことが多かったです。WiL共同創業者CEOの伊佐山元さんから言われた「失敗していますか?」という言葉は、今も心に残っています。「いっぱい失敗してやろう。失敗を恐れずにチャレンジしていこう」と勇気がわきました。そしてこのブートキャンプの終わりに「コネクテッドの事業をやり遂げる」と宣言しました。本社に戻ってブートキャンプの報告をした時は、学んだことを生かして、「なぜ、会社は私たちをシリコンバレーに送り込んだのか?」「それは○△のためである」「なぜ○△のためなのか」「それは〜」というように、「why」を深掘りするプレゼンテーションを行いました。すると当時の会長が、「短期間の研修でこれほど成長するなら」と、幹部クラスをシリコンバレーに送ることを即断。第2陣の参加者は60名を超えました。
小松原 御社の熱意に驚かされた覚えがあります。あの頃に、熊瀧さんは社外とのコミュニケーションを活発に続けていたわけですね。
熊瀧 そうです。CASEに関しては社内でいちばん知識が豊富な人間になろうと決め、とにかく人に会って話を聞きました。1人で活動を始めてから名刺を交換した人の数は、3年目には2000名を超えました。
小松原 ものすごい活動量!
熊瀧 はい(笑)
モットーは、車(モビリティ)を売らない
小松原 熊瀧さんが1人で立ち上げた新規事業部は、現在は次世代モビリティーサービス本部という名称で活動しています。
熊瀧 はい。2度の組織改編を経て、現在はモビリティサービス部と次世代モビリティ部を擁する部に成長しました。一昨年12月3日には、コネクテッドサービス「スズキコネクト」を開始し、同月24日発売の「スペーシア」シリーズに導入することを発表しました。「コネクテッドの事業をやり遂げる」と宣言したことが実装のフェーズに入ったと言えます。
小松原 すばらしい。ちなみに「スズキコネクト」というのは、具体的にどんなサービスなのでしょう。
熊瀧 例えば、エアバッグが展開するような大きな衝撃を車両が検知すると、自動で緊急通報が作動し、車両の衝突情報や位置情報がヘルプネットセンターに送信されます。オペレーターの問いかけに返答がない場合は、速やかに消防や警察などに連絡します。車両不良、体調不良、あおり運転の被害などについても、ヘルプネットセンターが対応にあたります。また、家族や友人と位置情報をシェアできたり、安全運転や燃費の状況をスマホアプリで確認できたりする機能も搭載しています。
小松原 今後は「スペーシア」シリーズ以外のモビリティにも「スズキコネクト」が標準装備になっていくイメージでしょうか。
熊瀧 そうですね。「スズキコネクト」の認知を広げながら、あらゆるモビリティに可能性を広げていきたいと考えています。
小松原 熊瀧さんは現在、次世代モビリティサービス本部長を務めていますが、今は何人くらいになったのですか?
熊瀧 90人くらいです。
小松原 ずいぶんと仲間が増えましたね。社内の理解者をどうやって増やしていったのか、興味があります。
熊瀧 1人で始めたとはいえ、エンジニアをはじめ社内に多くの協力者がいたおかげです。また、自動車業界全体がCASEやMaas(Mobility as a Serviceの略。鉄道、バス、タクシー、飛行機、船舶、シェアサイクルなど様々なモビリティーサービスを1つのサービス上に統合し、より便利な移動を実現する仕組みのこと)に対応していく中で、開拓すべき分野という理解は社内でおのずと進んでいきました。
小松原 次世代モビリティサービス本部の事業は、とにかく範囲が広いですよね。
熊瀧 そうですね。当社は自動車だけでなく、二輪車、車いす、ボートなど、様々なモビリティを展開しています。それを強みとしながら、様々な可能性を探っています。その際に私がモットーとしているのは、車(モビリティ)を売らないことです。
小松原 自動車メーカーなのに、車(モビリティ)を売らない?
熊瀧 製品を売ることを禁じ手にすることで、じゃあどういうサービスだったらビジネスになるのかと、アイデアをひねり出さざるを得ないじゃないですか。
小松原 なるほど。おもしろい発想です。
熊瀧 目下力を入れているのは、スズキのモビリティを使ってくださっている業界やエリアに向けたサービスです。例えばスズキの軽トラックは、農家の皆さんに愛用されています。当社としては、農作業に関する負担を軽減し、担い手不足や高齢化といった農家の方々の困りごとを解決できないかと常に考えてきました。そこで、電動車いすの車体を流用した農業用電動台車「モバイルムーバー」を、スズキの地元である静岡の農業ベンチャー企業と共同開発し、農薬散布や運搬などでの活用を検討しています。さらに、ドローンを用いた農薬散布を中心とした農家支援を行っているダイハツ工業と協力し、日本の農業や地域社会を活性化していくプロジェクトを開始しました。
小松原 ダイハツ工業は軽トラ市場におけるライバルだと思いますが、そこと協力していくと。
熊瀧 そうです。長く軽トラを愛用してくださっている農家の支援や農業の活性化は、縮小していく市場の奪い合いよりも、市場を維持拡大して健全な競争を続けるために優先すべきことだと考えています。あとは、商用車として使われることの多い軽バンのドライバーに向けた小口配送の効率化サービス、安全運転や燃費向上の見える化サービスなども実証実験を進めています。
小松原 確かに「売る」という視点のサービスではないですね。
熊瀧 電動車いすの領域では、歩行補助具から車いすにトランスフォームする「KUPO(クーポ)」の試験運用を浜松市で開始しました。「長く歩くのがしんどい。でもまだ車いすに乗りたくない」という高齢者が多いという調査を受けて開発された製品で、歩きたい時は座席を折りたたんで電動手押し車として使え、乗って移動したい時は電動車いすになるアシストカーです。移動した歩数を記録する機能なども備えています。GPSも搭載されているので、車いす移動にふさわしくない道路情報の配信なども考えられるのではないかと試行錯誤しています。
小松原 一貫して、顧客の幸せや成功のために何ができるかという発想です。
熊瀧 そうですね。その結果としてモビリティの販売につながればいいという考え方です。
「アウェー」の方が仕事がしやすい
小松原 熊瀧さんのキャリアについて、もう少し聞かせてください。というのも、熊瀧さんはARCHではちょっとした有名人で、3年で2000人以上と名刺交換されただけあって、多方面にネットワークを持っている印象があるからです。
熊瀧 いやいや(笑)。私は25年にわたって海外営業を担当し、そのうち12年は海外駐在でした。駐在した国は、フランス、イギリス、イタリアです。駐在時を振り返ってよかったなと思うのは、役員でも何でもないペーペーの自分が、本社から出張で現地を訪れる人たちのアテンドを通して、役員クラスとも接点を持つ機会に恵まれたことです。せっかくの機会なので、積極的に話しました。「怒られたら謝ればいいや」というノリで(笑)
小松原 熊瀧さんは好奇心が旺盛ですよね。目に浮かびます(笑)
熊瀧 また、現地でのネットワークづくりにおいては、「アウェー」の方が仕事がしやすいことを学びました。
小松原 不利な状況に強いということですか?
熊瀧 人って「ホーム」にいる時の方がリラックスできますよね。そういう状況だと本音が出やすいんです。ですから、例えば車の営業などでも、地域の店に足繁く通いました。そうすると相手はいろいろと話してくれます。今も部下を自分の席に呼ぶことはありません。自分が部下の席に行って話を聞くようにしています。
小松原 そういうことですか、なるほど。
熊瀧 イタリアでは、セリエAのトリノFCとのスポンサー契約など、自分の想像をはるかに超える大きな仕事もできました。ユヴェントス、インテル、ミランなど名門チームのオーナーとも知り合ったり、イタリア代表監督とも友だちになりました。そうした中で「できるわけがない」というリミットがなくなり、「望めば叶う」と思うようになりました。
小松原 アウェーでの人づきあいを通してマインドセットの醸成ができたのですね。熊瀧さんの精力的な活動の理由がわかったような気がします。さて、ARCHでの活動についても聞かせてください。
熊瀧 他企業の方と気軽に意見が交わせるランチミーティングはよく活用させてもらっています。それから、ARCHに新しいメンバーが加わった時は、何か一緒にできる企業はないかと、必ずチェックしています。また、当社は現在「オフィスカー」を使ったテレワークの提案を行っています。コロナ禍でテレワークが増えたことで、家族と暮らす自宅では個室を確保できなかったり、孤独に働く寂しさを感じたりする課題に着目した車です。軽自動車を改造し、後部座席に机などを取り付けた仕様になっているのですが、この作り込みについてARCHのメンバーのコクヨさんにアドバイスをいただいています。また、同じくメンバーの長谷工コーポレーションさんのグループ会社が管理するマンションに実際に車を置かせてもらい、住民の方々にご意見を伺ったりするなど、ARCHのつながりに助けられています。
小松原 そういえば、熊瀧さんはウェブ会議の時に車の中にいることが多いですよね。
熊瀧 あれは私の車で、「エブリィ」をテレワーク仕様にしたんです。すごく使い勝手がいいですよ。
小松原 熊瀧さんに感化されている人は多いと思います。ただ、すべての人が熊瀧さんのように活動的なわけではありません。今は本部長として、リーダーとして、若い社員の育成も担っていると思いますが、何か意識していることはありますか?
熊瀧 実は最近、「リーダー=指導者」という訳は誤訳だという話を聞いたんです。正しくは「リーダー=始道者」であると。
小松原 おお!
熊瀧 つまり、人を導くのがリーダーの仕事ではなく、1歩先を歩くのがリーダー。導くのは難しいですが、先に実行するなら自分にもできます。始道者についていく人が少しずつ増えたら、大きなうねりになるかもしれない。そんなふうに考えられるようになりました。
小松原 新鮮な解釈ですね。共感します。では最後に、熊瀧さんが目指すもの、そしてスズキ自動車が目指すもの、それぞれ聞かせてください。
熊瀧 私には「何かを成し遂げたい」という欲はあまりなくて、社内で行った「モチベーション診断」でも、いちばんのモチベーションは「利他」と診断されました。確かに人を喜ばせるのが好きなので、腑に落ちました。現業でいえば、社長を助けるのが私の役目なので、全うしたいと思っています。社長がよく言っているのは、地域の足である軽自動車を守りたいということです。スズキは「シンプル・ミニマル・ファンクショナル」をつきつめた軽自動車を作り続けています。環境負荷の低減、サステナブルという観点においても、当社の製品が果たす役割は大きい。今後はその価値をコネクテッドサービスの分野へと拡張していきたいと思っています。
小松原 今後どんなサービスが生まれていくのか、楽しみにしています。貴重なお話の数々をありがとうございました。
小松原威|Takeshi Komatsubara
2005年に慶應義塾大学法学部卒業後、日立製作所、海外放浪を経て2008年SAPジャパンに入社。営業として主に製造業を担当。2015年よりシリコンバレーにあるSAP Labsに日本人として初めて赴任。デザイン思考を使った日本企業の組織/風土改革・イノベーション創出を支援。2018年にWiLに参画しLP Relation担当パートナーとして、大企業の変革・イノベーション創出支援、また海外投資先の日本進出支援を行う。
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