ARCH PARTNERS TALK #01

コア技術から生まれた新素材「SPACECOOL」を新ビジネスに——大阪ガス 鶴田嵩 × WiL 小松原威

大企業の事業改革や新規事業創出をミッションとして虎ノ門ヒルズにて始動したインキュベーションセンター「ARCH(アーチ)」。企画運営は虎ノ門ヒルズエリアにおいてグローバルビジネスセンターの形成を目指す森ビルが行い、米国シリコンバレーを本拠地とするWiLがベンチャーキャピタルの知見をもって参画している。WiLの小松原威氏が、大阪ガスで新規事業に携わる鶴田嵩氏を迎え、同社の取り組みに迫った。

TEXT BY Kazuko Takahashi
PHOTO BY Koutarou Washizaki

2018年にイノベーション推進部を創設

小松原 鶴田さんは、大阪ガスのイノベーション推進部で新規事業に携わっていらっしゃいます。具体的な取り組みについて伺う前に、そもそも新規事業に携わっている人ってどんな人? というところから聞いてみたいと思います。まずは鶴田さんのバックグラウンドというか、これまでのキャリアについてご紹介いただけますか?

鶴田嵩|Koh Tsuruda 2010年、大阪ガス入社。情報通信部にて、大阪ガスのITインフラに関する施策の企画・推進、全社IT戦略の計画策定業務に従事。また、グループ全体の情報セキュリティガバナンス強化を責任者として推進。2017年からは、米国エモリー大学(Goizueta Business School)にて経営学修士(MBA)を取得。2019年6月に帰国後、イノベーション推進部にてDaigasグループのイノベーション活動推進、新ビジネス創出、ベンチャー・VC出資を担当。2021年5月より、SPACECOOL社にコーポレート本部長として兼務出向中。

鶴田 わかりました。私は大阪生まれの山口県育ちで、大学は神戸大学で情報知能について学び、大学院では主に半導体について研究しました。就職先として大阪ガスを選んだのは、「技術力をいかに課題の解決につなげていくか」という技術に根ざした営業活動に力を入れている会社だからです。グローバル展開にも積極的な会社だったので、何か新しいことに挑戦できそうだと思って入社しました。

小松原 なるほど。では、最初の配属先は技術営業部に?

鶴田 いいえ、専門分野に近い情報通信部でした。

小松原 やはり。

鶴田 はい(笑)。業務としては、大阪ガスグループのITインフラの整備や、ITセキュリティーの強化に取り組みました。

小松原 そうした業務には何年くらい携わったのですか?

鶴田 およそ7年です。ただ、同じ分野にとどまっているとなかなか視野が広がりませんし、上司に後押しされたこともあって、2017年から2年間、アメリカのエモリー大学にMBA留学をしました。

小松原 思い切りましたね。

鶴田 実はあまり英語は話せなかったのですが(笑)、1年間準備して渡米しました。エモリー大学では経営の基礎知識を学び、会社に戻ったらそれを活かせる部署、たとえば経営企画のセクションなどに配属されるだろうと考えていました。

小松原 大阪ガスがイノベーション推進部を立ち上げたのは2018年ですから、鶴田さんが留学しているさなかですね。

鶴田 はい。帰国すると同部への配属が決まりました。WiLというベンチャーキャピタルと一緒に新しいことに挑戦している部署だと聞いて、「WiLって何!?」という感じでした(笑)

小松原 私が鶴田さんと初めてお会いした頃ですね(笑)

鶴田 そうです。小松原さんがシリコンバレーのビジネスや、注目しているベンチャー企業の取り組みなどを話してくださったことをよく覚えています。とてもおもしろい話だったので。

小松原 ありがとうございます。キャリアのご紹介もありがとうございました。では、イノベーション推進部の取り組みについて伺っていきたいと思います。掲げているミッションについてご紹介いただけますか。

鶴田 主に3つのミッションを掲げています。1つ目は、イノベーションマインドの醸成です。例えば、社内コンテスト「TORCH」は、35歳以下の若手社員20名前後がアイデアを競い、事業化を目指すプログラムです。WiLのブートキャンプ(シリコンバレー流の方法論を使った、マインドセット変革のための一週間の研修プログラム)にも社員が積極的に参加しています。

2つ目は、当社が比較的早くから始めているオープンイノベーションです。他社との協業などを通じて技術やサービスの向上を図っています。
3つ目は、新規事業の創出です。のちほど紹介したい新素材の会社「SPACECOOL」の取り組みもその1つです。

小松原 明確なミッションを掲げているイノベーション推進部ですが、その設立のタイミングは、大阪ガスがWiLのファンドに出資してLPとなったタイミングと重なります。改めて伺いたいのが、なぜわざわざ新しい部署を作ったのか、ということです。マインドの醸成なら人事部で、オープンイノベーションや新規事業の創出なら事業部で、つまり既存の枠組みの中で、できなくはないですよね。

鶴田 実際、既存の事業部でもさまざまな挑戦をしています。ただ、大阪ガスの中核事業であるエネルギー事業や従来のブランドイメージにとらわれることなく自由に試行錯誤ができる場を、という判断だったのだと思います。

ポイントは既存の事業部との連携

小松原 イノベーション推進部とは設立当初からのおつきあいですが、メンバーの皆さんがとにかく明るい! 

鶴田 確かにそうかもしれません(笑)

小松原 既存の事業部とイノベーション推進部とのコミュニケーションもうまく取れている印象があります。

鶴田 それは当初から変わっていないですね。イノベーション推進部の最初の本部長は、現社長の藤原正隆です。2019年からは副社長として既存の事業部も見渡している存在でした。

小松原 そこは非常に重要なポイントですね。

鶴田 はい。既存の事業部とイノベーション推進部の取り組みが多少かぶってもいいから、とにかく前に進むんだという雰囲気をつくってくれていました。また、既存の事業部とイノベーション推進部を兼務している社員がいることが、円滑なコミュニケーションの基盤になっています。

小松原 何人くらい兼務されているんですか?

鶴田 今は3人で、この3人を通じて各事業部との情報共有がしっかりできています。また、イノベーション推進部の人員拡大にともない、既存の事業部から異動してくる人も増えています。事業部でキーマンだった人が「この案件なら誰々に相談すれば話が早い」などと教えてくれることも多いですね。

小松原 だから部門間のコミュニケーションがうまくいくんでしょうね。

鶴田 そう思います。あと、例えば小松原さんから「こういうベンチャーの取り組みがあります。興味ないですか?」などといろいろな紹介をいただくじゃないですか。それに対して私たち以上にほかの事業部が「おもしろい!」と食いつくこともあります。それもいい関係性ができているからだと思います。

小松原 イノベーションマインドの醸成の意義についてはどう考えますか。味方が増えるという感覚でしょうか。

鶴田 それはありますね。例えばWiLのブートキャンプへの参加者は、最初はイノベーション推進部のメンバーが中心でしたが、今はほかの部署からも参加者が増えています。オンラインブートキャンプには、海外の事業部のメンバーも参加しています。また「TORCH」の卒業生は累計100名にのぼります。この卒業生のコミュニティーが若手社員のビジネスアイデアのブラッシュアップに貢献しています。

小松原 新規ビジネスの創出に近道はありません。経営層だけが意気込んでも意味がないし、若手だけが意気込んでも意味がありません。

鶴田 若手がブートキャンプに参加して、社に戻ってアイデアを提出したら、部長にアイデアをつぶされた、なんていう会社もあるようです。でも当社の場合は、部長クラスも率先してブートキャンプに参加していますし、新しいアイデアの事業化に前向きです。そこはすごくありがたいですね。

ジョイントベンチャー「SPACECOOL」が誕生

小松原 先ほど話に出た新素材の会社「SPACECOOL」について伺っていきたいと思います。どんな会社なのか、ご紹介ください。

鶴田 SPACECOOL社は今年4月1日に誕生した会社で、社名と同じ「SPACECOOL」という放射冷却素材を扱っています。高性能、高耐久の光学フィルムで、太陽光と大気からの熱をブロックして熱吸収を抑えるだけでなく、宇宙に輻射も行うことで熱を捨て、ゼロエネルギーで外気より低温にする新素材です。

小松原 それは大阪ガスがもともと持っているコア技術ですか?

鶴田 当社のエネルギー技術研究所が、2013年頃から熱を使った発電技術の研究を開始していました。物を温めたときに出てくる赤外線を電力へと変換する研究です。これを新素材の分野に活かせないかと研究を進め、SPACECOOLを開発しました。

小松原 SPACECOOL社は、既存事業の一部を切り出してスタートアップとして独立させる「カーブアウト」型のジョイントベンチャーです。設立時の出資比率は大阪ガスが49%、WiLが51%。それについて社内で議論はありましたか。

鶴田 ベンチャーキャピタルというと、一般的にはお金儲けのために投資を行っているようなイメージがありますが、WiLは、ブートキャンプをはじめ、WiLに出資しているLP企業とのリレーションサポート、ビジネスクリエーションサポートなど、イノベーションの根幹を支える活動をされています。「大阪ガスだけでSPACECOOLの事業を進めることもできるのでは」という社内の意見もありましたが、外部のノウハウを入れた方が可能性は広がりますし、SPACECOOLを開発した研究者もそれを望んでいました。また、開発のスピードアップをはかるねらいもありました。新しい技術ではありますが、事業化を進めているベンチャー企業が、アメリカや中国に存在していたからです。

小松原 会社設立後の社内外の反響はいかがですか。

鶴田 プレスリリース後、社外からの問い合わせがとても多く、「注目度が高いので、取引先に提案してみたい」という動きが社内で生まれています。もう一つの効果としては、大阪ガスで研究を進めているほかの技術シーズについて「WiLと一緒に可能性を考えてみたい」と研究者から相談がくるようになりました。

小松原 ARCHでのオンラインイベントでもSPACECOOLを紹介されましたね。ARCHの会員からも引き合いがあったようですが。

鶴田 はい。複数の企業から引き合いがあり、具体的に事業化の話も進んでいます。

小松原 ARCHに集まっているのも新規事業部の人たちなので、話が早いですよね。

鶴田 そうなんです。SPACECOOLは温度を下げる効果があるだけでなく、断熱材よりも格段に薄いので、省スペース化につながる素材です。ユニットハウス、テント、トラック、コンテナ、工場、倉庫、熱中症対策製品など、さまざまな用途が考えられます。あらゆる「暑熱」の悩みを解決する素材ですが、私たちが思いもよらないところに「暑熱」の悩みがあり、そこに事業化の芽がある。例えば、分電盤などの屋外機器は摂氏40度を超えると故障しやすいので常に冷やし続けたいとか、ビルや仮設の構造物を冷やすことができれば空調の効率が上がるとか……。

小松原 外部の人たちとのやり取りを通じてハッと気づかされるという。

鶴田 本当にそうですね。

グローバル展開も視野に

小松原 脱炭素やサスティナビリティといった世界的な流れの中で、エネルギーに対する社会的な関心はかつてないほど高まっています。そうした流れを大阪ガスはどう受け止め、どう変わろうとしているのか。SPACECOOLをどう展開していきたいのか。聞かせてください。

鶴田 大阪ガスでは、ガスエネルギーにおける革新的な技術の探索を継続する一方、新しいエネルギーへの投資も行っています。さらに藤原正隆社長は、エネルギー事業と並ぶような新事業の創出が重要であると全グループに発信しています。SPACECOOLは、脱炭素やサスティナビリティという点においてもグローバルにアピールできる技術です。とりわけ赤道周辺の国々の「暑熱」対策などに貢献できると思います。

小松原 イノベーション推進部の設立、イノベーションマインドの醸成、ジョイントベンチャーの設立と、大阪ガスが着実に手を打っていることがわかるお話でした。最後に、今後の展望についても聞かせてください。

鶴田 イノベーション推進部のこれまでを振り返ると、1年目は、WiLの協力を得てのネットワークづくり、2年目は、既存事業のベンチャー出資や協業のサポート、3年目は、SPACECOOLをはじめとする新しいビジネスづくりに注力してきました。その成果として「なぜこれをやるのか」「何ができるのか」という「WHY」と「WHAT」が見えてきました。今後は、新規事業の創出を目指すメンバーや技術者の想いを実現するために、労働時間の確保や資金面でバックアップできる仕組みづくりを進めていきたいと考えています。「イノベーションを起こし続ける大阪ガス」という明るい未来のために。「解」はないので、壁にぶつかることもあると思います。そのときは小松原さんに相談させてください。

小松原 もちろんです。ファーストペンギンの精神で進み続ける大阪ガスのチャレンジと明るい未来を一緒に見つめていきたいと思います。
 

profile

小松原威|Takeshi Komatsubara
2005年に慶應義塾大学法学部卒業後、日立製作所、海外放浪を経て2008年SAPジャパンに入社。営業として主に製造業を担当。2015年よりシリコンバレーにあるSAP Labsに日本人として初めて赴任。デザイン思考を使った日本企業の組織/風土改革・イノベーション創出を支援。2018年にWiLに参画しLP Relation担当パートナーとして、大企業の変革・イノベーション創出支援、また海外投資先の日本進出支援を行う。

ARCHは、世界で初めて、大企業の事業改革や新規事業創出をミッションとする組織に特化して構想されたインキュベーションセンターです。豊富なリソースやネットワークを持つ大企業ならではの可能性と課題にフォーカスし、ハードとソフトの両面から、事業創出をサポート。国際新都心・グローバルビジネスセンターとして開発が進む虎ノ門ヒルズから、様々な産業分野の多様なプレーヤーが交差する架け橋として、日本ならではのイノベーション創出モデルを提案します。場所 東京都港区虎ノ門1-17-1 虎ノ門ヒルズ ビジネスタワー4階