CREATE THE UNIVERSE

押井守は言った。「このままでは人類初の『世界研究所』計画が、潰えるかもしれない」と。

岩手県に建設が予定されている、ILC計画を知っているだろうか? 知らないあなたは間違いなく損をしている。「知れば、絶対好きになる」と誰もが断言するほどの魅力、意義、そしてスケールの大きさ。実現するには「国民一人一人がILCを知ること」が不可欠だ。この小さな島国が得た千載一遇の大チャンスを逃さないために、私たちにできることは何だろうか?

TEXT & PHOTO BY SHIN ASAW a.k.a. ASSAwSSIN

全世界の共同出資により「宇宙誕生の謎」を解く最先端の研究施設を日本に建設、そこへ各国の物理学者が数千人規模で集結する。それがILC(インターナショナル・リニア・コライダー)計画だ。予定地が岩手の北上山地に定まり、成就すれば巨大な国際科学都市が東北に誕生するということもあって、ILCは震災復興のシンボルとみなされ、地元では大いに期待を集めている。

★関連記事=「日本がサイエンス界のリーダーになる、最初で最後のチャンス!?」

ところが全国レベルでみると、ILCの認知度はまだまだ低い。日本政府が巨額の税金投入へ舵を切るには、もっと国民の理解が必要だという。オリンピックなどに比べ、プロモーション不足というわけだ。

ならば、と啓蒙活動をボランティアで買って出た著名人たちが一同に会し、渋谷で初イベントを開催した。かの押井守監督がその発起人で、その名も「ILCサポーターズ」。キャッチフレーズは「Create the universe」だ。

国際科学都市の誕生が「東北復興のシンボル」となる

ILCサポーターズの中心人物であり、計画を推進する東京大学の山下了(東京大学素粒子物理国際研究センター 特任教授)は、こう断言する。

「知れば、絶対好きになるプロジェクト。だから、無理にでも知ってほしい」

ILCのIはインターナショナル。LとCは「直線(リニア)の衝突装置(コライダー)」。全長31kmもの空洞を地下に掘り、両端から素粒子を発射、ど真ん中で衝突させる。その瞬間、1兆分の1秒というスケールで、宇宙創世の瞬間を高い精度で再現する。ビッグバンならぬリトルバンを地上で起こす(ただし、大爆発するような危険はないので、その点はご心配なく)。

すでにヨーロッパには、全周27kmという世界最大の円型粒子加速器LHCを擁する国際研究所「CERN」がある。しかし円型のLHCで解き明かせる範囲には限界があり、直線型のILCに大きな期待が寄せられている。その候補地が日本の、それも岩手県の北上山地に定まった。

「ILCは直接役に立つものじゃない。でも人の心には大きな効果があります。私たちは生まれてからずっと、どこから来て、どこへ行くのか、何が可能で、何がこれから起こるのか考えながら生きている。その根本原理を、世界が一丸となって解き明かす計画です」

ILC最大の魅力は、何といっても「チャレンジ」だ、と山下は語る。

「直線タイプを大型化するのはとてつもなく難しいんです。世界最先端の技術を集めて、世界最先端の知識を得る。ILCが目指す知と技術のチャレンジは圧倒的です」

チャレンジがあるところには、様々な波及効果がある。かつてCERNでは、世界中の素粒子研究者をつなぐツールとしてWWW(ワールドワイドウェブ)が生み出され、今のインターネットの基礎となった。

「人類は自然を学ぶ度に、いろんなものを手に入れました。私達の生活はそういうもののおかげであることは間違いありません。ただし、すぐに役立つものじゃないし、いずれ役に立つとわかっていたわけでもない。電磁気学の提唱者は『絶対に役にたちません』と言った。ところが今は、(電磁気学は無線通信や発電所の原理であり)それがないとやっていけない世界になっている。あるいは量子力学。それが半導体を生み出し、パソコンやスマートフォンになるなんて、当時は思いもよらなかった。あるいは病院。身体の中をいろんな機器で検査しますが、そのためのセンサーも、レントゲンに代表されるように、宇宙や物理の研究を目的として開発されたものがたくさんある。そういう大元の大元の、大元の部分にチャレンジすることが、この研究の醍醐味でもあります」

しかも計画が実現すれば、数千人もの外国人研究者、技術者たちが、10年、20年にわたって岩手県を訪れる。

「ILCを取り巻く社会、ビジネスの仕組みも新しく作る必要がある。物理実験であると同時に、社会実験。そういったチャレンジでもあります」

巨大な国際科学都市の誕生には、当然ながら経済効果も期待できる。CERNの場合、投じられた資金の3倍の経済効果があったと言われる。総工費が8000億円を超えるILCなら、兆単位での見返りが期待できる。東北復興のシンボルとしても魅力的、かつ現実的だ。

しかし、こうした影響はあくまで「枝葉」ととらえるべきだろう。むしろ世界の期待に応えるべく、日本国民そのものが変容するに違いない。既に地元の岩手では、ILCに備え、子供の英語教育が焦点になりつつあるという。中には、ILCで研究者として働くことを夢見る子供も現れるだろう。国際科学都市誕生の波及効果は、額面以上の、もっともっと大きなものだ。

ILCはリアリティのある計画だと山下は語る。「CERNへ行けばわかります。6,000人とかが集まってモノを造り上げるというのは凄い。こんなに立体的で複雑なパズルのようなもの、しかも全長何kmといった巨大な構造物が、力を合わせれば本当にできてしまう」

しかも、ILCは人類史上初の「全世界共同出資」による、いわば世界研究所。人類が待望し、人類が手を組んで実現する、全く新しい冒険の始まり。その点も大きな魅力のひとつといえる。

「science for peace という言葉があります。普段は対立しているような国同士、たとえばイスラエルやインド、パキスタン、イラン、中国に韓国、アメリカにヨーロッパにロシア、アフリカ、オーストラリア……お互いがイデオロギーでぶつかっていても、フロンティアを目指すためならひとつのチームになれる。人類のためだからこそ、一緒にやれるんです。

ところが、アメリカは世界的に信用がなくて候補地にならない。ヨーロッパは既にたくさんプロジェクトがひしめいていて手が回らない。日本はとても世界から好まれる国なんです。日本と一緒にやりたい、という声は多い」

これまで輝かしい成果をあげてきた名門CERNの後を継ぎ、日本に世界一の研究所を作る。それは震災復興の、そして同時に世界平和のシンボルとなる。まさに50年に一度あるかないかの大チャンスだ。その実現には、計画自体を日本国民に広く知らしめ、政治家や役人の重い腰を蹴り上げるしかない。

「一生に一度ぐらい、人類の役に立ってみたい」

発起人として登壇するや否や、押井守監督は開口一番、こう言い放った。

「経済効果とか、多少はあるかもしれない。けど、そこは肝じゃない。役に立つとすれば、人間が言語を獲得してから長きにわたり追求してきた『自分たちはどこから来たのか。この世界はどうやって作られたのか』という疑問に答えるための大きな一歩であるということ。それ以外には、役に立たない。そういう認識から出発すべきだと思う」

評論家肌で皮肉たっぷりのトークが身上。そんな押井監督が意を決し、あくまで建設的に熱く語る様は心に迫る。山下教授とのトークショーの様子は公式サイト上で公開されているので、ぜひご一読を。

映画監督たるもの、映画を通じて社会にコミットすべき。だから個人として政治運動やボランティア活動には参加すべきでない。そんな立場を貫いてきた押井監督にとって、一生に一度の決意であり、しかも『役にたたないもの』に尽力すると決めた。その経緯には、不思議な感慨があるという。

「戦後の日本は利便性とか生活とか、日々いかに豊かな暮らしをするか、それだけを求めてきた。その結果、若者が未来に希望を持てない国になってしまった。とても息苦しい国になった。

僕らが子供のころは、科学って素晴らしいものだった。未来にはロケットだったり、アレもコレも登場すると信じていた。ワクワクするものだった。それが最近、まったく感じられない。ネットがその代表みたいになってしまった。

でもネットに関わったらエラい目にあう。高校生のSNS地獄みたいなことですよ。自分が何時、どこで何をやっているか把握されてしまう。冗談じゃないよね。人間社会を精緻化して、合理性ばかり追求して、ぎゅうぎゅうに管理する。でも本来、CERNで生まれたWWWってそういうものじゃなかった。時と場所が離れた人間同士が協働性を獲得するためのものだった」

利便性だけを追い求める。その結果、ワクワクが失われていく。

「ILCは戦後の日本、もっといえば近代化された日本が手掛ける、一番まっとうな国家プロジェクトではないかと思っています。なぜなら学術目的以外に、何の目的も持たないから。考えてみれば、何事においてもあまりまともな事を成し得ていない日本という国が、世界に対し、音頭をとってできるというのは素晴らしいこと」

そもそも日本には、海外の研究者を受け入れる体勢を整えた、いわゆる国際研究所がひとつもない。多くのノーベル賞受賞者を輩出し、海外のプロジェクトへは積極的に参加する国ではあっても、自ら外国人を招き、世界文化に貢献するという意識が薄い。

「同じ国に生きている人間として、ひとつぐらいは胸を張れることをやってほしいと思っている。そういう事に、少しでいいから貢献したい。それに、僕らがやることだから、なるべく楽しくやっていきたい。ワクワクするものじゃなきゃいけない」

シンボルマークを作ろう、と発案したのも押井守監督。盟友の大物アニメーター・森本晃司をILCサポーターズに巻き込み、紆余曲折を経て、手に貼り付けるシールが完成した。

「ILCサポーターズになれ、といっても難しいことは要求しません。このシールを貼って、写真を撮って、インスタに上げようぜってこと。誰でもできる。繰り返しますが、一度ぐらいは人類社会に貢献しましょうよ、と。教科書に載せていいような、きっと素晴らしい仕事になる」

ILCサポーターズになるには、シンボルマークをダウンロードして手に貼って、写真を撮ってインスタに上げるだけ。誰でもいますぐ参加できる。

ILCサポーターズのシンボルマーク。こちらからダウンロード可能。

イベント冒頭では、ILCをテーマに、押井監督がボランティアで手がけたショートフィルム「Einstein’s Dice(アインシュタインのサイコロ)」が流された。内容について詳しくは言及しないが、機会があれば是非観てほしい。

タイトルにあるサイコロは、量子物理学でしばしば用いるメタファーである。微少な世界では、粒子がどこにどう存在するかが厳密に規定できない。ここにいる割合が何パーセント、こちらには何パーセント……などと確率論的にしか振る舞いが表現できない。つまり、最先端の物理学によれば、我々の未来は決まっていない。それをして「目に見えないサイコロが振られ続けている」とたとえることがある。

ところが、量子物理学の黎明期において、提唱者と対立したアインシュタインは、生前「神様はサイコロを振らない」と主張し続けた。その事情を知った上で、「Einstein’s Dice(アインシュタインのサイコロ)」と名打ったフィルムを作る。そこに押井流の強(したた)かなメッセージが込められている。

トークショーの終盤、押井監督はこう付け加えた。

「だからね……サイコロを振れ、ってことなんだよ。結果を恐れていたら、サイコロなんて永遠に振れない」

まだ見ぬ未来は自分たちの手で勝ち取るもの。けれど、私たちは普段、サイコロを「自らの手で」振っているだろうか? 誰かの手にサイコロを預けてしまっていないだろうか。

目先の利益を追求しない。だから未来が豊かになる

イベント全体を通じて、押井監督は終始、日本人が生活に役立つものしか評価しないこと、つまり「技術」を偏重する傾向、あるいは功利的な態度に憤りを覚えると訴えた。

「僕に言わせれば、科学は思想。技術はいわば応用。科学は目に見えないわけ。理解するのも大変。でも間違いなく、何十年とかの単位で世の中を変えるものはこっち。どう考えても面白い。思想的にね。それに、想像上のもの、まだ未知のものを世に出すという意味では、映画も同じ感覚。まぁ、規模はやたら大きいけど。

ILCは自分の人生の中で遭遇した、初めての、人類規模のプロジェクト。リニアモーターカーとか、国家事業と呼ばれているものは幾つかあるけれど、全然次元が違う。あっちは技術。こっちは科学。これからは科学で生きるべきだと思う」

翻ってみると、戦後の日本が豊かになった理由は、欧米諸国に追いつけ・追い越せと、自動車や家電のような「技術」、つまり目に見える成果に固執した結果だった。しかし「技術」はコストダウンの荒波にさらされる。より人件費の安い途上国が台頭すれば、リーダーの座を明け渡さざるを得ない。

他方、「科学」や「思想」において、日本はむしろ数多くの天才を輩出してきた。特に湯川秀樹や南部陽一郎といったノーベル物理学賞の受賞者たちは、実に斬新でぶっとんだ、それでいて何十年も研究をドライブするような、卓越した「着想」を世界に問い、高く評価されている。その点、アジア諸国で日本に比肩しうる国、あるいは追いつきそうなほど勢いのある国は「全くない」と断言できる。

これは、言わば「卵が先か、鶏が先か」の議論だ。ともすれば近視眼的になりがちな、つまり「技術」を求める風潮の中で、できれば卵から、つまり「着想を得るための風土を作る」ことから、遠大に、ゆっくりやり直してほしい。そう願う日本人は筆者だけではないだろう。目先の利益にならないからこそ、子供たちの将来を、未来を豊かにする。押井流にいえば「(今すぐ)役に立たない。だから素晴らしい」。それが、ILC。

東北を、ひいては日本を明るく照らす魅力的なこのプランには、ひとつの「期限」が設けられている。今夏、日本政府の態度次第では、計画が立ち消えになるかもしれないのだ。勝負は残り3カ月ほど。ひとりでも多くの日本人がILCを知り、誰かに語り、一緒に応援することが実現への近道となる。

大活躍中のアスリート・大谷翔平は、高校時代に「夢が人生を作る」と書き記したという。そのフレーズをこう拡張してみてはどうだろう。「夢が、国を作る」。少々大仰で恥ずかしいけれど、それぐらい大胆に胸を張ってみたい。ILCにはそれだけの懐がある。未来を憂う一国民として、是が非にも実現してほしいと強く願っている。

ILCサポーターズ

profile

吾奏 伸|SHIN ASAW a.k.a. ASSAwSSIN
映像演出家。CGアニメと実写の両方を手がける映像工房タワムレ主宰。京都大学大学院(物理工学)を修了後、家電メーカーのエンジニアを経て現職。理系の感覚を活かした執筆など、映像以外にも活躍の場を広げている。