「でも、BTSの曲を聴いて、社会に目を向け始めたら一気に自分が生きている世の中が疑問や怒りで満ち始めた。そしてそこで強く感じたのは、一人一人の声がやっぱり人を変えていくんだなっていう感覚。そういうことをずっと積み重ねていきたいなって思って」
Interview by Sumiko Sato
movie by Shingo Wakagi
hair&make-up by Taeko Kusaba
Shooting Location:
OGAKI BOOKSTORE @Azabudai Hills
前田エマさんは、いろいろな「仕事」をしている。モデルをやり、写真やペインティングの作品をつくり、ラジオパーソナリティもやって、エッセイやコラムを書いて、小説も上梓した(『動物になる日』ミシマ社)。ここ数年はドラマ、映画、そしてアイドルグループ・BTSをきっかけにして韓国にハマり、新刊『アニョハセヨ韓国』(三栄)は韓国のカルチャーガイドブック。いつもふわっとした空気を纏っていながら、動きは速い。芯には、名付けられたり、線引きをされたりすることを拒む、強い何かがあるのを感じる。独特の共感のアンテナにかかったものに向かってどんどん進んでいくエマさんがどんなふうに形成されたのか、聞いてみたかった。
——エマさんはインタビューされるよりもインタビューする方が多いですね。
前田 でも実は、人の話を聞くのが苦手な方なのだと思っています。自分がもっと若かった時はその時間を楽しめばいいやと思っていたけれど、最近は思うことがいろいろあってどうしようかな、と考えているところです。
——そうなんだ。得意なのかと思ってました。
前田 私は小さい時から「私が」という感じで育ってきて、いつも主語が「自分」でした。自分がどうしたいのか、自分がどう思うのか、そういうことがすごく大事だったんです。なので、いろんな人のお話を聞いたりいろんな人に会うと、学びも多いし、その時間は豊かなものとして感じているのですが、自分の話をしたくなっちゃうときもよくあって。(ラジオなどでは)それもたぶん楽しんでもらえているんだと思うんです。私の話とゲストの話が絡んでいく感じを。でも私がリスナーだったらゲストの話を聞きたいですし、パーソナリティーって、ゲストとリスナーをつなぐ役割というか、ゲストの話をある意味で翻訳して届けるような立ち回りなのかなとも思うので、仕事だとそのバランスが難しいなと感じています。
——エマさんは「モデル」ですが、ほかにもいろいろ「仕事」をなさっています。それを仕事と思ってるのか思っていないのか、ちょっと微妙だなと感じるところがあって。何をやるか、どういうふうに選んだり決めたりしているのか、興味がありました。
前田 私は両親がほんとうに一日中、一年中仕事をしてる家で育ったんです。多くの人は、会社に行って家に帰ってきたら、それ以降はプライベートの時間として割り切ったり土日は休息の時間として区切っているように思うのですが、そういう家庭じゃなかったんです。家に帰ってもずっと仕事をしているし、土日とかも親の仕事に何なら付いていくみたいな感じだった。生きることが働くことみたいな家で育ったんです。だから、自分がほんとうに面白いと思うことをやって、それを楽しく続けられるような人生になったらいいな、っていうのは小さい時から思っていました。趣味や好きなことのために仕事を頑張るとかいうのじゃなく、生きることが仕事である人生にはしたいな、というのはずっとあって。それは私がお金に困らないで生きてこられたというのが大きいのかもしれないですが。なので、今も仕事がほんとうに好きで、働いている時間が好き。
——この部分が仕事っていうんじゃなくて、ぜんぶが。
前田 そうですね
——つまり、ある意味、生きてるだけっていうことなのかな。
前田 そうです。ほんとうに生きているだけ、という感じ。それを強く感じるのは文章を書く仕事をしている時で、すごく悲しいこととか怒りの気持ちとかむかつくこととか、ある意味でプラスではない感情がある時にこそ、文章にしなきゃって思う。他の仕事だったらそういう感情は「プライベートでどうぞ」ってなるかもしれないけれど、そういう部分もぜんぶ何かクリエイティブなかたちになっていくという、そういう人生で良かったな、って思っています。私はそれを「悲しさ悔しさ貯金」って呼んでいるんですけれど。仕事に対する責任感はあるけれど、ぜんぶが自分にとってある意味、生きることで、それがお金を稼ぐことにつながっているのかな。
——お金は稼ぎたいんですか?
前田 お金持ちになりたいっていうのとはぜんぜん違うのですが、「働かざる者食うべからず」と小さい時から親に言われていたので、ちゃんとお金を自分で稼いで生きていかなくちゃという感じです。親の仕事を目にする機会も多かったのですが「あなたたちはこれでごはんを食べているんだよ」と言われたりもしましたし。ちゃんと労働して、それでそれなりにお金をこつこつ稼いでいくということが私は好きなんだと思います。だから、飲食店でのアルバイトもずっと続けているんだと思います。
——飲食店での仕事は今も続けているんですね。
前田 週に3〜4回は行っています。留学していた時も、帰ってきた時にまとめて働かせてもらっていました。
——そのお店との出合いは大きかったですね。
前田 おっきかったです。私は社会っていうもの、大人と子どもの境界線っていうものをあまり感じないで育ってきちゃったので。学生時代も単発のアルバイトしかしていなくて。なので働くっていうことのいちばん最初が今のお店だったと言っても過言じゃありません。何しろ私はアルバイトの面接に20個くらい落ちていて、ほかにできることがなかった。なので、このお店に対してはありがとうございます、雇ってくれて、って感じでした。
——小説の中のエピソードはノンフィクションに近いんですか。
前田 半分くらいは実際のエピソードをもとにして書いているような気もしますが、言い切れない感じですね。
BTSの音楽から韓国へ
——モデルになったきっかけは?
前田 モデルは、いちばん最初はホンマタカシさんの作品のモデルをしたときですね。私はもともと“写真”というものに興味があって。高校生の時、学校に行かなくなった時期があって、カメラを持ち歩いて外を散歩するのが家から外へ出る唯一の理由みたいな感じだったんですね。あとは雑誌と映画を見ることが私にとっては救いのようなもので、名画座に行って映画を観るとか、雑誌を見てスタイリストさんとかカメラマンさんを知っていくみたいなことが楽しくて。美大へ進学したのですが、ほんとうは映像学科か写真学科に行きたかったんですけど、父親に何でも基本は絵なんだから油絵科以外ダメって言われて、油絵科に入ることになりました。だから大学に入ってからも写真にはすごく興味があって。それでいろいろなワークショップに行ったり、写真の歴史を勉強したり、そういう感じでした。
——留学した時は何を勉強したんですか。
前田 美大に入った理由もそうだったんですけど、面白い人に会いたいとか、自分が知らない世界を見てみたい、と思って。アーティストになりたいとか、絵で何かを表現したいって気持ちも最初からほとんどなくて。大学時代に留学したのも、私と同い年の外国の人がどういうことを考えてどういう生活をしてるのかが見てみたくて。大学生の時にウイーンに行きました。
——ウイーンですか。
前田 ウイーンです。私はドイツ語はしゃべれません。私はほんとに勉強ができないんです。ほんとうにできません。今回韓国に留学した時に、学生時代はほんとに勉強ができなかったけれど、でもこの10年くらいでちょっと賢くなったかなと思っていたんですよ。
——自分が。
前田 自分が。勉強ももっとできるようになっているだろうと。本を読んだり歴史なんかも勉強したりしていたし、賢くなった気でいたんです。でも、韓国へ行ったらやっぱり勉強はできないままでした。クラスでもいちばん落ちこぼれで。隣の席の10個年下の子に「エマとはコンビ組みたくない」みたいな空気を出されていました。教科書を読み合うんですけど、隣の子はすらすらって読むけど、私は一個一個こうやって(ゆっくり)読むから、すごく嫌そうな顔されて。学生時代、確かに私、みんなにこういう顔されていたな、エマちゃんと体育でグループ同じになりたくない、エマちゃんと数学で隣の席になりたくないって思われていたな、って思い出しました。
——でも、留学しよう、韓国の勉強しよう、っていう気持ちがある。
前田 そうです。気持ちはある。
——勉強っていうのは、つまり学校の勉強が苦手なんですね。
前田 学校の勉強はできませんでした。
——韓国は語学学校だったんですか?
前田 語学の学校に半年間行きました。先生からも「エマさんは日本語もそんなにしゃべるのがゆっくりなの?」とか言われました。
——そのとおりですね。
前田 はい、そうですけれど、みたいな。
——自分にとってはぜんぶつながっていて、これは仕事、これはちがうというわけじゃなくて、みんな仕事なんですね。
前田 ある意味、ぜんぶ仕事でぜんぶ仕事じゃないみたいな感じですね。留学していたことも今度本になるので、ある意味仕事になったことにはなるんですけど、ほんとうに興味があって行ったんです。飲食店でのアルバイトも、まさか小説になるとは思わずに続けていました。
——韓国はBTSから入ったと聞きました。歌詞に衝撃を受けたとか。
前田 はい、そうです。コロナ禍が始まって、みんなと同じように韓ドラにはまって、それがきっかけでBTSの音楽を聴くようになって。そしたら歌詞に40年前の民主化運動のこととか、ミュージックビデオに2014年に高校生たちが乗った船が沈没したセウォル号沈没事故のこととかが出てきて。アイドルが社会問題を歌うっていうのが今の日本では考えられないことだから、どうしてこういうふうなことになっているんだろうと疑問がわきました。そこから韓国の国民性とか、どういう歴史をたどってきたのかを知りたくなりました。一般の人々が声を上げたり、デモをしたり、ストライキをしたりっていうのがどうしてこんなにしょっちゅうあるのだろうかと興味が湧いて。日本だと、デモやストライキをするのはだいぶ特別なことで、一部の人だけのものみたいな感じがするけれど、韓国を見てみるとそうじゃない。しかも若者も参加している状況が、日本で生まれ育った私にとっては不思議で仕方がなくて。そこからいろいろ調べるようになって、これは行って見てくるしかない、と思って。
——行ってみて、どうしてだか分かりましたか?
前田 朝鮮が日本の植民地だった時代に、独立運動で声を上げた人たちがいて、それはその後の歴史においても大きな影響を与えることでした。その後、朝鮮戦争が終わった後もずっと民主国家じゃなかったから、民主化のためにたくさんの市民たちが立ち上がって、実際に社会が変わったじゃないですか。日本も昔、学生運動があった頃とかにチャンスはあったけれど、人々が声を上げて変わったっていう経験がほとんどないまま来てしまっているように思います。そういう雰囲気と事実のなかで育った若者からしたら、この世界は何を言っても変わらないんだな、意味がないんだなという感覚を持ってしまいますよね。韓国には、そうやって自分たちが立ち上がって変えなきゃ駄目だという意識が今もあるし、実際に社会を変えてきた過去があるから、みんながそれを今も信じてやってるのかなと。それはすごく小さなことからも感じました。
例えば、全然レベルも内容も違うので、ここで引き合いに出すのはふさわしくないかもしれないのですが、アイドルが恋愛をしていて、それが世間に知られることもあるじゃないですか。韓国だと事務所の前でトラックデモが行われたり、メッセージを書いたポストイットを事務所の壁に貼ったりして抗議するんですよね。説明しろとか脱退しろみたいなことを、ファンが行動で示すんですよ。
——アクションを起こすんですね。
前田 アクションを起こす。日本でも熱愛がどうとかSNS上ではいろいろなことを書きこむけれど、デモのようなアクションは、あまり起こさないじゃないですか。恋愛に対してのトラックデモなどにはさすがに引いてしまいましたけど、そうやって声を上げるっていうことに対しての距離感がちがうのかもしれません。日本だと声を上げるまでにすごく距離があるけど、その距離感が短いのかもしれません。
ポストイット文化っていうのがあって、私が通っていた語学学校の先生たちも、学校の壁中に給料上げろとか雇用条件が良くないとか書いて、貼って声をあげて、デモ期間は先生たちが授業中もお揃いのベストを着て授業するんです。日本じゃ考えられないようなアクションをみんなで連帯して起こしているっていうのが大なり小なり驚いた光景でした。
——日本はどうしてアクションを起こさないんだろう。
前田 選挙の投票率も全然違いますよね。そういえば、BTSってもともとはラップをやっていた子たちから始まったグループで、デビュー前に発表していた曲の中には、選挙の投票をテーマにしたものがあります。
——エマさんもまだ若いし、今のもっと若い、エマさんよりも10くらい下の人たちも同じようにアクションには行かないのかな。
前田 今の若い子のほうが情報がいろいろ手に入るし、世界の同世代のことも知りやすい気がします。あと、今回もウクライナとかガザのことでも、私のまわりにはデモに参加したり、オンライン署名に参加したり、呼びかけたりしている子がいますよ。その輪は小さいけれど広がっていると思いますし、そういうところを見るとまだ希望はあるのかなっていう感じはします。でも「声を上げよう」みたいなことが日本ではあまり教育されてないから。
——教育は関係ありそうですね。
前田 教育は大きいと思います。
声を伝える人
——ウイーンに行って同世代の人が何を考えてるのか知りたかった、っておっしゃっていましたが、何を考えてましたか?
前田 私が留学した時は言葉もできないから、毎日とにかく学校へ行って、絵を描いて、それ以外の時間はカメラを持ってぶらぶらしていました。しゃべれないから友だちもいないし。いや、いないわけじゃなかったけれど、言葉ができないから深い話はできないんですよね。でも、その時に気づいたのは、ヨーロッパって大陸だから、隣の国のことが遠くない。隣の国にバスとか電車とか歩いて行けるから。日本だと隣の国って飛行機とか船で、よいしょと腰をあげないと行けない。物理的な距離感もそうですけれど、他の国に対しての関心度みたいなものに差異があるっていうのに、その時びっくりして。日本が島国でヨーロッパが大陸なのは頭では分かっていたんですけど、ウィーンの大学にはいろんな国の子がいたし、社会問題や歴史やニュースも、日本だったら他の国のことは他の国のことみたいな感覚を持ってしまうときも多いけれど、そうじゃないというのが衝撃的でした。
あとは、日本だと美大に入ったときに、自己表現ということをすごく言われる。自分の中にある自分にしか表現できない世界があることが正しいというか、自分は何を持ってるかを突き詰めろみたいに言われたけど、ヨーロッパに行った時って、“自分”っていうよりも、社会の中で何を作るか、何ができるかみたいなことを問われるような気がして、そこがすごくいいなって思って。“自分が”じゃなくて、自分というものがある意味で薄まってく感じが心地よいと思いました。アルバイトを続けているのも、自分が薄まってくのがいいなって思っています。
こういう仕事をしていると、小説も自分の名前で出るし、インタビューとかも自分の名前が出て、私が何を考えてるかみたいなことが大事だと思われる感じに対して、ちょっと違和感があるんですよね。飲食店で働いていると、ある意味ただの店員じゃないですか。ただの店員って、本当にとても大切な存在だと思うんですけれど、個というものは薄まりますよね。その感覚が私には心地いい。その空間の中で自分がどういう役割でどう振る舞うかを大事に考える感じ。だから、社会のなかで、世の中の中で、私自身がどう振る舞っていくのかを考えたりします、最近は。“前田エマが”とかじゃなくていい感じがする。
——それでも、自分の名前で表現活動をやりたい気持ちがありますよね。
前田 ものを作るのがとにかく好きなんです。撮影とかもいろんな人たちがいてひとつのものを作る過程が好き。本も文章も書くのは私だけれど、デザイナーさんがいて編集さんがいて、みんなで作って届けるのが好き。楽しい。楽しいことが好き。
——韓国社会についての視点を話してくれましたが、今度の本は主にカルチャーの紹介ですね。
前田 そうですね。今、並行して、留学中に考えていたこととか、韓国の生活の中で感じたことのエッセーもずっと書いていて、それも今年出せたらなと思っています。社会のことでも社会のことじゃなくても、さっきおっきい流れの中でどう動くかってことを話したけれど、結局はそこにいるのはやっぱり一人一人で。今回出すカルチャーの本も、お店をやっている人とかアーティストとか一人一人の声を書き留めたいと思って。だから、小説「うどん」(『動物になる日』に収録)を書いている時と感覚は似ていました。小説のときはお客さん一人一人を書きたいっていう気持ちで、今回の本ではお店屋さん一人一人、アーティスト一人一人を。私、幼い頃に受けていた学校の社会の授業のことって、ほとんど記憶に残っていなくて。社会問題とか歴史のことも、私はぼけっとしてたので教科書に載っていた写真とか絵のことくらいしか覚えていないんですよね。でも、BTSの曲を聴いて、社会に目を向け始めたら一気に自分が生きている世の中が疑問や怒りで満ち始めた。そしてそこで強く感じたのは、一人一人の声がやっぱり人を変えていくんだなっていう感覚。そういうことをずっと積み重ねていきたいなって思って。
——声を伝える人ですね。
前田 人の話聞くのが苦手なくせに、結局はそこに行きつくんですね。
本との出会い
——本に出てくるクラフトの人たち一人一人を見ていくと、日本にもきっといるような、身の丈で物づくりをしている人がいる感じが伝わります。ただ、生地を繋いでいくものなど、韓国の伝統的なクラフトには日本の民芸とはまたちょっと違うエネルギーのかかりかたを感じました。
前田 そうですね。日本の若い子たちの多くは、韓国に今どきのカルチャーを吸収しに行くけれど、私が韓国に行って驚いたのは、昔からあるいいものがこんなにもたくさんあって、非常に魅力的なんだっていうことでした。それを今の私の年齢で取り上げるからこそ、届く人もいるのかなって思って。
——光州にも行っていたと聞きました。
前田 行きました、光州。しかも、ちょうど光州事件の日に行ったんです。
——その日を目指して行ったの?
前田 光州ビエンナーレが見たくて、ちょうど光州事件の日に母も休みが取れるということでいっしょに行ったんです。母は光州事件があった1980年の翌年に音楽家の高橋悠治さんが参加されていた映像作品を通して事件を知って。私はBTSで知って。親子ふたりが時空を超えてその瞬間に光州にいるっていうのが不思議な感じでした。母は昔から正義感あふれる人だし、社会問題にすごく関心がある。私は全然だったので。だって振り返ると、私は高校時代の選択科目は地理でした。日本史も世界史も取らないで、地理を取っていました。でも都道府県も覚えられなくて……っていう感じだったので。それくらいそういうことから遠い人間だったんですね。地理を使って受験できる大学って多くないので、多くの生徒は日本史か世界史を選択するんですね。地理を選択してる生徒たちは専門学校に行く人とか、内部進学する人だったので、先生も気楽に授業をやっていて、旅行に行った時の写真とかをいっぱい見せてくれたり、確か、北朝鮮に行った時に購入したらしい、国境沿いに張ってあった鉄条網とかを持ってきてくれたりして。なので、私は美大に行ってよかったと思っていて。だって。受験勉強で歴史をやらなきゃいけなかったらそんなに気楽にたのしく授業を受けられなかったですもんね。そのときに、世界にはいろんな国や暮らしがあるのかと、想像したりして。
——ご両親が社会問題に強い関心がある家庭に育ったエマさんですが、他にどういうものに影響されながら育ったんですか。
前田 何でしょう。アートは小さい時から見てきてたし、あと、おもちゃとかゲームとかはそこまで買ってもらえなかったけれど、本は好きなだけ買ってもらえました。父親がうちに遊びに来るといつも電話がかかって来て「駅まで迎えにおいで」とか言われるんです。普通、逆じゃないですか。娘に迎えに来させる父親って。(笑)でも、まあ、それは口実で、私が駅まで走って行って駅前の本屋さんで待っていると、父親が来て好きな本を買ってくれるんですよ、1冊。でも、父親はすぐに自分が欲しい本をパパッって決めてレジに行っちゃうんです。それまでの間に自分が欲しい本を決めなきゃいけないので、いつも冷や汗かきながら、漫画にしようか、小説にしようか、雑誌にしようか急いで決めるみたいな感じで。それは結構、思い出に残ってますね。
——どんな本にはまりましたか?
前田 小学生の時は、「こそあどの森の物語」シリーズっていう、美術の先生をやってる方が描いてる子供向けの妖精さんたちの話なんですけど、挿絵がすごくかわいくて、話も好きで集めてたのと、あとは学校の図書室では江戸川乱歩を読んでいました。他にはその当時は『ハリー・ポッター』が全盛期で、みんな『ハリー・ポッター』を読んでいたんですけれど、私はその代わりに『ダレン・シャン』っていう吸血鬼の話を一生懸命読んでいた記憶があります。
——それはあまのじゃくで読まなかったの? それとも入り込めず?
前田 入り込めなくて吸血鬼の話を読んでいましたね。私、ミーハーなのに、ときどき周りの子と全然話が合わない部分もありました。お笑いが流行っていて、みんな学校でお笑いの話をしてるからお笑いのテレビを一生懸命見てみたんですよ、半年間。でも一回も笑えなくて。何でこれが面白いんだろう?と。大人になってからも、いまだにお笑い番組を見て一回も笑ったことがなくて。弟の幼なじみがお笑い芸人になったんで、もしM-1とかに出た時に私も笑いたいじゃないですか。生まれた時から知ってる近所の子たちが芸人になったのだから笑いたいし、応援もしたいので、数年前からM-1を見始めたんですよ。でも、今のところ一回も笑ったことがなくて。
興味が持つ力
——中学生の時はどんな本を読んでいた?
前田 中学時代の読書体験は欠落してるんですよ。地元の中学に行ったら人間関係がザ・川崎って感じだったんです。○○先輩がエマちゃんに目を付けたとか、あるじゃないですか、中学の時って。ちょっと高めの位置でポニーテールとかしていたら、「調子のってるの?」とか言われるんですよね。でもそういうくだらないことが生活の大きな部分を占め始めるじゃないですか。そしたら本とか読んでる時間なくて、学校行って部活行って塾行ってで終わっちゃう。でも、中3の時に久しぶりに図書室に行って、その時に瀬尾まいこさんの『幸福な食卓』っていう、一般的な家族の仕組み自体は崩壊するんだけど、幸せな家族を描いた小説があって。うちも一般的な家族ではなかったですけど、とても愉快な家族で私は幸せなので、すごく共感したんですよね。こんな小説があるんだ、みたいな。それまでは読書の記憶って小学生の時で止まっていて、子供向けの小説みたいのしか読んだことがなくて、大人の小説みたいなものを中3の時に初めて読んで、面白かったんです。そして、高校に入ったら高校が平和過ぎて逆に楽しくなくて。中学は波瀾万丈だったけれど毎日皆勤賞だったのに、高校では休みがちだし、図書室に入り浸って片っ端から全部の本を読んでいるような生活になりました。
——高校の時にはまった本は?
前田 学校が嫌だったから外の音をシャットダウンするみたいな感じで無我夢中で読んでいたので、これが好きとかいうよりも文章の中の世界に入り込んで自分を守る感じだったかな、と。でも、桜庭一樹さんの小説にはまった記憶があります。
——そして美大時代になる。
前田 美大時代も、高校時代も普通に夏目漱石とか読んでいました。川端康成とかも好きでした。大学卒業してからは村田紗耶香さんの小説をまとめて読んでいた時期もありますね。でも、たぶん私はあんまり本を読んできてないほうではないでしょうか。あとは漢字が読めないので、小説の登場人物の名前が読めないんですよ、大体の小説において。だから人と小説の話ができないです。私の中では「カズヤ」だけど本当は違う名前みたいなことが多いんですよ。
——BTSと出会う前に、他に何か大きく影響を受けたものはありますか?
前田 何でしょう。音楽だと……人としての雰囲気とかも含めて細野晴臣さんが好きですね。あと高校時代、学校の近くに名画座があって、お弁当持って行って名画座でお弁当食べながら映画観ていました。それから、美大入ってよかったことは、普通のツタヤとかには置いてないようなDVDとかもいっぱい置いてあったので、大学では片っ端からDVDを観ていました。図書館が好きな理由は、自分の趣味にかかわらずいろんなものが置いてあるから、片っ端からそれらを見られるところですね。今もよく図書館に行くんです。
——次は何を好きになるんでしょうね。
前田 何でしょうね。結構、3年周期で変わってるんですけど、韓国はちょっと長い。たぶん韓国はずっと興味を持ち続けるんだろうなと思います。
韓国ってほとんどの祝日、公休日が日本となにかしら絡んでいるんですよね。独立記念日とか。終戦記念日って日本では言うけれども、向こうでは光復節、光が再び戻った日。そういう記念すべき日のほとんどが日本と絡んでて、良くも悪くも日本とのつながりが深い国。ここまで関係性が深い国って他にはないと思うんですよね。だから、韓国のことを知るっていうのは日本の歴史を知ることだったんです。
韓国にはいろんなテーマの博物館があるんですよ。従軍慰安婦について扱う博物館とか移民史の博物館とか戦争記念館とかあるんですけど、それらのどこでも、世界で起きた似たような事例が展示してあるんです。例えば光州事件だったら南京大虐殺とかホロコーストとかの歴史も紹介してるので、そこで私は初めて南京大虐殺ってこんなにもたくさん人が亡くなったと知りました。学校の歴史の授業で学んではいたけれど、亡くなった人の数は学校で教わらなかったので。でもそこでハッとしたのは、亡くなった人の数を他のアジアの国の子どもたちは学校で習ってるんだろうな、とか思ったら、今まで自分がへらへらと生きてこられていた時間はいったい何だったんだろうとか思っちゃって。
——あんなに近いのに言語体系も全然違うし、顔は割合似ていても気質が違う感じがしたり、違いばかり気になっていましたが、関わりを考えていくといろいろ気が付くことがありますね。
前田 日本語がいまだに残っていて、それを日本語だと思わずに使ってたりもする。言葉での支配って根深いんだなと感じます。でも、今の韓国の若い子たちは日本の文化に興味があるので、日本語をしゃべれる子も多いんですよ。それはびっくりしました。植民地時代の影響でしゃべれるのとは違う理由ですから。
——もっとみんな韓国に行ったほうがいいですね。
前田 そうですね。自分の目で見ると、今までと違う印象を持つんじゃないかと思います。ご飯が本当においしいです。辛くないものもいっぱいあります。
——韓国に行ったほうがいいよって、どういうふうに人を説得したらいいだろう。
前田 でも、難しいですよね。何でも自分のタイミングというものがあるじゃないですか。私の以前のマネージャーがすごく韓国が好きで、2カ月に1回ぐらい韓国に行っていて、その人からいつもBTSの話も韓国の話も聞いてたのに、その時の私は関心がなかったので、へーとかふーんとかしか言っていなかったんです。興味がないとそうなっちゃいますよね。ニュースとか政治とかも同じで、ちょっと興味を持つと一気に見える世界が変わるけど、そうじゃないと自分事としては入ってこない。
——興味がない人に勧めても無駄っていうことですね。
前田 うーん。でも、そう言い切りたくはないですね。今回の本は、そこに希望を持ちたくて書いたとも言えるのかな。自分の体験を通して話したら、行ってくれる人もいるかもしれない。そういう本になってたらいいなと思います。
——私はお店を訪ねたくなりました。
前田 うれしい。
——いろいろなことがつながって、仕事をして、生きているわけですが、これから何年か先にこんな感じになりたいな、ということは考えますか?
前田 韓国にはまるとも思っていなかったですし、韓国がきっかけでいろいろと興味を持つようになって、難民のこととか沖縄のこととかをテーマにして勉強会を開いたりしたことも、今までの私だったらほんとうに考えられないことだったんです。だから、先のことはあんまり分からないです。私は興味があることにどんどんアクションを起こしていける人間だとおもうし、行動力というか関心があることには猪突猛進していく性格なので。でも、こんな私でも、ちょっとおっくうだなと思うことも増えてる。あんまりおっくうにならないで、これからも生きていきたい。
——このまま、ですね。
前田 はい。いろいろ理由を付けちゃうじゃないですか。時間ないしとか、お金かかるしとか、そういう感じじゃなく、楽しくやりたい。
——周りの人が助けてくれるタイプじゃないかと思うんですけど。
前田 私、ずうずうしいんでしょうね。ずうずうしいし、すぐ甘えるんでしょうね。
——それも才能のうちだと思います! きょうはありがとうございました。
衣装協力=YUKI SHIMANE撮影協力=大垣書店(麻布台ヒルズ タワープラザ 4F)
佐藤澄子|Sumiko Sato
1962年東京生まれ、名古屋在住。クリエーティブディレクター、コピーライター、翻訳家。自ら立ち上げた翻訳出版の版元、2ndLapから最新刊『ニーナ・シモンのガム』が発売中。好評既刊に『スマック シリアからのレシピと物語』などがある。訳書にソナーリ・デラニヤガラ『波』(新潮クレスト・ブックス)ほか。
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