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“ライトな知的生産”の時代に:『ネット情報におぼれない学び方』著者・梅澤貴典に訊く

スピーディーで、インタラクティブで、常に更新されていく──ネット情報は常に私たちを刺激して、次のクリエイションへと向かわせる。仕事の企画立案でも、SNSでの発信でも、その流動する環境こそが創造の場となって久しい。しかし一方で、無限に広がる情報のなかで正確性に基づいた取捨選択をし、価値を上積みした情報を発信することは、簡単ではないのも事実だ。そこで必要とされるのは、古くて新しい「技術」かもしれない。

インタビュー連載「編集できない世界をめぐる対話」第10回のゲストに迎えたのは、中央大学職員にして、2023年2月に『ネット情報におぼれない学び方』(岩波ジュニア新書)を上梓した梅澤貴典。大学図書館で司書として働いた日々を経て、自らも大学院で学び直した梅澤はその後、図書館情報学の知見に基づいて、社会人も含めた探究活動を積極的に支援している。キーワードは、“ライトな知的生産”。梅澤も愛読する名著、梅棹忠夫『知的生産の技術』(岩波新書)がバイブル化して半世紀以上経ったいま、私たちは何をなしうるのだろうか。

TEXT BY FUMIHISA MIYATA
PHOTO BY KOICHI TANOUE

──『ネット情報におぼれない学び方』は図書館司書の立場からネット情報との共存を易しく説いている点で、初学者向けでありながら、広い論点を含みこんでいる本として拝読しました。刊行後の反応はいかがですか。

梅澤 学校教育からビジネスまで、さまざまな現場から講演などのご依頼をいただくことが増えました。たとえば学校教育の現場では、小学校は2020年度、中学校は2021年度、高等学校は2022年度から新しい学習指導要領が実施され、小学校と中学校では「総合的な学習の時間」、高校では「総合的な探究の時間」という、いわゆる探究学習がおこなわれています。

ただ、生徒たちはもちろん、教員の先生方が皆、ご自身で探究学習をおこなってきた経験をもっているとは限りません。何かテーマをもって調べ物をし、そこに付加価値をつけて発信しようといっても、それを指導する際にお困りになるというケースも多いんですね。並行して、教育現場では生徒たちが使用するタブレット端末の導入も進んでいますが、検索サイトにキーワードを打ち込んで情報を得るだけでは危うい。その情報をいかに精査するか、という技術を学べるかどうかが重要であるわけです。

──ご著作の冒頭でも言及されていますが、「台湾の九份(きゅうふん)がスタジオジブリのアニメ映画『千と千尋の神隠し』のモデルとなっている」という、まことしやかに語られる情報を、ネット上と紙資料を探って誤りだと判断するには相応の技術が必要ですね。

梅澤 極端なケースではありますが、教員である先生ご自身が「『千と千尋』のファンなので、舞台の九份にいってきました」とおっしゃるのを聞いたこともありますし、「九份が『千と千尋』のモデル」だということを前提にして探究学習の授業がプログラムされている学校現場を目の当たりにしたこともあります。実は旅行会社さんなどであれば、「あの作品の舞台といわれる……」といった宣伝文句でこのあたりを絶妙に回避しています(笑)。いずれにせよ、物を調べて確かな情報をもとに考える、という技術が必要とされていることを、日々強く実感しています。

──インタビュアー自身、毎日ネット情報には触れながらも、購入する書籍や雑誌とは別に図書館で年間200冊以上は借りて情報をリサーチ・検討しなければ、仕事が成立しない状況です。玉石混交の情報を新たな創造へとつなげるには、ステップが必要だと痛感しています。

梅澤 教育の現場だけでなく、ビジネスの世界でも、状況は同様です。大手メーカーの社員さんなど、ビジネスの最前線で活躍する方々が集う大学院でレクチャーしたことがあるのですが、雑誌記事・論文を探すためのデータベースである「CiNii Research」などの知名度がほとんどないことに驚いたことがありました。

日頃なんとなくのネット検索で、どうにかできているから……とのことだったのですが、たとえば医療の世界だったら『月刊糖尿病』など病気や臓器ごとに媒体があるように、各分野のプロフェッショナルはプロ同士でコミュニティを形成し、専門的かつ膨大な情報を発信・蓄積しています。一歩踏み込んで情報を得た人のほうが、ビジネスの現場で深い切り口で企画を立案できるはずですよね。日本で流通するほとんどの本を探すことができる「Webcat Plus」、あるいは統計を調べたいならば各省庁の統計情報をキーワードで検索できる「e-Stat 政府統計の総合窓口」など、その時々に適したデータベースの選択なども含めて、図書館司書のノウハウは現代社会で活かすことができると考えています。

梅澤貴典|Takanori Umezawa 中央大学職員。青山大学第二部文学部英文学科在学時、図書館司書資格を取得。卒業後、1997年より現職。理工学部の図書館で電子図書館化と情報リテラシー教育を7年間担当。その経験を活かし、小学生から大学院生・社会人までを広く対象とした探究活動の支援とその効果を研究中。働きながら、東京大学大学院教育学研究科修士課程を修了。修士(教育学)。2013年より、都留文科大学非常勤講師(兼任)。2023年、『ネット情報におぼれない学び方』を上梓した。

──そもそも梅澤さんが図書館情報学の世界に足を踏み入れ、『ネット情報におぼれない学び方』を執筆するに至った経緯をうかがえますか。

梅澤 実はもとから図書館情報学に興味があったわけではないんです。高校を卒業して青山学院大学の第二部、いわゆる夜間部に通って英文学を学びながら、図書館で学生職員として働いたことが大きなきっかけになりました。私はひたすらデータ入力をしていたのですが、職場には洗練された技術と知識を兼ね備えた図書館司書の方々がいらっしゃいました。「こんな情報を探しているんだけど……」という問い合わせに司書の方々が鮮やかに対応し、まるで『ハリー・ポッター』シリーズのホグワーツ魔法魔術学校の先生のように、たちこめる黒い雲を杖の一振りで払う様子を目の当たりにしていたんです(笑)

教授陣も問い合わせにはきますが、大学院生のほうが切羽つまっていました。その情報が見つからなければ修士号や博士号がとれないという院生たちが、頭を抱えてやってくる。その苦悩の表情が、レファレンス(調べ物相談)を通じてパーッと明るくなっていくのを、何度も目撃しました。なんてすごい職業だろうと思い、私も図書館司書の資格をとったんです。中央大学に就職して、7年間は理工学部の図書館で仕事をしていました。

──電子図書館化と学術情報リテラシー教育を担当されたとか。

梅澤 2000年代、ネットの情報が台頭してきた時代です。アメリカの『サイエンス』やイギリスの『ネイチャー』といった最先端の科学ジャーナルは、印刷された最新号が航空輸送を通じて運ばれてきていたものの、学内で読むことができるまでにはかなりのタイムラグがありました。これは未来の科学者を育てる環境としてまずいということで、最新号も100年前のバックナンバーも、学内でも自宅からでも見ることができるよう電子化していったんです。

正直、こうした取り組みに対して、当時から多くの反応があったとはいえません。ただ図らずも、すこし時間が経過した後のコロナ禍において広く理解されていくようになりました。所属大学を問わず、日本中の学生や教職員に向けて、大学図書館をリモートで活用する方法をレクチャーするパワーポイント動画をアップしたところ、大きな反響をいただいたんですね。高校生向けのパワポと動画もつくり、やがてウェブ連載のお話をいただき、岩波ジュニア新書にお声がけして、『ネット情報におぼれない学び方』として出版いただけることになり……という経緯をたどりました。

──情報の摂取だけでなく、創造的な生産というアウトプットあってこそ、という論旨ですね。

梅澤 私自身が30代のはじめに、働きながら東京大学の大学院に通い、修士論文を書くという経験をしたことも大きく影響しています。その前に、衝撃を受けた出来事があったんですね。図書館情報学においては世界的に高い水準を誇るアメリカのイリノイ大学に、アフリカや南米、アジアなどから17人のライブラリアンが集められて2カ月みっちり教育を受ける、というプログラムに選出いただき、参加したんです。

そこで度肝を抜かれたのは、アメリカのトップレベルのライブラリアンは、大学院をふたつ出ていること。たとえばハーバード大学のロースクールのライブラリアンは、法学と図書館情報学、ダブルでマスター(修士号)をもっている。同期生は法曹界で活躍しているというようなライブラリアンが何十人といて、ハーバード全体ではそうした図書館が分野にわかれて70以上もあって……という状況でした。

──すごいですね……。

梅澤 自分もできる限り深く学んで、日本の大学界にすこしでも貢献できればと、帰国後に大学院に通い、ろくに文章を書いたこともないのに修士論文、つまりはアカデミック・ライティングに取り組んでいったんです。論理的な文章の書き方を習得していくのはもちろん、書き手としての自分が「こういうデータがほしい」とレファレンス・クエスチョンを出し、ライブラリアンとしての自分が必死で探して返答する、ということを延々と繰り返すことになりました(笑)

そのなかで、ああ、図書館情報学というものは、こうして情報を活用して創造的な行為をおこなう人のためのものであり、司書もそのためにいるのだと、実感としてリンクしていったんですね。自らステージに立って知的生産をおこなう人のために私たちはいるし、そこで培われた技術も存在するんだ、と。

──ご著作においては、技術は伝えつつも細かすぎることのないよう気を配り、読者自身が能動的にアクションしていくことを促す、そんな筆致を心がけているように見えます。

梅澤 そうした学ぶことの楽しさを私に教えてくれたのは、梅棹忠夫のベストセラー『知的生産の技術』(岩波新書)や、梅棹の友人でもあり、「KJ法」という発想法で有名となった川喜田二郎の著作といった、先達たちの語り口でした。すごく難しかったり、話せば長かったりすることを読者に伝わるようにスッキリ伝えることができるというのは、ある種のマジックタッチといえると思います。

──民族学者であった梅棹の『知的生産の技術』は1969年の刊行以降、100回を超える増刷を記録し、現在も広く読まれていますね。刊行当時から、「京大式カード」という情報整理法のバイブルとして人気を博してきました。

梅澤 梅棹自身が、なんでこうした技術を誰も教えてくれなかったんだろうという、怒りや呆れのような感情を起点にしていますよね。情報の技術というこの大事な話を、誰かがもっと優しく語ってくれればいいのに、というスタンスで『知的生産の技術』を書いている。

こうした本に刺激を受けてきた私も、すこしでも技術をかみ砕いて「調べて学ぶということはワクワクして魅力的だよ」と伝えることができれば、そうして図書館情報学と社会のあいだで橋渡しができれば、と思っているんです。今回お話ししてきたように、便利な技術として役立てていただけそうな領域は、日本の社会のあちこちにあるはずですから。

──梅棹の議論は、情報や知識は所有するものではなく、知的生産に活用してこそ価値があると、人々の積極的な活動を後押ししていくポジティブさがありますよね。カードはコンピューターに記憶させるのに類した「忘却の装置」だと語るのも先見性があります。一方で、あえてうかがいますが、梅棹のように個人で情報をさばききっていくモデルや主体は、無限の情報のなかで生きる現在の私たちにおいては、なかなか無理がありませんか。

梅澤 たしかに、難しい領域の話だと思います。私もSNSやウェブサイトに、誰のチェックや校閲も通っていないものをアップするのは、正直怖いです。今回『ネット情報におぼれない学び方』という書籍をつくるにあたっては、何日も考えて書いた数行が編集者の方に削られてエーッと思ったこともありましたが(笑)、よく見れば私が同じことを繰り返して書いていたということがわかりました。引用や参照にかんしても、刊行までのあいだに改めて徹底的な原資料の確認を経ています。そうした第三者のチェックは本当にありがたく、安心感があるものです。

ただ、個人が発信することすべてにおいて第三者のチェックが必須だとしたら、現代では誰も何も発信できなくなってしまいます。学術的なレベルで徹底的に検証したうえで発信するか、感覚的で反論のしようもない柔らかい内容だけを発信するだけならば怖いことはあまりないですが、たいていの創造的な表現というものは、その中間の領域にありますよね。

──たしかに、そうですね。

梅澤 “ライトな知的生産”といえばいいのでしょうか、自分という人間、「私」という個人だからこそ表現できる面白い切り口というものはありますし、それが見知らぬ他者にとって役立つのはとても嬉しいものです。ネット上で誰かのライトなアウトプットに助けられたという経験って、ありますよね。その意味でも、ひとりでの発信自体を躊躇する必要はないと思うんです。

もちろん、人を傷つけないという倫理は大事にしなければなりませんし、今回語ってきたような情報の正確性の確認も重要です。それらをクリアしているならば、個人がひと手間をかけて掘り下げた情報というものは、何かしらの面白さがあるはずなんです。他人やメディアの発信を受け売りするのではなく、「ちなみに辞書の定義ではこうだった」「図鑑にはこう載っている」「過去に同じようなケースがあって……」という付加価値を伴う発信は、その情報を調べたその人にしかできないものです。

──とはいえ、紙に印刷されている書籍だから信頼できるとは一概にいえない状況になっていますし、他方で海外の見知らぬウェブサイトの情報が、新たな知的生産を刺激することもあります。情報の正確性や布置自体が、変化しつつある気もしますが……。

梅澤 おっしゃる通り、それが印刷物だから、有料だから、といった類の意味付けや価値は、どんどん希薄になっています。実際に、こんな例もあります。先ほど言及したような科学ジャーナルには号ごとの論文数に限りがあり、掲載されれば高く評価され、各所で引用が重なり、それがまた評価へつながっていきます。しかし、限られた枠をめぐって研究者たちの椅子取りゲームが発生しますし、媒体のほうも強気になって価格を値上げしてきています。こうした状況を批判したのが、2013年にノーベル生理学・医学賞を受賞した細胞生物学者ランディ・シェクマンです。

彼は2012年に『eLife』というオープンアクセスの科学ジャーナルを立ち上げました。その後の『eLife』の動きに対してもさまざまな意見がありますが、いずれにしても有料の紙媒体だから信用できる、という世界ではとっくになくなっています。発信元が誰なのか、どれだけのクオリティの情報なのかが大事であるわけですが、ただ、それらを判断する指標も絶えず再検討されていることは事実だと思います。

──そうした世界に対峙し、知識を整理しながら活用する際の「地図」として、梅澤さんは「日本十進分類法(NDC)」を用いることを提案していますね。NDCは、「0 総記」から「9 文学」まで森羅万象を10の分野にわけ、各項目をさらに10にわけていく分類です。この「地図」を用いながら知識を組み合わせ、新たにアイデアを生み出していく個人主体のモデルというのは、魅力的ではありますが、これまた無理を含んでいませんか。

梅澤 正直にお伝えすると、今回の本で、読者の方々から最も多くのツッコミをいただいたくだりです(笑)。実はNDC自体が、多少の無理を含んだ分類方法ではあります。たとえば交通や通信は「6 産業」の下位区分なのですが、実態としては「3 社会」の下位区分である経済とも、密接に関連しているものですよね。

──ひとつの事象がひとつの分類で済む、ということは稀ですね。

梅澤 かつて図書館の目録も紙のカードでつくっていたので、ふたつの分野にまたがる本であればカードをふたつつくり、それぞれの引き出しに入れておく必要がありました。根本的に、世の森羅万象はひとつのカテゴリーで整理することは不可能です。だからこそ梅棹は『知的生産の技術』のなかで、一枚のカードにふたつ以上の内容が記述されていることを、フィルムの比喩を用いて「二重うつし」と呼び、避けていた。

ただ、デジタルなデータベースの世界は、こうした情報の多面性を受け止めることができるんです。一冊の書籍の中に含まれているたくさんのキーワードをタグにして、検索したときに引っかかりやすいようにできますし、「Webcat Plus」では「連想検索」もできる。梅棹のいう「二重うつし」をめぐる問題はアナログの時代ならではのものであり、現在ではクリアされつつあると思います。

──多重的な情報に、個人で対峙しうる方法もある、と?

梅澤 自著のなかでも触れましたが、たとえば『ろくろ首の首はなぜ伸びるのか』(武村政春著、新潮社)という本を目の前にしたとき、図書館司書は中身を確認して、「生物学」や「妖怪」など、どの点に重きを置くか判断して分類します。さらには、「生物学」に分類した場合でも、「妖怪」で検索してもヒットするようにデータ入力しておくこともある。

こうしたデータベースでヒットする情報は、ショッピングサイトにおける消費者の購入データなどにもとづいたレコメンドに比べて、よりフラットな思想に基づいているといっていいと思います。検索サイトの検索エンジンのアルゴリズムともまた異なるフラットさを備えているかもしれません。こうした図書館情報学のフラット性は、デジタルの時代になったからこそようやく結実してきたようにも感じますし、おそらく多くの皆さんに役立てていただけるのではないかと考えているんです。NDCという「地図」も含めて、皆さんそれぞれに、より簡単に活用していただける環境が整ってきている。こんなに便利になってきているんだから、ぜひ使ってみてもらいたいというのが、私が本に込めた思いのひとつでもあります。

──デジタルの時代ではむしろ、無限の情報を精査しうる環境もまた整ってきている、というお考えであるわけですね。

梅澤 もちろん、すべての問題がクリアされているわけではありません。それこそ『ネット情報におぼれない学び方』の刊行とほぼ同じタイミングで、生成AIが興隆してきています。そうした環境において、情報の裏づけをとることができればひとまず安心ではありますが、しかし正確な情報を羅列したところで面白くもなんともないわけです。「発信されるその情報にはどんな面白さがあるのか」「どのような新規性や付加価値があるのか」という点が、改めて大事になっていくのでしょう。

だからこそ、一度とことん調べつくしているかどうか、まず踏むべきステップを踏んでいるかどうかというのは、これからの知的生産においてとても重要になっていくはずです。私自身、すこしでも、その一助になれればと思っています。

 

profile

宮田文久|Fumihisa Miyata
1985年、神奈川県生まれ。フリーランス編集者。博士(総合社会文化)。2016年に株式会社文藝春秋から独立。2022年3月刊、津野海太郎著『編集の提案』(黒鳥社)の編者を務める。各媒体でポン・ジュノ、タル・ベーラらにインタビューするほか、対談の構成や書籍の編集協力などを担う。