CITY OF AMORPHOUS

ああローマの酒の神とドイツの筆記具メーカー——連載:菊地成孔「次の東京オリンピックが来てしまう前に」31

「2020年」に向けて、大なり小なり動きを見せている東京。その変化の後景にある「都市の記憶」を、音楽家/文筆家の菊地成孔が、極私的な視点で紐解く連載シリーズ第31回!

TEXT BY NARUYOSHI KIKUCHI
ILLUSTRATION BY YUTARO OGAWA

今回こそこの連載はコーションを受けて終了するかもしれない(来年の7月までだから無念なりあと9回を残しながら。ううう)。何故か? オリンピック批判? まーさーか。なし崩しに夏期と冬季の2つのオリンピック・リバイヴァルを成立させた(無茶苦茶だよ・笑・悪くスゲえよ)安倍政権とIOCは実に素晴らしい。皇室批判? まーさーか。「適応障害」とは、「<服>と<体>の<不適応>」即ち、<公務用ドレスのサイズ感>もおかしくなるものか、なんかいっつもドレスがデカすぎたり、帽子が小さすぎたりして、これもう大変なご心労、というより、診断書に適応障害と書かれているのだから、不適応にお墨が付いているのだよなあ。と長きにわたって心を痛めていたところ、皇后に即位されてからというもの、すっかりお元気になられ、目の輝き、表情の煌めき、そして何より服や帽子サイズのジャストフィット感によって、「公務用ドレスとお身体のサイズ感が<不適応>から<適応>へ」という適応障害からの寛解をこういう形でも、、、、ああもう止めよう、これでは藪蛇になってしまうではないか。熱心なライトサイドの皆さんが、筆者を不敬である等といった愚かしい誤解をするとは微塵も思えないとはいえ。

では何故か。特定会社名と特定商品名を書くことになるからだ。今回のタイトルが株式会社ロッテの、冬の主力商品、「バッカス」と「ラミー」を指すものであることは、洋酒チョコレート市場の消費行動が半ば自分でも止められない、つまり筆者と同じ、洋酒チョコレートを愛する者、特に「バッカス&ラミー」推しの(「小梅ちゃん」とかどうでも良い。炊き込みご飯の具材にして学童に楽しく食わせてしまえ。きっとキャッキャ言って喜ぶ)通称バカラミアンには自明であろう。今年の解禁日である9月25日、筆者は「大人買い」などと言って箱買いしたりする品性下劣の徒ではない。新宿区内のあらゆるコンビニを周り、バッカス、ラミー共に120枚ずつ購入して、全てを冷凍庫に格納した。

もし本稿を送信し、コンデナスト・ジャパン並びに、パートナーである森ビル株式会社の検閲倫理が、最近、我が国に跳梁するコンプライアンスとかいう、マッドマックス並みの暴虐集団によって、忸怩たる思いで、筆者に対し、最悪全文の書き直しか、命拾いしても「○ッテ」の「○ッカス」と「ラミ○」という、昭和並みの伏字判断を下さざるを得なくなっても、筆者は大恩あるコンデナンスト・ジャパン並びに森ビル株式会社に対し、批判など一陣の風もない。どこの大企業が、トランプを支持するだの、N国立花とマツコの顔が似てるだの、トリキの客はファシズムの準備をしてるようにしか見えない等と書かせてくれるものか。マキシマムリスペクト。いいっすよ伏字で!!

しかし、である。例によって話はテレビジョンのチャンネルを変えた様に変わるが、ここ最近、あの北野武氏とメールの交換をした。内容はもちろん明かせないが、まあ「老人と壮年になっても子供同士である徒による遊びの類」だと言っておこう。その中で北野氏は、(以下は筆者の意図的な伏字である)○○○に対して、やや熱烈、かつ恥ずかしそうに綴り、「あれだけは仕事にしてないんです。誰にも言ってないんです」と、筆者が、「胸を打たれる以外一体どうすればいいのだ」といったパセティックなパンチラインを叩き込んできた。

筆者は、全てを仕事にする、品性下劣な男だ。音楽が好きだといって音楽家になり、映画が好きだといっては映画批評家になり、エッセイが好きだといってはエッセイストになり、格闘技が好きだといっては格闘技評論家になり、飲み食いが好きだといってはグルメ稼働の文化人になり、あるフェティシズムを持っているといえば、それをテーマにした小説を書き、ファッションショーが好きだといえば専門誌に連載を持ち、人に物事を教えるのが得意となれば学校の先生になり、ぺんてるのサインペンしか使わないといえばぺんてる社から取材が来て、上京して数年はチキンラーメンばかり食っていたといえば、チキンラーメンのムック本に寄稿依頼が来て、韓国映画やドラマが好きだといえば研究書を出し、シャンパン好きを公言すれば、あのテタンジェからウエブ販促の仕事が来る。推しのアイドルについて雑誌に寄稿したら、そのアイドルへのインタビュー依頼が来る。全ての趣味嗜好を、全て仕事にしております。

こうした、一言「淫ら」としか言いようがない人生も、ひょっとしたら「(堅実に夢を次々叶えて)凄く良い人生だなって」等と評価され兼ねない昨今(SNSによって完成した国民総ナルシシスト社会に於いて、16歳の女性が、食事の写真、メイク直後の写真、半裸の写真、パジャマ姿の写真を毎日アップし、性遍歴、病歴を赤裸々に綴り、プロフ欄に「人生を切り売りしてまーす」とコメントをする事すらうんざりするほど見飽きた光景になった昨今。の意)、何だか悪事を働いているのに、誰も自分を罰しないという透明感のある悪夢でも見ている様な気分であるのだが、ちゃんとあったんだよ! オレにだって仕事にしないモンがさっ!!

クーベルチュールの中にコニャックを仕込んだ、日本の汎用洋酒チョコレート第一号(1964年発売。筆者は1歳である)でありながら、サロン・ドゥ・ショコラが我が国の国是である「見本市(マーケット)は極大に」の法則に従って、新宿伊勢丹本館6階から、なんかビッグサイトみてえな見本市会場に移行するまで肥大した現在でも、我が国の洋酒チョコレート市場売り上げ金額第2位の位置を不動にしている「バッカス」。昨今の「ラムレーズン」ブームを遡ること約半世紀、日本の汎用洋酒チョコレート第二号(1965年発売。筆者は驚くべきことに2歳である)にして、ラム酒漬けにしたレーズンを仕込んだ、一箱に二本詰めのスタイルも不動のまま、我が国の洋酒チョコレート市場、堂々の売り上げ金額第1位に君臨してる「ラミー」。

筆者は幼少期の記憶によれば、4歳からこの栄光の2トップを愛し続けてきた。愚兄と14歳違い、その影響で、自分の同世代よりサブカルが14年分古く固まってしまった筆者は、クラスが仮面ライダーとザ・ドリフターズの時代に、1人だけハナ肇とクレージーキャッツ、ウルトラQで世界が固まっていた。特に、「バッカス」「ラミー」が、クレージー映画と、観念連合的にはっきり繋がっていることは、双方を愛する、今や70代にならんとする紳士諸氏であらば、説明は不要であろう。クレージー映画には、銀座の高級ナイトクラブ(ダンサーのショーやジャズバンドの演奏用のステージまである様な)が必ず出てくる。そこで植木等はナポレオンやジョニーウォーカーの黒を飲んで、紙巻のハイライトを吸い、豪快に笑う。

乳幼児からやっと言葉を覚え、鏡像段階も経た、人間もどきぐらいの筆者は、思いっきり背伸びをした。命がけの大背伸びである。それは「バッカス」と「ラミー」を食べながらクレージーキャッツの映画を見ることで、妄想の中で、自分もスーツを着て豪快に笑い、淡路恵子や浜美枝や団令子を次々に落として行ったのである。

さて、ひょんなことから、筆者は、株式会社ロッテが、2018年8月31日に、自社製品の販促のため、ネット空間の中に、仮想のテーマパークである「ロッテランド」を建設したという事実を知って、ぐっと堪え、更にぐぐぐっと堪え、更にぐぐぐぐぐぐぐぐぐうーーーーーっと堪えた末に、堪えきれずに入ってしまった。全貌を見るに、デザイン的にはテーマパークのスタンダードスタイルではあるとはいえ、端的に、物凄く楽しそうだ。TDLの年間パスポートを過去、所有していた筆者は、涙がこぼれそうになるほどだった。これこそが、過不足なく、間尺にあった夢の世界と呼ぶにふさわしい。

あゝ、そしてなんたることだろうか。筆者はそこに、バッカスとラミーを扱う、大人の電脳バー「ラミバー」を発見するのだ。

入室すると、果たしてそこは、ラミーとバッカスの商品説明から始まり、ラミーとバッカスを愛する人々、すなわち筆者の同志たちが集い、手書きのメッセージカードを見せ合ったり、ラミーやバッカスを素材とした、オリジナルスイーツのレシピと写真の共有、そして更に深い階層には「10月15日 ラミーバッカス川柳コンテストin2019 結果発表!」「9月17日 2019年度第一回ファンミーティングレポート公開!」とあるではないか! 筆者は過換気を起こしそうになり、気が遠のくのを感じた。気がついたらファンミーティングのレポートをクリックしていた筆者は見たのである。そこにはロッテ本社の会議室で行われた、この世の極楽としか言いようがない、まるで90年代のオフ会の様な、ファンミの様子が写っているではないか!!!!!!!!!!

そして、あゝ、あゝ、この世はどうしたものだろう。筆者の舞い上がり、慌てふためいた視線は、「2019年度 第二回ファンミーティング募集中」の1行を見落としていたのだ!!!

筆者はあらゆるサイトに入らない。どこの会員でもない、ポイントカードは一枚も持たない。アマゾンで画鋲一個買ったことがない。音楽はCDしか買わない。別に個人情報が公安の手に渡ろうと悪徳業者の手に渡ろうと、全く構わない。パスワードとかメールアドレスが諳んじられ、暗記する事が出来ないし、なんか関所関所で「同意する」とか言って、同意するのも気に食わないし、一回、あんまりにも粘着的にPCが「アップグレードしろ」「大変だウイルスに汚染されたバスティングしないとお前は危険だ」とか恫喝したので、仕方なく適当にいじっていたらPCが破損しかけ、エキスパートである友人に救出してもらったことがあった。

しかし筆者は、禁を破ってしまった。まず最初にしたことは、部屋の電気を消し、一人になり、誰にも見られない様にした事である。それからパスワードとアドレスを紙に書き、ロッテランドのラミバーに入り込み、苦闘に苦闘を重ねた結果、とうとう<ファンミの応募>にまで漕ぎ着けたのである!!! ひとりでできるもん!!!!

このことは絶対に誰にも言わない。筆者は人並みに重い秘密も抱えなくもないが、基本的には、劇場型の人格である。でないとこんな連載できるか。なので、「絶対誰にも、家族にも友人にもバンド仲間にもタクシーの運転手にも言わない」という自主箝口令を敷いたのは、ひょっとして生まれて初めてだったかもしれない。

そして、筆者は、身分(というのは大袈裟だが、慣用表現として)を隠し、「職業 自営業」として、応募したのである。大変な倍率であることは予想に難くない。ファンミは10~15人ほどで行われる。しかし、ラミバーの掲示板で交わされる会話の熱心さ、ハンドルネームの数は目も眩まんばかりのものだ。

(よし、、、、審査基準は、この「バッカス&ラミーと私」という作文の出来と、天運だな)と理解した筆者は、もうはっきり言うけど、この連載に対する100倍の集中力で、細心の注意を払い、文体を、内容を考えに考え抜いたのであった。

自分のクリエーター特権は絶対に行使しない。自分は市井の、生まれた時からラミーとバッカスをこよなく愛す、一般人市民なのである。流暢で衒学的な文体などもってのほかだ。いや、自分の世代のバッカス&ラミー親父の作文は、鼻持ちならない流暢さとダンディズムによって、加齢臭ビンビンの方がリアルなのかも知れない。たまに老眼からくる誤字も入れないと。いやいやいやいや、それは考え過ぎだ。審査官であるロッテの社員の方に、自然な好感を持って頂き、「是非、この方にファンミに来て欲しい」と思わせる、さりげなく、熱烈で、加齢による優しさと人生の厚みを感じさせる、かと言ってエモすぎない文章。筆者は、ファンミに行って、もし万が一、絶対そんなことはないとは思うが、世の中は冥府魔道である。「あ! 菊地さんじゃないですか! ラジオ聴いてました」等と言われた時、どう対応しようか?「いやあ、同姓同名なんでね。よく間違われるんですよ」にしようか「あ! ありがとうございます! でも、、、、ほら今日は、いちラミー&バッカス愛好家として来てるので、終わった仕事のことはちょっと(笑)」とすべきか。それに際する決定と、その決定から導き出される内容。バージョンは18を超えた。

3日がかり、改稿19回目にして、「なんとかこれで、一応のスタートラインに立てる、、、、かも知れない」と言う、僅か2000文字の短文「バッカス&ラミーと私」が書き上げられた。筆者は、PCのモニターの前で、まるで神棚のように手を合わせるぐらいなら死んだほうがマシだ、ぐらいに思って半世紀以上生きて来た。そんな自分がとうとう、手を合わせたのである。「どうか、どうか、受かりますように」「ファンミーティングに行かせてください」筆者は目をつぶって送信ボタンを押し、慌てて目を開け、正しく送信されたかを確認した。

もし万が一、自分を知る方がいらしても、自分の話なんか30秒も持たないぐらい、バッカスとラミーの話で盛り上げ、掻き消してしまう自信はある。机には、食べ終わったバッカスとラミーの箱が4箱分積み上がっていた。

審査結果は、当選を発表にかえる。と言うやつで、つまり連絡が来なければ自動的に落選となる。作文は3段落。最初の段落だけご披露しよう。

「私は、昭和38年、千葉県の銚子市という港町で生まれました。ですので、バッカスとラミーは、物心つく頃から目にしていました。しかしそれは、スーパーマーケットや駄菓子屋などではありませんでした。当時の銚子市には、デパートと呼べるものが2つだけありました。その一つは、後に大火を出して焼失してしまうのですが、「五色」という3階建の洋品店でした。そこに、御社のガム、そしてチョコレートの自動販売機があったのです。生まれて初めて、お菓子の自動販売機を見たのがそこでした。それは万博よりはるか前に、未来を感じさせてくれる、夢の機械だったのです」

結果、筆者は、落選した(笑)。落選したのだ。歯医者には何もやるな。しまった間違えた。敗者には何もやるなとヘミングウエイは言った。筆者はもう20年近くやめていたタバコを吸った。窓から外に向けて煙を吐き、1時間近く、表面的にはニヤニヤ笑っていた。またひとつ、大切な思い出を仕事にしてしまうだろう。誰にこの話をしてもゲラゲラ笑うはずだ(実際にそうなった)。誰にも言わないで来た、そしてたった一人で、職業も年齢もなく、愛だけで知己なき人々と繋がろうとした、本当の意味で清い行為が、自分の淫らな人生を、少しだけ浄化してくれるのかも知れない。などと思ったのは、落選を知ってからだ。まずはマネージャーに、次に音楽仲間にこの話をし、腹を抱えて笑わせてから、筆者はこの一件をネタに、締め切り迫るエッセイの連載に取り掛かった。

profile

菊地成孔|Naruyoshi Kikuchi
音楽家/文筆家/音楽講師。ジャズメンとして活動/思想の軸足をジャズミュージックに置きながらも、ジャンル横断的な音楽/著述活動を旺盛に展開し、ラジオ/テレビ番組でのナヴィゲーター、選曲家、批評家、ファッションブランドとのコラボレーター、映画/テレビの音楽監督、プロデューサー、パーティーオーガナイザー等々としても評価が高い。「一個人にその全仕事をフォローするのは不可能」と言われるほどの驚異的な多作家でありながら、総ての仕事に一貫する高い実験性と大衆性、独特のエロティシズムと異形のインテリジェンスによって性別、年齢、国籍を越えた高い支持を集めつづけている、現代の東京を代表するディレッタント。