「2020年」に向けて、大なり小なり動きを見せている東京。その変化の後景にある「都市の記憶」を、音楽家/文筆家の菊地成孔が、極私的な視点で紐解く連載シリーズ第30回!
TEXT BY NARUYOSHI KIKUCHI
ILLUSTRATION BY YUTARO OGAWA
彼もしくは彼女は、消費税10%時代に備えるべく、何らかの会社もしくは自宅で良く働き、他のあらゆる彼もしくは彼女と同じく、暮らしの中に、実に様々な問題を抱えている。
その中でも、比較的軽い、というより、既にそれは寧ろ彼もしくは彼女の愉しみでもあるのだが、<肩凝りと腰痛>というものがある。「既にそれは寧ろ愉しみ」でもある由縁は言うまでもない。近所にあるてもみんにさえ行けばその問題は、少なくとも数日間は完全に解決され、その爽快感たるや、問題多くが故、表情も平均的に暗めである彼もしくは彼女をして、帰り道に軽くハミングやスキップが出ることもしばしば。
その時の疲れ具合、金銭的、時間的余裕、てもみんの予約状況等々によって、施術時間は35分から95分まで(てもみんは、何故か05分切りの予約形式である)。95分の日などは、さながらホテルブッフェにでも行ったかの如き気分である。
今日は、75分だった。95分の日の、舞い上がるような贅沢感までには至らぬとて、自分へのご褒美としては充分以上、極楽未満である。思いつきで言ってみたが、「極楽未満の75分」というのは、とても良い表現だ。と、彼もしくは彼女は、SNSでいつの間にか鍛わっていた自分の表現力に満足する。思わず笑みがこぼれる。
カウンターに着くと、出川哲朗の「迷言カレンダー」が置いてある。番組ロケのニューヨークで発せられた彼の迷言集は抱腹絶倒で、思わず全ページめくりたくなるが、てもみんのカスタマーはそんな下品な真似はしない。予約の確認とメンバーズカードの提示、ウエアのレンタルをするかどうか、支払いはカードか現金か、領収書は要(チラ)。
<「時代はエクスタシーだね」(IBMの本社で、「テクノロジー」と言おうとして)>
彼もしくは彼女は、領収書を受け取りながら、思わず横を向いて、迷言カレンダーをチラ見てしまい、吹き出しそうになる。従業員もそれに気がつき、温かい笑みで返す。
黄色い半袖T、茶色のハーフパンツを着用し、ベッドにうつ伏せる。天国まではあと1分である。
「よろしくお願いします」「はい、伺います」
「今日は、どちらが?」
「えーと、腕、と、肩と、、、、あと、腰ですね。腰と、、、、あ!、、、あと太腿もちょっと、、、、なんか全部っぽいですね(笑)」
「いえいえ(笑)、では只今より75分。腕、肩、腰、太腿を中心にやらせて頂きます。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします(嬉)」
「あー、腰かなりキテますねえ、ガッチガチです(笑)。強さ大丈夫ですか?」
「はい、とても気持ち良いです(笑)」
「こういう時は、寧ろお尻をほぐさないと腰が緩んでくれないんですよ(微笑)、、、、お尻からやっちゃいますね」
「前もそれ言われました、、、、なんか、そういうの難しいですよね」
「はい」
「だって、お尻が凝った。なんて実感、なかなかないじゃないですか(笑)」
「ですよね(微笑&施術)」
「前は、首が凝ってると思ったら、いや、あなたの首は凝ってない。凝ってるのは目で、だから頭をほぐさないといけないって言われて、こめかみから頭をがっつり揉まれたんですよ」
「はい(微笑&施術&額に汗)」
「そうしたら、確かにスッキリしたんですね。首が」
「ですよね(微笑&施術)」
「、、、、、、、、」
「こう、繋がってますからね。足裏のリフレクソロジーほどじゃないですけどね。へへへ(施術&額に汗)」
「、、、、、、、、」
「(黙々と施術)」
「、、、、だったらさあ、最初から、こっちに言わせないで、黙ってそっちが判断すべきじゃない?」
「え?」
「だから、こっちは、どこが凝ってると感じたら、どこをほぐすとか、全然わかんないんですよ素人だから」
「はあ、、、、」
「だからさあ、そっちは触ればわかる訳ですよね。プロなんだから」
「ええ、、、はい、、、」
「それで、どうすべきかもわかる訳でしょ?」
「ああ、、、、はあ、、、」
「だったら、わざわざ最初に、最初に、<今日はどちらが>なんて言うの、おかしくない?」
「え?」
「<頭が凝ってます>なんていう人いないでしょ。<頭が凝る>って感覚って、あるの? 絶対ないと思うんだけど」
「え、、、と、、、、」
「だからあ、、、、あー腹立つなー、、、、、なんで分かんないの?って感じ」
「あの、すいません(笑)、何の、、、お話でしょうか?」
「(激昂して)とぼけてんじゃねえよっっっーーーー!!!!!居たのかよ今まで一人でもよーーーー!!!!私、お尻が凝ってるんですとか、頭が凝ってるんですとかいう客がよおおおおおおおおおおおおおっっっーーーー!!!!!」
「いやあの、いなくは、、、、あの、、、ないですよ決して」
「そういう話じゃねえんだよおおおおーーーー!!!文脈読めよ脊椎反射野郎ーーーー!!何が<今日はどこが?>だよ!!!あったまくんなあ!!!だあからあ!!内科に於ける、最初の問診があ、あなたたちにとっての、最初に全身を触る事でしょ?もうそれでわかる訳でしょ?」
「、、、、、いや、、、、、ですけど、内科医さんだって、最初に聞かないですか?<今日はどうなさいました?>って、、、、」
「(さらに激昂して)ぶあからああああああああっっっ!!!!オマエはバカかあああああーーーーー!!!!そんで内科医に<私、胃ガンじゃないかと思うんですけど>って患者が言ったって、単なる食いすぎでゲップが出てるだけかもしれないだろ風邪だって胃ガンと思うやついるよぜってえそんなの医者から見たら一目瞭然だろ私胃ガンかもしれないですそうですかじゃあ早速胃カメラ飲みましょうっていう医者がああああーーーーーー!!!!!!!!」
「、、、、すみませんお客様、声が、、、、、他のお客様のご迷惑になりますんで」
「はああああ?はあああああああ?はあああああああああああああああああああああああああああああああ???迷惑だあって?迷惑だあってええええええええええええええええええーーーー!!迷惑はコッチだ馬ー鹿ー野ー郎!!!(声がさらに大きくなり、裏返って)迷惑はコッチだって言っ(超音波)アキャキャキャキャキャキャキャキャキャーーーーーーー!!!」
「アキャキャって、、、」
「(ものすごい速さで)だからさ、アンタ落ち着いて話しなよ。こっちはこう言ってんの。最初にね。そっちは触ればわかる訳だし。こっちは自分が凝ってるところが凝ってるって思い込んでっから。わかる?思い込んでっから。分かんないわけよ。間違ってるかどうか。本当にそうかどうか。それを見つけるのがそっちの仕事でしょ。それをさあ。ベッドで横になってる客に、触りもしないで<今日はどこが?>ってバカにしてんだよ!!!舐めてんじゃアキャキャキャキャキャキャキャキャキャキャーーーーー!!!!」
「いやあのお客様。第一に、我々は病院、医療機関ではありません。ですので、言葉尻だけで比較されても困りますし、快癒のサーヴィス業として、第一にはお客様ご本人様が、どこが凝っているか?どこをマッサージして欲しいのかを、まずに伺ってから、ですね」
「アキャキャキャキャキャキャキャキャキャキャーーーーー!!!!客をアキャキャキャキャキャキャキャキャキャキャーーーーー!!!!舐めんな!!!舐めったって認めろよ!!認めろ!!認めろ!!!認アキャキャキャキャキャキャキャキャキャキャーーーーー!!!!アキャキャキャキャキャキャ!!!アキャキャキャキャキャキャキャ!!アキャキャキャアアアアアアアーーーーー!!!!アアアアアアアアアアアアーーーーー!!!!!」
彼もしくは彼女は、勿論、発狂したわけではないし、この後、施術させて治療費を払わない。とかいった悪質な恐喝行為をプランニングしていたわけではない。こういう状態を「情動奔流」と言って、まあ、昭和のミドルスクーラーだったらヒステリーと呼んだろう。ヒステリー発作に内包関係を持つとするかどうか微妙だが、むしろこれはコポロラリア(醜言症)に近い。人格分裂のような、重い症状でもない。
彼もしくは彼女が、最初からてもみんに(不当な)クレームを抱えていて、ずっとそれを押さえ込んでおり、それがだんだんと表面に出てきた。という事ではない、という事実にポイントして頂きたい。まさしく、情動が奔流してしまっているのだ。なんか、秘書をハゲとか叫んだ絶叫音声を公開された女性議員がいましたよね。あれですよ。あれ。そうそう。誤解なきよう。これは筆者の空想であり、リアルレポートではない。何故こんな空想をしたかは後述する。
情動奔流(これはその、1パターンに過ぎないが)は、悪質で現代的な新型のメンタルディスオーダーではない。こんなものは昔からあった。狐憑きより前からあった。とまれ、古代にまで遡るのは、当コラムにとってはいたずらに難儀なだけであろう。。昭和で良い。昭和まで人々は、アルコールによって情動を大いに奔流させていた。
情動奔流は退行の産物である。アルコールは退行状態にさせる力がどのドラッグよりも高い。セックスや恋愛も退行を起こす力は高いが、アルコールには遠く及ばない。当連載で何度も言及したが、筆者は飲み屋の倅である。しかも、両親はバックヤードにおり、小学生である筆者がフロアを取り仕切っていた。それはつまり、毎夜毎夜、非常に紳士的で社会的な状態で入店してきた客が、ものの数時間で小学生のように、赤ん坊のように、オーヴァーしてしまった客に至ってはワニのような大型爬虫類のように退行してしまう姿を、集団的に見る。という日常を過ごす事を意味している。
前述の通り、こうしていきなりキレるのは、退行の1パターンに過ぎない。泣き出して止まらない、笑い出して止まらない、両者が交互に出てきて止まらない、どういう心理状態か全くわからない混乱が止まらない、他者を責め倒す者、自分を責め倒す者、完璧な博愛主義者になる者、品性下劣で知性に欠ける悪口、1文字も意味がわからない、もはや人語の態を成していない、完璧な混乱。テーブルの上に立ち上がる者、地べたで寝る者。筆者は毎夜、バッカスのカーニヴァルの中で、国語算数理科社会の宿題に勤しみ、その合間に客同士のトラブル(99%がかなり激しい喧嘩)を、バックヤードから出てきた父親とシュートしていた(彼の下駄と、筆者のバットを使って)。
突然話は変わる。筆者はトリキが怖い。嫌いだとか、ましてやまずいとか言っているのではない。筆者はトリキが大好きである(因みにてもみんも大好きである。精緻な描写が可能なのは、かなりの頻度で通っているからなのは、言うまでも無いだろう)。特にチーズつくねとぼんじり。駆けつけ6串は楽勝である。
しかし、怖いのである。何故か?トリキは一方で(筆者はミシュラン星付きを喰い歩くのが趣味なので、最高2つ受星している焼き鳥屋も東京にはあり、当然行ったことはある。その上で言うが)非常に美味い焼き鳥屋ではあるが、同時に飲み屋であろう。大量の焼き鳥も消費されるが、大量のアルコールも消費される。
しかし、トリキの中で、筆者は退行のパターンを、たった一つしか見たことがない。
それは、「楽しく享楽的にはしゃぎ、大声で笑う」というパターンである。ええ~?それ、早稲田界隈の、早大生しかいないトリキの、終電近くしか行かないからじゃ無い?ネヴァーノー。筆者は、今指折り数えても、自分がどんだけトリキが好きかよ。という程の店舗数が結果として出てしまっている。
あなたは、トリキで酔い過ぎて吐いてしまい、テーブルや床を汚して突っ伏しているものを見たことがあるだろうか?シクシク泣いて、友人に背中をさすられている者を見たことがあるだろうか?ブッチブッチにキレた学生やサラリーマンが、互いの胸倉を掴み、力の入りすぎで全身が石化し、銅像のように動かなくなっている姿を見たことがあるだろうか?イライラするほど片腹痛い、社会論や芸術論の議論を聞いたことがあるだろうか?耳をつんざく嬌声、調子を取るための拍手を含んだ、間欠泉のように突如湧き上がる爆笑音、流行りのJ-POP以外を、トリキの店内で聞いたことがあるだろうか?
トリキは、焼き鳥の旨さに加え、圧縮型の店内構造によって、カウンター席とも、立ち飲み屋とも違う、ちゃんと着席しながらも隣席が異様に近い、詰め込まれ型の空間から生じる奇妙な魅力が、成長企業にさせたと言われている。筆者も異論はない。
そして、そこで生じたものは何か?それは、高度な社会性とも言うべき、客たちの特異な振る舞いである。彼らは、大量のアルコール摂取によって、明らかに酩酊している。しかし、酩酊すれども退行していないのである。そこにあるのは「俺たちはこんなに仲が良くてこんなに楽しい。何の問題もない」という、演舞的な表現ではないだろうか?
同様なケースは、例えば高級ホテルのバーでも生じてはいる。上品でダンディな大人の余裕。と言う演舞が、打ち合わせ無しに、共有空間を敷き詰める。
しかし、これは全く怖くない。キザったらしく、古臭く、超俗的な上から貴族目線は(トリキは鳥貴族なのに、全くこうした目線がない)やや反社会的ですらあるあるが、こうした、洒落腐ったダンディズムに批判的な、「高級バー左翼」とでも言うべき、一回裏返しただけのダンディズムに駆動された、無頼で野蛮の演武を区営広げる徒が幅を利かせる(彼らは、わざとワイルドにナスティにダーティーに振舞う)という、20世紀型の社会構造が完備されているという、安全な懐かしさがあるからである。
トリキが怖いのは、端的に来るべきファシズム社会の曙に見えるからだ。そして、飲んでも退行しない、健康で明るく、元気である姿を全力で表現するトリキの客を尻目に、退行者はどこに集結しているか?言うまでもない。SNSの中に、である。多くの読者が、筆者がてもみんで見た幻想を「なんかネットの話みたい」と思った筈だ。あらゆるメディアで詳述しているので、ここではしないが、SNSは構造的に、あらゆるものを退行させる強い効果を持っている。
現代人は、非日常の象徴であるアルコールによって退行することを終え、日常の象徴であるSNSによって退行を起こす生物に進化を遂げたのである。そして、昭和の御代までは、アルコール非摂取の状態(日常)で情動本流を起こす者は病とされたのに対し、同じくアルコール非摂取だが、SNSの慢性的な摂取(アレは明らかな中毒症状である)によって情動本流を起こす者は、まずは2次元に、そしてストリートやオフィスといった3次元の日常に現れ初めており、病ではなく、一般化されるのは時間の問題であろう。非日常的なドラッグを使っていないからである。ペットボトルの飲料やクレジットカードで退行し、情動本流する者たちが現れても、病とは認識されない筈だ。スマホ中毒患者たちは、アルコール中毒患者もはるかに人口が多く、3次元での対人的な消費行動中や、就労中に退行し、情動を奔流させるであろう。まるで、酒でも飲み、恋でもしているかの様に。
「突然荒れたりするわけないじゃん。だって酒飲んで楽しんでんだから。仕事や買い物の時や医者に行ってる時じゃあるまいし」という時代は、すぐそこまで来ている。そして、この、無秩序で危険極まりない社会には強い警備そしてリーダーが必要になる。堅牢な、そして安易すぎる茶番。若者よ、トリキで目も当てられない醜態を晒し、筆者にわずかいっときの安堵を与え給え。
菊地成孔|Naruyoshi Kikuchi
音楽家/文筆家/音楽講師。ジャズメンとして活動/思想の軸足をジャズミュージックに置きながらも、ジャンル横断的な音楽/著述活動を旺盛に展開し、ラジオ/テレビ番組でのナヴィゲーター、選曲家、批評家、ファッションブランドとのコラボレーター、映画/テレビの音楽監督、プロデューサー、パーティーオーガナイザー等々としても評価が高い。「一個人にその全仕事をフォローするのは不可能」と言われるほどの驚異的な多作家でありながら、総ての仕事に一貫する高い実験性と大衆性、独特のエロティシズムと異形のインテリジェンスによって性別、年齢、国籍を越えた高い支持を集めつづけている、現代の東京を代表するディレッタント。
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