9月8日(日)まで森アーツセンターギャラリー開催中の「進撃の巨人展 FINAL」。8月4日(日)までが前期、9月8日(日)までが後期という2部制で展示内容が入れ替わる。今回は、かねてより『進撃の巨人』ファンである漫画家の西島大介さんと一緒に「進撃の巨人展 FINAL」をまわり、作品愛を存分に語っていただいた。
TEXT BY RIE NOGUCHI
PHOTO BY Shintaro Yoshimatsu
西島大介、絶賛。「文句なく面白い!」
──「進撃の巨人展 FINAL」を一周してきたわけですが、実際に展覧会を観た感想を教えてください。
西島 とにかく面白かった! テーマパークのような、お化け屋敷のような。ここまでエンターテイメント性の高い展示とは思っていませんでした。文句なく面白かったです。最初に調査兵団の衣装を着たガイドさんが出てきて、選択を迫り、ワクワク感が止まりませんでした。
──入場後、すぐに「壁の中」か「壁の外」の2つのルートの選択を迫られましたが、西島さんは「壁の外」を選んでいましたね。西島さんは、エントランスで黒いパーカーに着替えて、エレンのコスプレをしていたので(笑)、てっきり「壁の中」を選ぶのかなと思っていました。
西島 僕、今日はエレンとして来てるので(笑)。エレン目線で壁外調査をしなくちゃと思って「壁の外」を選んだんですけど、このルートはマーレから来た巨人、ライナー側の目線の展示でした。でも分岐した展示室の途中で壁が崩れている部分があって、そこから「壁の中」のルートのほうを覗くと、初期のころのエレンの懐かしい顔が見えて。それだけで物語が去来して切なくなる、ワクワクする仕掛けでした。
──展示の目玉として、諫山先生が現在構想中の「最終話」を“音”だけで表現する「最終話の音」というのがありましたね。
西島 くわしくは言えないけど…ああ、やっぱり「あれ」は起こるのかと! サウンド・インスタレーションの一種だと思うのですが、すごく風景が浮かびました。あそこだけ強く現代アート的(笑)。
世界そのものを描く覚悟を感じる
──そもそも西島さんと『進撃の巨人』の出合いを教えてください。
西島 最初に読んだのは初期のころだと思います。当時、漫画雑誌の「別冊」を発行するブームがあって、それは既存の雑誌では発表できないオルタナティヴな作品を発表することが目的でした。『週刊少年マガジン』の別冊としてスタートしたのが『別冊少年マガジン』。その中でものすごく人気が出たのが『進撃の巨人』です。
──西島さんが面白いと思ったのはどんな点でしたか?
西島 こんなに荒削りで不思議な設定の漫画が存在しうるんだと驚きました。巨人も謎だし、諌山先生の才能も同じくらい謎でした。それまでの基準だったらきっと世に出ない作品で、現状に対する強いアンチテーゼも感じました。それがここまでの大ヒット作になったのは凄いことだと思います。
──価値観を覆すような冒険的な作品だったのですね。
西島 日常を癒したり、背中を押したり、そういう読者を肯定する物語こそがサービスとしては正しいと思うんですけど、『進撃の巨人』は真逆だなと。
展示の最後に諫山先生が「暴力描写を描きたい、残酷なものを描きたい、そういう思いを極端な話、読者にも味あわせたい」と語るムービーが流れています。読者の前に思いっきり不快なものをぶちまけてもいいんだ、やってやるぞ! という覚悟ですよね。明らかに嫌がらせだし、常識に対するアゲインストで、コンプライアンスの逆だと思います。
──具体的にどんな点で「覚悟」を感じましたか。
西島 もし、これが普通の少年漫画だったら、例えば敵がドラゴンだったり、美女が寄り添ってくれたり、もっと読者に優しく爽快感のある設定だっただろうなと思います。危害を加えるのも巨大な人間で、喰われる側も人間。迎合せず、そうじゃないことをやるという覚悟でしょうか。
──たしかに少年漫画のような「勇気・元気・やる気」のような作品ではないですよね。
西島 でもアングラというのも違う。ホラーとかファンタジーと言い切れるなら、ジャンルの中で安心して見られるんですけど、何かがすごく違う。鍵は「立体起動装置」にあると思っていて、あの装置、ジャンルから考えると収まりがすごく悪い。思い付き感が半端ない(笑)。だからピュアな少年漫画性は強くあるんだと思います。その少年性を破壊するように、巨人が人を食べちゃう。虚構性と生々しさのバランスがすごく不思議で、それが『進撃の巨人』という漫画の正体不明な魅力につながっているのかなと。
──諌山先生が描きたいものはなんだと思いますか。
西島 「世界」でしょ! 一度ユミルが言いかけて、話数またいでハンジが引き継いだ「言っちまえば世界」。諌山先生は「世界そのもの」を描こうとしている。立体起動装置があり、記憶が改竄され、壁があり、巨人がいるという、すごく虚構的な設定だけど、そんな思い付きを使って我々が暮らしている現実を映し出そうとしている。例えば、隣にいる人間の顔をじーっと見つめるとすごくグロテスクに思えたりするじゃないですか。自分の顔を鏡で見ても。そこから目をそらさない感じ。
──『進撃の巨人』を通して、私たちの世界を描いている。
西島 そう思います。盛り上げて逃げ切るだけなら、マーレ編はいらないし、エレンの心変わりもいらない。政治描写もいらない。でも、諌山先生は現実の戦争や災害、人々の対立を、「世界」を描き切りたいんだと思います。連載が長引いているのはセールスのためではなく、まだまだこの世界に疑問があるからじゃないでしょうか。
細かすぎる伏線も、諫山先生は全部拾う。それは自分が作った「巨人のいる世界」、「立体起動装置のある世界」を強く信じるためだと思うんですよね。そこを軽く扱うと『進撃の巨人』が現実世界の写し鏡にならないという危機感が、諌山先生にはつねにあるんだと思います。
諌山先生は作品に心臓を捧げている
──ご自身の作品と共通点を何か感じていますか?
西島 僭越ながら、似てる部分はあると思います。リアルと虚構のバランスをどう取るか。僕の『ディエンビエンフー』は史実であるベトナム戦争をフィクショナルに描いています。そういう作品はカルト化して終わり、大ヒットにつながらないことが多い。でも『進撃の巨人』はここまで大きくなり、連載も止まらず続いていて素晴らしいなと。嫉妬もしません! いちファンです。
──2015年には映画『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』、『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド』として実写映画化もして。さらにアンディ・ムスキエティ監督を迎えてハリウッド版実写映画も製作される予定です。
西島 『進撃の巨人』とアニメの関係はとても面白くて、漫画連載を続けながらアニメーションが始まり、諌山先生も制作に参加し、結果アニメのレスポンスが連載に帰ってくる。原作漫画をアニメが追い越し、それへのアンサー込みで漫画があるのは、『風の谷のナウシカ』や『AKIRA』と似てる気がします。さらにゲームも、音楽もある。今回も純粋な漫画の展示ではなく、それも含んだ総体の展示ですよね。だからすごく楽しい。
──最も印象に残った展示は何ですか?
西島 最終話を描いた音声展示ですね。「FINAL」というだけあって物語を終わらせる意思を伝えながら、読者を試している感じもある。何がどうなっているわからない。「え? どうなってるの?」という、初めて『進撃の巨人』を読んだときの気分を思い出しました。
諌山先生は作品に心臓を捧げているから、やはりエレンだなって思います。初期は「僕の作品でお決まりのマンガを駆逐してやる」って気持ちで描いたはずで、でも大ヒット後もそのヒットや、ご自身が置かれた環境自体に疑問を持ち続けている。作家は問い続けるしかないんだなと、勇気をもらいました。
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