「ペプシマン」「hungry?」「プール冷えてます」「Yonda?」「TSUBAKI」など、誰の心にも残る数々の広告を手がけてきたアートディレクターの大貫卓也が、40年近いキャリアの全仕事を収めた作品集『Advertising is』のブック&エディトリアルで2018年度ADCグランプリを受賞。同作を含む優秀作品の展示「日本のアートディレクション展 2018」も10月29日より始まった。大貫より世代は少し下ながら、同じく広告界の第一線を歩いてきた服部一成が大貫の事務所を訪ね、作品集を見ての感想や、広告や“デザイン”についての互いの思いを語り合った。
TEXT BY Akune Sawako
Portrait by Mie Morimoto
Book Photo by Koutaro Washizaki
まずは大貫さんの代表作を見てみよう
時代の逆を行く、極端なボリュームの作品集
服部 それにしてもただ事でない、この分厚さ……。
大貫 広告デザインのもり下がった現状を考えると目立たないことにはどうにもならないし、極端に厚い電話帳のような作品集にしようと思って。
服部 『Advertising is』というタイトルにも、大貫さんの強い意図を感じました。“デザイン”ではなく“広告”という。
大貫 今は何でも“デザイン”とさえ言っておけば解決した気分になっているデザイナーが多いんだけど、簡単に“デザイン”って言葉でごまかしたくなかった。僕にとっては広告こそがコミュニケーションそのものであって、デザインは手段と考えているんだよね。そんな広告が求心力を失っている今だからこそ、『広告とは』というタイトルにしたかったし、デザインが簡単で分かりやすい表層的な時代だから、あえて重くて、分かりにくい、濃厚な本を作りたかった。
服部 つねに逆を行く感じですか?
大貫 単に逆をやりたいわけじゃない。今って悩むことなくみんなが同じ方向を向く時代でしょう? その状況にうんざりしていて。次のステージへ行くための方法を提示したかったというのが近いかな。現状を否定するカウンターパンチで次のものを生んでいく、というのが僕のやり方だから、まあ現状に対する意見だよね。
服部 確かに僕らの世代は、大貫さんが既成概念を壊し続けるのをずっと見てきました。広告とはこういうもの、アートディレクターとはこういうもの、ということ自体を変えてきた。「ペプシマン」のボトルキャップキャンペーンが始まる時、「大貫さんは今オマケのフィギュアをものすごい完成度で作っているらしい」と噂で聞いて、最初は意味がわからなかったです。オマケ? フィギュア? 大貫さんどうしちゃったの?! って。
大貫 当時、オマケを使ったセールスプロモーションなんて自分達のやる仕事ではなかったし、オマケは粗悪で安っぽいというのが常識だった。そういった概念をひっくり返して、オマケだってブランド広告であり、強力な商品であり、広告であると考えたんだよね。
服部 アートディレクターはみんなポスターを作りたがっていて、グッズのことなんて考えていなかった時代だったと思います。
大貫 実は「ペプシマン」のアイデアの元は、この本にも載せたけど、日清カップヌードルで「hungry?」の後に提案したけど実現しなかった企画なんです。
カップヌードルの具材を擬人化したキャラクターたちが宇宙船の隊員というB級SFを作ろうとしたわけ。麺のような髪のカトリーヌ・ドヌードル艦長とか、肉団子のニック隊員、ネギのカーネギー隊員、中国系の玉鶏卵隊員……。彼らがバカバカしいドラマを繰り広げるんだけど、この広告がヒットすると、具材のひとつひとつにまで愛着が湧いて、食べながら「おー、ニックじゃねえか」なんて感じで、カップヌードルが前よりおいしくなってしまうっていう、僕としては“商品自体の味をおいしくしてしまう広告”という大発明だったんです(笑)。これ、ほんとやりたかった案ですね。 「ペプシマン」はそのアイデアのツボを継承しているから、面白さだけじゃない、ちゃんとペプシコーラという商品そのものを愛してしまう企画になっていたでしょ?
尋常じゃない完成度が、後を追う身に重くのしかかる
服部 コンセプトがすごいとか、発想が新しいとかいうのはもちろんなんですけど、大貫さんといえば一方で、とにかく作り込みのすごさ、ヴィジュアルの完成度の異常な高さも伝説的です。そしてとんでもなく細かいところまで自分の手を動かして作っていることが、作品集からも垣間見えます。例えばこのラフォーレ原宿の広告の、犬が着ているTシャツにプリントされた小さなイラストまで、大貫さんが自ら描いているという……。
大貫 だって、頼める人がいないしね。こんなモチーフがこんなタッチで描かれているTシャツが欲しいと思っても売っていないし、イメージ通りに描いてくれるイラストレーターが見つかるわけでもない。そうなると自分で描くしかないでしょ。もともと絵のテイストをサンプリングして描くのは得意だったから、人に絵を発注するという発想が、当時ほとんどなかったんだね。
服部 このシリーズの時は、いい犬を探し求めて全国の犬の品評会を行脚してまわったとも聞いています。すべてそういう感じで、とにかく異常にのめり込んで作っていると思いますが、それって、楽しくてやっているんですか? 面倒くさくはない?
大貫 そういう過程がいちばん面白い。アイデアを考えるのは得意だし、マーケティングで仮説を立てるのも面白いけれど、根本は作るのが好きな人間だし、職人気質だからね。
服部 大貫さんの背中を追っていた世代の僕らにとっては、そこまでやらないといけないのか! という重さを常に感じて、自分が何かを作るたびにその重さがのしかかってきたものです。
服部 話は変わりますが、わざとダサくしたり、ギャグを取り入れた仕事も多いですよね。そういうことが好きなのは元からの資質ですか?
大貫 いや、もともとの自分はかなりカッコつけ。ところが美大を出て博報堂に入ったら、自分がカッコいいと思うセンスがまったく分かってもらえない。とにかくウケないことにはアイデアが採用されない。当時の広告代理店の制作室はそんな空気だったんですよ。だから毎回バカなアイデアを出しては、その場で先輩に「それ面白い!」ってウケるかどうかがすべてだったんです。ほとんどお笑い芸人。それをひたすら続けているうちに、こんなデザイナーになってしまった(笑)。
服部 そうか、仕事を始めてから後天的に獲得したものなんですね。
大貫 でもそうした環境の中で、ユーモアが人を説得したり、好感を持ってもらうための武器になるんだと分かったのも確か。いまでも、カッコいいとか美しいといった方向性の仕事であっても、つい“はずし”を入れたくなるのは、あの時代から身にしみついた習慣なんだろうね。
実現することのなかった自信作
服部 今回の作品集には、ボツになったアイデアや製作過程が巻末に掲載されていますが、それだけで200ページ近くもあります。実現した広告を見たかったものや、今やっても面白そうなアイデアも多い。僕が特に好きだったのは、西武百貨店のボツ案のひとつ。日常生活のワンシーンのなかに、西武百貨店で買える生活用品が異常なほどたくさん、隙間なく並んでいるヴィジュアルです。カメラから見て物が重ならないように隅から隅まで並べまくった状態は、シュールすぎるカタログという感じでしょうか。
大貫 あの広告案は、百貨店にとっては自己否定なんだよね。物に溢れて一見幸せそうなんだけど、どこか空っぽ……という飽食ヴィジュアルを作りたかった。コピーは「足りないものは何ですか。」百貨店からお客さんへの質問形式なんだけど、いちばん足りないのは、多くの商品を欲しがるお客さんであり、商品を売りたい西武百貨店自身ではないかっていう、かなりシニカルなアイデア。ボディコピーはすべての商品スペックをびっしり入れるだけ。このアイデアは、かなりの自信作だったけれど、残念ながら実現しませんでしたね。
服部 ちょっと社会学的というか批評的な視点で、これがもし実現していたら、このバブル末期の時代を振り返るときの象徴のような広告になっただろうなと思います。でも、そういうシニカルな視点が、大貫さんの仕事にはいつもありますよね。
大貫 もともと、そういった自覚はなかったんだけど。『広告批評』の天野祐吉さんが、よく「大貫の仕事は批評的だ」とか書いてくれていた。僕は作者なのに、後からそれを読んで「あっ、あれってそういうことなのか」って気づいたりね(笑)。
“いい広告”ではなく、“売れるか売れないか
服部 とはいえ、無意識でも直感的に「批評的な視点」を持っていたんじゃないですか?
大貫 そういう面もあるだろうし、年をとるにつれて確信犯的にそうなっていった部分もあるだろうね。若い頃からとにかく世の中の広告を批評しまくっていたから。「これは大ヒットって言われるけど広告として機能してないでしょ!」ということもあれば、その逆もある。それに当時は、その広告によって「売れる/売れない」というような評価軸があまり存在していなかった。広告業界全体が熱に浮かされていたというか、広告は“作品”であって、「いいコピーだ」とか「いい写真だ」といった評価はあるけれど、それがどう機能したかについて語る人は誰もいなかった。
そういうクリエイティブの評価軸に対して気持ち悪さをずっと感じていたんだけど、としまえんの「プール冷えてます」を作った頃から、広告は機能して、結果を出すことが目的なんだという当たり前のことに気づくわけです。それ以降は、広告賞をもらって褒められることより、広告によってきちんと物が売れたり人が動くといった結果を出すことが、自分にとっての強い使命感になったんだね。
同時に、デザインを言語化したいという気持ちも大きくなってきて。「かっこいい」とか「インパクト」みたいな曖昧な言語ではなくて、クライアントが抱える課題を解決していく手段としてデザインがあること、そのためにどういうデザインであるべきか、といったことを言語で論理的に置き換えることができれば強力な武器になると考えていた。それまでコピーだけで解決しようとしていたことが、コピーという言語と、デザインやヴィジュアルという言語の二刀流で問題解決できれば、もう誰にも負けないって思っていましたね。
服部 今回の本を見て気づいたんですけど、大貫さんのこれまでの仕事量はものすごく多いけれど、仕事の本数自体は決して多くはないんですね。つまりひとつずつの仕事が長期間にわたるし、その制作物の量がすごく多くなる。それは大貫さんの仕事の特徴なんだなと改めて思いました。
大貫 確かに、ひとつひとつの仕事がどれもかなり長い期間になりがちだよね。必ず結果を出すので、自ずと仕事がずっと続いていくし、10年先を考えた企画をしているから長くなるのは必然でもあるかな。結果を出せなければ自分の価値はないと思っているから意地でも結果をだす。いつまで経っても、まったく守りに入らないし。事情とか常識とか関係なく、常に正しいと思うやり方を提案する。今って、「売れる/売れない」をお客さんに委ねて合わせにいってるでしょ? そうじゃなくて、やっぱり僕は企業の側が主体となって未来をどうしたいかを考えて、世の中を動かしてくぞ!って気概がもっとほしいよね。広告を本当に機能させることができれば、それが可能だと実感しているから。
ところで、服部くんの方のモチベーションは何なの?
二人のデザイナーの異なるモチベーション
服部 え……僕ですか(笑)。そうですね……モチベーション……僕はやっぱり、面白いものをつくりたいなっていう気持ちですかね。
大貫 それは誰にとって?
服部 それを見る人、かな……
大貫 自分じゃないの?
服部 うーん、見る人と自分にとって、ですね。
大貫 やっぱりそこは大きそうだよね。服部くんの作るものは、他人にとってというより、自分にとって面白いかどうかが価値基準になってると僕は思ってた。本当は他人がどう捉えようとどうでもいいって思っているでしょ(笑)?
服部 いやいや、そんなことないですよ!
大貫 それってまったく悪いことじゃない。自分の “面白い”っていう感覚がブレなければ、それも大いにありじゃない。服部くんみたいに、一見悩まずに(笑)軽々と自分のスタイルに落としていくやり方は、僕にはできないから本当にうらやましくて。悩んだうえで、まったく悩んでない感じを作るのがデザインの重要なところだからね。
服部 いや、スタイルっていう意識はできるだけ持ちたくないと思ってるんですけど……(笑)。
大貫 まあ、自分のやっていることもある意味スタイルなのかもしれないけれど、とっても大変で疲れるスタイル(笑)。とにかく目的がはっきりしないとデザインできないから。自分が何のためにこの仕事をやるかというモチベーションがないと企画も始まらないし、無理にでもモチベーションを求めてしまう。少しでも世の中を変えたいだったり、自分が大好きなクライアントのために努力したいってことでもいいし、とにかく意味を明確にしたいわけです。けっこうポジティブなんですよ(笑)。
服部 そういうモチベーションを、仕事の度に毎回意識しているんですか?
大貫 自分がお手伝いしないと上手くいかないとか、そういうモチベーションが見つかればいいんです。そんな性分だから難しい問題ほど燃えるんだよね。上手くいってない話とか聞くと、ピクッ!とすぐ反応してしまう(笑)。それと、おそらく僕は課題を見る目が徹底的に素人なんです。これだけ広告の経験を積んできても、常に“永遠の素人”の目で課題を俯瞰することができる。もし自分に他の人より優れている何かがあるとしたらそこなんじゃないかな。
服部 なるほど、「そもそも」って遡る、その「そもそも」のレベルが尋常じゃないから、仕事の対象に対しても、広告のあり方に対しても、常識を超えて踏み込んだ提案ができるっていうことなんですね。
大貫 “そもそも発想”はほとんど子供の発想に近いですよ。いわゆる常識であったり事情であったり、そう言うものをまったく考えていない。とはいえ、僕は“グラフィックデザイン”っていうのはやっぱりできないなあ。デザインは下手だからね。
服部 そうですか? 滅茶苦茶上手いですよ。この本を見て改めて思ったけど、大貫さんが作るヴィジュアルは全部絵はがき的だし、デザインは全部Tシャツ的ですね。
大貫 あっ、それは僕にとってはすごい褒め言葉だね。
服部 この本の文章にも「典型」という言葉がよく出てきますが、デザイナーは普通、絵はがきとかTシャツみたいな典型的なもの、通俗的なスタイルを嫌って、少しでも人とは違うものを作ろうと考えがちだけど、大貫さんは典型的なものが持っている伝わりやすさや普遍性をいつもうまく使ってる。びっくりするような企画なんだけど、それを定着するときの構図とかレイアウトとかは、いちばん当たり前の典型的なスタイルで、っていう……。
大貫 世の中にとっての典型になることがいちばん大変なんですよ。ちなみにCIデザインの中でいちばん憧れ続けているのが「I ♡ NY」。グラフィックの中であれがいちばんの神様。いつもあそこを目指して自らハードルを上げてるんだけど、あれも僕にとって典型なんです
自分が丸裸になるような恥ずかしさ
服部 典型にするために、文字を置くなら必ず画面の真ん中だし、書体もあえて既視感のあるものばっかり使うし。そうやって大貫さんはいつも、デザインを見せないようなデザインをしているんだろうな、って思っています。
大貫 そうね。たしかにデザインは極力排除するね。文字は脇に寄せないし、斜めにも置かない。デザインの力でごまかしたくない。たとえば高級なデザインに見せるために高級な書体を使うほど、下品なことはないと思っているからね。服部くんのデザインは、「自分はこういう趣味」というのを全部アピールしているでしょう。僕は恥ずかしくてできない(笑)。自分の好きな映画はこれ、好きな音楽はこれ、と言っているようで、丸裸になるような恥ずかしさがある。僕も学生時代から変わらずにいられたら、自分を出すこともできたかもしれないけれどね。
服部 でも今回の本では、そういう部分までかなりさらけ出して書いていますよね。
大貫 今まで話したことのない、作っている過程の、スマートではないことを今回は詳しく伝えるべきかなと思って。
服部 長い小説の上下巻くらいはある膨大な文章量ですけど、「とにかく新しい表現を求めていた時代」から「売れることをとことん追求した時代」、そして「社会のことを意識した志の時代」に至る、大貫さんがたどった道を、ほんとに冒険小説みたいに楽しく読めました。語り言葉の文体だからインタビューをまとめたのかなと思ったら、全部書き下ろしという。
大貫 実はほかにも私小説風とかハウツー本風とか、文体もあれこれ試してみたんだけど(笑)。若い人たちへのメッセージのようなつもりで、これまで話してこなかったことをあえて書きました。集大成のようなデザイン作品集ではなく、今の広告の世界に喧嘩を売るような本にしないと、この本の存在意味がないと思って。だから僕の文章を読んで、嫌な気分になった人もいるんじゃないかなあ。
服部 いやいや、そんなことはないですよ。すごいものを作るってことはこんなにも大変で楽しいことなんだという、それが存分に伝わる本だと思います。それにしても分厚い……(笑)。
大貫卓也|Takuya Onuki
アートディレクター/1958年東京生まれ。80年、多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。同年、博報堂入社。93年、博報堂を退社、独立。大貫デザインを設立し、現在に至る。2015年より多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科教授、翌16年より同学科長を務める。ADCグランプリ、カンヌ国際広告祭グランプリ、ニューヨークADC賞金賞、毎日デザイン賞、日本宣伝山名賞など受賞多数。著書に『大貫卓也全仕事』(マドラ出版/1992)、『大貫卓也(世界のグラフィックデザインシリーズ43)』(ギンザグラフィックギャラリー/2001)、『マイブック』(新潮社/2000年〜 ※企画・デザイン)がある。
服部一成|Kazunari Hattori
アートディレクター、グラフィックデザイナー/1964年東京生まれ。88年、東京芸術大学美術学部デザイン科卒業。同年、ライトパブリシテイ入社。2001年よりフリーランス。15年から多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科教授を務める。毎日デザイン賞、ADC賞、同会員賞、東京TDC賞グランプリ、原弘賞、亀倉雄策賞など受賞多数。著書に『服部一成(世界のグラフィックデザインシリーズ95)』(ギンザグラフィックギャラリー/2010)、『服部一成グラフィックス』(誠文堂新光社/2011)がある。
SHARE