HOW GAMES STIMULATE THE CREATIVITY?

人生は平等でないから、ゲームには価値がある——クリエイティブディレクター 本山敬一が新連載「教科書としてのゲーム」でやりたいこと

フィールドを問わず、人の心を動かす作品をつくってきたSIXのクリエィティブディレクターの本山敬一。仕事において、ゲームから学んだことが何よりも多いと語る彼は、この春「HILLS LIFE Daily」で連載「教科書としてのゲーム」を開始する。なぜゲームなのか? そこにはどんな価値があるのか? ゲームを教科書として、作品を生み出してきた本山の思いが開陳される。[註:本記事には3DSで発売されたゲーム作品『ブレイブリーデフォルト』のネタバレを含みます]

TEXT BY SHINYA YASHIRO
PHOTO BY YURI MANABE

——『Pokémon GO』や『NieR:Automata』といった作品の広告クリエイティブを手がけられている本山さんは、昔からゲームが大好きで、その体験を仕事でも活かされているとお聞きしました。本山さんのクリエイターとしての原点には、ゲーム体験があるのでしょうか。

本山 ぼくはファミコン世代です。だから、ゲームはまず友達としゃべるための共通言語として存在していました。よく友達と『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』の話をしていたんです。ただ、ゲームには遊びとしての純粋でストイックな側面がありますよね。サッカーをやっていれば、プロになれたりモテたりするかもしれない。一方で、e-Sportsもなかった当時は、ゲームをプレイして何が得られるかというと、気分転換以上のものはあまりないともいえる。楽しむということしか、そこにはない。

だからこそ、ふと我に返って、「このゲームは何でおもしろいんだろう?」と考える瞬間があるんです。「なぜこのシーンがグッとくるのか?」「おもしろいゲームとつまらないゲームの差は何だろう?」、なによりも「睡眠時間を削ってまで、数千時間もプレイするのはなぜなんだろう?」と。そうやって問い続けながらゲームをしてきた結果、自分の心が動かされたゲームの演出や構造を、アウトプットに活かせるようになった側面はあると思います。

——その自問自答を始められたのは、いつですか?

本山 ぼくが大学に通っていたころは、ギリギリ、ニューアカデミズムの威光がまだある時代でした。浅田彰や柄谷行人を読むことが文化系の人間であれば必須だったんです。だから、映画サークルだった大学生のころゴダールとかにかぶれて「名作映画の成立要件は何か?」を考えることが多かった。そのため自分が好きなゲームについて問いを投げ掛けることは自然でした。

あと、当時はプレイステーションが出てきて、批評性が高いゲームが多かった。『Rez』や飯野賢治さんの作品のような、ゲームのジャンルを壊そうとする作品が批評的な空気をつくっていたことも原因としては大きいですね。ゲームをつくりながら、ゲームとは何かを考えていたクリエイターが多かったように思います。超大作が増えたいまとは違って、予算的にもチャレンジができたから、コンシューマーゲームにも前衛的なものが存在できるようになったわけです。

受け身で視聴する映像コンテンツと異なり、ゲームではコントローラーを通じた物語や体験への介入が行われる。そんなゲームの特性が、作品に独自の批評性を育んできた。

ゲームを問うゲーム

——「ゲームとは何か」を考えながらつくられたゲームですか……。ちょっと想像が湧きにくいですね。本山さんは、そういう批評性があるゲームがお好きなんですか?

本山 問いがあるゲームをやると、考えることのキッカケになるんですよ。ぼくが3DSで遊べる作品のなかで最高傑作の1つだと思っているのが、スクウェア・エニックスの『ブレイブリーデフォルト』です。物語の中では妖精から助けを求められるがまま、「ホーリー」という魔法で世界を救うことになるのですが、クリアしたと思った瞬間に、最初の場面に戻ってしまう。

仕方ないので、物語を繰り返し、何度か世界を救っていると、ようやく妖精が嘘をついていることが分かってくる。そして、「ホーリー」は世界を救うのではなく、悪の魔王が神の世界に近づくために並行世界の間に穴をあけるための魔法だった、という衝撃の事実が判明するのです。さらに最後の戦いで、魔王が「これでやっと神の世界にたどり着ける」と言いながら襲いかかってきた瞬間に、3DSのカメラが起動して自分の顔が映し出される。神の世界=現実世界(クリエイターがいるから)というメタ構造ですね。カメラというハードウェアの機能が、十二分にストーリーテリングで活用されていることに痺れました。

——それは確かに驚きそうですね! でもちょっとまだ分からないのですが、本山さんが考える面白いゲームには、すべて批評性があるということでしょうか。

本山 面白いゲームは、何かしらイノベーションを起こしていると言えるのかなぁ、と。ただ一方で、ゼロから何かをつくることだけがイノベーションではないはずです。iPodやiPhoneも、極論すれば既存のウォークマンや携帯電話のアップデートじゃないですか。コンテンツについても同じで、フィクションのなかでおざなりになってきた「なぜ?」を再定義してあげることでイノベーションが起きるのだと考えています。

たとえば、ガンダムは「あれほど技術が発達した世界で、艦隊戦でなくなぜ白兵戦があるのか?」というロボットアニメの問いを「ミノフスキー粒子」でアップデートしましたよね(編註:ガンダムの世界における戦場では、「ミノフスキー粒子」が散布されており、レーダーが効かない。そのため、モビルスーツ同士の白兵戦が行われる)。既存の設定やお約束に対する批評性が、ジャンルを発展させてきた側面はあるはずです。

感動を再現するために

——そうやって発展したゲームは、マニア受けするものになるのではないかと想像します。一方で本山さんは、広告というマスに向けたコンテンツをつくられていますよね。

本山 ぼくがゲームの批評性から学んでいるのは「WOW(驚き・感心)」です。広告を考えるときに、どう「WOW」をつくるかという議論によくなります。たとえば映像で人を飽きさせないためには、裏切ったり驚かせたりするような展開が必要です。そういった意味で、ゲーム的な感動を仕事でも活かそうとしているんです。

Google Chromeで、初音ミクをテーマにしたCMをつくったことがあります。日本中の無数のクリエイターが自分たちのアウトプットをウェブに公開することを表現するため、「アップロード」ボタンに、たくさんのマウスが集まって同時にクリックするという表現をしました。このカットは鳥肌が立つと、当時話題になりましたが、ここではオンラインゲームで得た感動が活きています。オンラインゲームでは個々のキャラの裏には、一人ひとりの生身の人間がいる訳じゃないですか。マウスであれキャラクターであれ、顔の見えない他人同士が、1つの目標に向かって熱狂していることは、人の心を動かすことができると思いました。

2011年に公開されたGoogle Chromeと初音ミクをテーマにしたCMで、本山はオンラインゲームでの感動を活用したという。

——ゲームで体験した感動を、別の表現に持ち込むということでしょうか。

本山 自分の受けた感動の理由を突き詰めて、再現するということですね。たとえば、ソニーのハンディカムのキャンペーン「Cam with me」では、1人の女の子が生まれてから結婚するまでの時間を、親の視点から撮影するインタラクティブな仕掛けをつくりました。選択を繰り返すなかで物語が進んでいくタイプのゲームでは、「ああしておけばよかった……」と後悔することがよくあります。ゲームであればもう一度プレイすればいいのですが、人生でそれは不可能です。ハンディカムなら、そんな不可逆性を埋められるのではないか?という思いが根底にあります。

そして、それは感動や驚きだけに限りません。ゲームをやっていると、何万回と同じUIに触れることになります。『ペルソナ4』や『ペルソナ5』は、UIのモーションデザインが本当に気持ちいい。何百時間プレイしても全然飽きないんですよ。だから、BEAMSの40周年の映像をつくるときも、UIが出るタイミングや順番にとにかくこだわりました。

——ゲームを教科書のように参照されているんですね。そんな本山さんが、ゲームそのものの広告に関わられていることが面白いなと思います。

本山 最近ではゲームの仕事が、増えてきましたね。たとえば『ファイナルファンタジーXIV: 紅蓮のリベレーター(以下、FFXIV)』では、自分の「ほぼ実体験」を「MEMORIES」というCMにしました。ぼくは人生でずっと部活をせずに帰宅している側の人間だったのですが、FFXIVで固定を組んで、毎週エンドコンテンツに挑戦することで、初めて「体育会系」がフリじゃなく出来たんですよ(編註:「固定」とは、「固定パーティー」の略で、特定のメンバーで構成されたオンライン上のチームを指す。また、「エンドコンテンツ」とは、ゲームをクリアした後でも何度もプレイできるミッションやクエストのこと)。オンラインでチームを組んでいる仲間と、失敗するたびに「ドンマイ!声出して行こうよ!」と言い合っていたので(笑)。だからこそ、大人になってからも損得勘定を抜きにした純粋な一体感を感じられるゲームであることを伝えたかったんです。

「自分だけの物語」を体験する意味

——仕事を通じて、ゲームへの恩返しをされているようにも聞こえます。

本山 貢献という意味でいうと、自分が大好きだったゲームクリエイターのヨコオタロウさんと『NieR:Automata』でお仕事ができたのは、本当に嬉しかった……。よくMVをつくらせて頂いているamazarashiというバンドと『NieR:Automata』とのコラボを監修しました。ミュージックビデオがDLC(ダウンロードコンテンツ)に収録されることになったので、エンドクレジットに自分の名前が流れたんです。この時は、感無量でしたね。ゲームをつくれるわけでもないのに、好きなゲームに自分の名前が入っちゃってる、という……。

あとやはり印象に残っているのは、『Pokémon GO』です。『Pokémon GO』の制作に至ったきっかけは、Google Mapsのエイプリルフール施策だった『Google Maps Pokémon Challenge』。ぼくはその映像の制作を手がけたのですが、結果的にこのジョークが世界を席巻するARゲームになったかと思うと、胸が熱くなりましたね。その流れで、『Pokémon GO』のグローバルトレイラーも担当させて頂きました。世界でも類を見ないARゲームを映像として表現するのに、多くのゲームのUIのシズルや、盛り上がりの作り方を参考にしました。

『Pokémon GO』のプロジェクトのローンチトレーラー。このなかで本山は自らが培ってきたゲーム体験から、未来のゲームを具現化させてみせた。

——ゲームへの関わり方がどんどん深まっているように思えます。

本山 ただ、ぼくはゲームをつくりたい訳ではないんです。ゲームの魅力や構造、美しさ、感動のパターンを抽出して、ほかのクリエイティブに活かしていきたい。ゲームから刺激を受け続けたいんですよ。

——今回始まる連載「教科書としてのゲーム」では、そんな刺激を読者の方々に伝えることになるんでしょうか。

本山 ゲームをやっていない人たちに、大きな機会の損失だと思ってほしいですね(笑)。「ゲーマー=廃人」みたいなイメージが一部の人には未だにありますが、ゲームをやっていたからこそ成功した人もいるはずです。クリエイターを始めとした最新のゲームに携わる人々に取材をしながら彼らがもつ思想や技法を抽象化していきたいし、ゲームから学んで他の分野で活躍している人たちにもフォーカスを当てていけたらと思っています。

ゲームって人生よりは平等かなと思うことがあるんですよ。オンラインで知らない人と協力してプレイしていると、お互いの声しか聞こえないから、自分の立場や境遇から解き放たれるような感覚に陥ることがあります。いまの時代にあって、自分をリセットできる数少ない場所としての価値が、ゲームには間違いなくある。

それに、ゲームからの学びは、これからの時代、より活きてくると思うんです。映画と違って一人ひとりの体験が異なるゲームでは、そのパーソナルな体験そのものに意味がでるように設計されています。その設計の技法は、SNSが普及し「一人ひとりの自分だけの物語」がコンテンツ化していっている時代の流れのなかで、価値を増していくのではないかと思っています。

profile

本山敬一|Keiichi Motoyama
1977年倉敷生まれ。クリエイティブディレクター。2013年SIX設立。”A Fusion of Technology with Humanity”をテーマに、メディアを問わず、人の心に残る体験をつくる。 主な仕事に、Beams 40周年『TOKYO CULTURE STORY 今夜はブギー・バック』、Pokémon GOのローンチトレーラ―、Google Chrome 『初音ミク』、amazarashiのミュージックビデオ・ライブ演出など。カンヌをはじめとした国内外のアワードで受賞多数。