CITY OF AMORPHOUS

ロンドン・オリンピックと現在の英国の元気——連載:菊地成孔「次の東京オリンピックが来てしまう前に」11

「2020年」に向けて、大なり小なり動きを見せ始めた東京。その変化の後景にある「都市の記憶」を、音楽家/文筆家の菊地成孔が、極私的な視点で紐解く連載シリーズ第11回!

TEXT BY NARUYOSHI KIKUCHI
ILLUSTRATION BY YUTARO OGAWA

第11回:ロンドン・オリンピックと現在の英国の元気

平昌オリンピックに沸く日々の中、『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』という映画の試写に行ってきた。映画自体はとても面白く、史実に忠実な脚本なので、書いてもほぼネタバレにはならない、というか、厳密に言うと、「ほとんどの人が知っている歴史上の事実に、一点だけ、ほとんどの人が知らないエピソードが入っていて、それが映画のクライマックスになっている」というのが正しい。言うまでもないが、その部分に関しては書かない。

原題を『DARKEST HOUR』といい、1940年の5月9日から始まる。これはヒトラー率いるナチス・ドイツが東欧と北欧諸国を制圧し、これから英仏両国に侵攻するかどうかベルギー国境で待機する中、英国内閣不信任案が出され、チェンバレン首相の後任(言うまでもなくそれがチャーチル)探しが始まる。という日である。

ここから19日後の5月28日までが描かれる。5月28日は、チャーチルが、イタリアを仲介とするドイツとの和平交渉を決然と断り、歴史的に有名な演説とVサイン(Vサインはチャーチルが作った)によって、議員たちから圧倒的な支持を受ける日である(のちの事実は字幕でフォローされるが、史実だから高校で習う事だ)。

文句があるとすれば、世界的な潮流としての嫌煙傾向と、アルコール依存症者に対する配慮か、葉巻のチェーンスモーカーであり、朝昼晩と違った酒を大量に飲む習慣があったチャーチルの映画なのに、画面から全くタバコ感とウイスキー感がしなかった事、これはまあしょうがないとして、完全に対称的なパーソナリティーなのに、「演説の力にカリスマが宿っており、演説によって世界を変えてしまう2人の男」としてのヒトラーとチャーチルを、少なくとも演説シーンぐらいはシンメトリカルに描けばいいのに。と思ったぐらいで(ヒトラーはニュースフィルム以外では登場しない)、冒頭に書いた通り、映画は面白い。

ただ、今から余りにバカなことを書くが「でも、そもそもなんで今チャーチル?」という疑問が一瞬脳裏をよぎった。伝記映画が製作される理由なんて、思えば考えたこともないが、ちょっとモヤモヤした。

ひとつは、ついこの間までクリストファー・ノーランの『ダンケルク』が大ヒット公開中!だったせいもある。言うまでもないが、ダンケルクの戦いはチャーチルの一代記を描く場合のクライマックスでもあり、開戦は5月24日、当然この映画に含まれる。

チャーチルは民間の船舶を海軍に集め、ダンケルク撤退に際し、約30万人の英国軍兵士を救出し、続く和平交渉の拒絶、徹底抗戦の表明によって、破竹の勢いだったナチス・ドイツの鼻っ柱を折って、結局勝利する。

要するにちょっとした二部作みたいな感じ(実際は全く関係ないが)に見えたからである。

それと、チャーチル付きのタイピスト役がリリー・ジェイムスで、彼女は傑作『ベイビー・ドライバー』のヒロインである。『ベイビー・ドライバー』は、欧米では『ダンケルク』とほぼ同時期に公開された傑作クライムアクション・ミュージカルで(どう「ミュージカル」なのかは、一番面白いところだが書かない。作品をご覧いただきたい)、監督はエドガー・ライトという45歳の英国人である。

『ベイビー・ドライバー』は、英国人がアメリカ南部を舞台にしたアメリカ映画であり、公開中の『スリー・ビルボード』と、その点が同じであるが、それよりも、『ウィンストン・チャーチル』の監督はジョー・ライトという43歳の英国人である。ブレイクスルー待ちの同じ女優を使っている。検索した。兄弟ではなかった。

話がアッチャコッチャになって申し訳ないが、『ダンケルク』のクリストファー・ノーランは47歳の二重国籍者で、半分は英国人である(半分は米国人)。

徒然なるままに書いていたら既に4本の映画がリンクされている。『ウィンストン・チャーチル』『ダンケルク』『ベイビー・ドライバー』『スリー・ビルボード』である。一番面白い『ベイビー・ドライバー』以外は、米国アカデミー賞、並びにゴールデン・グローブ賞の賞取りレースにひしめき合っている。

何が言いたいか? まずは「今、イギリス映画は、ムチャクチャに熱い」という事である。『ベイビー・ドライバー』と『スリー・ビルボード』なんか、アメリカを搾取した格好になっている訳で(前者の舞台はデトロイト、後者はミズーリで、要するにどっちも南部の話だ。英国人が米国南部を舞台にした米国映画を撮ったのである。トラン・アン・ユン監督の『ノルウェイの森』と同じ格好だ。映画としての強度は全然違うが)、言うまでもなくこれは映画によるブリティッシュ・インベンションである(二重に言うまでもないが、これを半世紀前に音楽でやったのがザ・ビートルズとローリング・ストーンズ等である)。

と、こういった構図が頭の中でつながった瞬間、「あ、チャーチルの理由は英国のEU離脱か」と、誰にでもわかる事が、ちょっと遅れてわかった。英国のEU離脱について、情報として、ではなく、感覚的に理解している日本人というのはどれぐらいいるだろうか?

映画で言えば『英国王のスピーチ』あたりから「新・英国」は始まっていたと思うが、あの映画を見た日本人のほとんどは、脳内にシーベルトとか計画停電とかメルトダウンとか言った言葉が詰まっていて、見ているようで見てはいなかったのではないだろうか? 下手すっとロンドン・オリンピックもそんなもんだったような気がする。あれは確か2012年である。

かくいう私もロンドン・オリンピックの開会式で一番新しいジェームス・ボンドがエリザベス女王とパラシュート降下した時ですら気もそぞろで、「あ、イギリスが変わろうとしている」とガチで思ったのは、直後のロイヤルファミリーの結婚式でキャサリン王妃のウェディングドレスが余りに斬新で美しかったこと、そのデザイナーがアレキサンダー・マックイーン亡きあとのアレキサンダー・マックイーンを引き継いだサラ・バートンだと知った時である。

マックイーンはロンドンのセントラル・セント・マーチンズでデザインを学んだ生粋の英国人だが、ジバンシィでキャリアをスタートさせたという事も関係あったかなかったか、亡くなるまでパリ・コレクションを主戦場にしていた。間違いない天才の、自殺による急逝は、「継げる奴なんかいるのかね。本当に気の毒だが、サラ・バートン無理じゃないか」とほとんどのファッショニスタに思わせつつも、あのウェディングドレスで、大逆転。アレキサンダー・マックイーンは「英国調」をアダプトに成功、完全な自己更新を果たした。

劇中チャーチルは言う。「戦って死ねば、その国は必ず復興できる、しかし降伏して生きながらえても、その国は一生死んだままだ」。これ、ベルギーやポーランドの話っすよねえ?と思うと、いかな「実際にそう言ってんだからしょうがないでしょうよ。史実っすよこれ」と言われても、ちょっとエグくないか?と思ってしまう。

更にチャーチルは言う。「世界大戦というがナチスと戦う国が、わが国だけになったとしても我が国は勝利する!勝利を!」。

アイルランドの南北問題を、朝鮮半島の南北問題とそんなに違わないか、ある意味前者のがヤバいぐらいに思っている私には「ISどこじゃねえ、こっちゃあIRAがいるんだ。問題なんか山積みだよ。そんでも行くんだよ。離脱だEUなんか」という風に聞こえた。そして例のVサインである。

映画はここで終わる。つまり、ナチス・ドイツの殲滅にカナダとアメリカが尽力したことはほぼ描かれていない。チャーチルがヒトラーにストップをかけ、つまり一発良いのを入れた、という事実をして、イギリスがタイマンでドイツに勝ったぐらいの熱量を感じるのである。

アメリカはクタクタだ。厳密には爆笑を続けるしかない地獄のハイに乗っ取られている。「だったら先生が銃を持てばいいんだ」と、あの顔でトランプが真顔で言った時には腹を抱えた。私はトランプはアメリカのバカさと陽気さ、合わせてトンチキ具合というか、そう言ったものをメタ的に取り戻すと考えているが、まだ時間がかかる。鬱が重すぎるからだ。

その間隙を縫ってイギリスは、セカンド・サマーオヴ・ラヴならぬ、セカンド・ブリティッシュ・インベンションならぬ、新UK(NUK)という、政治経済文化全般を更新させた化け物のような存在になりかけている。007リスペクトを2作目にして露わにした『キングスメン』には、肝心要のボンドガールがいない。換骨奪胎とはこのことだ。

大英帝国も、その後の没落も、音楽がヤバいことも、飯がまずいことも、独特のユーモアも、曇天も、ウイスキーも、50年前のポップス革命も、一回全部チャラにして(実際は、「それを踏まえたままで」なのだが、熱量的にはチャラぐらいに感じる)、EU離脱から始めよう。行く手は艱難辛苦ばかり、しかし、だからこそジョンブル魂は燃え盛るのである。

そして、断言するが、ロンドン・オリンピックが中途半端に成功でもしていたら今はないのである。だから東京オリンピックもクソコケれば良い。目も当てられないド滑りでも良いし、凍てつく寒さに凍えるのも良い、そこからのみ、新・東京が生まれるのである。

オリンピック自体が既に姿を変えている。平昌はソウルのようにならなかった、東京は東京のようにはならないだろう。オリンピックは既に、発展途上国を先進国の仲間に入れる力も、いわんや「経済効果」すら期待できないイベントになっている。私はオリンピックに有意義さがあるとすれば、期待するだけしてコケる、という経験が何かを奮い立たせる効果、にしかないと思っている。勝利を! その前に壮大な期待はずれと痛みを!

profile

菊地成孔|Naruyoshi Kikuchi
音楽家/文筆家/音楽講師。ジャズメンとして活動/思想の軸足をジャズミュージックに置きながらも、ジャンル横断的な音楽/著述活動を旺盛に展開し、ラジオ/テレビ番組でのナヴィゲーター、選曲家、批評家、ファッションブランドとのコラボレーター、映画/テレビの音楽監督、プロデューサー、パーティーオーガナイザー等々としても評価が高い。「一個人にその全仕事をフォローするのは不可能」と言われるほどの驚異的な多作家でありながら、総ての仕事に一貫する高い実験性と大衆性、独特のエロティシズムと異形のインテリジェンスによって性別、年齢、国籍を越えた高い支持を集めつづけている、現代の東京を代表するディレッタント。

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