「つらさとか悲しさを抱えることを、弱いと言う人がいるかもしれないけれど、私はそれは、弱さではなく、強くあるために必要なものだと思います。他者の痛みに寄り添って、立ち上がれる力を持っていてほしいな、この人たちには、という気持ちで描いています」
Interview by Sumiko Sato
movie by Shingo Wakagi
堀江栞さんという日本画家がいるの。まだ若いのに、独特のモチーフを描いていてなんだか不思議なの。そう友人に教えられ、堀江さんの絵を見に行った。動物。人形。石。そして、人。細かな筆致で丹念に描き込まれた絵は、決して明るいものではない。それでも、描かれたものも人も、存在自体のある種の強さのようなものを醸し出しているのだった。あの絵はどんな人から、どんなふうに生まれてくるんだろう? インタビューが実現したのは、久しぶりの個展が始まる前で、堀江さんは制作の真っ只中だった。それだけに、描く行為についていつも以上に考えている最中でもあったのだと思う。語ってくれたことばには彼女が描く絵と同様に密度があって、なるべく正確に自分のことを伝えたいという逼迫感と誠実さがあった。この記事が公開されるのは、個展の会期中となる。実物の絵を、ぜひ見に行ってほしい。
——個展までもう1カ月を切っていますね。いまはどんな状態ですか。
堀江 “絶賛制作中”というか、メインの新作が全く間に合っていなくて、かなりピンチです。
——大きな作品ですか。
堀江 はい。神奈川県立近代美術館鎌倉別館での展覧会などにも出していた「後ろ手の未来」という、縦194、横60センチくらいある縦長のシリーズの新作を1点増やそうとしているんですけれど、それが結構たいへんで。何とか頑張ろうと思います。
——そのくらいの大きさの作品だと1枚描くのにどれくらいかかるんでしょうか。
堀江 最低ひと月、できれば2〜3カ月は欲しいところです。厳しい時はもう睡眠時間を削って、できる限り日常のあらゆる時間を制作に回して追い込んでいくしかないという感じです。
——絵は1枚ずつ描くんですか。それとも幾つか並行して描くんですか。
堀江 私は1枚ずつ描きます。複数枚同時に進められる方は割と多いのですが、私は気持ちが込められないというか、何か分散してしまう感じがするので、1枚描いている時はそれしかやらないです。
——何を描こう、というのはどうやって決めるんでしょう?
堀江 こういうふうに選ぼうと最初から決めているわけでもないんです。あくまで私の思い込みなのですが、描きたいと思って描いてみると、そのモチーフがどれも、痛みとか悲しみを内包しているようなものだったと気づくという順序でしょうか、それが自分の中に眠っていた気持ちとつながってくるんです。これまではその多くが動物だったのですが、2016年の留学を経て、「人」が描きたいと思うようになって、近年では人を主に描いています。
——具体的な人をモデルに、見たり思い浮かべたりして描く?
堀江 そういうわけではなくて、留学していた頃に少し関わった人とか、その日その日の記憶の中に残っている人が、自分の中でイメージの層みたいに重なっていって、厚みを持ってきたところから、一つ取り出すというような感じです。ある意味、全員モデルにしているし、全員モデルではないと思います。
でもきっかけとしては、私が生身の彼らの何かしらに触れたということはありますね。何もないところから、全く自分の中に引っ掛かりのない人間を作り出しているわけではない。実体験の中にあるいろいろな人との記憶みたいなものから生まれているのだと思います。
——ある意味、どこにもいない人なんですね。
堀江 そういうことだと思います。
——以前「モチーフを目の前に置いて描く」と書いていらしたので、特に人の場合はそれがどういう感じなのか、知りたいと思ったんです。
堀江 それが、私の中でも変化があって。動物や石や人形を描いている時は、それこそ動物園や水族館に通い詰めるとか、自分で持ってきて手元に置くとか、そういう物理的な近さでずっと見続けていました。
それを重ねてきた結果、私が描きたかったもの、惹かれていたものというのは、その表層の部分ではなくて、先ほど申したような、内面的な、痛みとか悲しみを内包するものだとわかってきた。それは人間であっても動物であっても、無生物の石であっても同じということにも気付きました。
うまく言えないのですが、私の場合は、実際に本人を見て描くことはできないので、その人のイメージに自分が近づいていくんです。
絵を成立させるために、別の人をよく観察して、骨格を確認するとか、輪郭を見るとか、そういうことはずっと繰り返しやってはいくんですが、自分の中の近づき方というか、観察の仕方が変わってきたという気はしています。どのモチーフに対しても共通しているのは、常に自分ができる限り近くに行くという姿勢を持ち続けることです。
——心の中にいるその人の姿に近づいていくという感じでしょうか。
堀江 はい。パリに行ったのが、シャルリー・エブドの事件(2015年)があった翌年で、滞在中にも、南仏で凄惨な事件がありました。シリアなどから、多くの人々が難民となって助けを求めてきているのも見ていたので、命ということをより自分に引き寄せて考えていたのかもしれません。いまもパレスチナやウクライナなど、さまざまな国で信じられないような酷いことが起きていますが、フランスはそのような場所と地続きなので、日本で海外のニュースを見ている時とは、切迫感が全く違いました。たまたま地下鉄で隣りに座っている人の故郷で、いま戦闘が行われているかもしれないとか、そういうことをリアルに考えさせられる環境にいたのも大きかったと思います。
——描いている途中で、その絵がどういうものになるかというのは、変わっていくんですか。それとも最初から完成像が見えている?
堀江 完成像は全然見えていないのですが、描いていく過程でだんだん絵が「詰まってきた」という感覚になることがあるんですよね。物理的に表面が描き込まれて詰まってきたということと、形として詰まってきたという、あくまで自分の感覚的な部分なんですけど。その山を越えると、自分の中でそれがすごく実感をともなってきて、絵に描かれたものが勝手に性格を持ち始めるんです。
そこまでいくと、対象とやりとりをしながら形を掘り出していくような感じで、画面と自分とが関わっていくというか。もともとあるものを自分の中でつかんでいくんです。
——ひと月以上かかるということは、長い時間をその人、というか、そのものと一緒に過ごすわけですね。途中で嫌になっちゃうことはないんですか。これはもうやめようとか。
堀江 基本的にはないですね。飽きるということはまずないし、描いたものを放置するのは、描いたものに失礼というか、申し訳ないと思うので。失敗になるかもしれないと思っても、一応完成はさせて、ちゃんと形にしてあげたいという気持ちがある。そういう意味では、未完成のまま放置している絵はいままで1枚しかないです。
——「詰まっていく」という感じは、幾つか絵を拝見して、分かる気がします。
堀江 イメージとしては、よく野菜を塩でもんでいく時に、ぎゅっとなっていくじゃないですか。私としては枝豆がすごく近いんですけど。けば立っているものがなくなって、締まってぎゅっと硬くなっていく感触に近い。
——枝豆ですか。面白い。密度が高まっていくっていうより、自分との距離がなくなっていくというような感じなのかな。
堀江 自分の中で、ものの輪郭と自分の手のひらが一緒になっていくというか、距離が縮まっていく。自分の五感、特に触覚と結びついて進んでいくというのでしょうか。
でも表面的な密度ももちろん大事で、自分の指の腹で確かめられるようなレベルでの描写の重なり方、その密度が上がってきているかっていうことと、感覚的なところとが合わさっています。
——それがぴたっときたなっていう時、完成するんですね。
堀江 はい。突然、急にこれ以上描けない、ぱちんって、はい終わりっていう時があるんですよ、必ず。そうすると、何をやってもあんまりうまくいかない。やっている作業の効果が出なくなるというか、意味を成さなくなってくるんです。そうすると、これで終わりなんだなって。すみません、終始感覚的な話になってしまって。
絵に入り込む
——とっても面白いです。でも岩絵具で、点のように、とても細かく描いていることも関係があるんでしょうね。
堀江 はい、そう思います。岩絵具を使っていても、刷毛と水でふわっと広い範囲で重ねていく方もいらっしゃいます。私は、細い筆でずっとみちみち描いていって、水でぼかすとか、箔を張るとか、そういう作業は全然しないんです。作家によって全く違うのではないかと思います。
私自身も、日本画家としてというよりは、画家として描いていて。そもそも、最初は美大の油絵科を受験しようと思ったんです。でも有機溶剤のアレルギーを発症して諦めざるを得なかった。安全な画材で描ける科は日本画科しかないという理由で選んだので、最初から日本画がやりたいとか、岩絵具を使いたいという理由で志望したわけではなく、そういうこともたぶん関わっているのではないかと思います。
——絵を描き始めたのはいつ頃からですか。
堀江 小さい頃から何かしら描いていたんですが、絵がないとやっていけないとか、紙と鉛筆があれば幸せだとか、そういうタイプでは全然なくて、毎日一生懸命、必死で付いていかざるを得ないという、余裕がない子ども時代でした。余裕がないというのは、忙しかったとかそういうことではなくて、私のキャパシティーが小さかった。本当に鈍い子どもだったので、周りのスピードに合わせるのがやっとでした。
だからといって学校を休みたいと思うことはなくて、学校は学校で楽しかったですし、勉強もすごく好きで、特に高校までは結構頑張っていました。学校の行事にも入れ込んでいましたし。絵を描く時間はとても大事だけれど、いろいろなことをやった上でできること、っていう認識でした。絵画教室や、学校の休み時間とか、家でとか、いくらでも描くことはできたんですが、自分の中では終始特別な時間でしたね。
——それは特別楽しい時間だったのかな。
堀江 幼少期は特にそうでした。高校生の時に、現実的に進路という問題が出てきて、やっぱり絵が描きたいな、と思いました。
自分があまりに不器用だったので、これくらいの時期に好きなことに行かないと、たぶん中途半端になってしまうだろうなという意識があって。好きな世界に飛び込んでみたい、好きなことだけに4年間まず集中したいという気持ちでした。
——油絵が体質的に難しいというのは、高校になってから気が付いたんですね。
堀江 高校2年生の時に、本格的に美大受験を意識して美術予備校に通い始めたら、ものすごく具合が悪くなったんです。塗装全般も駄目なので、新築とかペンキ塗り立てとか、工事現場でも同じことが起きました。そこからはそういうものに気を付けて、避けながら生活するようになりました。かなり重篤化した時期もありましたが、回復しましたし、基本、原因物質を避けていれば問題はないです。
——大変でしたね。でも、絵を描くという特別な時間をずっと続けてやっていこうと思って、そのままいまに至る、という感じですね。4年間やってみて、どうでしたか。
堀江 まず美大自体が私の体質的にいい環境ではなかったんですね。多摩美(多摩美術大学)は1階に版画、2階に日本画、3・4階に油画のアトリエがあって、何かしら溶剤は漂っている。
入学して何枚かは大学で描いていたんですけれど、このような環境なので、共同アトリエで描き続けるのは厳しくなって、家で描くようになりました。多摩美はかなり自由で、1人で描きたいからという理由で家や下宿先で描く人も結構いましたので、問題はなかったんですけれど。
やはり、にかわや岩絵具や和紙がいくら大丈夫だといっても、例えば絵を描く木製パネルはベニヤ板です。そこに接着剤が入っているので、和紙を水張りすると、揮発します。当時は気が付かなかったんですが、だんだん具合が悪くなっていって。他にもやにを防ぐとか、滲みを止めるとか、化学的な溶剤を使う流れが入ってきていて、全て天然のもので、具合が悪くならないものを選ぶのは、日本画でも結構難しいんです。
あと、これは多摩美の日本画のよいところではあるんですけれど、アクリル絵具とか、他の画材を併用しながら描く人が多いので、それができないのは残念でもあり、制約にも感じました。でも使っていくうちに岩絵具の奥の深さに気づいて魅せられていきました。いくつもの選択肢を与えられてもうまく選べるほど器用でもなかったので、最初から、限られたものしか使えない場所に置かれたことは、かえってよかったと思います。
学部2年までは、課題があらかじめ決まっているんです。入学してまずユリの花が配られて「ユリ」課題、続いて「野草」とか「初夏」。でも、全然自分のリズムで描けなかったというか、描いてはいるんですけれどぴんと来なかった。ユリの花、別にそんな好きじゃないしなとか。せっかく頑張って入学したのに、感覚的に合わない、どうしよう、と焦りが募りました。
これで4年間ちゃんと描き切れるんだろうかと思っていたら、夏休みに入って自由課題が出たんです。何のテーマも与えられなくて、好きなように描いていいですよって。それが一つの契機になりました。キリンみたいなものを描いたんですが、それを描くにあたってずっとデッサンして、仕上げるまでの間の自分の中の集中力や、絵に入り込む感じというのが、これまでに味わったことのないものでした。
こんなに心地よい集中というか、感覚があるのかということに自分で驚きました。それでその作品を講評会に出した時に、先生方からとても温かいお言葉をいただいて、「もうこれでいいんじゃない、あなたは」と背中を押していただいたんです。それが絵を描いていきたいと本当に強く思うきっかけになりました。
ただ、その時も、作家になりたいとかそういうことを考えていたわけではなくて、この強度でずっと絵を描いていきたいと思っただけだったんですが、そこからいまに至ります。
——めちゃくちゃ集中することの快感を発見したということですね。たまたま前回取材した若いギタリストも小学生の時からギターをずっと弾いていて、とにかくそれに集中するのが快感で、そればかりやっていまに至ると話してくれました。そのときも集中するという才能、そして集中できるものを見つける才能を感じました。
堀江 音楽の世界は美術より厳しいと思います。小学生の時からとは、すごいですね。私は、割に昔から細かい作業に集中するほうで、意識が散漫で困ったという経験はなかったんですよね。むしろしっかり集中していろいろやるのが好きだと思っていたのですが、自分で意識していなかったさらに奥の奥にある集中の仕方というのが、その時に分かりました。
言葉にすること、絵を描くこと
——昨年、初めての画集、『堀江栞 声よりも近い位置』(小学館)が出版されましたね。画集を作っている過程で印象に残ったことはありますか。
堀江 非常に思い出深いというか、うれしかったことがあります。最後に色校正を確認するのですが、私が有機溶剤アレルギーなので、実際に現場に行って刷りたてのものを見ることができなかったんです。それで家に色校を送っていただいて、ぎりぎりまで乾かして。乾いたところで、窓を開けながらばっと確認して、何がどう違うかというのをメモして、それをもとに、印刷会社の方やデザイナーさんを交えてオンラインで話し合いをする機会を設けていただいたんです。皆さん、やりにくかったと思うんですが、私のためにそうやって考えてくださって。
そこで色の話をふんだんにできたのがすごく楽しかった。自分の絵を印刷する機会はこれまで何度もあったんですが、一定のレベルまでしか言えなかったんです。色や質感の再現性というところまでは入れなかった。
けれど今回、自分の画集ということで、ありとあらゆる感覚的な色の捉え方まで入っていけた。しかもそれを、デザイナーさんも印刷会社の方も、驚くほどよく分かってくださるんです。それまでは、CMYKのこのデータぐらいの色にしてほしいという言い方で何とか校正をしてきたのですが、このときはそうではなく、私の印象をそのまま、何かここのグレーがやや重たいからもう少しここは剥がしてほしいとか、だけど抵抗感はなくさないでほしいみたいな言い方とか、黄色みが強いからちょっと剥がすけど、色が浅くなるなら、白が浮きすぎないようにしてほしいとか。そういう表現でお伝えしたことを全部印刷の世界の中で捉え直してくださって、それが返ってくるんですよね、次の色校で。それが本当に面白くて。
こちらが言ったことに対してこういうやり方をすればたぶんうまくいくと思うみたいなお話を伺えるのも、とても勉強になりました。あの時間がほんとに私は、ものすごく楽しかったんです。
——その会話は印刷会社の人にとってもとても楽しかったんじゃないでしょうか。それから、画集の中に挟まっている文章がとてもよかったです。文章も、これからも書いていくんですか?
堀江 ありがとうございます。文章を挟むかどうかは、とても悩んだので嬉しいです。そうですね、まだまだ拙いものですが、こういうエッセイはこれからも書いていきたいと思います。ただ、私の書いている文章は、基本に絵があり、絵を描いている自分の感覚があって、そこに並走するような形のものなんです。ちょっと話が逸れてもいいですか。
——もちろんです。
堀江 作品を作っていると、テーマは何ですか、コンセプトは何ですかって聞かれることが非常に多いんですけれど、私はその質問が苦手で、それを言葉にしたり文章にしたりすることに違和感があります。何も考えていないわけではないんですが、テーマとかコンセプトとしてひと言でパっと表せるものじゃないし、逆に言葉を尽くせばいいものでもなく、全部明確にしてはいけない部分を絵にしているので、そこを説明しないと伝わらないのであれば、私の絵の力が弱いということだろうと感じます。
あと、先ほどお話ししたみたいな、対象に近づきたいであるとか、小さな者たちの声を聞いていきたいということは、私の中でずっと変わらないものであって、私自身はそういうふうに絵と関係なく考えているというのが土台にあります。自分がいいと思ったモチーフが集まってきて、それが絵になっていくんです。一枚一枚の作品のテーマとして切り分けられるものでもないですし、一連の作品のテーマはこれです、って言えることでもないので、ポイントで説明するのがすごく難しい。
でもしっかりとコンセプトとして示せないと、何か考えが甘いというか、もっといろいろ考えて描いたほうがいいんじゃないかと言われてしまう。そこの、なぜ自分がテーマやコンセプトという言葉で表現したくないかということだけだったら、詳しく説明できるのにっていうもやもやがずっと溜まっていたんです。
私としては、言葉にすること自体はすごく好きで、理解し合えないと分かっていても、できる限り言葉を尽くして対話していく、議論していくということは、必要な段階だと思っているんです。なあなあに済ますとか、まあ言わなくても分かるでしょっていうことにしたくないというか。もちろん言わなくても分かることはありますが、そこを踏まえた上でさらに言葉の力を信じて進んでいきたい、やりとりしたいという気持ちがあります。
自分の本来言いたかったことは、絵よりも文章のほうが伝えやすいところはあるんです。一人の人間として、画家として、絵以外のさまざまな問題に鈍感ではいたくないので、例えば世の中で起きているおかしなことに対して、これはとても酷いと思うということをずっと、私という人間は考えているんですけれど、そうした時に、言葉で説明できることはとても助けになるだろうと考えています。でもその文章は私にとって表現ではないし、じゃあ、画家なんだから絵で表現すればと言われても、それをネタとして作品にするのは、何か違うと思います。
特に、それが誰かの被害であるとか、土地や歴史に関わる痛みみたいなものである場合に、その痛みや悲しみに伴う感情の動かされ方、エモーショナルな匂いを、簡単に作品に借りてきてしまうと、もともとの問題自体が持っている重さや大きさに自分の作品が乗っかってしまうというか、その問題の威光を借りてしまうということになりかねません。
もっと分かりやすく言うと、自分のやっていることが大したものではなくても、ある問題について考えていると言うことによって、正統性を与えてしまう、自分の作品評価の担保にさせてしまうというようなことは、絶対にあってはならないと考えています。そこは自分でも慎重に、冷静に見ていかなければと思います。
——モチーフにしない、という話は、なかなか強い話です。
堀江 ダイレクトにその問題を扱って、素晴らしいものを制作されている作家の方が日本を含めて世界中にたくさんいらっしゃるので、ただ単に私がそこまでやりきれる力がないということでもあるんです。
まず作品を見た人が何も知らない状態で、背景をこちらが説明しなくても、何だか目が離せないと思わせるような、ある一定以上の強度と存在感がないと、作品としては成り立たないものだと思います。言葉はその後にやってくるというか。背景にあるものの力をちゃんと自分に取り込んだ上で、まったく別の表現として昇華させて、それが同時にそういう問題に対する意識も、見た人の中に呼び起こすようなもの、そういう作品を作っていけるようになりたいと考えています。私自身、全然途上なのですが。
かさぶたのありよう
——「後ろ手の未来」はかなりの大作ですが、この作品が醸し出しているものっていうのは、決して明るいものではない。でも悲しいというものでもない。なかなかひと言では言えないものだなと思ったので、いまお話を伺って、ちょっと近づけたような気がしました。
堀江 いまおっしゃってくださった、明るくないけれど悲しいものではないというのは、私にとってはすごく重要です。悲しみの中にあっても抵抗する意思というか、自分自身を見失わない強さみたいなものは、人であっても物であっても、常に持ち続けてほしいという気持ちはあります。
ただその強さというのは、周りの、何か他の悲しみを排他的に無きものにしてしまうような強さではないんです。つらさとか悲しさを抱えることを、弱いと言う人がいるかもしれないけれど、私はそれは、弱さではなく、強くあるために必要なものだと思います。他者の痛みに寄り添って、立ち上がれる力を持っていてほしいな、この人たちには、という気持ちで描いています。
——今度の展覧会は水彩ですね。しばらく絵を描けなくなっていたということも聞きました。ご自分にとって、以前とは違う作品ですか。
堀江 実はとても衝撃を受けたある出来事があって、1年半、岩絵具で絵が描けなかったんです。絵を描くことそのものが私にとって苦しみの記憶を伴ってしまって、絵が楽しい、幸せな場ではなくなった。絵を描く時の集中力、さっきお話ししたみたいな感じというか、没入していく感覚などの一切が失われて、描けなくなってしまったんです。
半年ほどたって、何かしなくてはいけないなと思ったんですけれど、岩絵具で絵を描く気力や意欲がまだ戻ってきていなかったので、すぐに色が出せるもので、何とか筆を握らなければと考えたんです。それがたまたま水彩絵具で。数年ぶりに取り出したのですが、描き始めて、それが今回展示するドローイングになっていきました。
当時は、それが作品であるとは考えていませんでした。ましてや展示できるものになるとは全然思っていなくて、ただ本当にそれしかできなかった。一日中描いているわけではなくて、少しずつ、やったり、やらなかったりを繰り返す中で、これなんだろうなって、数十枚溜まった時に思ったんです。なんとなく顔に見えるものがいっぱいあったんですが、顔とか人を描こうとしていたわけではなかったので。
そのうちに、これはかさぶたなんだな、自分にとっての、と気づきました。画集にも入っているエッセーの中の一つに、昔の辛い記憶を書いた「かさぶたは、時おり剥がれる」というのがあるんですが、そこに、傷は治ることはないけれども、かさぶたで覆い隠して、でもそれは時々剥がれたりもするんだというように書いていたことがふっと思い出されて。たぶん、いま私はかさぶたを量産していて、何かいろいろ覆おうとしているんだろうなと思ったんです。そこで、かさぶたということにして、取りあえず描き続けていきました。
——「かさぶた」がたくさんできたんですね。
堀江 そうですね。750枚ぐらいあります。大体12×18センチぐらいで、大きくて20×20センチぐらい。最初はきれいなブロックのスケッチブックを半分に切っていたのですが、ロール紙を使ったほうが大きさが選べていいんじゃないかと思って切り始めたら、自由にできるはずなのに、かさぶた自体の大きさはあんまり変わらなかった。紙のサイズに関係なく、しっくりくる大きさが、私のなかで決まっていたんでしょうね。そんな感じで増えていって。普通に市販されている水彩絵具の全てが使えるわけではなくて、たまたま自分に合った安全なものを見つけられたので、それで描いています。
——それしか描けなかったのでしょうけれど、使える画材が広がったという一面もあるかもしれないですね。
堀江 私は本当にこれでいいのか分からなかったんですけれど、ありがたいことに割に面白いと言ってくださる方が多くて。ほんとに?って言いながら、このかさぶたを並べたりしているんです。
——岩絵具の作品とは密度が全然違いますね。
堀江 そうなんです。描き込まないと不安になるので、このふわっとした水の仕事だけで大丈夫なのかなとは思うんですが。でもこれしかできなかったので、こういう時期があってもよかったのかなと。このシリーズをこれからも描き続けるんですか、とよく聞かれますが、それも自分ではよく分かりません。
せっかく生活の中に水彩、ドローイングを描く時間が入ってきたので、できればこの習慣は残したいなとは思いますが、たぶん私にいろいろ起きたことがかさぶたを生んでいるので、そのかさぶたのありようというか、出方もまた変わっていくだろうなという気がしています。これは自分でもどうなっていくのか分からないですね。
——いま、仕上げようとされている新作は、また岩絵具ですね。
堀江 1年半考えて、たくさんの方に支えていただいて、何とか立ち上がるぞという決意で描くって決めたんですけれど、なかなか進まない。下描きはして、和紙に写しても、なんとなくストップがかかってしまって、それを、この「間に合わない」という勢いで越えていけないかなと思っています。
他者のための場所
——展覧会を前にして、いまは絵以外のことに費やす時間がないかもしれませんが、普段はどんなふうに過ごしていらっしゃるのでしょうか。
堀江 絵を描き始めた時は、だいたい一日絵を描いているだけなんですけれど。あとは映画を観るとか本を読むとか、美術館に行くとか、それぐらいしか幅がないですね。たぶん自分で気付かずにぼーっとしていることもかなりあると思うんですが、何かしら考えている時間にはなっていると思います。
4月から母校の多摩美の日本画科で非常勤講師を務めています。大学に行くのは週1ですが、朝から始まるので、夜型の私は2~3日前から生活サイクルを朝型にもっていくようにしています。大体失敗して、ほぼ寝ないで行くことのほうが多いんですけれど。
——学生と話すと、また違ったことが起きるんじゃないですか。刺激があるというか。
堀江 講師である以上、学生さんより強い立場になってしまうので、接し方には気をつけていますし、緊張はしますけど、絵を描く人同士で感覚を共有できるのはとても楽しいです。作業している上での引っ掛かりとか、手仕事の話みたいなことができるのは、とても嬉しい。絵を外に発表していくと、コンセプトの話にはなっても、マチエールとか色がどうかとか、絵具の選び方とか、重ね方がどうかっていうところは、あまり言及していただけないので。
特に岩絵具の細かなことに関しては、自分でよほど言わない限りはあまり話題に上らないんです。でも学生さんとは、「ここの絵具、少し浮いていませんか?」とか「ここはあと1色かけないと、ここだけ軽いかもしれないから、こっちの詰まった作業と比べると、ちょっとバランスがあれかもしれないですね」とか、そういう話をして、お互い納得しながら進められるのが面白いです。
私は学生さんに対しては、基本、皆さんの持っているいいところをたくさん挙げるようにしています。自覚しているものと、分かっていないところ、当たり前になっちゃっていることがあると思うので、ここすごくいいですよね、ここ変わりましたよねっていう、制作の経過を見ながら、そういうことを一緒に話しています。
そうすると学生さんも、自分の絵の作業や絵を描いていくことについての言葉が、どんどん増えていくような気がして、私としても嬉しいです。
とにかく1年目ということもあって、ひたすらアトリエを回遊して、皆さんに声をかけつつ、何かあった時にはいつでも気軽に相談していい人であるということを覚えてもらおうと思っています。私もそうだったんですが、同じ世界にいても、少しだけ年齢が離れていたり、若干立ち位置が違ったりする人と話すと、おのずと考えが整理されていくことってあると思うんです。私としては何かすごく有益なアドバイスをしているわけではないんですが、そういう形で使ってもらえたらいいな、と。何かあった時に、一応絵は描いていて、不思議な場所にいるあの人に、いろいろ浮かんでいることを話してみようかな、っていうように捉えてもらえれば、少しは役に立つんじゃないかなと思っています。
——いい先生ですね。
堀江 言葉通りにできていないかもしれないんですけれど。
——好きな作家はいらっしゃるんですか。
堀江 日本画ではありませんが、日本で言うと松本竣介や岸田劉生など、近代の洋画家が好きです。
——神奈川県立近代美術館 鎌倉別館での松本竣介の展覧会(「生誕110年 松本竣介」)では、同時期にご自身の展覧会(「堀江栞—触れえないものたちへ」2022年4月29日〜5月29日)が開かれましたね。
堀江 本当にいろいろいいご縁をいただけて、ありがたかったです。現代の作家と美術館所蔵作家から二人を特集して、一つの視点で読むという試みの第一弾という形でした。幼い頃から好きだった大切な作家と、同じ空間に自分の絵を並べてもらえて、こんなに幸せなことはないはずなのですが、実際には、嬉しいを通り越して緊張するばかりで、会場に行っても、竣介の作品をずっと見続けていました。
——文学はどうですか。
堀江 エッセーや小説を手に取ることが多いですね。幸田文が好きです。ものすごく嫌なことを、悪口ではなく、独特に書いているじゃないですか。嫌だったんだろうなあ、これ、っていうようなことを、こんな目線で書けるのかというのが、とても面白くて。小島信夫なども、ちょっと言っちゃうと意地悪になりそうなことを表現にしている。びりびりしますね。時代的なことで、違和感のある表現も見られますが、それはおいても、やはりその人独自の文体があり、力があるところに惹かれます。
——ちょっと意地悪な感じ、わかる。
堀江 どこまで意識的に書いているのか、周りにどう思われるのか気にならないのかなとか、つい考えてしまいますね。
——ようやくまた岩絵具で描き始めたいま、あまり先のことは分からないかもしれませんが、何年か先の自分について何かイメージしていることはありますか。
堀江 全くないですが、でもとにかく絵は描き続けている自分であってほしいと思っています。それから、私が多くの方に助けてもらった過程で、その方々が、ご自身のお仕事もしっかりなさっている上で、私に寄り添ったり、力を貸してくださったりしたので、私も自分の仕事を充実させて、説得力があるものにしながら、他者のための場所をちゃんとつくれるような作家になりたいという願いがあります。難しいとは思うんですけれど。
——きょうはありがとうございました。
佐藤澄子|Sumiko Sato
1962年東京生まれ、名古屋在住。クリエーティブディレクター、コピーライター、翻訳家。自ら立ち上げた翻訳出版の版元、2ndLapから『スマック シリアからのレシピと物語』発売中。訳書にソナーリ・デラニヤガラ『波』(新潮クレスト・ブックス)がある。
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