佐内正史は出身地・静岡市の写真を20年以上も撮りためていた。それを今年の夏、静岡市美術館ではじめて見せた。発表していなかった理由は、地元を撮ることの「重さ」。作家の個性よりも、写真そのものの個性を常に意識する彼らしい態度といえる。
text & edit by Yoshio Suzuki
佐内正史の写真を見たとき、人はどう思うのだろう。多くは、そこにそのようにあることのそのままだね、ではないだろうか。
そこにそのようにあるものが作品になること。なぜ、そう成立するのか、もっと言えば、なぜ、佐内なら成立するのか。
1997年に発表した写真集『生きている』を見たとき、こういう写真集が成立すること自体が新しいのかもしれないとだけ思った。クルマ、庭木に水をやる人、電線、行き止まりの道、誰もいないグランド、観葉植物……それらが脈絡なく続く。珍しい風景ではない。写真に撮るべき風景か(それはもちろん自由だが)、大判の写真集にまとめる写真か(それももちろん自由だ)。
この写真集はロングセラーとなった。いっとき版元で品切れしていたときにはプレミアがついたほどである。
佐内はそんな作風で、出身地の静岡市とその周辺を20年以上にわたって撮影してきたのだという。彼に関してはそれはわかる気がする。発表するしないに関係なく、撮っているということが。やはりそれをずっと発表されることはなかったのだが、7〜8月に静岡市美術館での展覧会が企画され、新作を加える形で発表に至った。その展覧会を再構成したのが、このamanaTIGPでのこの展示だ。
公園の遊具、高速道路のサービスエリア、クルマ、新幹線、ビル、家、植物、海、富士山。静岡で撮った写真でまとめた写真展のタイトルを「静岡詩」とした。どこにでもありそうな風景を撮っているように見えた写真家だった彼にとって、地元、出身地というものは特別なもので、冷徹なというか、乾いたというか、そんな彼の作風からして、その特別さは邪魔をするのではないだろうか。
特別な土地とそうでもない土地で写真が変わるか変わっていないかを観察してほしい。
展覧会開催を機に、佐内の自主レーベルを版元として、写真集『静岡詩』(対照刊、2023年)が発売されている。
佐内の作品集には珍しいことだが、作家本人による長めの文章が綴られている。一部を抜粋してみる。
「清水で撮影してぐるぐる周って静岡市美術館に行く途中、カーナビに先導されながら踏切待ちで横を見ると柚木駅だった。撮らなかったけど写真に撮らなくても写真だった」
「写真を撮るのに私の地元が邪魔をする。写真は写真の個性を撮るもので私の個性を撮るものじゃない」
違う個所でまったく同じフレーズがくり返される。
「写真に撮らなくても写真だった」
「写真は時間が止まっていて、よくわからないものだから、誰かに見せると、時間は、止まった時間ではなくなり、写真の時間は動きだす。写真を撮る前の時間、写真を撮った後の時間」
写真によって、空間を切り取り、時間を切り取る。そんな時間を切り取ることにいて、さまざまな考えが頭を過っているのだろう。そして、シャッターを切ることもあれば、そうしないこともある。撮ったかどうかは、もしかしたらたいした問題ではなく、写真として成立したかどうかなのだ。「写真に撮らなくても写真だった」写真は我々には見えないけれど。
鈴木芳雄|Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。明治学院大学非常勤講師。雑誌「ブルータス」元・副編集長(フクヘン)。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。雑誌「ブルータス」「婦人画報」「ハーパーズバザー」などに寄稿。
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