NEVER ENDING STORY

最新の奈良美智論『奈良美智 終わらないものがたり』を読む

日本を代表する現代美術家、奈良美智。青森県弘前市出身。愛知とデュッセルドルフの美術大学で学び、国内外各地の美術館で展覧会を成功させてきた。彼の辿った道を丹念に追い、いくつかの節目で変わる表現をていねいに検証している伝記。2010年以降の彼を描く数少ない資料であると奈良自身が語る本書、イェワン・クーンの『奈良美智 終わらないものがたり』(青幻舎)から読み取るべきこととは?

TEXT BY Yoshio Suzuki

国内外において高く評価されている美術家の一人、それが奈良美智である。少し前の森美術館の展覧会「STARS展」に参加しているが、その作家たちの中でもひときわ輝ける星、それが奈良だろう。その作品は海外の有名美術館が重要な作品として所蔵しているし、コレクターたちはこぞって収集したがる状況が続いている。オークションに出れば、その落札価格はしばしばニュースになる。

吊り目をした、ちょっと大人たちにひとこと言いたそうな女の子。手にはナイフを持っていたりする。かわいいだけじゃない。それが良かったのか、あるいは見る人が自分の子ども時代を振り返り、けっして純真無垢なだけじゃなかったあの頃を思い出す。それをこの画家はよくわかっていると共感されたか。「コワかわいい」などと囃され、一躍注目された。

《Girl with Eyepatch》2018年

その奈良美智のモノグラフ、つまり「奈良美智論」が2020年3月(まさに新型コロナが地球を襲ってきた頃)に英国の出版社PHAIDONから出版された。原タイトルはそのまま『Yoshitomo Nara』である。このたび、その日本語版が出た。タイトルは『奈良美智 終わらないものがたり』となっている。アーティスト奈良美智のネバーエンディングストーリーだ。それを書評していこう。

イェワン・クーン 著 / 河野晴子 訳『奈良美智 終わらないものがたり』青幻舎

本書は美術史家で香港大学芸術学部准教授のイェワン・クーンの著書。この著者はロンドン大学で学士と修士、ニューヨーク大学で博士号を取得した。中国や日本の美術および建築を専門としつつ、現代アートの評論やキュレーションも行っている。

『奈良美智 終わらないものがたり』より

そんな著者の「奈良美智論」だが、この1冊におよそ400点の画像を収録しているので、奈良の主要作品をほぼ年代順に網羅した作品集でもあるし、奈良の幼少時代からのスナップショットや旅の写真も掲載されている。さらに日本語版では新作9点が特別掲載されている。これらのことからわかるように、奈良サイドが全面的に協力しているのだろう。

本書は5章で構成されている。

1章 それは音楽から始まった
2章 頭の大きなあの少女たち
3章 他者との協働
4章 カメラを携えての旅
5章 北への回帰

飼い猫と奈良氏、弘前・1966年

本書の書き出しはこうだ。「奈良美智は1959年、青森県の小さな城下町の弘前に、9歳と7歳の兄をもつ3人兄弟の末っ子として生まれた」。これは今、日本に住む我々でもこう書いたとしても違和感はないかもしれないのだが、確かに弘前は「小さな城下町」ではある。しかし、歴史を辿ると実は明治4年の廃藩置県により設置されたのは弘前県であり、のちに青森県となる。それとともに県庁も青森市に移る。この移転には北海道開拓などの足がかりとしての役割があるのだろうが、弘前は先に重要な都市であった。たとえば青森県唯一の国立大学は弘前大学だし、私立大学も多くあり、学園都市的な特徴は文化度の高さを示している。

公園でのライブで歌う奈良氏、名古屋・1984年

そんな奈良の幼少期から始まり、なんと8歳でラジオを自作し、青森県内の三沢基地のアメリカ空軍基地内の音楽専門ラジオ局が流すアメリカのロックやカントリーミュージックの洗礼を受けたことが綴られている。高校生の頃には、手伝っていたロック喫茶の先輩の大学生から絵の才能を認められ、美術大学への進学を勧められたこと。そうして武蔵野美術大学に入学したものの支払うべき学費をヨーロッパ旅行に注ぎ込み、結局、武蔵美は退学。愛知県立芸術大学に入学し直したこと。

こういったストーリーがていねいに、また当時の写真や作品図版とともに進んでいく。380ページを超える大著だが、図版が多いのと、巻末に註や作品データなどがまとめられているので、意外にいいペースで読み進められる。

《Only Faces Appear in My Mind》2000年

本書では、村上隆が提唱したスーパーフラットと奈良との関わりあいが詳しく解説されていたり、コラボワークをした画家の杉戸洋、家具などをプロデュースする集団、grafなどについても触れられている。また、奈良がオマージュ作品を捧げた、19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したジョージア(旧称グルジア)の画家ニコ・ピロスマニの作品が紹介されていて参考になる。もっと多く同時代あるいは先達の作品を引き合いに出すなどしてもらえたら美術史における奈良の立ち位置も明確になっただろう。たとえば、同世代のアメリカの画家、ドナルド・バチェラーや、あるいは歴史をさかのぼって、16世紀のフィレンツェで活躍したアーニョロ・ブロンズィーノの作品などと見るとどうなのだろう。

『奈良美智 終わらないものがたり』より

奈良はこんなツイートをしている。時期的に本書の校正を進めていた頃のものか。

「美術関係者に会うと自分のことに関して’00年代から何もアップデートしていない方が多くて、自分の美術界での存在はそんなもんなんだと妙に納得する。生まれてからどういうふうに美術に出会い関わってきたか、そしてつい最近のことまで語られている本です! アップデートされた奈良美智論をどうぞ!」(2月16日)

本書の骨子になっていることだが、アーティストとして奈良にはいくつかの転機があった。その大きな一つはドイツから帰国し、日本の公立美術館では最初の大規模個展となる横浜美術館の「I DON’T MIND, IF YOU FORGET ME.」(2001年)の開催だ。この頃から奈良はまるでロックスターのような人気を獲得する。この展覧会は5都市を巡回した。美術専門誌だけでなく、カルチャー誌や音楽誌、ライフスタイル誌が奈良や彼の作品、展覧会を取り上げたことで、奈良の知名度は著しく高まった。

『奈良美智 終わらないものがたり』より

この展覧会を機に拠点を日本に移した奈良だが、以後、国内外各地での展覧会の引き合いが増えるなど、一層の活躍を見せる。次にやってくる大きな転機は、これは活動とか、表現の挑戦というよりも、奈良の意識の問題の側が大きいと思われるのだが、2011年の東日本大震災に遭遇したことである。

「’00年代から何もアップデートしていない方が多くて」というが、つまり、東日本大震災頃までの奈良についてはよく知ってる人たちも、震災で大きな意識変革のあった奈良のことをそれほど読み取れていないと言っているのではないかと思われる。さらに、同年2011年の12月には奈良の2010年までに制作した作品のカタログレゾネにあたる『奈良美智 全作品集 1984-2010』が美術出版社から出版される。もちろん、活動は続いているものの一つの区切りのようにならざるをえなかっただろうし、作家本人も編集に携わっていることで過去作をすべて見渡す機会になっただろう。

そして、翌2012年、横浜美術館での2回目の大規模個展「奈良美智:君や 僕に ちょっと似ている」の開催である。

『奈良美智 終わらないものがたり』より

本書では2011年以降の奈良の変化を「北への回帰」というキーワードで表している。

震災が与えた心境の変化からだろうか。アーティストとしては国際的に活躍する一方で、北海道白老町にある廃校をアトリエにした「飛生アートコミュニティー」に参加して、森づくりなどの活動に関わったり、自分のクルマで地域をまわって小さなトークイベントも開いた。本人によると「歳をとったせいもあるかな」などという言い方もしている。

のちに雑誌のインタビューでこんな発言をしている。

「自分はずっと絵を描いて、その作品がたくさんの人の目に触れてきたんだけど、一方で、もっと小さな単位で、つながり合える人たちと暮らして死んでいくことが大事じゃないかって思えた。震災の時は、自分が『美術家』であることに無力感や苦しさを覚えていたけど、自分を構成するのは美術だけではないと思うようになったら、いろいろな興味も湧き出した」(『THE BIG ISSUE』2021/2/1)

華やかにアーティストとして脚光を浴びているところはメディアは喜んで取り上げるが、本人の意識が変わり、それに伴いはたから見れば行動が地味に見えるようになったことや、あるいはときに沈思黙考している状態は気づかれにくいし、取り上げることも難しい。そもそも本人もそういう心境をインタビューで積極的に語らなかったりする。だから、’00年代(2010年)までの自分のその先が知られてないと奈良は感じたのだろうか。

『奈良美智 終わらないものがたり』より

その後、制作においては新しいスタイルを定着させていく。基本的に正面を向かいこちらを見据える少女たちの上半身像を描いていくのだ。正面向きの肖像画という伝統的なモチーフ、大胆な構図に繊細な描写。このスタイルの絵について、本書の著者イェワン・クーンと奈良の作品や活動を長く追いかけてきたインディペンデントキュレーターの吉竹美香の対談から引用しておこう。この対談は2020年10月、英語版出版を記念して奈良が所属するギャラリーが主催したオンラインイベントだった(訳は筆者)。

クーン 彼がこの上半身像の少女たちに対して行ったことの一つは、手に持っていたナイフなど取り払ったことです。双葉もない。少女だけ。とても静かです。彼は、見る人がこの作品の前に立ち、作品と向かい合うことで、自身の内面を見つめることを望んでいるのだと思うのです。

吉竹 そうですね、私にとっては抽象画のようなものといえましょう。肖像画なのにも関わらず、この絵はつまり、崇高さやマーク・ロスコの絵のようなものをもたらしてくれます。彼は現代美術と光を、そして光がどのように影響するかを本当に見ているんだと思います。そして、何層にも重なる顔の色素からまさに光が浮かび上がっているように見える気がします。

クーン そうですね。頬の部分は特に輝いていて、彼の明るい色の使い方が可能にしているのですが、絵画自体から、つまりそれは人物から、内なる輝きのようなものが出ているように見えます。でもそれはもちろん絵具から出ている。素晴らしい色彩の実験でもあるのですが、考えてみれば、とても稀有な美しい絵画です。

現在、森美術館で開催中の展覧会「ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会」にも奈良の作品が出品されている。実際の作品を見て、本書を読んでいくことでより理解が深まるものと思う。

奈良美智《Miss Moonlight》2020年 所蔵:森美術館(東京) 展示風景:「ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会」森美術館(東京)2023年 撮影:古川裕也 画像提供:森美術館 ■2023年9月24日まで同展「哲学」のセクションで展示中

さらに、今年は10月から青森県立美術館で奈良の大きな個展が予定されている。展覧会の詳細な内容についての発表はまだなのだが、本書を読んだらきっとそれにも行きたくなるだろう。読んで、展覧会を見て、この同時代の最高の画家の理解をする絶好の機会が今年来る。

 

profile

鈴木芳雄|Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。明治学院大学非常勤講師。雑誌「ブルータス」元・副編集長(フクヘン)。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。雑誌「ブルータス」「婦人画報」「ハーパーズバザー」などに寄稿。