輝くネオンのオブジェ、あるいは文章。それだけで美しく思える。そして読み解いていくと、それはこのアーティストがいくつものジャンルを渡り、広範な知識からの引用を自らの作品に昇華させたものとわかる。港区内2カ所で同時開催の展覧会を見に行こう。
Text by Yoshio Suzuki
Photo Courtesy of TAKA ISHII GALLERY
ここは赤坂の草月会館1階。ガラス越しにも見える石庭「天国」である。今さらだが一応説明しておくと、この建物は丹下健三の設計であり、この石庭はイサム・ノグチによるものだ。
そこに床から天井まで届く3本の光る円柱が立ち、クリスタルガラス製のフルートが放射状に配置された円環が2つ。これはときどき自動演奏を始める。そして、日本語の漢字仮名まじり文がネオン管で表示されている。改行もなく、一文が長く、内容も一見して難解な様子を感じる。
これはウェールズ出身で、現在はロンドンを拠点とするアーティスト、ケリス・ウィン・エヴァンスの作品である。80年代までは実験的な映像作品を手掛けていた彼だが、90年代以降はネオン、鏡、サウンド、花火などを表現メディアとしている。作品の根本にあるのは独自の引用である。引用元は文学、哲学、映画、音楽だったり、天文学、物理学だったりする。
日本語で綴られた文章はマルセル・プルーストの長編小説『失われた時を求めて』の翻訳の一部だ。同書の第四篇「ソドムとゴモラ」からの引用ということで、なにかタブーを伝えようとしている作品なのかと思わせる。というのも「ソドムとゴモラ」というのは旧約聖書の「創世記」に出てくる罪深い町、エホバが天から硫黄と火を降らせて焼き払った町の名前でその罪とは同性愛のことである。
そのことを暗示しておいた上で、ここでは直接的にそれには触れず、噴水における水の吹きあげに焦点をあてているようだ。長い引用の中の一部を引いてみる。
「一本の線に見えるこの連続した水は、少し近寄ると、吹きあげのどの高さにおいても、砕けそうになると、その横に並行して吹きあげる水があらたに戦列に加わることによって保持されていることがわかる。この並行する吹きあげは、最初の吹きあげよりも高くあがるが、さらなる高みがすでにこの第二の吹きあげにとって重荷になると、こんどはそれが第三の吹きあげへと引き継がれる。」マルセル・プルースト作/吉川一義訳『失われた時を求めて 8』(岩波文庫、2015刊)pp.137–138
水が吹きあげ、重力で落下し、次の水が吹きあげられ、と繰り返す様が描かれている。そして、作品のタイトルは《F=O=U=N=T=A=I=N》(2020年)ということはそういうことだろう。タブーを描くと見せかけておいて重力について描いただけ? しかし、タイトルからはプルーストと同じ国、生きた時代の一部重なるマルセル・デュシャンをも当然のことながら思わせる。日本語ではしばしば《泉》と訳されるあの問題作の原題は《Fontaine》である。
ともかく、ケリス・ウィン・エヴァンスは『失われた時を求めて』から噴水の描写を引き出し、作品に仕立てた。文学という器に収まっている物語(描写)をマテリアルや形状、仕組みの異なる別の表現の器に移し替えるというのがエヴァンスの仕事で、それはしばしばネオンを使った作品として現れる。
今回も、点灯し消灯しまた点灯する3本の光の柱が立っているが、これは噴水の描写を置き換えたものとして見せてもらった。同時にここに加わっているのが、37本のクリスタルガラス製のフルートとコンプレッサーで構成される《Composition for 37 flutes》(2018年)で、プログラムによる自動演奏作品だが、会場の一角で静かに呼吸するように和音、さらには不協和音を奏でる。
能では囃子方が奏でる笛の音は舞台に独特の緊張感をもたらし、この世とあの世を行き来する幽玄の世界を作り上げる。そもそも笛の音は五線譜で表すことができず、西洋音楽とは異なる音階をもつと言われるが、ここではそれを美しい透明ガラスという見た目、そしてコンピュータとコンプレッサーでつくり上げたのが現代的。見事だ。
能舞台の鏡板に描かれた松ではなく、いくつか配置された松の木も、このイサムノグチの石庭《天国》を能舞台に見立てたことを明確に示してくれていたのだ。しかも、ネオン管や自動演奏プログラムという装置に対して、有機的な、というか生命体としての樹木の存在があり、電子音ではなく伝統的な笛の音が流れることで、示されるのは時間の概念なのである。
草月会館の会場と同時に、六本木のタカ・イシイ ギャラリーでも「ケリス・ウィン・エヴァンス」展が開催されている。
ネオンで書かれている文字は
Look at the picture, how does it seem to you now…
Does it seen to be persisting?
短編実験映画「The Cut Ups」(1966年)から引用された一文だそうだ。
拙訳すれば
「その絵を見て。どう思う……こだわり過ぎ?」
こちらはテラスを持つギャラリーをうまく使った演出がなされた展示空間になっている。
鈴木芳雄|Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。明治学院大学非常勤講師。雑誌「ブルータス」元・副編集長(フクヘン)。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。雑誌「ブルータス」「婦人画報」「ハーパーズバザー」などに寄稿。
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