Atelier visit with ATSUSHI FUKUI

画家・福井篤の〈見えてないもの、まだ見ていないもの〉———連載「アトリエ探訪」❻

画家はいかにして画家になるのか。『スター・ウォーズ』や『未知との遭遇』でSFに目覚め、欧米のコミックに憧れた少年は大学でも絵を学んだ。音楽活動に集中したこともあったが、やはり絵に帰ってきた。大きなチャンスがきたとき、彼はそれを逃さなかった。評価され、自信をつけ、画家の道を切り拓いた——。巨大な水晶が地面を突き破る島の絵を見ながら、そんな話をした。

TEXT BY Yoshio Suzuki
PHOTO BY Mie Morimoto
ART WORKS © Atsushi Fukui
Courtesy of TOMIO KOYAMA GALLERY

特急あずさから降りて改札を抜けると、画家、福井篤が迎えに来てくれていた。そこから数十分。彼の運転するクルマでアトリエに向かう。途中、富士山が美しく見える。

八ヶ岳の麓の町。2階建+ロフト付きの建物が福井のアトリエ兼自宅だ。1階がアトリエ、2階をリヴィングとして使用し、ロフトを寝室にしている。1階に薪ストーブがあり、煙突が2階に貫通している。

小山登美夫ギャラリー天王洲で開催中の個展「結晶の島」の準備が進められている時期、ほとんど最後の仕上げをしているときに訪問した。アトリエには絵のモチーフになっている水晶が置いてあったり、木彫の熊もある。旅行の写真がピンナップされていたり、たくさんの本やCDが詰まった棚もある。

キノコは福井にとって、針葉樹と同じくらい重要なモチーフだ。

福井篤は1966年、名古屋市生まれ。85年に東京藝術大学に入学し、89年に卒業。その後、主に音楽活動中心の日々を送っていた。そのため、初個展は2001年と画家としての活動スタートは遅かった。少年時代、『スター・ウォーズ』『未知との遭遇』などに出会って、SFへの関心を高めた。また、フランスのマンガ家、メビウス(本名ジャン・ジロー)の作品に触れたことも大きかった。なるほど、福井の根っこの部分にそれらがあるのは納得できる。

東京藝大に入学した彼は東京・練馬の上石神井にあった大学の寮に入って、4年間を過ごした。

「卒業したあと、寮のそばの不老荘というアパートに住みました。そこがすごく面白いところで、ちょっと広い芝生の庭があって、エントランスには椰子の木みたいなのが植わっていて、建物は手づくりの不思議なコンクリートの洋館みたいな感じ。トロピカルなのか、西洋風なのかわからない。10部屋くらいあって住んでいたのはほとんど知り合い。そこに7年くらいいたかな。作家の杉浦日向子さんも部屋を借りていたそうです」

「水飲み鳥」とか「平和鳥」と呼ばれる動くオブジェ。知育玩具。

その後、国立、荻窪、府中と中央線周辺に住んだ。そして、今のここ。

「ミュージシャン仲間のその友人がここら辺に住んでいて、そこに来たことがあったんです。クルマに乗せてもらって、いろいろなところに連れて行ってもらったりして、そうやってクルマで生活圏を移動する生活もいいなと思いました。都会でもクルマに乗ればいいんだけれど、それとはちょっと違う。もちろん自然もいいなぁと思ったのはまず、あったけれど」

駅からクルマで畑や林を見ながら走っているときに、空と山と平地のバランスや針葉樹の並び方を見ていて、福井の絵のようだと思った。

複数の絵を並行して描くことはなく、一つの絵の完成が見えたら、次に着手。

「ここに住む前から、憧れの風景を描くとそういう絵になってました。こっちに住んでみたら、まさに日常的に目につく風景なので、それを自然に描いてしまう。山の感じとか。そういうのはあるかもしれない」

絵が先にあって、その絵の風景のような土地に住むようになったということか。

作業用の流し台があるのは、かつてここが漆作品のアトリエとして使われていたから。

「この家はまた別の友だちの友だちが住んでいる家でした。この地域に引っ越してこようかなと考えて、2004年くらいから探し始めました。これだというのが見つからなかったんですが、2012年くらいに、この家の人が引っ越すので貸し出すという話を聞いたんです。それで、じゃあ借りますってことになった。持ち主は建築家で、旦那さんが元サラリーマンで今は漆工芸の作家さんという人なので、もともと工房としても使っていたんでしょうね」

画家としてやっていくと決めた頃のこと

10代の頃はマンガ家になりたくて、SF作品などを描いていた。そのまま、東京藝大に現役合格したものの、当時はコンセプチュアル全盛で正統に絵を描く方が異端のような雰囲気もあり、福井は音楽活動に集中するようになる。

ギター数本と電子ドラムのあるアトリエ。

そんな人生の流れも、1998年12月に潮目が変わってくる。高校から大学を通じての親友で、音楽仲間でもあった徳冨満の住むロンドンに向かった。

「徳冨くんが大学を出てから、ロンドンに住み始めたんです。自分も30歳くらいになっていて、もう1回、絵を始めようと思った、そのきっかけのためにも彼がロンドンに住んでる間にそのアトリエに居候して半年くらい住んでいたんです。徳冨くんの知り合いに、デイヴィッド・シルヴィアンがソロになってからのジャケットの写真などを撮っている女性がいて、僕は友だちの友だちということで親しくなった。

彼女はデイヴィッドのアートディレクションのようなことも長年やっていて、デイヴィッドがウェブサイトを立ち上げるから、福井くん、肖像画的なものを描いてくれない?って頼まれたんです、最初は。それでデイヴィッドがコンピューターのカメラで自分を撮った写真を何枚か送ってきて、それをもとにスケッチブックに白黒で描いて、こんな感じでどうでしょうって言ったら、けっこう気に入ってくれて、ウェブサイトで使ってくれるようになったんです。そのうち、モノクロのドローイングに色をつけてくれと頼まれた。気に入ったからジャケットにするわって。そうやってどんどん話が大きくなっちゃって」

小山登美夫ギャラリー天王洲での展示風景。photo by Kenji Takahashi

音楽の道を進みかけて、でもやはり、と軌道修正した福井にとって、デイヴィッド・シルヴィアンとの仕事は充実したものだっただろう。アルバムジャケットや冊子、ツアーパンフレット、評伝の装丁にまで絵が使われた。

「雪の森の中をデイヴィッドがスーパーのショッピングカートを押してる図はどう?って、アイディアをもらったり。あー、はいはいって自分でもピタッときたので、すぐに絵にできちゃったんだけど、すごい気に入ってもらえて、自分の絵もこれでいいじゃんと思いました。自信を得ちゃってそこから画風をガラッと変えちゃったんです。それが確か、2003年」

[参考図版]福井篤《late night shopping》2003 ※本展には出品されていません。

その絵《late night shopping》によっていろいろな説明がつく。福井はどんどん森に惹かれていって、森の絵をたくさん描くことになったし、シュールな感じ、寓話的な雰囲気がずっとなりたかったマンガ家の絵のようでもある。目立つ輪郭線を備えていて、それはマンガの線とも取れるけれど、色使いとも相まってナビ派(ゴーギャンのもとに集まり、19世紀末のパリで活動した、前衛的な芸術家の集団)の絵画を彷彿とさせる。

パレット、筆洗として、卵パックを使う。これはなかなかいいアイディア。

今回の展覧会「結晶の島」。絵画とジオラマ

「前の個展のときに、やっぱり針葉樹の世界観で何年かやってきたけど、もうそろそろ、だんだんと皮を脱いで自分の芯に近づいてくるっていうのかな。その展覧会のときに、架空の世界の話っていうベースのもとに描き始めたので」

浮かんだイメージはドローイングにしておくがそれはいわばアイディアを思い出すため。

前回の個展(2019年)では、「100年前に、地球と地球外の文明とのオープンなコンタクトが起き発生した、もっと自由で驚きに満ちた世界」という、作家にとっての「アルカディア(理想郷)」を描いた。

「その世界観を究めていく中で、地球上なんだけど、地球上にこんなのあったら何これっていうような、そういう世界観が描きたくなってきて。風景を見るにしてもすごい景色って見たいじゃないですか。自分が見たこともないような。その一環っていうのかな。どでかい水晶が山肌から出てたらすごいじゃない。それで、でっかい水晶を描き始めることになったんです」

壁は本棚、CD棚になっているので、板を渡し、そこにカンヴァスを固定し描く。

アトリエに入って、いくつかの絵を見たとき、アルノルト・ベックリン(19世紀のスイス出身の象徴主義の画家)の《死の島》を連想してしまった。墓地の島に棺を乗せた船が向かっていく。島を描いた絵だった共通点、ベックリンの屹立した針葉樹と福井の水晶の結晶の形状が似て見えたからかもしれない。ベックリンと福井の絵に込めたストーリーはまるで違うのに。

「自分が本来好きなものってあるじゃないですか。音楽が好きだとか、バンドってものが好きだとか。そういう、絵とは別の世界観だけど、やっぱり自分がずっと好みとして持っているものを含めて行きたい。絵の表現の中に。それって常にあるんです。あと、地下世界って、見えないもの、まだ見てないものがいっぱいあることを連想させるというのもある。これくらいの水晶もあるんじゃないかと。メキシコだか、どこか中南米の方に巨大水晶の洞窟ってありますよね。あれも相当大きい」

今回発表されている立体作品。盆栽のような結晶の島。

そう、まったくシュルレアリスムなありえない話ではない。しかもその絵の中で、水晶が突出してるのが島だったりするのはなぜなんだろう。

「2004年くらいから水面にシンメトリーで浮かぶ針葉樹の島というのをシリーズでずっと描いていたんです。水晶を描き始めてから、応用できるなと思って、それからこの島になったのかもしれない」

さて、取材から2週間ほどして、展覧会は開幕した。ギャラリーの壁に掛けられた福井の絵を見ながら、アトリエに行ったときのことを思い出していた。

福井篤《音響気象学》2022 Photo by Kenji Takahashi © Atsushi Fukui, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

アトリエでは見てなかった1枚。屋外、それも何もない野原みたいなところで、ギターとシンセサイザーをプレイしているふたりがいる。機材はちょっと古めなので、少し若い頃のことを思いながら描いたのだろうか。ギターの人は横顔が見えていて、福井に似ている。この描かれた人物は、音楽ではメジャーデビューに一歩だけ踏み込んで、でも、やっぱり絵をやろうと決めてロンドンに旅立った頃の福井なのだろうか。「絵には、自分がずっと好きなものを入れておく」と話していたのはこういうことなのかと思い出した。

福井篤|Atsushi Fukui


1966年愛知県生まれ。1989年に東京藝術大学美術学部油画科卒業。主な個展に、「air」(2016年、游庵、東京)「バックパッキング評議会」(2015年、六本木ヒルズA/D ギャラリー、東京)の他、小山登美夫ギャラリーでは2001年奈良美智キュレーションによるグループ展「morning glory」に出展した後、7度の個展を行った。その他の主なグループ展に、「高橋コレクション展 マインドフルネス!」(2013年、鹿児島県霧島アートの森[札幌芸術の森美術館、北海道 へ巡回])「ORANGE SKY」(2011年、Richard Heller Gallery、ニューヨーク、アメリカ)「Punkt Art 2011 David Sylvian-in cooperation with Atsushi Fukui uncommon deities」(2011年、Sorlandets Kunstmuseum、クリスチャンサン、ノルウェー)「convolvulus 福井篤・川島秀明展」(2009年、マイケル・クー・ギャラリー、台北、台湾)「The Masked Portrait」(2008年、Marianne Boesky Gallery、ニューヨーク、アメリカ)「六本木クロッシング」(2004年、森美術館、東京)などがある。

福井 篤「結晶の島」
場所=小山登美夫ギャラリー天王洲
会期=開催中〜2月10日(金)
休廊=日月祝

profile

鈴木芳雄|Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。明治学院大学非常勤講師。雑誌「ブルータス」元・副編集長(フクヘン)。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。雑誌「ブルータス」「婦人画報」「ハーパーズバザー」などに寄稿。