Wandering

「試行のための道具」としてのカメラ——名和晃平「Wandering」@タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム(〜7/3)

20歳くらいの青年が京都の街をスナップした。見過ごしてしまえばそのままだが、その時間、その場所にしかないシーン。光を選び、被写体の中になにかしらの発見が仕込まれていたりする。彫刻家、名和晃平がまだ何者でもなく、路上を漫ろ歩き、成功の途上を彷徨っていたときの痕跡だが、のちに彼が彫刻家として飛躍する過程が見て取れるのである。

TEXT BY Yoshio Suzuki
copyright Kohei Nawa
Courtesy of Taka Ishii Gallery Photography / Film and SCAI THE BATHHOUSE

名和晃平はシリコーンオイルや泡などを素材として使い、彫刻のジャンルで多角的な模索や試行をくりかえし、意欲的な作品を世に問い続け、国内外で高い評価を得てきた。

名和の作品の中でも、作例が多く、彼の名を特に高めたシリーズに「PixCell」がある。これは、インターネットを通じて入手した動物の剥製や玩具、仏像、スニーカーなどの表面全体をクリスタルガラスの球体ビーズで覆ったものだ。透明のビーズは凸レンズの働きをする。

ビーズによって、覆われてしまえば、そのものの姿を消し、一つずつの粒に支配されてしまう。インターネットで入手したということは、最初はデジタルのビット(=粒)になって認識されたものであって、届いたリアルな実物をビーズに埋もれさせることでアナログの粒に化するというものだ。

“Untitled” 1996年

そんな、名和晃平が今を遡る20年以上前に撮影した写真を発掘し、それを展示する写真展を開催中だ。京都市立芸術大学の彫刻科で学び始めたばかりの頃、何をしたいのか模索していた時期に下宿にあった中古のカメラで写真を撮りだしたのだという。

もともと写真を趣味とする父親の影響をうけ、子どもの頃から暗室作業の手伝いをしていたり、父親から一眼レフカメラを譲り受け、写真を撮り、さらにフリーマーケットなどで面白そうなカメラがあると買い求めて、それで撮影をしていた。

“Untitled” 1996年

父親が読んでいた写真雑誌を見ていて、日本の独特の湿度のある写真や私小説的な場面を捉えた、言ってみればちょっと暗い写真もそれで知っていた。森山大道の写真をコピーで拡大して自分の部屋に貼ったりもしていた。だから、自分で写真を撮る際も、構図とか、「写真らしさ」を意識して考えて撮っていたのだと語る。

「街を歩き、立ち止まって、一瞬で撮ってますね。(こう撮ったらという)結果を予測して撮れるようになっていました。感度400のフィルムを使って、絞り、シャッタースピードも(この明るさならこれくらいと)だいたい覚えていて、露出計は使ってないです。夜の写真が多いのは大学からの帰りだったり、アルバイトに通う前後に撮っているのでしょう。いつもカメラを持ち歩いていました」

“Untitled” 1996年

大学で彫刻を専攻したものの、写真や映像にも興味があり、入学して、3年生くらいまで写真や8ミリ映像を撮っていた。もっと映像作品を追究していきたいとも考えた名和は彫刻科の指導教官に相談したところ、「彫刻科なのだから、物質も触っておけ」というアドバイスを受けた。その教師は自身も彫刻科出身でありながら、写真表現の領域で独自の優れた作品を多く生み出している野村仁だった。

“Untitled” 1994年

名和が写真を撮るのは父親の影響もあるが、小学校時代に天体望遠鏡を手に入れ、天体観測を始めたことが大きい。望遠鏡にカメラを付けて、月の表面や星の光跡を撮ってみたり、煤をつけたガラスを使って太陽を観察、撮影したりしたという。遠くの物質が写真として焼き付けられ、手元に届くこと。そんな過程で、作家としての野村仁を知ったという。野村は天体の動きを立体作品や写真作品に置き換えることを実現していて、名和はこの人に習いたいと考え彫刻科に進んだ。

「天文学や物理学に憧れと興味があったんです。レンズの発達によって、人間が観測できる宇宙の範囲が広がっていくと、人間の認識が広がっていきます。このことはそのまま彫刻の歴史と重なっていくんですね」

そして、野村の写真表現の中でも、「見るものすべてを写す」という意図のもと、16ミリムーヴィカメラのコマ撮り機能を使って、身の回りの光景を目で見るように、10年もの間撮影した「A Ten-Year Photobook or The Brownian Motion of Eyesight」いわゆる「視覚のブラウン運動」という途方もない計画をまとめた本があり、名和はそれにも衝撃を受けたという。

“Untitled” 1994-95年

「実家で飼っていた犬をあらゆる角度で撮影して、カラーコピーで引き伸ばして、それを切り取って、貼り付けて犬の立体にしたんです。これは写真を彫刻にしようと考えたからですね。そのときは写真を貼り付けるというだけでは、彫刻としてはあまり満足いかなかったんですけど」

この時点では満足いかなかったというが、いわば、この手動3Dスキャン+3Dプリンティングがやがて、彼のシグネチャー的シリーズ「PixCell」につながるのだ。

参考図版(本展には出品されていません)「PixCell」シリーズより “PixCell-Cabbage”, 2002 Mixed media H140 x W135 x D200 mm Courtesy of Gallery Nomart

写真という、3次元を2次元にする装置を使って、3次元→2次元→3次元にすること。インターネットの情報を映し出すモニターで見つけたものの実物を手に入れ、それをクリスタルのビーズで覆い尽くすことで、実物はそこにあるにも関わらず、視覚的な意味では実物からの距離を取らせてしまう。

“Untitled” 1994年

今回発表されている写真の1枚1枚はある時代のある街をていねいに切り取った気の利いたスナップとして目に映る。それと同時に、当代人気の彫刻家、名和晃平若き日の思考と試行の時代の痕跡として見ると、ますます凝視したくなる写真なのである。街を彷徨いながら、作品制作に想いを巡らしていた頃の。展覧会タイトルの「Wandering」にはその意味を込めている。

“Untitled” 1994年

名和晃平「Wandering」

会期 〜7月3日(土)
会場 タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム


名和晃平 「Wandering」 展示風景 タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム 2021年6月5日 – 7月3日 Photo: Kenji Takahashi

名和晃平|Kohei Nawa
1975年大阪府生まれ。京都在住。英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アート留学を経て、2003年京都市立芸術大学大学院美術研究科博士(後期)課程修了。クリエイティブ・プラットフォームSandwich (京都)を2009年に創設しディレクターを務める。主な個展に、「Foam」金沢21世紀美術館(2019年)、「SCULPTURE GARDEN」霧島アートの森(2013年)、「名和晃平-シンセシス」東京都現代美術館(2011年)など。ポンピドゥ・センター・メッス「Japanorama: A New Vision on Art since 1970」(2017年)、あいちトリエンナーレ(2016年、2013年)など多数の国際展に参加。京都芸術大学教授。

profile

鈴木芳雄|Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。明治学院大学非常勤講師。雑誌「ブルータス」元・副編集長(フクヘン)。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。雑誌「ブルータス」「婦人画報」「ハーパーズバザー」などに寄稿。