モティーフの選び方、大胆な色彩や構図。生命の歓びを謳い上げる絵だ。ギャラリーを埋める展示からも精力的な仕事がうかがえる近藤亜樹へのインタビュー。明るさとともにあるものは何なのだろうか。ある小説の中の象徴的なフレーズを思い出さずにはいられない——「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」
TEXT BY Yoshio Suzuki
PHOTO BY Shigeo Muto
copyright Aki Kondo
courtesy of ShugoArts
言葉なんてなかった頃から、絵はあったのだ、きっと。あるいは言葉なんて通じ合わない者同士だって、絵があれば用事は済むし、感情を行き来させることができる。とても古くて、とても便利な手段である絵をめぐって、なにか新しい描き方はないだろうか、今までになかった新しい表現を開発したいと、我々の情熱は衰えない。
子どもは絵を描く。大人は……大人は描く人とほとんど描かない人がいる。大人も子どもの頃には描いていたのだが。子どもは一心に描く。彼らは盛期ルネサンスだとか、バロックだとか、ロココだとか、そんなものは知らない。抽象表現主義も新表現主義も知らない。それでも描く。描かない大人の中にはバロックとロココの違いを説明できて、抽象表現主義や新表現主義の代表的な画家をそらで言える人もいるけれども。
そんなことをあらためて考えたのは近藤亜樹の絵を前にしたときの、そうだ、初めに絵があった、いつも絵があったのだという確信だ。その前では絵の技術について聞いたり、美術史について語り合ったりすることはまるで意味のないことだった。
大胆に描かれた植物、人間、動物、食べもの。それらは一言で言えば、いのちだ。伸び伸びとしたかたち、しかも漲る色彩によって、そこにある。そして、描かれたものの生命力。この画家のエネルギーをさらに担保するのは、絵の点数である。
「絵を描かない大人」が見れば、どんな力がこの画家を突き動かして、これだけの仕事をさせるのだろうと考えることだろう。そんな考えを逆に近藤亜樹は不思議に思う。なぜならば、彼女にとって、「描くことは呼吸をする」ことなのだという。普通、呼吸をするときに手順を整えたり、いちいち考えたり、エネルギーを注ぐことはない。それくらい自然に描かれた絵。
言葉を変えてさらに彼女は、「描くことは日常、描くことは生きること」とも言う。そんな絵について、ある学芸員はこう書いている。「近藤は、現実の出来事をその身に受け入れる手段として、描いているように見える」(府中市美術館学芸員 神山亮子『ここにあるしあわせ|近藤亜樹』より引用)
画家とその展覧会をつくる学芸員、2人の言葉を方程式のように代入し、答えを出すと「生きることは現実の出来事をその身に受け入れること」という解が導き出されることになる。ただし、そのあたりまえを前にして、近藤にはたった一枚でそのまわりを圧倒する絵があるのだ。
「生きていると、目に見えないけれども体で感じることと心で受けとること、すべてがあります。人間は地球に生きているので、大地のいろいろな神様だとか、さまざまな影響を受けていると思います。それによって人間は生かされているということが大前提で、私は小さいときからそういうものを体質的に受けやすかった。現実に起きていることも、神仏によってもたらされていると思えることも、慣れるまでには時間がかかりました」
近藤亜樹は1987年北海道生まれ。東北芸術工科大学院在籍中に才能を見いだされ、大学院修了の年の2012年にデビューした。現在、山形県在住。
「私は絵を描くということを3歳から、なぜか自分で始めました。絵を描いているときだけは良いことも悪いことも含めて、そういう目の前で起きる現実の影響を受けないことがわかったのです。起きてしまったことに対して魂が学んだことを、目に見える事象、身に起きる体験、存在があるもの、ないものに対してもそういうものを含めて絵にしていると言えます。人間が作り出した言葉というものを言いたくて絵を描いているのではなく、感じたことをまず吐き出して、その上で何を描いたのかということを自分自身が受け入れるという作業に近いのです」
何を描くか、ではなくて、描かれたものは何だったのか、という検証だろうか。
「絵を描くときには、カンヴァスを50枚くらい用意します。何を描くのかわからないまま描き始めます。色をのせます。降りてきたものをどんどん、どんどんカンヴァスなり、紙なりに描いていく。何かを伝えようということではなく、降りてきたものをです。描き終わった後、自分のまわりにいっぱい絵が散らばっています。そのときにようやく一つのことが出来上がる。絵によって気づくこともあるし、絵によって以前に起きたことも出てきたりします。でも、その、前に起きたことがあったとしたら、それは今現在につながっているのだということも、思い出すのです。なので、私自身もその絵(に現れているもの)によって生かされているというような状態ですね」
近藤のようなタイプの画家でないとわからない感覚と思える話だが、常人が理解しようとするとそれは眠っているときに誰もが見る夢に近い感覚なのだろうか。
「夢は現実に起きたことではないことも見ますが、私が描いているのは現実に起きたこと、起きていることを描いている。そういう気がします」
確かにそうだ。そこは根本的に違うのだろう。
「たとえばですけど、今年は東日本大震災から10年が経ちました。(筆者注:近藤は大学院在学中に山形で被災している)。あれは自分で選択はしてないけれど、起きてしまった出来事として、体験しますよね。それがどうして起きたのかとか、どうして私は生きてるのか、死ななかったのかって、思う方たちもいらっしゃいます。あまりにも、大きなことだったし、たくさん人が亡くなったので。
美大の中でも、今、ボランティアに行かないで絵を描いてるのは罪じゃないのか? みたいな空気が流れたんですね。でも、そういうことも含め、なにがあっても生き残った者は生かされているんですね。10年後の今でも、覚えてることもあるし、この間、2月に10年前の余震というのが来ました。あれが来たときに、やっぱり忘れていたけれど、あの揺れで思い出すこともある、そういう感じに近いんです。
人間は忘れる生きものなので、大きな事があっても一部、きれいな出来事として置き換えてしまったりすることもあると思いますが、2月のあの揺れを私もまた山形で体験したときに、私自身、忘れていたものを思い出したらものすごく怖くなってしまって、眠れなかった。忘れていた記憶が絵に、ポンと現れたときに、あ、今必要な教えかもしれないなって思い出すのと同じ感覚です」
近藤の絵を見たとき、一見すると、その自由さ、奔放さ、瑞々しさ、そしてその多作さから、生まれながらの画家だなという感想を安易にもつことはあるだろう。しかし、確かに生まれながらの画家なのだろうが、その資質はさらに奥深いところにあった。彼女にとって、絵はものごとを描き留めておくためにあるのではなく、ものごとを呼び覚ますためにある。
東日本大震災の大きな被害を経験して、さらに7年後、移り住んでいた小豆島で、身近な人を亡くすという体験をする。
小豆島で結婚をして、インドに新婚旅行に行く予定だったとき、妊娠がわかった。新婚旅行を取りやめようということになったけれども、夫の仕事にも関係する旅でもあったので、彼だけを送り出した。周囲はみんなが止めたのだという。彼にも葛藤はあったに違いない。そんな中、彼女だけが止めなかった。
「旅先の夫から『やっぱり一人で来るべきじゃなかったかもしれない。明日帰るね』と電話があって、そのあとまもなく、彼の心臓はその動きを止めてしまったんです」
結婚して2週間後のこと、自分の中に新しい命が宿っていた彼女にとって、あまりに壮絶な体験。最愛の人は、見知らぬ土地で突然亡くなり、遺体にも会えないまま、骨が灰になって帰ってきた。
「今から、出発進行っていう船に乗ったとたん、船ごとなくなる、深い深い海に落ちるぐらいの出来事でした。これからどうやってこの海の上に這い出たらいいのか、そのまま落ちて死んでしまうのか。生きているのか死んでいるのかわからないような毎日を過ごしました。子どもが生まれてしばらくするまで、やっぱり自分の身に起きたことの悲しみが深かったので傷ついたこともあって、その時は自分の人生を呪ったというか、全ての事柄がものすごく嫌になりました。絵が描ける、そんな時でも絵を描いている自分もすごく嫌いだったし、罪を感じたし。人が死んでも絵を描けるんだっていう残酷さがあったけど、どんな時でも母親は子どもの太陽でいなければという思いから必死で光を探しました」
描くことをやめることはなかった。
「そういう中でも、魂が納得する教えがあったんです。それというのはやっぱり、東日本大震災で亡くなった人たちの残された家族の気持ちがよくわかったということです。私は山の神様など震災についてのことをたくさん描いてきたんですけども、生きる、生きている人の気持ち、残されて、生き残って生きている人の気持ちまでは深く理解できていなかった。私が夫の死で、一つ魂で納得して学んだことは、死というものにしがみついてもまず成仏できないということ。あとは、生きることと死ぬことって、天秤にかけられないくらい苦しいことだなと思ったこと」
それでも日々は続いていく。生き続ける。描き続ける。
「人はきっと光がないと生きていけないんです。生きるってものすごく大変なことですから。いいことばっかりも続かないし、悪いことばっかりも続かない。お日様の光が物に当たると影も落ちるんですよね。それを感じたときに私は画家として何を描いていくべきかなって考えました。やっぱり人に寄り添う絵を描いていきたいなと思ったんです。それはエネルギーであったり色だったり、その、形もそうですけど、心を届けるということなのかなと思ったんです。やっぱりその人間が繋がって生きていくっていうことは、たくさんの命を食べて、たくさんの人の力を受けてたくさんの地球の力を受けて自分が存在するので、その巡る愛ですよね。それを絵で届けたいと思って、一枚一枚描いたのが今回の展覧会の作品です」
展示された作品のほかに、ひたすら100枚の花を描いた。それは今回出版された作品集『ここにあるしあわせ|近藤亜樹』の特装版100部に1枚ずつ全部違う花の絵を収めるためだ。
言葉なんてなかった頃から、愛はあったのだ、もちろん。それを届けるために近藤はきっと今日も絵を描いている。
作品集刊⾏記念展 近藤亜樹「ここにあるしあわせ」
会期 〜2021年4⽉10⽇(⼟) 場所 シュウゴアーツ 時間 火〜土:12〜18時 ※⽇⽉祝休
● 下記3カ所で同時開催
場所 フィリップス 東京(ピラミデビル) 会期 〜2021年4⽉9⽇(金) 時間 月〜金:10〜17時 ※土⽇祝休
場所 現代芸術振興財団(ピラミデビル) 会期 〜2021年4⽉9⽇(金) 時間 会期中常時展⽰ ※外廊下よりウィンドウ越しに展⽰
場所 代官⼭ 蔦屋書店 会期 〜2021年3⽉26⽇(金) 時間 年中無休
鈴木芳雄|Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。明治学院大学非常勤講師。雑誌「ブルータス」元・副編集長(フクヘン)。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。雑誌「ブルータス」「婦人画報」「ハーパーズバザー」などに寄稿。
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