What does it mean “Seeing”?

「見る」とはどういうことか? 惑わせ、問いかける写真——小野祐次『Luminescence(ルミネソンス)』@シュウゴアーツ(〜6/19)

シャンデリアが放つ光の粒そのものをとらえた写真作品には、人間の「見る」という行為を問い直す企みがあるという。その意図について写真家の小野祐次にインタビューした(※5/31まで臨時休廊)

TEXT BY MARI MATSUBARA
PHOTO : HIROAKI SUGITA (portrait)
SHIGEO MUTO (EXHIBITION VIEW) COURTESY OF SHUGOARTS

——シャンデリアを被写体に選んだのはなぜですか?

小野 僕のもう一つ別のテーマで撮った作品に「タブロー」というシリーズがあるのですが、これは16〜19世紀に描かれた油彩絵画をヨーロッパ各国の美術館の中で、自然光のもとで、ライティングをせずに真正面から撮ったものです。ある一定の条件下で自然光に照らされたタブローは、描かれた図像がほぼ消え去り、額縁と絵の具の質感だけが残る、そのさまを撮影しています。“あるはずの絵がないこと”を見せつけられ、絵を観たい人を拍子抜けさせるような作品です。

小野祐次, Impression, Soleil Levant, Claude Monet, 2014, Gelatin silver print, image: 89.5×112.5cm, ed.12 (c)Yuji Ono, courtesy of ShugoArts / それまでの絵画の概念を覆し「印象派」の起源となったモネの《印象―日の出》を収蔵先のパリ・マルモッタン美術館で撮影。絵画が持っていた“記録”という役割を写真が代わりに担うようになる転換期の作品として非常に重要な被写体であり、シリーズの1つとして撮影する使命感に駆られたと小野は語る。

小野祐次, Infanta Margarita in a Pink Gown, Diego Velázquez, 2005, Gelatin silver print, image: 112.5×89.5cm, ed.12 (c)Yuji Ono, courtesy of ShugoArts / ウィーン美術史美術館で撮影した、ヴェラスケス《薔薇色の衣裳のマルガリータ王女》。

小野祐次, Michelangelo Merisi da Caravaggio, detto Caravaggio, Maddalena penitente, 2001, Gelatin silver print, image: 112.5×89.5cm, ed.12 (c)Yuji Ono, courtesy of ShugoArts / ローマのプライベートコレクション、ドーリア・パンフィーリ美術館で撮影したカラヴァッジョの《悔悛するマグダラのマリア》。週に一度、換気のために窓を開け放つ時間帯を狙って自然光のもと撮影した。

小野 なぜこんなことをしたかといえば、僕にとって極めて重要なテーマである「光」そのものをとらえたかったから。その光を撮るためにどうしたらいいのか、というのが僕の永遠の命題です。その命題に自然光で取り組んだのが「タブロー」であり、逆に人工の光で取り組むなら? と考えて生まれたのが、今回の展覧会で展示する、シャンデリアを被写体とした「ルミネソンス」のシリーズです。外部から当てた光に最も敏感に反応してそれを収束し、放出する素材とは何かと考えた時、クリスタルだと思いつき、様々なクリスタルの集合体であるシャンデリアを作品にすることにしました。そこにはシャンデリアが持つロマンティックな美への憧れも多少入っています。タイトルの「ルミネソンス」とは物理用語で「発熱を伴わずに放出される光」のこと。写真は光学であり、化学であり、つまりサイエンスなので、ぴったりの言葉だと感じました。

小野祐次, Luminescence 20, 2005, gelatin silver print, image: 116.4×89.1cm, ed. 3
(c)Yuji Ono, courtesy of ShugoArts / ヴェルサイユ宮殿の、ふだんは公開されていないルイ16世の寝室のシャンデリア。趣味の錠前づくりに没頭する王の孤独な姿を照らしていたのだろうか。

小野祐次, Luminescence 11, 2004, gelatin silver print, image: 116.4×89.1cm, ed. 3
(c)Yuji Ono, courtesy of ShugoArts / 16世紀に建造され、現在カルナヴァレ美術館として機能しているパリ3区の館で撮影されたシャンデリア。

小野祐次, Luminescence 14, 2004, gelatin silver print, image: 116.4×89.1cm, ed. 3 (c)Yuji Ono, courtesy of ShugoArts / 現在、パリ郊外のコンデ美術館(シャンティイ城)で撮影されたシャンデリア。

——どこで撮影されたものですか?

小野 このシリーズは20点ほどありますが、すべてフランス国内の教会や城などの歴史的建造物にあるシャンデリアで、許可申請をして撮ったものです。なかには許可が下りるまで7年かかった例もあります。ヴェルサイユ宮殿やシャンティイ城などのシャンデリアは、そこで繰り広げられた様々な出来事を照らし続けてきた歴史の目撃者であるとも言えます。自然光を極力排した環境で、ライトの光のみを当てて撮りたいので、撮影時期は冬の間の曇天が一番理想的です。

——作品では、シャンデリア自体の輪郭が曖昧で、光の残像のように見えますね。

小野 撮影の際、わざとピントが合わないようにしています。一部ピントが合っているように見えるのは、フィルムの特性によってシャープネスがかかっているように錯覚して見えるだけで、実際にはシャンデリアのどこにも焦点が合っていません。逆に人間の眼は、ものを見る時に必ずパンフォーカスしています。つまり近くにあるものも遠くにあるものも同時に、全部にピントを合わせて見ることができる。二つの眼球でキャッチした視覚データを脳に送り、脳の中で勝手に像を結実させて「見て」いるのです。単眼レンズであるカメラではそういうことがないわけで、それは写真の魅力でもあり、人間の眼との差異をそのまま作品のコンセプトにしようと考えました。

——その結果、小野さんの写真作品を見た人は少なからず驚いたり、意表を突かれたりします。

小野 人間は、自分の目の前にあるものの姿を把握したいという欲求が本能的に備わっています。無意識に脳が反応して像を結ぼうとするのに、僕の作品を見た時、絵が消え去っていたり、シャンデリアが光の粒の集合体のように見えたりするから「あれっ?」と戸惑う。ではそもそも「見る」という行為は何なのか? そのことを写真という媒体によって呈示し、惑わせ、見つめ直させ、答えを導いてもらいたい。それって面白くないですか? というのが僕の作品を通じての提案です。自分がシャンデリアだと思っていた形がぼやけ、浮遊する光だけが目の前に現れるとドキッとする。物を見るとは、実は光そのものを見ているのだという当たり前なことに気づかされます。

——写真という媒体だからこそ、こうした表現が可能だったとも言えますね?

小野 写真でなければ表現できないものは何なのか?ということをずっと考え続けています。写真を形成するファクターとして時間と光は極めて重要であり、避けられないものです。僕はそのうちの「光」をテーマにすることを選びました。「タブロー」は自然光、「ルミネソンス」はライティングでの撮影ということでアプローチは真逆ですが、ゴールは同じです。終始一貫して光を追うこと。それは僕の作品を見てくれる人にとっても価値あることだと思います。なぜなら光とは普遍であり、光がなければものは見えず、世界は形成されず、すべからく事物は光に終始するのですから。この光の痕跡を美しいと思ってもらえたら、まずは嬉しいです。でもその先には、写真もアートも、単なるインテリアではなく、日々の思索のよすがになってほしいと願う気持ちがあります。

小野祐次「Luminescence(ルミネソンス)」 

会期 4月24日(土)〜6月19日(土)*会期を延長しました 場所 シュウゴアーツ 時間 12:00〜18:00 ※土⽇祝休廊、および5月31日(月)まで臨時休廊

profile

小野祐次|Yuji Ono
1963年福岡県生まれ。1986年渡仏。パリ在住。2005年アルル国際写真フェスティバルに招待作家として参加、2006年ヨーロッパ写真美術館にて個展、東京都写真美術館でグループ展参加。作品収蔵先にピノー財団コレクション、ヨーロッパ写真美術館など。