世界有数の美術館やトップコレクターを顧客に持つ村上隆と世界の隅々の子どもに愛されているドラえもん。その組み合わせからなにが生まれるのか。なぜ村上はマンガを題材にするのか。その絵はどう読めばいいのか。ペロタン東京で始まった展覧会を見ながら考える。
TEXT BY Yoshio Suzuki
Installation views of Takashi Murakami’s solo exhibition “Superflat Doraemon" at Perrotin Tokyo, 2019. ©2019 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved. ©Fujiko-Pro. Photographer: Kei Okano
村上隆は、伊藤若冲や曾我蕭白ら奇想派の系譜、俵屋宗達や尾形光琳ら琳派の系譜を引いているし、さらに浮世絵の影響は当然ある。それらは現代でいえばマンガやアニメとも通じるものである。根底でそういったカルチャーと行き来をし、それを現代美術の文法を忠実に従って生み出したものが彼の作品なのである。
「スーパーフラット ドラえもん」の象徴的作品だが、本展には出ていない以下の作品から見ていくのがわかりやすい。村上自身も言っているのだがこの絵は抽象表現主義の手法をとっている。抽象表現主義の特徴は、巨大なカンヴァスを使って表現すること、心理学でいう「図(物体)と地(背景)」の区別がなく、いわゆる消失点もない。このムーヴメントの代表的なアーティストとしてはジャクソン・ポロック、マーク・ロスコ、ウィレム・デ・クーニングら。
村上のシグネチャー的モティーフの「お花」も描かれている。それは草間彌生における水玉やネット、アグネス・マーティンやダニエル・ビュレンにおけるストライプなど抽象画家の仕事と対比してもいい。ドラえもんのキャラクターたちはそこに大量に一緒くたに描かれているが、見れば見るほど目がくらまされ、これは錯視的効果を狙ったオプアートのようでもある。
さらに様々な表情のドラえもんはじめ、登場キャラクターもこの絵の中に多数描かれ、藤子・F・不二雄先生も複数いる。これは西洋にも東洋にも伝統的にある絵画の手法、異時同図法だ。一画面の中に時間を無視して、登場する人物などが何度も描かれ、それらの行動の経過、物語が記録される。
「どこでもドア」が画面の中心にあり、ドアの隙間から見える向こう側はプラチナ箔を貼ることで、この世ではない世界、神や仏の領域を示すのと同じである。仏教では、仏のいる浄土にある華池、宝楼や宝閣などの建物もまたそこに植わる宝樹も、みな金銀珠玉をちりばめ、しかも、それらは清らかでありながら、光明赫灼と輝いているとされているわけだから。つまり、仏画の要素も入ってる?
主要キャラクターと藤子・F・不二雄先生が一緒に乗っている「タイムマシン」の周辺にはここだけ時空が歪んでいることを表す変形した時計がいくつか描かれている。これはもともとマンガにあるもので、もちろんサルヴァトール・ダリ《記憶の固執の崩壊》(1954年)からの引用、シュルレアリスムである。全裸のしずかちゃんやパンツ一丁ののび太も描かれている。これは裸体表現という絵画史始まって以来の永遠のテーマに言及しているということだ。
村上がマンガをテーマに作品を制作するのは新しいことではなく、1991年には赤塚不二夫『天才バカボン』をモティーフにした「B.P.’91(Bakabon Project 1991)」というシリーズがある。すでにファインアートとサブカルチャーの狭間を飛び越える挑戦をしているのだ。
美術史家の辻惟雄との共著『熱闘! 日本美術史』(新潮社 2014年)でも赤塚不二夫に一章をさき、その中で村上は「赤塚不二夫は日本のアンディ・ウォーホルなのだ。それでいいのだ!」と言っている。これは広告やパッケージデザインまでをもアートにしたウォーホルとマンガをアートにした赤塚を重ねている。あるいは作品と同じくらい作者自身が知られる戦略に共通点を見たのか。
『ドラえもん』である。いうまでもなく藤子・F・不二雄のマンガ作品(1970年〜1996年)であり、それを原作とし、テレビ、映画で展開するアニメーション作品(日本テレビ系列で1973年から、現在放映されているテレビ朝日系列で1979年から)だ。
世界有数の美術館で何度も大規模個展を開催し、ときにルイ・ヴィトンやユニクロといった有名ブランドとのコラボレーションでも成功している現代美術家の村上隆と、世界12言語17カ国でマンガが出版、55カ国でアニメが放映される『ドラえもん』(数字は政府広報オンラインによる)の組み合わせ。
村上は2002年のドラえもん展「依頼:あなたのドラえもんをつくってください(藤子・F・不二雄)」にも出品作家の一人として参加し、ドラえもんの登場人物たちと村上が生み出したキャラクター〈カイカイ〉と〈キキ〉がお花畑の上をタケコプターで飛んでいる絵《ぼくと弟とドラえもんとの夏休み》を発表した。
『ちびまる子ちゃん』や『三丁目の夕日』のように時代背景を明確にしていないところも『ドラえもん』の特徴である。1970年代に子どもだった今の大人も、現代の子どももほぼ同じように感情移入できるストーリーだ。村上自身、2002年のドラえもん展「依頼:あなたのドラえもんをつくってください(藤子・F・不二雄)」に出品作家の一人として参加した際、こうコメントしている。
「素直な自分に出会えるように、ジーっと子供のころを思い出して、描きました。1970年初頭の日本の初夏が、この作品の舞台です。弟と一緒に工業地帯の空き地で遊んでたころに一気にダイビングできました」。
1970年というと、村上は8歳、彼の弟は6歳だった。
2017年、再びドラえもん展が開催され、今年は大阪(終了)、来年2020年は京都、新潟へと巡回中である。この展覧会のために描かれたのが前掲の大型作品《あんなこといいな 出来たらいいな》だ。この絵についてもう一つ付け加えておく。絵の中の藤子・F・不二雄先生はいつものようにベレー帽をかぶっている。ベレー帽は芸術家の象徴的アイテムだから、ここから「マンガは芸術だよ」という先生の控えめの主張を読み取るとしよう。また一方で、常にマンガやアニメを下敷きにし、それを現代美術という領域に到達させた村上がいる。
2人の仕事はそんなふうに符合するのである。
鈴木芳雄|Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。明治学院大学非常勤講師。雑誌「ブルータス」元・副編集長(フクヘン)。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。雑誌「ブルータス」「婦人画報」「ハーパーズバザー」などに寄稿。
SHARE