5月25日(土)〜26日(日)に開催された六本木アートナイトのプログラムのひとつとして、実際のマクドナルドの店舗での「マクドナルドラジオ大学」が実現し、人気を博した。なぜマクドナルド? どうしてラジオ? なんで大学? など疑問を持つかもしれない。これは演劇ディレクター/アーティスト高山明を中心とする創作ユニット「Port B(ポルト・ビー)」のプロジェクト作品だ。彼らには「演劇とはなにか」という問いがつねに根底にあり、彼らが行う活動は演劇の可能性を拡張し、それを社会に接続する方法をも追求するものである。
TEXT BY YOSHIO SUZUKI
PHOTO BY MASAHIRO HASUNUMA
「マクドナルドラジオ大学」は街なかのハンバーガーショップ「マクドナルド」を「大学」にするプロジェクトである。「教授」を務めるのはなにがしかの理由で故国を離れることになった移民や難民。客は商品と一緒に「講義」を注文し、ポータブルラジオを受け取り、「学生」になって「受講」する。教授は店内のどこかの場所でピンマイクと発信機を使い、講義をしている。
今回は2017年のドイツ、そして昨年〜今年頭の東京・麻布のMISA SHIN ギャラリーでの実施を受けて、いよいよ六本木アートナイトでのイベントということなので、店内一部を貸切スペースとし、参加者は先着順でラジオを借りる形。ライブ講義に関しては2つ(2時間)先の講義を待つほど人々の列が伸びた。席についた参加者はたいていが飲み物やハンバーガーなどを注文して席に運んでいた。
故国を離れた人たちだけが講義をするということを聞き、さらに疑問はふくらむ。それはいったい何を目的として、どんな背景を持つ人がどんなレクチャーをしてくれるのだろうか。何かの問題提起なのだろうか。
もともとこれは、2017年にフランクフルトのマクドナルド7店舗で毎日3回行った。今回のように大々的なものではなく、もっと日常に溶け込ませたものだったそうだ。告知は関連施設のウェブサイトに載った程度であとは口コミで受講者は増え、それでも最大で30人ほどだった。
今回のこのプロジェクトにとってのマクドナルドとは?
高山は日本とドイツで活動している。本作を思いついたきっかけとしてドイツでの難民との出会いが重要だったという。中東から西欧へと百万人以上が歩き渡ってきたバルカンルート(2016年に封鎖)があった。手持ちの金も少なく、頼るつてもない難民たちが居場所にしたのが、各国の街道沿いのマクドナルドだった。そこでなら、安い食事を注文することで夜を越し、スマホを充電し、フリーWi-Fiを使うことができる。マクドナルドは極端にいえば、難民の避難所と化していた。
マクドナルドといえば、何人かのアーティストが作品に利用していることを私たちは知っている。バンクシーも、トム・サックスも、ジョナサン・バーンブルックも。そこではマクドナルドはグローバル資本主義の象徴やアイコンであり、手軽さや低価格を売りにした食の代名詞、または暗喩である。難民問題の提起をしておきながら、そんなイメージのマクドナルドと直接組むということへの躊躇はなかったのかとか、あるいは逆に感慨はあったのか。高山に聞いてみた。
「ドイツでやった時に実はものすごい批判を受けました。グローバリズムと難民問題を結びつけるっていうのは何事だと。そもそもグローバリズムが難民問題を引き起こしている面もあるのに、そういうことどう考えているのかと。そういった批判はたくさんありました。
それでも実際難民の方にインタビューをしていると、グローバリズムの先鋒だろうが、マクドナルドがある種のセーフティネットになっているのだという事実がありますから」
ありがちな思い込みや安易なステロタイプを超えたところに現実があるというわけか。もしかしたら、インテリ層、高所得層ほど、マクドナルドに行かず、表面的に、あの世界を均質化する企業活動、宣伝戦略、極度の手軽さや低価格な商品を遠ざけようとしているのかもしれない。高山は続ける。
「一方で、劇場とか美術館とかがマルチカルチュラルとか、他民族、多様性というのを前面に押し出して、できるだけ様々な人々を劇場に招こう、美術館に足を運ばせようとして、実際作品の中だとか、あるいは舞台上にはかなりマルチカルチュラルで多人種が共生しているような状況ができているんですが、客席を見ると、やはり一般的な意味で余裕のある層しかほとんどいないような状況だと思うんです。
ところがマクドナルドに目をやると、お客さんの層は本当に多様だし、寝てる人もいればご飯を食べてる人もいれば、Wi-Fiで何かやってる人もいる。劇場が目指すような、わりと多人種多文化共生みたいなのを、かなり歪んだ形ではあるとは思うんですけれども、実現しているじゃないかっていうのを感じまして。まあ、その現実をまず見ることから始められたらいいなと」
日本では比較的安価な食事を取る場所。若者の集まる場所。あるいは、小さな子どもを連れている人でもそれほど周囲に気兼ねせずに食事のできる場所として馴染みのあるマクドナルドだが、地域によっては移民問題の最前線にあるのかもしれない。人々の苦痛や不幸は戦場(だけ)で起こっているのではない。(世界を見渡せば)マクドナルドでも起こっているのだ。
「でもこれは本当に毒にでもなれば薬にもなる、かなり両義的なアプローチで。自分がやってることは正しいとか、これで問題を全部解決するっていうふうにはまったく思っていません。むしろこれで問題がますます増えるという思いでやっていたりもするわけですが」
メディアとしてのアートや演技にできること
六本木アートナイトの「マクドナルドラジオ大学」では、5月25日(土)20:00〜25:00に「メディア学I」「スポーツ科学」「建築」の3科目計5回のライブレクチャーが行われ、そのあと、5月26日(日)1:00〜10:00はこれまでフランクフルト、ベルリン、東京で制作された25科目からセレクトされた「文学II」「リスクマネジメント」「音楽」「ジェンダースタディ」「動物科学」など13科目の録音源から受講できた。
その中から「メディア学I」を実際にライブで聴講した。
内容はトルコ国境に近いシリア北部の都市アレッポからフランクフルトへと逃れた難民が書いたテキストを、30年前にイランから日本に亡命してきた男性、アフシンさんが読むというものだった。そのテキストの中では、かつてビルマの民主化運動の際にアメリカに難民認定された詩人が詩や書簡をラジオの短波放送に乗せて、故国へ届けていたというエピソードが出てきた。
ネットなどもちろん無い時代で、電話も簡単に掛けられない事態。地表と電離層を反射しながら地球の反対側まで届く短波放送がいかに有効だったか。しかし、ドイツへと逃れたこのシリア人のテキストによれば、彼にはその手段がなかったのだという。
そして、短波放送というものについて簡単に解説も行われた。アメリカのゼニス・ラジオ・コーポレーションの創立者ユージーン・マクドナルドは1920年代に短波放送の商用化に成功した。
マクドナルド! そうだ、ここでつながる。短波放送の先駆者とハンバーガーショップの名が。しかも、ラジオで講義を聴く方法をとっていたのは、短波放送を利用して故国に自身の無事とメッセージを送っていた難民の行動に重なるではないか(マクドナルドラジオ大学で使ったラジオはFMラジオであって、短波ではなかったけれど。また、他科目の講義では関係ないことだろうけれど)。
実際の難民が書いた文章が読み上げられ、故国を離れて暮らす人々の苦労や悲哀が深刻に伝わった。その一方で、内容の中のいくつかのたくらみを理解し、疑問も少し氷解し、それがちょっとした、落語のオチのように感じられた。
世界の移民難民問題はますます深刻だし、ニュースはそれを報じる。テレビやネット、スマホなどのメディアを通じ私たちは時事問題としてそれを受け取る。しかし、ちょっと違ったメディアであるところのアートや演劇でそれらシビアな問題に触れるとき、たとえばこういう仕掛けを私たちは歓迎したい。そしてそれは深く届くのだ。
鈴木芳雄|Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。明治学院大学非常勤講師。雑誌ブルータス元・副編集長(フクヘン)。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。雑誌「ブルータス」「婦人画報」「ハーパーズバザー」などに寄稿。
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