「建築の日本展」には「その遺伝子のもたらすもの」というサブタイトルがある。では日本建築の遺伝子とはどんなものなのか? この展覧会の監修を務めた建築史家であり、自身も建築を設計している藤森照信に聞いた。
TEXT BY Naoko Aono
Portrait by Koichi Tanoue
——「日本建築の遺伝子」はどんなところに受け継がれているのでしょうか。
藤森 どんなに先鋭的な建築家でも多かれ少なかれ、生まれ育った場所の文化や風土に影響を受けるものです。日本の建築家なら21世紀になった今でも木造建築がその基礎感覚になっている。ヨーロッパ、とくにイタリアが石の本質をとらえて石造建築の技術を発展させてきたのとは対照的です。世界の建築はこの木と石をおさえていれば理解できます。
木造の特徴は柱と梁でできる立体格子の枠組みを基本にしていること。ジャングルジムのような造りですね。石造りなら石の壁が建物を支えますが、木造では柱と柱の間は紙(障子)になる。雨が多くて木がよく育つ日本ならではの作り方です。そのかわり木は腐りやすいので雨を防ぐため屋根が大きく、軒が深くなります。この屋根に重きを置くのも日本建築の特徴です。
——展覧会に出ている日本の近現代建築家で、木造の遺伝子をもっとも濃く受け継いでいるのは誰ですか?
藤森 丹下健三ですね。彼は木造のデザインや方法論を鉄筋コンクリートという近代の素材・工法に置き換えようとしました。そのときにいろいろな工夫をしているのですが、その一つが柱を四角くしたことです。彼はコンクリートで四角い柱を立てた、最初の建築家なんです。それまでヨーロッパでは古代ギリシャの神殿に始まり、ル・コルビュジエに至るまで柱は丸くするもの、という伝統がありました。日本でも住宅は角柱ですが、寺院建築では柱は丸い。丹下さんが柱を四角くしたのは、四角い梁を載せるには丸い柱より四角い柱のほうが向いているからです。小さなところですが、それが建築家の“勝負どころ”なのです。
実は丹下さんも戦前につくった建築のプランでは丸い柱の上に四角い梁を載せていました。が、戦後になって『この案を直したい』と言い、その後の作品では柱を四角くしています。彼ほどの才能の持ち主でも、このことに気づくには十数年もの時間がかかったということです。
——そういった細かいところに気を配るのが日本の建築家の特性なのでしょうか。
藤森 丹下健三だけでなく、他の建築家もそうですね。外国ではときどき、安藤忠雄の真似をした建物がありますが、やはりどこかが違う。それは安藤さんが柱や梁を壁や天井の中に隠して、真っ平らな壁や天井にしていることが多いのですが、“コピー”ではそんなことに頓着していないからです。柱や梁が見えるようにしている丹下さんも柱・梁・壁・天井ががたがたにならずにぴしっと揃えるようにしている。
この背景には、ヨーロッパでは梁をあまり意識しないということもあります。ル・コルビュジエが唱えた『近代建築の五原則』でもスラブ(床または天井の板)はありますが、梁はない。だからグロピウスの建築などでも壁の隅がぴしっと揃っていないといったことが起きるんです。
丹下さんのもう一つの工夫はバルコニーです。木造を鉄筋コンクリートに置き換えると構造上、どうしても柱より梁が大きくなって、頭でっかちな印象になってしまうんですね。そこで丹下さんは梁が目立たないようにバルコニーをつけたんです。〈香川県庁舎〉などではバルコニーは要らないのについている。でも日本の建築家は照れくさいのか、こういった工夫を口にしないことが多いですね。
この展覧会に登場する日本の建築家はみな何らかの形で伝統を受け継いでいますが、本人は伝統との関係は気づいていません。というよりも気づく程度のものは本当には生きてこないのです。食べ物がたんぱく質やビタミン、ミネラルのレベルまで分解されないと血肉にはならないのと同じです。建築家によってその栄養分に偏りがあるわけです。
——展覧会には〈待庵〉の原寸大再現が出品されますし、藤森さん自身も茶室を設計されています。茶室はやはり、日本建築において重要な位置を占めるものだと思われますか。
藤森 茶室は日本にしかなく、また木造でしか造れないんです。木、土、紙、竹といった軽い材料だから畳2枚分の小さなスペースに、二人の人が4時間も相対する場を作り出すことができる。空間をいくら見ていても飽きないのです。もし、この大きさの空間を石で造ったら牢屋のようになってしまうでしょう(笑)。
私はこの狭い茶室の中に火(炉)があることが決定的だと考えています。日本では神の住まいには火はなく、人の住まいには火があるんですね。神は煮炊きなどしませんから。〈待庵〉を作ったとされる利休の時代には、貧しい人たちは縄文時代の竪穴式住居に毛が生えたバラックのような家に住んでいました。4畳半ぐらいの大きさで床も張っていない、土間のままの住宅です。その貧しい、狭い家を究極の、完璧かつ芸術的な形にまで極めたものが〈待庵〉なのです。中に入るとそのできのよさにあきれます(笑)。炉の位置、床の間、腰壁に貼られた紙、障子とそこから入る光、どこをとっても直すところが一つもない。利休から学ぶところはほんとうにたくさんあると思います。
——木造建築の継承以外に日本の現代建築の特質はありますか。
藤森 SANAA(妹島和世+西沢立衛)の二人は自由な造形で注目されています。床が斜めになっていたり、建物全体が水滴のような丸い形をしていたりする。そういったことができるのは薄さ、軽さ、透明さという日本建築の特質を受け継いでいるからだと思います。
隈研吾さんの建築にも自由さがありますが、SANAAとはまた少し違う“微分した造形”なんですね。部材のサイズを小さくしていくことでいろんな矛盾を解決しようとする。本来は混ざり合わない水と油に仲介するものを入れ、高速回転させて乳化させるような感じです。
——この展覧会に限らず、建築展は海外でも日本でも人気です。なぜだと思われますか?
藤森 日本では、建築は住宅という日常の延長であり、インテリア・住宅雑誌に親しんできた層にとってはとくに親しみやすいものなのでしょう。一方ヨーロッパでは、建築は美術と同じような教養の一つです。ルネサンス期には絵画や彫刻の上に立つものとして位置づけられていました。バウハウスでもあらゆる造形活動のおおもとが建築だとされています。
中でも日本の現代建築は近年とくに注目されています。海外で日本の建築展があるとお客さんがたくさん来る。ヨーロッパとは違う遺伝子を持ち、独自の進化を遂げてきた日本の建築は世界でも類のないものとして大きな興味を持たれているのです。
藤森照信|Terunobu Fujimori
1946年長野県生まれ/建築家・建築史家。東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了。現在、東大名誉教授、工学院大学特任教授、江戸東京博物館館長を兼任する。建築史家として『明治の東京計画』で毎日出版文化賞受賞、『建築探偵の冒険・東京編』でサントリー学芸賞、日本近代の都市・建築史の研究により日本建築学会賞・論文賞を受賞。1986年、赤瀬川原平、南伸坊らと路上観察学会を発足。1991年〈神長官守矢史料館〉で建築家デビューを果たした後、「熊本県立農業大学校学生寮」(2001/日本建築学会賞・作品賞受賞)「多治見市モザイクタイルミュージアム」(2016)など40余の建築作品を手がけている。
SHARE