誰もが一度は見たことがあるであろう瀧本幹也の作品。宇多田ヒカルが6年ぶりに広告出演した「サントリー天然水」のポスターも、綾瀬はるか、長澤まさみら豪華女優陣の共演でも話題になった映画「海街diary」も、瀧本がファインダーを覗きとらえた世界だ。そんな瀧本の20年にわたるキャリアをまとめた展覧会がラフォーレミュージアム原宿でスタートする。
TEXT BY JUN ISHIDA
PHOTO BY MANAMI TAKAHASHI
広告写真、作品、コマーシャルフィルム、映画、作品世界を行き来する写真家の瀧本幹也。約20年のキャリアをまとめた展覧会がラフォーレミュージアム原宿で始まる。展覧会のタイトルは「CROSSOVER」。ジャンルを横断する瀧本の活動を表すのに、これほどふさわしい言葉はないだろう。展覧会の準備を進める瀧本に、今回の展示そしてクロスオーバーする自身の写真世界について聞いた。
——ラフォーレミュージアム原宿での展示はどのような経緯で始まったのですか?
今年はラフォーレ原宿が誕生してから40周年なんです。2000年代からたびたびラフォーレ原宿さんの広告を撮らせていただいていたということもあり、今回の展覧会のお話をいただきました。写真家として活動を始めて約20年になるので、振り返るのは大げさだけど、一度ここで整理してみようと思いました。最近、「広告写真」、「作品」、「CM」、「映画」の4つのジャンルを自分の中でバランスよく考えられるようになってきて、それぞれを分けて見せたいと。
——「CROSSOVER」というタイトルはどの時点で生まれたのですか?
活動は4つのジャンルに分かれていますが、自分の中には一つの軸があって、片足は常に写真にあります。写真という軸があって、映画にいったり、広告にいったり。そこから「CROSSOVER」というタイトルが見えてきました。会場もその言葉を反映した構成になっています。壁をつくり4つの部屋に分けるだけでなく、「X」の導線をつくりました。会場を行き来しながら見る導線になっています。
他ジャンルから得られる新しい発想
——広告や映画はたくさんのスタッフがいるプロ集団の世界ですが、作品は自分一人の世界になります。写真を撮る上で瀧本さんの中では違いはありますか?
撮る動機やプロセスも違いますが、自分の中ではあまり分けて考えていません。なるべく同じ気持ちでやっていますね。映画やCMは、カメラを構えている自分の後ろに100人、多い時でさらにたくさんの人がいます。でもファインダーを覗いているのは、自分一人です。カメラマンは最終のアウトプットの部分を担っていて、最後に画に定着する責任は自分に全てかかっている。いろいろな思いも判断も背負わなければなりませんが、「自分はこう思う」というカットを撮ることになります。最終的には個人になるわけです。だから撮る姿勢としてはあまり変わりません。
——それぞれのジャンルの仕事が影響しあうことはありますか?
例えば広告でも、いわゆる“広告写真”ではなく新しい表現を試みたいと常に思っています。自分の焼き直しを続けるのも飽きてしまいますし。これは「ゼロの頂点」というサントリーBOSSの缶コーヒーの広告写真ですが、架空の映画という設定です。ストーリーも台詞も用意して、映画のスタッフも呼んだんです。助監督が「よーい、はい!」というと実際に出演者の人にお芝居をしてもらって。唯一その現場にないのは動画のカメラだけ。映画の方法を広告写真に使ったり、作品の方法をCMに使ってみたり、ジャンルをクロスオーバーすることで新しいアイディアが浮かんできます。難しい問題に当たっても、広告の頭でやっていると乗り越えられないと思ったら、作品や映画の頭で考えてみるといい時もあります。ジャンルを横断することで新しい表現へジャンプすることができるのです。表現するということでは、各ジャンルの風通しが良いほうが新しいものが生まれる気がしています。
ルールを作ることから始まる作品制作
——作品制作は、どのように始まるのですか?
撮りたいテーマは常に何本かあるのですが、「あ、今それを実現する時だな」という見極めるタイミングが毎回あります。作品と広告では、自分自身でテーマを決めるところが決定的に違って、広告は出された課題にどう答えるかですが、作品は自分で自分に課題を出して、こういうのをやりますと提出する。課題自体がこれでいいのか、面白いのかと悩むこともありますが、でも今これを撮るべきだという強い衝動もあって、葛藤することもあります。最初から最終地点が見えてそこに向かっていくというより、撮りながら何度も自分の写真と向き合って、そこから伝えたい核が見えてくることが多いです。自分に課した仕事にしないと前もって準備しないから、テーマを決めた時点でおおよその締め切りや撮り方のルールを決めます。機材はこれ、演出は無しですとか。「SIGHTSEEING」(2007年)はまさにそれでした。典型的な観光スポットに行ってある場所に4×5のカメラを構えたらその位置を長い時間動かさない。そしてフレームの中に自分が反応する人が入ってきたらやっとシャッターをきる。日常から離れた観光地特有の空気が、作り物のようなフェイクな一つの舞台を見ているようでもあり、ドキュメンタリーでもある。作品を撮る際は、自分でそのような制約をあえて作り、何にフォーカスしたいのか、ズームで絞っていくようなやり方です。
——モンゴルの少数民族を撮ったシリーズは今回初めて見ました。
助手をしていた22歳ぐらいの時の作品です。モンゴルの西の端にある村のゲルに滞在し、そこの家族と生活しました。彼らに黒い布を巻いてもらい、ゲルの中、入り口近くに座ってもらい自然光で撮っています。だからよく見ると草原が瞳に映り込んでいます。日本人には蒙古斑があるわけで、モンゴル人の遺伝子と近いらしいのですが、文明の違いで人の顔がどう違うのか、当時気になっていたのです。その地域は、隣はカザフスタン、上はロシア、下は中国の新疆ウイグルに接していて、国境はあるけれどみな遊牧民として、カザフ族やウイグル族、ハルハ族などの十数の少数民族があまり交わらないように生活していました。そこで多様な彼らの顔を見ているうち、日本とモンゴルではなく、彼らのなかに明確に存在する違いを写し撮ろうと考えが変わっていきました。少数民族の顔の違いをタイポロジー的にみせようと思ったのです。何を伝えたいのかを一番に決めて、ぎゅっと他の要素を省いていき、顔だけを同距離で捉える顔の標本のような人種図鑑にしました。
——展覧会では約400点の作品が展示されると聞きました。膨大な量ですが、写真選びはどのように進めたのですか?
もっとたくさん展示したかったのですが、会場にも限りがありますので、残念ながら叶わなかった作品の方が多いです。残っていくであろう写真を1つの基準にしました。自分の撮ったものは全てアーカイブ化しているのですが、不思議なことに思い入れのある仕事は、それこそシャッターを切った時の瞬間を覚えているんです。選んだカットをネガからプリントする際にも、プリントの焼き方を覚えているから過去のデータを見なくてもほぼ同じように焼けました。忘れられないほど、頭に焼き付いているんでしょうね。服部一成さんが展覧会に寄せてくださった言葉に、「最後には瀧本さんが写真機になる」と書いてくれたのですが、確かに頭が写真機になっているのかもしれない(笑)。
瀧本幹也展「CROSSOVER」
会期 2月23日(金)〜3月14日(水) ※会期中無休 会場 ラフォーレミュージアム原宿 開館時間 11:00〜21:00 入場 無料
瀧本幹也|Mikiya Takimoto
1974年愛知県生まれ。94年より藤井保に師事。98年に独立、瀧本幹也写真事務所を設立。2012年からは映画の撮影にも取り組み、是枝裕和監督の『そして父になる』、『海街diary』では撮影監督を担当する。主な作品集に『BAUHAUS DESSAU MIKIYA TAKIMOTO』(05年)、『SIGHTSEEING』(07年)、『LAND SPACE』(13年)、など。広告では東京ADC賞、ニューヨークADC賞GOLD、カンヌライオンズ国際広告祭GOLD、ACCグランプリなど受賞多数。
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