What Is the Relationship Between Ceramics and Contemporary Art?
村上隆|陶芸↔現代美術の関係性ってどうなってんだろう?——Kaikai Kiki Gallery(〜8/30)
今年、十和田市現代美術館で「村上隆のスーパーフラット現代陶芸考」を開催した村上隆が自身のギャラリーでまたもやコレクション展を開催している。古美術、現代美術、陶芸など幅広い領域をカバーする村上コレクションだが、今回の展覧会は単に作品を見せるというよりも、アーティストとしての村上を浮かび上がらせる試みでもある。
TEXT BY Yoshio Suzuki
PHOTO BY Kozo Takayama
先日、豊田市美術館で開催中の「奈良美智 for better or worse」展の内覧会で村上隆に久しぶりに会ったとき、そこで繰り広げられている奈良の展覧会とは直接関係ない話をしてきた。関係ないようで実は関係しているのだが。
「日本の現代美術って、具体、もの派のあと、(村上自身が唱えた)スーパーフラットまで30年近くなにも名前がついてない。ちょっとそのあたりを展覧会でやってみようと思ってる。日比野克彦さんの作品も借りたりして」
僕も奈良美智の展覧会を見ていたからというわけではないのだけれど、少し前からちょっと似たようなことを考えたりして、そのことを周囲の人と話したり、大学の授業で取り上げたりしていた。
それは奈良、村上が出現する前までは日本の現代アートはどういう状況だったのかということである。
ちなみにスーパーフラットとはなにかといえば、マンガやアニメなど日本がリードする文化に影響を受け、それを現代美術の領域に引き込んだアーティスト、村上隆が提唱し、展開する芸術の形態であり、ムーヴメントである。また、日本美術に造詣の深い村上としては当然のことながら、仏画や掛軸や屛風など日本で特に発達した美術も背景にしている。
(これは村上の意図したことかどうかは不明だが)単なる絵画表現のための用語ではなく、マテリアルやメディアを問わない、作品が平面なのか立体なのかにも関わらない、ファインアート領域の表現なのか広告的表現なのかも分別しないという中立性や平等性を伴って広義に使われることもある。
第二次大戦後、アメリカで注目された美術運動である抽象表現主義のキーワードの一つに「フラット」があるが、そこに日本の古来からの美術の有り様やマンガ、アニメ文化からの成果を鑑み、発展させたものがスーパーフラットという捉え方もできるのだろう。
1. スーパーフラットを提唱した村上が検証する平成(1989年〜現在)の美術史
日本にもアーティストはもちろん常にいた。だけれど、奈良・村上のように世界を舞台に活躍する(つまりアートを輸出する)人たちはほとんどいなかったのだ(河原温や杉本博司など海外に活動拠点をもつアーティストは別として)。
もうひとつ、奈良・村上以前(1990年代以前)は現代美術よりも、雑誌や広告をメディアとするイラストレーション文化の方がむしろ華やかで、表舞台に立っていたとも言える。
ともかく、そんな“プレ奈良・村上”について当の本人である村上がなにか考えているというのはかなり興味深いことである。
それを目に見える形にしたもの。さしあたって(とあえて言っておく)村上によって形作られた展覧会が「陶芸↔現代美術の関係性ってどうなってんだろう?——現代美術の系譜に陶芸の文脈も入れ込んで」である。
戦後の日本の美術史をその呼称(具体とか、もの派とか)で整理し、呼称的な空白があるならそこには具体的にどういう作品があるのかを考える。そしてその流れに奇しくも似たような状況だった陶芸の世界とも対比させることで、より鮮明に見えてくるのではないかというのは村上の立てた仮説だ。
2. スーパーフラット前夜。ドメスティックな日本の現代美術
展覧会にはもの派を代表する作家である李禹煥(リ・ウーファン)と菅木志雄(すが・きしお)の作品が出ている。この2人のあとに出てくるアーティストは岡﨑乾二郎、日比野克彦、中原浩大だ。
この3人が活躍し始めた時代は日本経済未曾有のバブル景気を背景としていた。企業による不動産投資は海外にまで及び、同時に個人消費の高まりによって百貨店や広告業界は急激な右肩上がりの成長を見せた。
特にセゾングループ(西武百貨店グループ)がアートディレクター浅葉克己のもと、日比野とその一派を重用し、展覧会以外でも店舗のディスプレイやグラフィックなど多くの表現の場を与え、アーティストのスター化に貢献した。
その現象は伝統的な西欧型の芸術のシステムである強力なパトロン型とは対極にあり、大衆が支える芸術という性格が強い。それはマンガやアニメであり、ゲーム、フィギュア、そして、陶芸や工芸で、権力や富を持つパトロンなき芸術の盛り上がりである。
岡﨑は李よりも約20年、菅よりも約10年あとの生まれだ。アーティストでありながら、建築・美術の批評活動やキュレーションも行う。本展では長いタイトルの大きな抽象画を出品している。
もの派とスーパーフラットの間の30年近い「呼称なき時代」のスターのひとりが日比野克彦だ。東京藝大在学中の1980年代初頭から頭角を現し、特に初期はダンボールを素材とした作品を発表した。本展に出品されているのはダンボールを使った平面作品と立体作品。村上はかつては日比野作品をジャン=ミシェル・バスキアらの作品の亜流のように捉えていたこともあったが、今回あらためて見て、モティーフや作品性を再評価したと語っている。
中原浩大は村上とほぼ同年代だが、若い頃の村上が目標にしてきたアーティストである。90年代からLEGOブロックを使った作品やフィギュアも制作している。既成の素材や玩具を用いて、彫刻という表現媒体を模索し続けてきた。一時、活動は休眠状態だったが、2013年に岡山県立美術館で大規模個展を開催した。
もの派があり、岡﨑、日比野、中原の作品がある。これら作品が村上の先達となり、直接間接、村上に影響を与えたのは明らかである。あるいは「その方向ではない」と村上の進むべき道をナヴィゲーションしたアーティストもいるだろう。大学と大学院で日本画を修めた村上が一転、現代アートの世界に打って出たときに、スタディを行った対象に入っていると思われる。
この絵の隣には朝鮮半島の手描き地図が貼られている。時代、サイズ、用途、素材のまったく異なる2点だ。岡﨑の夫人は詩人・翻訳家のぱくきょんみ。彼女のルーツが韓国であることをふまえ、こういう展示にしたらしい。
3. 現代美術と陶芸との深い因縁を見出すことはできるのだろうか
村上が陶芸や骨董について考えを巡らし、美術と同様に時代をスキャンする。そうして、今回の展示の中で大きく取り上げることになったのは安藤雅信の作品群と、古道具坂田を通じて手に入れた陶器や骨董だった。
村上が陶芸を蒐集したり、知識を得たりするときの案内人の一人といっていい、陶磁器専門店、桃居の広瀬一郎はかつて、南青山の住宅地の一角でバーを経営していた。広告マンやメディア関係者が多く訪れた洒落たバーだったが、時代の流れを敏感に察したのか広瀬はそこから離脱していく。村上が広瀬の話をするときしばしば引き合いに出すのが小説家・翻訳家の村上春樹だ。多少、時代は前後するものの春樹も国分寺で、のちに千駄ヶ谷でバーを経営していた。その傍ら小説を書き、文学賞を受賞したあと、バーを畳み、作家専業となる。
日比野克彦も村上春樹もアメリカに多くを負っている。日比野が描いた旅客機はダグラス、ボーイングというアメリカ製だし、ボウリングシューズもサイズ表記からしてMade in U.S.。村上春樹自身もだし、彼の小説に登場する主人公はみんなトラッドファッションで、ポール・スチュアートでシャツとネクタイとブレザーをクレジットカードで買う。彼らの作品を通してみる「ちょっとカッコいいアメリカ」と今の我々が見ている(政治もカルチャーも)ちょっとカッコ悪い、だけどまあ、こんなものだよねなアメリカにはちょっと違いがある。
村上隆に話を戻す。バブル前夜とバブル期の大衆芸術の時代が通り過ぎ、村上隆はデビューする。スーパーフラットという新しい理論を引っ提げて、世界を舞台に活躍することを視野に入れて。やがて、欧米の有力な美術館やヴェルサイユ宮殿などで大規模な個展を開催し、大手オークション会社のオークションでは高額落札作品のアーティストとしてニュースになる。マンガ、アニメという大衆のものを触発のもととしたものの、村上の作品は高額で取引され、大衆芸術からは一線を画す。
安藤雅信は村上よりやや年長で岡﨑乾二郎や日比野克彦に近い。現代美術家として活動したのち、陶芸に進んだ。今回の展示では岡﨑の立体作品と近い場所に配置し、どちらが現代美術でどちらが陶芸などと区分することの意味の無さを提示しているようだ。
古道具坂田のオーナー、坂田和實は商社に勤務したのち、古道具屋を開いた。村上隆が最近知った事実として、「(坂田は)とある骨董屋に1年だけ勤め、辞めたため、徒弟制度の厳しい業界故、骨董業界から事実上抹殺され」たため、独自の道を行くことになり、その結果、彼ならではの選択眼、審美眼により骨董品、使い込んだ生活雑貨(コーヒーフィルター、雑巾など)に新たな価値を見出すことになったとのことだ。村上の坂田に対する入れ込みぶりはかなりのもので、店主というよりも導師のような存在に近いのではないかと思わせる。
4. この展覧会から村上の新しい思考実験は始まっている
日比野の作品などを除けば、展示されているものはすべて村上のコレクション(正確には村上が率いる有限会社カイカイキキのコレクション)である。自分のコレクションだけで、このテーマを満たす展示ができるのは本当にすごいことだ。というより、そもそも村上コレクションがアーティストとしての先輩の人たちの作品を集め続けるという狙いを持っていたからである。
それは村上が常に自身の立ち位置を客観的に把握しておくという冷静さを根底に持ち合わせているゆえである。自分の作品と自分が提唱する理論を象徴する作品を同時に展開した「スーパーフラット展3部作」もそうだし、若手アーティスト発掘の祭典「GEISAI」(当初の名は「芸術道場GP」)を自分の東京都現代美術館での個展「村上隆展 召喚するかドアを開けるか回復するか全滅するか」の関連企画として開催したり、自分の久しぶりの個展である「村上隆の五百羅漢展」とほぼ同じ時期を狙って、自らのコレクションを見せる展覧会を企画するという周到な戦略が村上の作品を常に新しく刺激的なものに保っていると考えられる。
今回の村上が唱える呼称の問題は、戦後の美術史の大きなテーマなので、もっと検証を進めるために展示品を増やし、できたら美術館の企画によって規模の大きな展覧会に作り上げる必要がある。村上によれば、来年、熊本市現代美術館で村上の陶芸コレクション(仮)の展示を予定しているので、そこで新しい展開ができるのではないだろうか。
展覧会「陶芸↔現代美術の関係性ってどうなってんだろう?——現代美術の系譜に陶芸の文脈も入れ込んで」
鈴木芳雄|YOSHIO SUZUKI
編集者/美術ジャーナリスト。明治学院大学非常勤講師。雑誌ブルータス元・副編集長(フクヘン)。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。雑誌「ブルータス」「婦人画報」「ハーパーズバザー」などに寄稿。
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