刺繍の技法を用いながらも、従来の刺繍の概念を大きく超えた「針と糸の芸術」とも言える作品で注目を集めている沖潤子。森美術館で開催中の「六本木クロッシング2025展」での展示を鑑賞しながら、作家本人にインタビューしました。
TEXT BY MARI MATSUBARA
PHOTO BY NORIO KIDERA
EDIT BY KAZUMI YAMAMOTO
特集注目!日本の現代アート最前線
Roppongi Crossing 2025
TEXT BY MARI MATSUBARA
PHOTO BY NORIO KIDERA
EDIT BY KAZUMI YAMAMOTO
何千回、針を刺したのだろうと思うほど無数の縫い目がしつこく円を描いたかと思うと、勝手気ままな方向へと延びていく。糸はもつれ、玉を作り、こんがらがりながら布を縫い縮め、ハギレとハギレを繋げていく。足を伸ばして増殖するアメーバのようでもあり、水面に沸き続ける泡のようにも見える作品が20点、壁面に飾られ、その足元の床にはぎっしりと糸巻きが並んでいる。
展示風景:「六本木クロッシング 2025 展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」森美術館(東京)2025-2026年 Courtesy: KOSAKU KANECHIKA, Tokyo
結界代わりに床に置かれた糸巻きは、2020年の個展の際に一般から寄付されたもの。
糸巻きを使った新作《進化》2025年。古道具屋で入手した精神病棟の窓の柵の中に糸巻きを詰めた作品。
沖 美術館で作品保護のために結界を引くことがありますよね。ロープを張ったり、床にラインを引いたり。あれがあまり好きではなくて。そこで糸巻きをたくさん置いて結界がわりにしました。2020年に山口県立萩美術館・浦上記念館のお茶室で展示をした時、自分の作品と空間をつなげるものが必要だと思い、要らなくなった糸巻きを送ってほしいと広く一般の方に呼びかけたんです。そうしたら7,000個も集まって、お茶室の畳の上に敷き詰めてインスタレーションをしました。それ以来、糸巻きは私の作品をサポートしてくれる心強い存在に思えて。なぜかというと、寄付された糸巻きにたまにお手紙がついていて、それを読むと「洋裁が好きだった母が使っていた糸巻きです」とか、書いてあるんですね。私も亡くなった母が遺した大量の布や糸や針をきっかけに創作を始めたので、ああ、同じだなぁと感じるんです。

沖 潤子|Junko Oki 1963年埼玉県生まれ。神奈川県鎌倉市在住。2002年より亡母が遺した布に自己流の刺繍をほどこし始める。2017年「第11回 shiseido art egg賞」を受賞。2022年、神奈川県立近代美術館鎌倉別館にて個展開催。2024年心象工芸展(国立工芸館)、2025年「あいち2025」に出品。2026年3月末に12年ぶりとなる作品集『STILL PUNK』(文藝春秋)を刊行予定。2026年3月7日(土)〜4月18日(土)、KOSAKU KANECHIKA 京橋にて個展予定。
60代半ばで亡くなった洋裁好きの母が遺した布を捨てられず大事に保管していたが、ある時その一枚を中学生だった沖の娘が引っ張り出してバッグを手作りし、沖の誕生日祝いにプレゼントしてくれた。
沖 母が大事にしていたリバティプリントの布を切ってしまったんだ……と最初は愕然としましたが、表面にザクザクと刺繍がしてあって、すごく思い切りがいいというか、夢中で作る人の自由さを感じました。当時、私は会社勤めをしながら一人で娘を育てていたのですが、このままの人生でいいのか、何者かになりたいけれどどうすればいいのか、何か作りたいけれど、みんなが欲しがるものは何だろうなんて考えて悶々としていました。そんな時、娘が作ったバッグを見て、衝撃を受けたんです。クリエーションって、マーケティングなんて関係なく自分の好きなようにやらないといけないんだと目を開かされた。そこから今の創作活動に至るまでにはまた時間がかかるのですが。
その後、通勤電車の中で見たサラリーマンのネクタイがあまりにも画一的で「杭を出しません」と宣言しているようだと感じたことから、“杭を出す”ネクタイを作ろうと思い立ち、母親が遺した布を使ってユニークなネクタイを制作。スタイリストのソニア・パークの目に留まって〈ARTS & SCIENCE〉に置かれたり、新宿高島屋で扱われたりしたこともあった。しかし同じものを3本、5本と注文されると心身ともに消耗してしまい、娘が大学を卒業して一人暮らしをするようになって、ようやくプロダクト制作から離れ、アートの道1本で行くことを決心したという。
沖 もう一つ、私の創作に重要なのが東北地方のボロ布との出会いでした。古道具屋の手伝いをしていた頃、海外のコレクターにも「BORO」と呼ばれて人気の古い野良着やハギレを大量に見せていただき、譲ってもらいました。すり切れ、破れてもなお何度も繕い、はぎ合わせて使い続けられた布の存在感に圧倒され、これに刺繍をしてみたいと強く思ったんです。ボロはそのままでも美しいのですが、いにしえの名もなき人々の歴史が染みついているこの布に、私の時間を混ぜさせてほしいと感じました。それが今の創作のきっかけになりました。
《旅》2024年。東北地方の古い藍染のボロ布を使った作品。
《蜜と意味 04》2018年、部分。
《ノスタルジア》2022年、部分。
今回の展示作品の中にはボロ布に刺したもののほか、着物の胴裏や襦袢などに使われた赤い絹布「紅絹(もみ)」を使ったものもある。そのほか、沖が子供の頃に母親が買って食卓に使っていたテーブルクロスや、沖の兄が生まれた時に母親が作ったベビー服なども作品の材料となっている。そのどれもが時間を経た布ばかりだ。
《ベビードレス》2025年。沖さんのお兄さんのために母が手作りしたベビー服。裾の一部に沖さんが刺繍を加え、縫い針もそのまま刺してある。
《テーブル掛け》2025年。子供の頃の思い出が詰まったテーブルクロスに夥しい量の糸を使って刺繍している。ところどころ玉止めしたり、糸が垂れ流してあったり。
沖 女は大学など行かなくて良いと言いきる父を持ち、結婚後は夫を支え子育てに明け暮れた母。私の母だけではなく、その世代の女性たちはみんないろんな抑圧の中に生きて、どんな思いを抱きながら繕い物をしたり、家族のための服を縫ったりしたんだろうって想像するんです。古い針仕事を見るたびに、一人一人の女性が抱えた答えの出ない葛藤が詰まっているように感じます。そういう女性たちがいて、今の私が生かされているのだと。彼女たちが遺した古い布に私が刺繍を加えることで、私の時間をその上に重ねるような気持ちで制作しています。古いものへの懐かしさというよりは、前時代の女性たちが置かれた状況や抱えた思いを想起させるものを作りたいのです。
《膝栗毛 I》2024年、部分。
《言葉にできない言葉04》2019年、(部分)
《抱擁2》2021年。古布と糸、新旧の時間が抱擁し合う。
《抱擁2》の中心部拡大。
沖はいつも下絵を描かず、おもむろに布を手に取り、チクチクと思うままに刺していく。
沖 頭の中にも完成形はなく、ひたすら縫っていると自然とドレープが生まれたり、筒状になったり。予定しないで自由に刺していったほうが面白いものができます。糸が絡まってもやり直さず、お構いなしに縫い進めて、結果を受け入れるようにしています。ほとんどの場合、ぐるぐると螺旋を描くようにして縫い始めます。筆で円を描くとあっという間に終わっちゃうけれど、針目はなかなか進まないので、その遅さが自分の思考には合っているみたい。たいていはミシン糸を1本どりで刺しますが、この間、どうしようもない感情の時に10本どりでブスブス刺してみたら面白かったです(笑)
展示風景:「六本木クロッシング 2025 展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」森美術館(東京)2025-2026年 Courtesy: KOSAKU KANECHIKA, Tokyo
沖 作品が出来上がると、石鹸をつけてジャブジャブ洗うんです。ものによっては色が落ちたり、もともと布に付いていた泥汚れが後から刺した刺繍にも広がったりして、それで初めて布と刺繍が合体する感じです。私の作品はカテゴリーとしては「刺繍」と呼ばれますが、それはもう刺繍というよりも布と一体化した何か、なのだと思います。
沖の作品の前で涙をこぼす人もいるという。古い布に重ねた執拗な縫い目の集合体には、さまざまな時間や物語がレイヤーとなり、見る人の気持ちを揺り動かすのかもしれない。
沖 以前、ある審査員の方が私の制作動機を「鬱陶しい」と評したことがあり、違和感をおぼえました。その言葉の力に影響を受け、個人的なテーマを出すことに慎重になっていましたが今年バーゼルに出品してみて、海外の方は作品にナラティブなものを期待しているのだと実感しました。私は46歳から創作に専念したのでアーティストとしては遅いスタートですし、あと2年で母が亡くなった歳になります。残された時間は少ないのだから、出し惜しみしている場合じゃない!と思い直しているところです。古い布を手に取ると、過去の女性たちから「あなたは自由にやりなさい」と背中を押してもらっているような気がします。だから私は、せめても自分を出し切った人生にしなければならないと肝に銘じてチクチクと縫い続けています。

六本木クロッシング2025展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠会期 開催中〜2026年3月29日(日)会期中無休開館時間 10:00〜22:00(火曜のみ17:00まで)※最終入館は閉館の30分前まで会場 森美術館(六本木ヒルズ森タワー53階)
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