『ミシュランガイド東京』において和食で唯一15年間、三つ星であり続ける「日本料理 かんだ」。店主の神田裕行さんは、2021年、指導者としてレストラン業界の発展に寄与する料理人に与えられるメンターシェフアワードを受賞した。いまや世界最高峰の料理人のひとりとなった神田さんだが、今年2月、元麻布から虎ノ門ヒルズ レジデンシャルタワーの1階に店舗を移転。新生「日本料理 かんだ」を訪ねた。
EDIT by AI SAKAMOTO
PHOTO by SATOSHI NAGARE
TEXT by MICHIKO WATANABE
グローバルな視点での店づくりを目指す
2004年、神田さんは40歳にして独立。「元麻布かんだ」を開き、日本料理の真髄を踏まえながら、時代の核心を捉えた新味ある料理の数々で、日本のみならず世界の食通たちを唸らせてきた。今回、移転を決意したきっかけは?
「55歳の頃、いつまで現役で仕事ができるかと考えたんです。70歳までとしたら、あと15年。まだ15年。ならば、新しいステージでさらなる挑戦をしてみたいと思うようになりました。元麻布も気のいい場所なのですが、ウェイティングスペースや個室専用の化粧室など、三つ星レストランとしてのファシリティを整えたいと思ってもいたのです」
実は、ここぞ!と思う物件もあったが、叶わず。縁は異なもので、場所を探していることを知った森ビルサイドからオファーがあった。ただ、この時点では移転について、まだ漠とした思いだけだった。それが、現代美術作家の杉本博司さんと知己を得たことで、実現へと歯車が回り始める。親交を深める中で、自身もプロ級の料理の腕前を持つ杉本さんだからこそ、料理人の気持ちがよくわかること、細部にわたってグローバルな視点で店作りを考えてくれることに感銘を受け、設計を任せることにする。
「元麻布の店は、徳島の友人の建築家と考え抜いて作り上げたものです。カウンターは檜というわけにはいきませんでしたが、奥行き、高さ、その上の台の幅など、計算し尽くしたものでした。ここではライブ感が大事。カウンター越しで接するお客様に、テンポよく料理をお出ししたい。お客様も料理に集中していただけるようにと考え抜いたカウンターですから、新店舗でも踏襲したいとお願いしたのです。友人へのオマージュもありました」
虎ノ門ヒルズ レジデンシャルタワーの1階に、ひっそりと佇む店舗。看板もないので、扉を開けるのをとまどうほどだが、中に入るとビルの中とは思えない別世界が広がる。石畳を踏んで露地を進むと、右手にウェイティングルームが。大きく開いた窓の外には、小さな祠を擁した苔と石が織りなす心鎮まる庭。そして、高い天井と立派な春日杉のカウンターの空間は、驚くほどのゆとりを感じる。カウンターの雰囲気や器を並べた棚など、「元麻布かんだ」の面影を残しつつも、格段にグレードアップした。
「席数はまったく同じです。広さは倍近くになりましたが、だからといって席数を増やせば、クオリティは落ちてしまいます。カウンターに座っていただくとわかるのですが、元麻布の店をご存じの方は既視感のようなものを覚えると思います。でも、席間がゆったりしているので、開放感があるし、特別感がある。ウェイティングや個室のための動線などファシリティも万全となって、ハレの日に使っていただきたい店になりました」
実は、神田さん、森ビルとは浅からぬ縁があるという。
「僕、“ヒルズっ子”なんです(笑)。赤坂アークヒルズの店で料理長を務め、六本木ヒルズができたときは2店舗の料理を担当しました。元麻布かんだは六本木ヒルズの裏手でしたし。今回の移転で、正真正銘のヒルズっ子になりました」
現在、59歳。移転して半年になる。厨房はフィールド。体力、集中力、闘争力が原動力という。仕事のクオリティをキープするために、体のケアも欠かせない。それらが移転によって、すべて虎ノ門ヒルズの中で完結できるようになった。日本の食文化を世界に知らしめ、さらなる飛躍を目指す神田さん。新しいステージは、世界の食通からも大きな期待を寄せられている。
「現役で働けるのは、せいぜいあと3,000日。ますます真摯に精進を重ね、“進化”ではなく“深化”した料理をお届けしたいと思っています」
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