半世紀以上にわたって世界のデザイン界をリードするとともに、〈アークヒルズ・スパ〉〈六本木ヒルズレジデンス〉〈六本木ヒルズクラブ〉の内装監修などを手掛けてヒルズと強い結びつきのあったテレンス・コンラン卿が9月12日に逝去。あらためてその偉大な足跡を振り返る。
TEXT BY Megumi Yamashita
PHOTO BY Haruko Tomioka
9月12日、テレンス・コンラン卿逝去のニュースがイギリスでは速報で流れた。デザイン業界に止まらず、飲食業界やホテル業界でも重鎮だったコンラン卿。「デザインの力で日々の暮らしを、そして社会全体をもより良いものすることができる」という揺るがぬ信念を貫き、イギリスにとどまらず、グローバル規模で暮らし方に革命を起こした。
1931年生まれのコンラン卿は、デザインという言葉さえなかった戦後の復興期、古いもの好きで食に無頓着という国民性のイギリスに、モダンなライフスタイルの提案を始める。1964年には〈ハビタ〉を創設。単に家具や食器などを売るのではなく、暮らし方をトータルで提案するショップは、商品のセレクトも見せ方も売り方も画期的だった。〈ザ・コンランショップ〉の前身となり、またいわゆるセレクトショップやライフスタイルショップの先駆けとなったものだ。
その後、レストランやホテルのデザインや経営にも進出、1990年代には日本にも〈ザ・コンランショップ〉をオープンする。森稔 元森ビル会長とも親交を深め、〈アークヒルズクラブ〉〈六本木ヒルズレジデンスB・C〉〈六本木ヒルズクラブ レストラン・バー〉の内装監修なども手掛けている。
ヒルズライフでは、2018年1月号でコンラン卿の自邸を取材させていただいた。モダンに改築された18世紀の屋敷、大きな菜園では野菜やフルーツ育て、鶏や蜂を飼い、農舎を改築した工房で家具を作るという暮らしぶりは、コンラン卿が提案してきた理想の暮らしそのままの実践だった。時代や国にとらわれず「プレーンで機能的な家具や道具類は役に立つだけでなく、オブジェとしても美しい」ことがよく見て取れた。生垣がリンゴの木というあたりも、食いしん坊のコンラン卿らしかった。新しい有機農園の経営計画を熱く語っていたことも思い出される。
ライフスタイルショップの父のように言われてきたが、ご本人は「ライフスタイル」という言葉を嫌った。「表層的なスタイルを提案しているのではない。生活を向上させるためにデザインを提案してきた。デザイナーとデコレーターは異なる」と、生涯を通して自らデザインを手掛ける一方、若手のデザイナーの発掘やサポートにも尽力した。森ビルが推進する「虎ノ門・麻布台プロジェクト」で低層部デザインを手がけるトーマス・ヘザウィックは、美大の卒業制作の時点でスポンサーになっている。六本木ヒルズのルーフガーデンを手掛けたダン・ピアソンもコンラン卿によって世に送り出されたと言っていい。
試作がすぐ作れるようにと作った自邸の家具工房では、地元の若者などを職人として育成。世界中から注文が入る工房へと成長させた。「デザインは暮らしや社会をよくするだけでなく、雇用の機会を作るなど、経済活動にも貢献することを政治家に分からせたい」と言い、EU離脱や世の右傾化を案じていた。
数ある業績の中でも、モダニズム以降のデザインに特化した世界初の美術館として創設された〈デザインミュージアム〉は、次世代に引き継ぐ最大のレガシーとなるものだろう。1989年に創設以来、デザイン関係の展覧会や教育プログラムを主催してきたが、2016年には新居に移転。そのオープニングのスピーチで「人生で一番ハッピーな日です…」感極まって涙したように、コンラン卿が私財を投じて実現させた悲願のプロジェクトである。その頃は移動に時折車イスを使っていたが、撮影の時はできる限り背を伸ばして立ち、笑顔を作ってポーズを取ってくれたことも心に残る。
著書も数々出版しているが、最後の本となったのが自伝的な『マイ・ライフ・イン・デザイン』だ。70年に渡るデザイン活動を振り返る内容だが、ここで伝えたかったことはむしろ「私ができたんだから、みんなもできる」ということ。戦後の復興期に社会に出て、デザインを機軸に成功を収めたコンラン卿も、幾多の失敗を経験している。「信念を持ってしつこくやっていれば道は開ける。まずは一歩踏み出すことをぜひしてみて欲しい」と語った。
個人的に嬉しかったことは「ええと、あのデザイナーは誰だったか?」と、失念されたデザイナー名を言い当てたこと。「よくわかったね」と、時間を置いて何度か褒めていただいた。デザインという言葉もない時代から、デザインの普及に尽力してきたコンラン卿にとって、それはデザインの認識が上がっていることを確認できた瞬間だったのかもしれない。
コロナ禍や気候変動などで世が大きく変わるなか、コンラン卿の死去は一つの時代の終焉を象徴するものでもある。その偉大な人生を振り返りつつ、私たちも信念に基づき「とにかく一歩踏み出す」ことで、彼の意思を引継ぎ、新しい時代を築いて行けたらと思う。
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