Japan Innovation Campus #3

一刻も早く出ていくことが、何よりの「恩返し」:シリコンバレーのビジネス拠点〈JIC〉に入居するスタートアップたちの本音

経済産業省が主催し、森ビルが運営受託するシリコンバレーのビジネス拠点「Japan Innovation Campus(JIC)」。ここには現在、どのようなスタートアップが入居し、いかなるコミュニティが形成されているのだろうか? 2024年3月取材時点で入居中の51社のうち、3社の声を聞いた。

TEXT BY TOMONARI COTANI
PHOTO BY shelley anderson

──まずは、それぞれ自己紹介をお願いします。

中山 TieSet(タイセット)の創業者でCEOの中山と申します。コンピューターサイエンスの博士号(Ph.D.)を取得するために米国の大学院に入ったのが2011年なので、米国在住は今年で14年目になります。Ph.D.取得後は米国の研究所でAI技術の開発に携わっていましたが、2022年に面白い手法に出会い、それを自分でやりたいなと思って創業しました。

中山 清|Kiyoshi Nakayama TieSetの創業者兼CEO。カリフォルニア大学で博士号を取得し、シリコンバレーでサイエンティストとして活躍。AIのベストセラー著者で、2つの国際論文賞を受賞。分散連合学習プラットフォームSTADLEを開発し、30以上の論文と特許を保有。

──「面白い手法」というと?

中山 複数のエッジデバイスやサーバーがデータを共有することなく、協力して機械学習モデルをトレーニングする「連合学習(Federated Learning)」です。この手法を活用することでプライバシーやクラウドコストに関する課題をクリアしながら、より高度なAIの運用を可能にする「STADLE」というプラットフォームを開発しています。

──「STADLE」についての具体的な解説は、追々お聞きしたいと思います。それでは次に——。

黒田静子|Seiko Kuroda 京都大学経済学部卒業。米国公認会計士資格を保有し、二児の母。幼少期を中国で過ごし、中国語も堪能。パナソニックの経理部で約10年間、財務会計の実務経験を積み、ベトナム駐在も経験。育児休暇から復職後、スタートアップに転職し、決済や通信関連のスタートアップを経て、2021年にKORTUCに参画。KORTUC米国法人をゼロから立ち上げ。

黒田 KORTUC(コルタック)というバイオベンチャーでオペレーション全般を担当している黒田です。KORTUCは現在、がんの放射線治療の効果を安全に高める薬を開発しています。わたし自身は財務周りが専門で、実は機械系メーカーの経験が長かったのですが、コロナ禍の期間に友人ががんで亡くなったこともあって、何らかの形でいま開発している治療法を世界に届ける手伝いができたらなと思い、参画しています。

──ありがとうございます。それでは最後に——。

安藤 次世代スマートホームの実現を目指すHOMMAの安藤です。わたしはビジネスサイドからコーポレートサイドのオペレーション全般を担っています。私はMBA取得も含めて米国と日本を行き来していましたが、2年前にHOMMAにジョインして改めて渡米しました。社会に対するインパクトという自分の尺度に照らして、誰しもの暮らしにかかわる「家」を独自のデザインと自社開発の技術を融合させることで再定義する、というビジョンに惹かれたからです。

安藤正英|Masahide Ando 総合商社で20年以上にわたり多様なプロジェクトに携わり、その後、スタートアップのCOOなど要職を歴任。事業開発・ファイナンス・オペレーションの分野で豊富な経験を有し、スマートホームのスタートアップHOMMA Groupに在籍。複数のスタートアップでアドバイザーも務める(取材当時)。

──ありがとうございます。それではより具体的に、みなさんのビジネスについてうかがいたいと思います。まずは安藤さん、HOMMAについて教えていただけますか?

安藤 簡単に申し上げると、HOMMAが提供しているのは私たちの住む家をスマートホーム化するサービスです。スマートホームというとスマートフォンやスマートスピーカーを様々な機器に接続して、操作することを想起されるかもしれませんが、わたしたちは方向性が違います。ほとんどの場合は、スマートフォンのアプリの数ばかりが増えていったり、またそれらのデバイスやサービス同士が連携していなかったりして、導入すればするほど逆に煩雑さが増していきます。便利にするはずのスマートホームが、逆に不便さを高める結果になってしまったりするんです。その良さを最も享受してほしい人たちにこそ、導入のハードルになってしまうのです。わたしたちは、ユーザーエクスペリエンスにフォーカスして、誰にとってもシンプルで、統合されたスマートホームサービスを開発しています。

例えば、明るさや温度のことをいちいち意識せずとも、家自身がわたしたちにとって最適な状態に保ってくれるような「自然な状態」を、実現したいと考えています。例えば照明であれば、単にオンオフだけでなく季節や時間帯によって自動的にそれらにあった明るさや色温度(暖色系か寒色系か)になりますし、自分の好みに合わせることもできます。体感すると分かるのですが、驚くほど快適な環境なんですよ。また、電気代が15%ほど節約できることもわかっています。

──いちいちスイッチを押さなくても、時間帯や用途を空間側が理解し、最適な環境をごく自然に提供する……というある種のカームテクノロジーでもあるわけですね。

安藤 HOMMAのサービスによって、照明や空調が「意識しないけれど、そこにある」空気のような存在になるわけです。スイッチを押したり調整したりすることを意識しなくてよくなるだけでもストレスがずいぶん軽減されます。一度その生活を体験したら、もう元の生活スタイルには戻れないと思いますよ。それに加えて、わたしたちは建築デザインの観点で家全体の空間演出を考慮しながら、テクノロジーを配置していくという強みも持っています。とりわけ米国は家自体が古いので、イノベーションの余地が大きいマーケットです。

──シリコンバレーに拠点を置いている理由は、狙えるマーケットが大きいからなんですね。では次に、KORTUCについて黒田さんにうかがってみたいと思います。

黒田 わたしもできるだけ簡単にご説明したいと思います。現在、がんの治療は大きく3種類あります。ひとつは「切る」治療法。ふたつめは「化学療法」。そして三つめは「放射線治療」です。米国をはじめ世界では60%が放射線治療だといわれています。

2024年3月21日、JICの正式オープンを記念して開催されたセレモニーにおいてプレゼンテーションを行う黒田。この日JICには、経済産業省スタートアップ創出推進室(2024年3月取材時点)のメンバーや在サンフランシスコ日本国総領事、地元シリコンバレーのベンチャーキャピタリストなど多くの人が集い、交流を深めていた。

JICが居を構えるパロアルトは、シリコンバレーの起業文化や技術革新の精神を象徴する中心的なエリア。実際、スタンフォード大学も徒歩圏内でベンチャーキャピタルも多い。JICは今後、さまざまなネットワークを誘発していく場所として機能していくことだろう。

──「化学治療」は、いわゆる抗がん剤治療ですね。

黒田 はい、切除とともに、患者さんの負担が大きい治療法です。一方で放射線治療は、局所に放射線を当てることでがん細胞をやっつける治療法です。患者さんへの負担は比較的小さいのですが、既に大きくなってしまったがんに対しては、強い放射線を当ててもやっつけづらいという問題がずっとありました。この問題を解決するべく、例えばいろいろな金属物質を体内に入れて放射線のパワーを増幅させるなど、さまざまな取り組みがなされていますが、いまだに薬として承認されていません。

わたしたちKORTUCは、高知大学の先生が見つけた「過酸化水素を直接がんの中に注入することで、弱い放射線でも効きやすくする」という極めてシンプルな技術を用いることで、この問題の解決に取り組んでいます。薬の承認を得るためのプロセスはとても長く、平均して10〜15年ほどかかるのですが、そのプロセスにおいてわたしたちは最終的な位置にいます。それに加え、日本の病院での使用事例が1,000件ほどあり、効果もわかっています。その点が、ほかのスタートアップと比べたときの大きなアドバンテージになっています。

がんの治療ってある種の国家プロジェクトでもあるので、莫大な予算をもつ有名大学の研究室が新規物質を開発したりしているのですが、KORTUCは、日本の地方大学の先生がひとりで実験している過程で発明した技術なんです。いわば逆境をうまく生かしたというか。そうしたストーリーも、とてもユニークだなと思っています。

──ありがとうございます。はやく認可されて、患者さんやご家族の苦しみを解消する機会がもたらされるといいですね。では最後に中山さん、TieSetが開発した「STADLE」について教えていただけますか?

中山 AIって、人間と同じで学習しないと育ちません。学習しないAIはどんどん廃れていくので、とにかく学習が重要なんです。ただし、現在の学習手法の多くは中央集権的というか、単一の巨大なデータセンターに依存しているような状況です。かつて、「世界には数台のメインフレーム・コンピューターしか必要ないだろう」とうそぶかれたこともあったそうですが、現実を見ると、世界中の人がスマートフォンを持ち、インターネットを通じてコラボレーションをしていますよね。それと同じように、巨大なデータセンターを運用できる一部の巨大テック企業だけがAIに携わるのではなく、分散した環境で学習を行い、それをオーケストレーションすることで、巨大なデータセンターに匹敵する効果を上げようというのがTieSetの基本コンセプトです。

TieSetが開発している「STADLE」という分散学習システムの核心は、データそのものではなく「脳」の部分、つまり学習済みモデルの共有にあります。個々のデバイスや環境で行われた学習結果を効率的に統合するフレームワークと、デバイス内に学習データを保持し、共有モデルを共同学習する「連動学習」という手法によって、ユーザーは効率的かつ機密データを外部に送信することなく、AIの学習に貢献できるようになります。つまり、データプライバシーの保護とAI開発の民主化を同時に実現するアプローチだと考えます。大手テック企業の独占から脱し、より多様な主体がAI開発に参加できる未来を、TieSetは目指しています。

「同じ目線」で相談できる強み

──ここからは、みなさんがどういう経緯でJapan Innovation Campus(JIC)と接点を持たれるようになったのか、お聞きしたいと思います。

ピッチをする側も聞く側も、常に真剣勝負。たった1回のピッチをきっかけにチャンスをつかみ、のちにユニコーンとなったスタートアップがいくつもあることを、シリコンバレーの人々は熟知している。

黒田 わたしたちの場合、最も協業の可能性があるメーカーがパロアルトを拠点にしていたということもあり、こちらに移ってきました。JICに入居する前はしばらくシェアオフィスにいました。でもシェアオフィスって、実は大企業が入っているケースが多いんです。KORTUCは自分たちでゼロから作った会社なので、わからないことだらけだったのですが、大企業の駐在でこちらに来られている方たちとは日々やっている内容が全然違うので、相談できる環境ではないなと感じたんです。

だから、JICがオープンすると聞いたときは「ぜひ入居したい」と思い、すぐに申請しました。ここに入居されているのはスタートアップの方々ばかりなので、業種や分野は全然違うけれど、基本的には小さな規模で自分たちのサービスやプロダクトをプロデュースしているということで、必然的に話題が似てくるんです。資金調達をどうするかとか。

そういう意味では非常にユニークな施設ですし、実際、日々気軽に相談できる人が周りにたくさんいることはとても助けになっています。

中山 うち(TieSet)の社員はほとんど米国出身者なのですが、積極的にみなさんと話しているみたいですね。日本のカルチャーにもすごく興味があるみたいで。迷惑かけていないかなと心配になりつつ、「英語でしゃべれてありがたい」と言ってくださる方もいるのでホッとしています。確かにJICは、ローカル化したいという狙いが強いみたいなので、ぼくら“外国人”が、現地の人と自然に交われる環境があることはいいことだと思います。

安藤 海外で日本人だけで固まってしまうのも、逆に日本との繋がりを無くしてしまうのもどうかと思います。その点、日本人とローカルのコミュニティの両方にアクセスできる環境は、実はとても魅力的ですよね。限られた原資のスタートアップとしてコワーキングスペースを有効活用するのが一般的だと思いますが、名の知れた多くのコワーキングスペースの場合、それぞれが自由気ままにいるだけで、それ以上のコミュニティは生まれていない印象です。その点JICは、日本からシリコンバレーに来て、ここからグローバルに勝負したいと思っている方たちが集っているので、共有する課題意識があることが多いと思います。実際、まだ入居して数カ月ですが、入居者同士のコミュニケーションは思っていたよりずっと多い気がしますね。

中山 ぼくは10年以上シリコンバレーに住んでいたわりに、これまで現地の日本コミュニティとはかかわりがなかったんです。

──かかわる必要がなかった、ということですか?

AI、医療、スマートホームとそれぞれ領域は違うものの、3人とも自社以外の技術やサービスに詳しい様子から、実際、深いコミュニケーションが日々取り交わされていることがうかがえた。

中山 いや、機会がなかったんです。いろいろなコミュニティがありますが、アクティブじゃなかったり、閉じられていたりすることもあって。実はJICのことも知らなかったのですが、米国にいる日本人の知人から「パロアルトでオフィスを借りられるらしいよ」って教えてもらい、早速申し込みました。こんないい場所に、結構広いスペースのオフィスを借りられるのはチャンスだなと思ったのがきっかけでしたが、蓋を開けてみたら思いのほか統合的にやられているし、おふたりが言うように、目線の合ったコミュニケーションができるコミュニティが形成されているのも、すごく助かりましたね。

安藤 シリコンバレーのエコシステムは狭い村社会なので、こちらに長くいる日本人でもなかなか入っていけないと思います。それでもシリコンバレーの中心のパロアルトにこのような「場」と「コミュニティ」があることで、必然的にローカルの人たちの目にも留まりやすくなるし、接点が増していることは実感しています。

黒田 経済産業省のバックアップがあることによって、ここに出入りしたい銀行やベンチャーキャピタルがいるのも事実なので、今後、日本関連のスタートアップが育っていく場になっていく可能性はあると思います。

中山 これまでは個人での戦いを強いられていたけれど、「これからは国として戦っていける」くらいの期待感があるのは確かですね。

少なくとも10年は続けてほしい

──では、今後JICに期待したい機能やサービスを挙げるとすると?

安藤 機能やサービスとかではなく、重要なのは「場があること」だと思います。

黒田 この施設から成功していくスタートアップが生まれることが大切ですよね。

中山 ぼくもそう思います。せっかくこういう場所と機会をいただいているので、ユニコーンになる気概を持って臨んでいきたいなと。

安藤 だからこそ、少なくとも「10年で一区切り」くらいのサイクルで考えてほしい。数年で畳んでしまうとなると、この場からはおそらく成功者は出てこないし、「ああいうのが当時あったよね」という朧げな記憶だけに終わってしまいかねません。

中山 スタートアップが成功する要因も失敗する要因も、タイミングって言われるじゃないですか。実際タイミングってすごく難しくて、「いま来てるな」と自分たちが感じてもマーケットが全然追いついていなかったりするので、どれだけ踏ん張れるかというときに、それをバックアップしてくれる存在があるとないとでは大きく違ってきます。

黒田 もっとポートフォリオ的というか、ある程度の期間を踏まえたうえで成功か否かを判断し、「このサイクルならいけるね」といった流れを見つけてほしいと思います。だからこそ、いま入居している自分たちが率先してがんばらないとって思いますよね。

現在JICに入居している「第一世代」の面々。いち早く「巣立って」いくのは果たして——。

中山 そのためには、本当の意味でのローカルコミュニティとの接点をいかに増やしていけるか、という点が課題になってくると思います。イジワルな言い方をすると、日本人に群がる米国人、みたいな人たちではなく……

安藤 そうですね(笑)。本当のローカルコミュニティとの接点の形成からローカライゼーションにおいてJICが果たす役割は大きいと思います。

──「シリコンバレー村」には人材・モノ・カネといったアセットはあるけれど、そこにアクセスし、蛇口をひねる権利をなかなか得られない……といったイメージですか?

中山 それだけではありませんが、シンプルに言うとそういうことかもしれません。いきなり日本から来てドアをノックしても、おそらくスルーされてしまいます。「へぇ、彼が携わっているなら、こういう人脈もあるはずだし、お金出しますよ」っていう話がパパパッと決まっていくのがシリコンバレーなので、たとえいいものを作ったとしても、ネットワークがない状態では話にならないんです。

黒田 いいものを作る、世界で戦えるものを作るのは絶対的な前提条件で、そこから、先程中山さんがおっしゃったようにタイミングも含めて指数関数的な成長につなげていくのに、コネクションは不可欠だと思います。そのきっかけを期待してJICにお世話になっているので、成功して一刻も早くここを出ていくことが、何よりの恩返しかなと思います。

安藤 そうやって成功事例が生まれることで、JICに入りたい人がいっぱい現れ、そして入るのがそもそも難しいっていうぐらいの存在になるようにすることが、ぼくらにできる恩返しですね。

中山 スタートアップはリスクの塊ですが、投資家たちが「JIC組なら期待できるかも」って判断してもらえるようなカルチャーを醸成するべく、第一世代のわれわれは、歯を食いしばってがんばらないといけないですね。

Japan Innovation Campus


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