大企業の事業改革や新規事業創出をミッションとして2020年4月より虎ノ門ヒルズにて始動したインキュベーションセンター「ARCH(アーチ)」。本企画では、ARCHを舞台に活動する大企業の新規事業開発の取り組みについて紹介している。初回からナビゲーターを務めてきたWiLの小松原威氏がシリコンバレーオフィスに異動となったことにともない、三吉香留菜氏へとその役割をバトンタッチ。新ナビゲーターを託された三吉氏に、WiLや自身の活動について聞いた。
TEXT BY Kazuko Takahashi
PHOTO BY Koichi Tanoue
「会社を良くしたい」という思いを共有したい
——三吉さんはWiLで活動する以前は、コンサルティング会社のベイン・アンド・カンパニー東京オフィスにお勤めでした。どのような経緯でWiLに?
三吉 ベイン・アンド・カンパニーには新卒で入社し、企業の中期経営計画の策定支援や、ポートフォリオの変革支援、CxO(チーフ・イノベーション・オフィサーなど専門分野の業務を統括する責任者)の立ち上げ支援などに従事しました。「会社を良くしたい」という方々の支援はとてもやりがいがありましたが、一方で趣味の洋裁を本格的に学びたいという思いが募り、3年余りで退職しました。
というのも、中学と高校時代はコンテンポラリーダンス、大学時代はフィギュアスケートに熱中し、大会向けの衣装などを自作していたんです。それが楽しくて、いつかちゃんと学びたいと思っていたんですね。それでそろそろタイミングかなと思い、服飾の専門学校に願書を出して入学金を納めるところまでいきました。ところがある日、人材エージェントの方から「面白い会社がある」とWiLを紹介されて、軽い気持ちで何回かWiLのメンバーとお話しました。それが採用面接だったとあとで気づいたのですが……(笑)
でもいろいろと話を聞いて、WiLの活動が「会社を良くしたい」という方々の支援につながる仕事だとわかり、ぜひ参画したいと思いました。ただ、せっかく学びに向いた気持ちが途切れてしまうのが少し悔しかったので、しばし猶予をもらい、イギリスの芸術大学、セントラル・セント・マーティンズに3カ月間通ってからWiLに入りました。
——セントラル・セント・マーティンズでの3カ月はいかがでしたか?
三吉 すごく楽しかったです。興味深かったのは、技術的なアプローチよりも、いかにしてファッションのコンセプトを立ち上げ、発想を膨らませ、デザインに落とし込むか、ということに注力する授業だったこと。授業以外の時は学校の図書館で資料を読みあさったり、インスピレーションの種を見つけに美術館に通ったり、布探しに明け暮れたりという日々でした。すべてが新鮮な体験で、日本に帰っても勉強を続けたいとの思いを強くしました。今はWiLの活動の傍ら、週に1度、平日の夕方に服飾の専門学校に通って立体裁断などを勉強しています。
——すばらしいですね。そうした豊かなライフスタイルはWiLの活動にもいい影響があるのではないでしょうか。
三吉 WiLのワークショップなどで必ず語られるのは、「自分はよく知っている」「この道のプロフェッショナルである」といった過信はチャレンジを妨げる、「ビギナーズマインド」を持ち続けることが重要である、ということです。そういう意味では、服飾の専門学校でセミプロ級の方々に囲まれて勉強している私はビギナー中のビギナーで、失敗とチャレンジの連続です。その経験が自分の仕事にとても役立っている気がしています。
——どこか新規事業に通じるところがありますね。
三吉 まさにそうなんです。WiL共同創業者兼CEOの伊佐山元は、新規事業セクションの方々とお話するときに、「最近失敗していますか?」とよく尋ねます。「入念に準備した末にチャレンジしてダメだった」ではなく、できることからとにかく始めて、失敗から早く学んで先に進んでいく「Fail Early」を心がけてほしいという意図からです。私の服作りは、工程を間違ったり、デザイン通りに仕上がらなかったりということも多いのですが、ビギナーズマインドやFail Earlyの実践の場になっていて、その経験は新規事業に取り組む大企業の皆さんと共有できるものだと感じています。
何のためにやるのか? どの方法がベストか?
——WiLは日本の大企業30社以上からファンドの資金を預かり日米を中心としたスタートアップに投資し、それだけでなく、日本企業の新規事業創出を支援する取り組みも様々に展開しています。
三吉 具体的には、役員向けのワークショップの開催、企業内新規事業創出に向けた壁打ち・伴走・立ち上げ支援、ジョイントベンチャーの設立、大企業とスタートアップの人的交流支援など、大企業がよりイノベーティブに変革していくための支援に力を入れています。
——シリコンバレーオフィスとの連携が重要なポイントになりますね。
三吉 シリコンバレーはアメリカのスタートアップだけでなく世界各国のスタートアップが資金調達のために集まる場所です。WiLのアメリカチームはここでアンテナを張りながら投資活動を行っています。また、出資いただいている複数の企業の駐在員の方々をシリコンバレーオフィスで受け入れ、ともにローカルに根付いた人的交流を行っているのも特徴だと思います。コロナ禍によってオンライン開催に移行していた「ブートキャンプ(シリコンバレー流の方法論を使った「マインドセット変革」のための研修プログラム)のリアル開催も復活しています。
——シリコンバレーで世界の潮流を肌で感じ、意識改革に取り組むブートキャンプの主な参加者は、大企業の幹部クラスです。
三吉 WiLは2013年の設立当初から日本の大企業に向けてスタートアップ連携やオープンイノベーションの重要性を発信してきました。そのころは「スタートアップ連携って何?」「オープンイノベーションって何?」という人がまだ多かったと思いますが、この10年でこれらのワードは当たり前に使われるようになりました。それはすばらしいことですが、いわゆるバズワード化してしまい、本質のところが語られていない面もあります。全社員がイノベーションの本質を理解していなければ、現場の担当者がいくら頑張っても新規事業開発のプロジェクトは進みません。中でも経営陣がイノベーションの中心地に赴くことは非常に重要なことで、例えばシリコンバレーのあるサンフランシスコでは自動運転タクシーがバンバン走っているわけです。そうした体感も含めてブートキャンプは意義のある活動だと思っています。
——イノベーションの本質を理解すること。それは多くの大企業が抱えている課題と言えるのではないでしょうか。
三吉 その通りです。大企業は、とりあえずCVC(コーポレート・ベンチャー・キャピタル)を作ってみよう、とりあえず新規事業部門を立ち上げてみよう、といったことが体力的にできてしまう。しかし、その前にまず「何のためにやるのか?」「どの方法がベストか?」などを整理しておかないと迷走してしまいます。会社の成り立ち、業界特性、リソース、目標、目標達成までのスパンなどは様々で、たとえば本業の成長が望めない会社は新規ビジネスの立ち上げが急務ですし、好調な本業をぶっちぎりの業界1位に押し上げたいのであれば、技術を高めるためのオープンイノベーションが必要かもしれません。あるいは投資戦略を強化したいのであれば、新領域のスタートアップを探索するのも一つの手でしょう。まずはそれらを明確化することが重要ではないかと思います。
考えを整理する「ロジカルライティング」を推奨
——イノベーションの目的をどう明確化すればいいのかに悩む新規事業担当者は少なくないと思います。三吉さんはどのようなアドバイスをしているのでしょう。
三吉 「ありとあらゆるお悩みの相談窓口」を自認しています。具体的には、そもそも新規事業をやっていいの? というご相談から、生まれたての新規事業案についての壁打ち、WiLの投資チームと連携してのスタートアップの紹介などを行っています。企業の新規事業担当者の方々は豊富な情報とアイデアをお持ちです。それゆえに目的が欲張りになったり、外からのアドバイスで複雑化したりということが生じやすいんですね。そこで、考えを整理するための「ロジカルライティング」を推奨し、ARCHの会員に向けたワークショップも行っています。
ロジカルライティングというのは、アイデアが全く分かっていない人でも理解できるように、自社が置かれている状況や、直面している課題、課題解決に向けたいくつかの選択肢、最善の選択肢とその理由などを論理的に書き出すことです。また、そのご説明をいただく際、私はホワイトボードを用いてリアルタイムで「グラフィックファシリテーション」を行います。言葉だけでは伝わりにくい要素を絵や矢印を使ってビジュアル化することで、課題の因果関係が浮き彫りになったり、思いもよらなかった選択肢に気づけたりという効果があります。
——三吉さんのロジカルライティングのワークショップの定員は20名ほどで、すぐに埋まってしまうほどの人気だと伺っています。参加者の反響はいかがですか?
三吉 ロジカルライティングのワークショップは、1回2時間×2回の開催で、それぞれ最初の1時間半はレクチャー、残りの30分は実際に添削課題に取り組んでいただき、提出いただきます。そして約1週間後、私が添削したものをお一人ずつにメールでお返しするという内容です。グラフィックファシリテーションのワークショップの提供は準備中ですが、トライアルで何度か行いました。特にロジカルライティングのワークショップは「経営計画のテンプレートにした」などのうれしい反響をいただいています。
新規事業部門の方々のお話を伺っていて共通のお悩みだと感じるのが、「やりたいことに対して社内の理解がない」ということです。新規性がある取り組みほど起こりうることで、ましてや役員クラスの方々のマインドシェアは限られてきます。事業を加速させるためにも短い時間で過不足なく情報を伝える能力を底上げする必要があり、そうした理由でワークショップに参加してくださる方が多いように思います。
——WiLは設立から10年、ARCHは3年余りが経ち、この間にARCHの会員企業の新規事業が飛躍し、市場にインパクトを与えるケースも出てきました。
三吉 そうですね。ソニーとWiLのジョイントベンチャーambieが開発した耳をふさがないイヤホンや、大阪ガスとWiLのジョイントベンチャーSPACECOOLが開発した放射冷却素材など、画期的な製品が生まれています。ARCHを利用されている方々や、WiLのブートキャンプに参加された方々が役員に昇格し、企業変革の先頭に立って活躍されるケースも増えています。そうした機運がますます高まっていくといいなと思います。
ARCHの参画企業数は今や120を数えます。コワーキングスペースは常に人でにぎわい、ランチ会や勉強会も盛況です。新規事業を立ち上げて軌道に乗せるまでには多くの困難があるからこそ、「楽しくて仕方がない」というマインドを維持することが何より大切で、ARCHという場で社外の皆さんとオープンに語り合うことで前向きになれたり、思わぬ突破口が見つかったりということも多いと思います。もちろん私もWiLのメンバーも最大限そのお役に立つつもりでおりますので、気軽に声をかけていただけるとうれしいです。
三吉香留菜|Karuna Miyoshi
東京大学法学部卒業後、ベイン・アンド・カンパニーにて戦略コンサルティング業務に従事。中期経営計画・M&A戦略策定/DD、ポートフォリオ変革支援など全社戦略の策定・伴走を行う。2022年にWiLへ参画し、東京オフィスLP Relation担当Directorとして大企業の変革・イノベーション創出支援を行う。グラフィック化スキルを活かし、大企業向けワークショップのビジュアライズも担当。
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