ARCH PARTNERS TALK #13

Web3.0時代のイノベーションは、クロスボーダーでなければ生まれない──KDDI 中馬和彦 × WiL 小松原威

大企業の事業改革や新規事業創出をミッションとして虎ノ門ヒルズにて始動したインキュベーションセンター「ARCH(アーチ)」。企画運営は虎ノ門ヒルズエリアにおいてグローバルビジネスセンターの形成を目指す森ビルが行い、米国シリコンバレーを本拠地とするWiLがベンチャーキャピタルの知見をもって参画している。WiLの小松原威氏が、KDDIの中馬和彦氏を迎え、同社の取り組みに迫った。

TEXT BY Kazuko Takahashi
PHOTO BY Koutarou Washizaki

インディーズのマインドを忘れずにメジャーにこだわる

小松原 KDDIは、スタートアップと大企業が共創するインキュベーションプログラム「KDDI∞Labo」や、スタートアップをKDDIグループで全面支援するコーポレートベンチャーキャピタル「KDDI Open Innovation Fund」を10年余り前から立ち上げ、様々な新規事業を生み出しています。国内企業としては先駆けでしたよね。

中馬和彦|Kazuhiko Chuman KDDI 事業創造本部 副本部長 兼 ビジネス開発部長 兼 Web3事業推進室長として、
スタートアップ投資をはじめとしたオープンイノベーション活動、地方自治体や大企業とのアライアンス戦略、および全社横断の新規事業を統括。経済産業省 J-Startup推薦委員、経団連スタートアップエコシステム改革TF委員、東京大学大学院工学系研究科非常勤講師、バーチャルシティコンソーシアム代表幹事、一般社団法人Metaverse Japan理事、クラスター株式会社 社外取締役、Okage株式会社 社外取締役。

中馬 日本企業の中で最もスタートアップに投資している会社の一つだと思います。スタートアップの持つ純度の高いアイデアを応援して新ビジネスを育み、事業によってはM&Aを通じてさらに大きく育てる。KDDIというとauなどの通信事業で知られますが、他にも銀行、証券、生保、電気、電子書籍、音楽など様々な事業を展開し、それらのほとんどがスタートアップとの合弁会社です。そもそもKDDIは、2000年にDDI(第二電電)、KDD、IDO(日本移動通信)が合併して発足した会社です。発足時の売り上げは1兆5000億円ほど。その後、何十ものM&Aや合併を繰り返して5兆円規模まで成長しています。

小松原 他企業やスタートアップとの共創は、会社の歴史そのものなんですね。

中馬 そうです。アメリカではグーグル、アマゾン、マイクロソフトなど、M&Aで大きくなった会社がたくさんありますが、日本ではめずらしいと思います。

小松原 中馬さんはスタートアップ支援のけん引役として活躍されています。また、メタバースに関するプロジェクトへの投資を早くから手がけ、「バーチャル渋谷」の仕掛け人としても知られています。

中馬 「バーチャル渋谷」の起点は、ARなどによって現実とデジタルの渋谷をつなぎ、新しいカルチャーの発信やイベントへの参加ができる“デジタル都市”を創ろうと、渋谷区と一緒に取り組み始めたプロジェクトです。そのスタートが2019年で、翌2020年春にNetflixで「攻殻機動隊」の新作が出ることになり、ARとリアルイベントの両方で渋谷を「攻殻機動隊」でジャックする企画を考えていました。ところがコロナ禍によってリアルイベントができなくなり、予定よりも前倒しして5月19日に「バーチャル渋谷」をローンチ。「攻殻機動隊」のイベントを開催しました。これが反響を呼び、コロナ禍で公演できなくなったコンサートや上映できなくなった映画を自分たちも発信したいという問い合わせが殺到しました。そのため「バーチャル渋谷」が恒久的な場所となり、結果的にメタバースの先駆けとなりました。

小松原 あらゆる業界のスタートアップに精通し、新規事業創出の先頭を走っている中馬さんですが、入社は2000年の合併以前ですよね。

中馬 合併以前です。

小松原 入社してからいろいろと学んでいったという感じでしょうか。

中馬 実務的にはそうですが、原点は学生時代だと思います。

小松原 聞かせてください。そもそもご出身は……。

中馬 鹿児島です。高校まで鹿児島にいて、福岡の九州大学に進学しました。当時はクラブカルチャーが全盛で、私も足繁くクラブに通い、そこで多くのクリエーターと出会いました。シューズデザイナーのミハラヤスヒロ、建築家の重松象平をはじめ、カメラマン、ヘアメイクアーティストなど、今や世界で活躍している人たちです。彼らに出会うまではクリエーティブ関係の仕事に就きたいと思っていましたが、図抜けた才能を目の当たりにして、自分はクリエーターにはなれないと悟りました。であれば、ビジネスサイドからクリエーターの友人たちを応援できないかと考えたんです。

小松原 今のスタートアップ支援の活動そのものじゃないですか。

中馬 そうです。合併前の私の所属はKDDでしたが、KDDに就職したのも、資本があってグローバルな会社だったからです。中でもインターネットに可能性を感じていたので、業界トップのKDDは理想的でした。その時に仲間たちから「インディーズのマインドを忘れずにメジャーになってくれ」と送り出されたので、一貫してメジャーにこだわって今に至ります。

小松原  「インディーズのマインドを忘れずにメジャーで」というのはすばらしい思想ですね。ちなみにクリエーティブなことに興味を持ち始めたのは、大学時代から?

中馬 最初は姉の影響かもしれません。姉はファッションやトレンドに敏感な人で、姉を通じて流行りのDCブランドやディスコ音楽を知り、しまいには中学生の分際でディスコに出入りしていました(笑)

小松原 デビューが早すぎる(笑)。常に新しい場所にいるというのも若い頃から一貫していますね。

ロン毛から坊主にして営業成績はトップ

小松原 入社後、最初からやりたいインターネットの仕事に就けたのですか?

中馬 新入社員は、最初の2年間は現場を経験することになっていました。私は大阪で国際電話の通信契約の営業を担当していました。

小松原 こう言っては何ですが、よく耐えられましたね。クラブ通いをしていた大学生活と相当のギャップがあったのでは。

中馬 新入社員は寮生活が基本でしたが、以前の暮らしとのギャップに耐えられなくなって1カ月で寮を出ました(笑)

小松原 やっぱり(笑)

中馬 そんな新人は前代未聞だったそうです。しかも営業なのに“ロン毛”でしたから。

小松原 見るからに異端児ですね(笑)

中馬 ですから目をつけられて当時の上司とはうまくやれませんでしたが、その次に上司になった方が、組合の委員長をされている男気のある方で、「おまえのことは聞いている。好きにやれ。何かあったら俺が受け止める」と言ってくれたんです。そう言ってくれたので、翌日は坊主頭で出社しました。

小松原 今度は坊主ですか(笑)

中馬 それもまた「やりすぎ」と笑われました(笑)。でもそれからの営業成績は、ずっと全国トップでした。理解のある上司のために成果を出したかったので。

小松原 なんと!

中馬 営業先は主に中小企業でしたが、家族経営の会社は社長夫人が役員を務めているケースが結構多いんですね。そこでご夫人方の誕生日を手帳に控えておいて、自腹でバラの花を買ってプレゼントしていました。そのうち、あちこちのご夫人から「中馬くん、お茶飲まへん?」と声をかけられるようになって、それが新規契約につながっていきました。

小松原 そういう泥臭いことを地道にやっていたんですね。いやぁ、面白いです。新入社員の現場経験は2年というお話でしたが、その後はどのような仕事に?

中馬 希望していたインターネットの企画部門に配属されました。しばらくしてDDIとIDOとの合併話が持ち上がり、部署の先輩の多くが転職に動きました。結果的に20代半ばの私が合併交渉の前線に押し出され、年配の交渉相手と侃々諤々やり合うことになりました。

小松原 若い時にはなかなかできない経験ですよね。

中馬 そうですね。M&Aについて早くから知るチャンスになりました。そして合併成立のタイミングで、ロンドンに赴任となりました。海外とのビジネスが多いので、英語力を磨いてこいという会社のはからいもあったと思います。

小松原 ロンドンではどんな仕事を?

中馬 KDDIの大株主であるトヨタ自動車が欧州事業を拡大している時期で、主にそのサポートにあたりました。工場新設に際して必要になる光回線の敷設について計画したり、地元の電話会社と交渉にあたったりという仕事です。私がロンドンにいた頃はチェコ工場の立ち上げ期で、工場予定地はプラハ郊外の何もない野原でしたが、「ここにトヨタの工場が建設され、関連会社も含めて働く人たちの巨大な街ができる」と地元の電話会社を説得し、光回線を敷いてもらいました。とてもやりがいのある仕事で、いい経験になりました。

小松原 ロンドンには何年くらい?

中馬 4年です。帰国するにあたって私が希望していたのは、携帯電話の商品企画でした。当時はいわゆるガラケーが主流で、通話やインターネットのあらゆる機能が1つの端末に集約されていました。ですから新規の端末に搭載する機能やデザインはトッププライオリティー。携われる人間は社内でも限られていました。“奥の院”みたいなところです。なのでそうやすやすとは入れず、帰国後は商品企画に近いコンテンツサービスの部署で働き、4年後に念願の部署に入りました。

キャリアは4年サイクル

小松原 auの携帯電話は機能もデザインもいい意味で“トガって”いて、中馬さんが手がけたINFOBARをはじめとするライフスタイルブランドiidaは象徴的でした。しかしその商品企画は、中馬さんが今携わっているオープンイノベーションとは正反対の仕事ですよね。何しろ “奥の院”と呼ぶほど内々に進めていくわけですから。

中馬 そういう意味で言うと、ベンダーさんや多様なシーズを広く把握し、市場のニーズとうまく組み合わせてひとつの端末に込めていくプロセスが、今の仕事に生きているんです。

小松原 そうか、なるほど。

中馬 ただ、ある時期からガラケー市場は縮小の一途をたどりました。代わってスマートフォンが普及し、端末機能の主導権はアップルやグーグルへと移っていきました。そうした中で人事が一新されることになり、私は法人営業の事業企画に携わることになりました。ここで法人のチャネルや大企業のアライアンスに関する知識を得たことも今の仕事に生きています。

小松原 その仕事には何年くらい?

中馬 4年です。その後は子会社のJCOMに4年、さらにビジネスインキュベーション推進部に4年と、だいたい4年周期で職場が変わっています。

小松原 それは意図的に?

中馬 私に人事権はありませんが、希望は口にするようにしています。というのも、同じ職場に2、3年いると名前で仕事が通るようになり、そうなると反対意見が出にくくなります。イエスマンしかいなくなったら自身の成長はありません。1年目で仕事を把握し、2年目で企画を仕込み、3年目で成果を刈り取り、4年目で諸事を後進に引き継ぐ。このサイクルが理想的だと思っています。

小松原 いつ頃からそう思うようになったのですか?

中馬 ロンドンにいた時ですね。赴任前に私がやっていた仕事についてわかる人が誰もおらず、助言を求める電話がたびたびロンドンにかかってきたんです。その信頼はしだいに「中馬が独断で進めていたからこういう事態になった」という不満へと変わっていきました。名前で仕事ができるようになってしまうと、人が変わった途端にほころびが出る。そう学んだ出来事でした。

小松原 とはいえ、我々外部の人間からすると、中馬さんの“名前”はすでに相当大きなものになっていると思います。

中馬 それで言うと、今は仕事の約9割が外部との仕事です。外に向けた私のアンテナを畳むと社内外双方にデメリットがありますし、外部から私に新規のお声がかかれば、KDDIのビジネスを広げるためにも関与すべきだと思っています。一方で、社内的には担当者それぞれの手腕に任せ、極力口を出さないようにしています。

小松原 任された方は自由に仕事ができる反面、責任重大です。これは大企業に共通する課題だと思いますが、「指示してほしい」というタイプの人が結構多いと思うんです。

中馬 答えになっているかわかりませんが、私はよく「愛する人を想うように」と部下に言っています。人はあたり前に自分の家族や恋人を喜ばせるために誕生会を企画したりプレゼントを考えたりします。それが仕事になるとなぜ指示待ちになるのか。愛する人を想うように、お客様が喜ぶことやスタートアップが喜ぶことを考えればいい。そうすればKDDIの商品やサービスを使いたい、仲間になりたいと思ってくれるはずだと。

小松原 なるほど。

これまでのキャリアが惑星直列した

小松原 KDDIは、DX(デジタルトランスフォーメーション)やWeb3.0の波をいち早くキャッチした会社です。今後はどのような展望をお持ちですか?

中馬 モバイル・インターネットやクラウドよりもはるかに大きなテクノロジーの転換期に来ていると思います。モバイル・インターネットやクラウドは人々の生活を変えましたが、第1次・第2次産業のあり方までは変えませんでした。しかし新たなテクノロジーの波は、農業や漁業の景色を変え、製造業や建設業の景色を変えようとしています。しかも、何かしらのリファレンスがあって階段を上るように発展してきたWeb2.0時代のITと違い、青写真が世界のどこにもありません。前例のない時代に突入したと思っています。

小松原 非連続に物事が絡み合っていく時代ですね。

中馬 おっしゃる通りです。ある日突然、遠いアフリカから画期的なアイデアが生まれてくる可能性もあります。そうした時代においては、ビジネス的な発想だけでなく、コンテンツ、サービス、テクノロジー、文化、金融など、あらゆるジャンルをミクスチャーしていく応用力、右脳的な発想が必要になってくると思います。

小松原 ある意味、中馬さんのこれまでのキャリアの集大成と言えるのではないでしょうか。

中馬 そうですね。私はこれまで、BtoB、BtoC、国内、海外、ハードウェア、ソフトウェア、コンテンツサービス、プラットフォーム事業、投資事業など、様々な活動をしてきました。その一つひとつが惑星だとすると、Web3.0時代に突入してきれいに惑星直列した感じがします(笑)。ですからワクワクしていますね。

小松原 先ほど、社内的には担当者それぞれの手腕に任せ、極力口を出さないと話されていましたが、その “ワクワク感”はぜひともチームメンバーたちに伝えたいですよね。

中馬 若いメンバーをARCHに集めて思いを語ることも多いです。私がよく話すのは、イネーブラー(後方支援企業)としての心得です。0から1を生み出すのがクリエーターでありスタートアップだとすると、1を普遍化していくのがイネーブラーの役割であると。どこに投資したらいい、事業を大きくするにはこうしたらいい、といった方法論については語りません。余計なフィルターをかけたくないからです。それぞれがそれぞれの目で未来の可能性を見つけ出し、それぞれのやり方で普遍化を目指していけばいい。そういうメッセージを発信し続けています。

小松原 みんなで見つけていこうというスタンスなんですね。

中馬 そうです。私が行ったことのない場所を個々に見つけて走ってくれと。そうすると網羅性や多様性が出てきます。そして誰かがいい種を見つけたら、チームでサポートして育てていく。たくさんの種が見つかるように、1人につき複数のプロジェクトを任せるようにもしています。複数手がけると、可能性を比較して判断するようになりますから、副務が主務になり、主務が副務になることもある。それが本来あるべき姿ではないかと思っています。

小松原 今のお話にある種の“既視感”を覚えたのは、WiLの組織もそうなんです。一人ひとりが別々の場所を走っていて、それぞれの判断に任されている。サポートが必要な時はみんなで知恵を出し合うという……。

中馬 そうでないとスタートアップを引きつけられないですよね。ファンクショナルに隊列を組む一昔前の日本企業のやり方では、レファレンスなき世の中を渡っていけないと思います。

小松原 個人の能力がますます問われる時代ですね。

中馬 それでモチベーションに火がつく人は確実にいて、そういう人を中心にチーム全体のモチベーションが高まっていくのを見るのがいちばんうれしいですね。そしてチームの雰囲気が固着化する前に人を入れ替えるんです。いい状態ほど維持しようという意識が働き、それがイノベーションの妨げになると思うので。

小松原 私は中馬さんのいる事業創造本部の若い方々にスタートアップを紹介することが多いのですが、「スタートアップファースト」が徹底しているんです。驕るような態度はかけらもなくて、リスペクトをもって外部の人たちに接している。これは中馬さんの影響が大きいんじゃないでしょうか。

中馬 そこの思想教育だけはしっかりやっています。スタートアップのアイデアがなければ、イネーブラーのビジネスは成り立たないのだと。そういう思想なら驕りようがありませんから。

小松原 中馬さんはARCHのメンターも務めています。最後にARCHの利用価値について聞かせてください。

中馬 Web3.0時代のイノベーションはクロスボーダーでなければ生まれないと考えているので、異業種の新規事業担当者が一堂に会するARCHのような場が恒常的に求められていると思います。私はファシリエーターの森ビルからメンターとしてARCHに招かれていますが、実はその活動よりも入居企業の方々から呼ばれてARCHに来ることの方が多いんです。それがWeb3.0っぽくていいなと思っています。つまり、特定の誰かがイニシアティブを持つのではなく、個々にネットワーキングして会う機会を作っている。課題を共有している人同士が自発的にコミュニケーションすることが新規事業には不可欠で、ARCHはそういう場になっていると思います。

小松原 今回は中馬さんのキャリアの変遷や仕事との向き合い方を改めて伺うことができて、とても新鮮でした。ありがとうございました。

中馬 若い頃のしょうもない話もしましたが、大丈夫でしょうか(笑)。ありがとうございました。

 

profile

小松原威|Takeshi Komatsubara
2005年に慶應義塾大学法学部卒業後、日立製作所、海外放浪を経て2008年SAPジャパンに入社。営業として主に製造業を担当。2015年よりシリコンバレーにあるSAP Labsに日本人として初めて赴任。デザイン思考を使った日本企業の組織/風土改革・イノベーション創出を支援。2018年にWiLに参画しLP Relation担当パートナーとして、大企業の変革・イノベーション創出支援、また海外投資先の日本進出支援を行う。

ARCHは、世界で初めて、大企業の事業改革や新規事業創出をミッションとする組織に特化して構想されたインキュベーションセンターです。豊富なリソースやネットワークを持つ大企業ならではの可能性と課題にフォーカスし、ハードとソフトの両面から、事業創出をサポート。国際新都心・グローバルビジネスセンターとして開発が進む虎ノ門ヒルズから、様々な産業分野の多様なプレーヤーが交差する架け橋として、日本ならではのイノベーション創出モデルを提案します。場所 東京都港区虎ノ門1-17-1 虎ノ門ヒルズ ビジネスタワー4階