ARCH PARTNERS TALK #10

Web3.0時代を見据え、ルールメイキングを担っていく──弁護士 増田雅史 × WiL 小松原威

大企業の事業改革や新規事業創出をミッションとして虎ノ門ヒルズにて始動したインキュベーションセンター「ARCH(アーチ)」。企画運営は虎ノ門ヒルズエリアにおいてグローバルビジネスセンターの形成を目指す森ビルが行い、米国シリコンバレーを本拠地とするWiLがベンチャーキャピタルの知見をもって参画している。WiLの小松原威氏が、弁護士でARCHメンターの増田雅史氏を迎え、その活動に迫った。

TEXT BY Kazuko Takahashi
PHOTO BY Koutarou Washizaki

理系から転じて弁護士に

小松原 増田さんは弁護士として、主にIT・デジタル関連の案件に携わり、昨今注目されているNFTに関する案件も数多く手がけていらっしゃいます。また、在籍の森・濱田松本法律事務所から出向という形で中央省庁での勤務もご経験です。そして2020年にはARCHのメンターに就任されました。ちなみに、スタンフォード大学のロースクールで学んでいた頃の増田さんのあだ名は、マックス。

増田雅史|Masafumi Masuda 弁護士・ニューヨーク州弁護士(森・濱田松本法律事務所)。理系から転じて弁護士となり、IT・デジタル関連のあらゆる法的問題を一貫して手掛け、業種を問わず数多くの案件に関与。特にゲーム及びウェブサービスへの豊富なアドバイスの経験を有する。金融庁でのブロックチェーン関連法制の立案担当を経て、フィンテックにも深い知見を有する。編著『NFTの教科書』(朝日新聞出版)、監修『NFTビジネス見るだけノート』(宝島社)など著作多数。2020年よりARCHメンター。

増田 はい(笑)。小松原さんと初めて会ったのはスタンフォード大にいた時でした。

小松原 今日はマックスと呼ぶのは控えたいと思います(笑)。増田さんは東京大学工学部を卒業後、法曹界に入った異色の経歴の持ち主。まずはその経緯を聞かせてください。出身は北海道ですよね。

増田 日本の最北端、稚内市の生まれです。中学卒業まで稚内で暮らし、高校からは地元を離れて、旭川で下宿暮らしをしました。科学全般が好きで、中学生の頃は宇宙物理学者に憧れていました。

小松原 初めて聞きました(笑)

増田 それで理系の道を選んで東京大学に進んだのですが、入学してみると、周囲には抜群に数学ができる人がたくさんいる。東大の学生層は本当に青天井で、特にトップ層はまさに次元が違うのですね。自分が研究者として活躍するのは難しいと悟りました(笑)

小松原 初めての挫折だったのでは?

増田 そうでもありません。高校時代も優秀な人たちが多くて、地元から離れて進学校に進んだ私は、最初の中間テストで全体の真ん中の成績。完全に埋没しました。東大に来てもそんな調子でしたので、結局研究者になる夢は諦めて、知的好奇心を満たせることは他にないかと考えました。そこで目指そうとしたのは、戦略系のビジネスコンサルタントです。いろいろな世界を知ることができる仕事だなと。

小松原 それがなぜ弁護士に?

増田 理系を選んだ自分には縁がない道として、人生がもう一つあったらやってみたいと思っていた職業が弁護士なんです。でも、ちょうど私が大学を卒業するタイミングで日本のロースクール(法科大学院)制度が始まることを知ったのと、そのとき司法試験に取り組んでいたサークルの先輩から「大手法律事務所の弁護士はコンサルタントのようなものだ」と背中を押してもらったことから、何か運命めいたものを感じて、コンサルタントと弁護士という二兎を追うことにしました。

小松原 周囲は驚いたんじゃないでしょうか。めずらしいケースですよね。

増田 そうですね。ただ、新しく始まったロースクール制度は多様な人材を法曹界に送り出すというコンセプトを打ち出していて、法学未修者でも3年間で修了して司法試験を受けられる仕組みでしたので、特に当初は、元医師など異業種から転身してきた人がたくさんいました。私が進学したのもその法学未修者コースだったので、世界が広がって楽しかったです。

小松原 そして司法試験に合格されて、現在の大手法律事務所に。

増田 はい。

得意のITとゲームが専門分野に

小松原 ITやデジタル関連の案件に多く携わるようになったのは、いつ頃からですか?

増田 最初からです。事務所に入った時に、訴訟系とIT関連の仕事をやりたいと願い出たんです。

小松原 訴訟系というのは?

増田 弁護士というと、みな訴訟に関わっていると思われがちですが、大手事務所の場合、業務分野が細分化されていて、ほとんど法廷に立たない弁護士もたくさんいます。でも私は、弁護士が主役になれる仕事ということで、訴訟に取り組みたかった。森・濱田松本法律事務所に入ったのも伝統的に訴訟に強いと評価されてきた事務所だからです。

小松原 そうなんですね。IT関連の仕事については?

増田 私が工学部で学んでいた2000年代初頭は、高速通信回線によるインターネットへの常時接続が一般的になり始めるなど、IT分野が社会で花開く時代でした。私も興味を深めて自分でプログラムを書いたり、学内アルバイトとして、東大で始まった遠隔授業プロジェクト、今で言うeラーニングのための受講用インターフェイスを制作したりしていました。単に興味があるというだけではなくて、現に自分でコーディングしたりしていたわけですので、その強みを活かせるかなと。

小松原 なるほど。

増田 それで2009年1月から事務所での勤務が始まったのですが、研修期間を終えて知的財産の勉強会に参加し始めると、先輩弁護士たちが「Googleが……」と何やらざわついている。聞くと、Google Book Search(いまのGoogle Books)についてアメリカで起きていたクラスアクション(集団訴訟)が和解により終結しようとしていて、その和解案を日本の出版社や著作権者に向けて説明するための広告が、同年1月5日の全国紙などに突然掲載されたということでした。その手続き自体は、アメリカの著作権が発生している出版物の関係者を対象とする内容ですが、条約の関係で、我が国をはじめとする全世界の著作権者はアメリカの著作権も持っている。だから日本でも突然そんな広告が打たれたということで、どうやら世界で数千万人が巻き込まれようとしている大事件なのだとわかりました。そこで、クライアントに生じる影響を整理するためにこの和解案を急いで検証しようという話になっていたのですが、海外の手続きということでいかにも難儀しそうな作業であり、「誰がやるんだこれ……」という雰囲気になっていたところ、GoogleといえばIT界の巨人、おもしろそうな仕事だ!と短絡的に思った私は、深く考えず「やらせてください」と手を挙げました。

小松原 当然、和解案は英語で書かれているわけですよね。

増田 はい。300ページに及ぶ和解契約書を分析する必要があって、結局、ものすごく大変な思いをしました。仕事を始めたばかりだったので、かけられる時間がたくさんあったことが救いで、その点では絶妙なタイミングでしたが。結局、非常に複雑かつ情報量が多い話だったので、細かに把握しているのが私だけになってしまい、4月には業界団体の前で和解案を2時間解説する講演会を任されました。専門誌でも5月に和解案の解説を掲載することになり、その原稿も執筆しました。

小松原 事務所に入ってから半年も経っていないのに(笑)

増田 はい(笑)。入所したてでいきなり執筆や講演を任されることは通常あり得ないことで、大きなプレッシャーを感じましたが、得難い機会だと思いました。そうこうしているうちに、今度は経済産業省のメディア・コンテンツ課(現在はコンテンツ産業課)というところから、この和解案に対する国の対応を検討しなければならない、ついては詳しい弁護士を送ってほしいという要請がきて、私が出向することになりました。

小松原 それも弁護士1年生の時に?

増田 そうです。急遽セットされた話だったので、9月から翌年3月にかけて、週2の非常勤として勤務するという、イレギュラーな形での出向でした。待遇も、用意された座席も学生アルバイトさんと同じ扱いでしたが(笑)、関係5省庁の協議の場に経産省担当者2名のうち1人として同席し、この和解案を最も知る者として色々とサポートをさせていただくなど、短期間でも非常に貴重な経験をさせてもらいました。また、これをきっかけに経産省のゲーム産業関係の委員会に呼ばれるようになり、3年連続で委員を務めました。実は、私は子どもの頃から無類のゲーム好きで。

小松原 絶妙のめぐり合わせですね。得意のIT分野に加えて、得意のゲーム分野も(笑)

増田 まったくです。私が初めて買ったCDはゲームのサウンドトラックでしたし、東大受験の前日は新宿のゲームセンターで遊んでいました。大学では「東大エレクトーンクラブ」に入ってゲーム音楽を演奏したり、大人数でセッションするため編曲に取り組んだりと、むしろ学業以外に邁進していました。このサークルの先輩が、「大手事務所の弁護士はコンサルタントみたいなもの」と教えてくれた方なんです。この先輩も、いまは別の大手法律事務所で弁護士をしておられますね。

小松原 すべてつながっているじゃないですか!

増田 そうなんです。ちなみに私が委員をしていた3年間は、ゲームのプレー環境がコンソール型(据え置きのゲーム機器)やPC向けオンラインゲームから、ガラケー・スマホといったモバイル機器向けのゲームへと大きく拡大しつつある時期で、特にスマホ向けゲームの市場規模は、あっと言う間に1000億円規模から1兆円規模へと急成長しました。同時に法的な課題が様々出てきて、それに対応する案件が増えていました。

小松原 コンプガチャ(コンプリートガチャ)問題などがあった頃でしょうか。

増田 まさにその頃です。ある全国紙が2012年5月5日、コンプガチャが景品表示法に違反しているとして消費者庁が動くと報じました。このままでは法改正による規制強化すらあり得るということで、ゲーム業界としては急速に対応を進める必要が生じました。私はまだ弁護士4年目という若造でしたが、幸いにもいろいろなお話をいただき、例えば、当時の主要プレイヤーが立ち上げたソーシャルゲーム協会(JASGA:現在はコンピュータエンターテインメント協会に統合)に設立時役員として参加し自主規制の枠組みづくりに取り組んだり、日本オンラインゲーム協会(JOGA)の会員向け自主規制ルールの策定に携わったりさせていただきました。みなさまの努力の甲斐あって問題を乗り越え、無事にスマホゲームは1兆円産業となりました。その間、業界の急拡大に追いつかず放置されていた、各ゲームの利用規約の根本的な見直しなど、個社単位でのルール整備にも多く携わりました。

小松原 ゲームの利用規約の作成まで?

増田 はい。好きな分野のルールメイキングなのでやりがいがありましたね。

海外経験を経て畑違いの金融分野に従事

小松原 仕事が順調な中で、アメリカ留学を決意されました。

増田 仕事に恵まれていたので悩みましたが、IT分野の最新の潮流は日本にいるだけではわからないと考えて留学を決めました。

小松原 留学先をスタンフォード大学に決めたのは?

増田 ロースクールの名門ということもありますが、新しいIT系ビジネスが次々に生まれるシリコンバレーの中心的存在であることが大きかったです。私は昔から英語が大の苦手で、留学に必要なTOEFLの成績も全然振るわないまま奇跡的に入学を認めてもらったため、入学後は大変な苦労をしましたが(笑)。でもとても充実していました。シリコンバレーは日系企業の駐在員が多いので、あちこちで交流会やイベントがあるのも刺激的でした。顔を出すと必ずいい出会いがあって、小松原さんにも出会えたわけです(笑)

小松原 私が前の職場(シリコンバレーにあるSAPラボ)にいた頃でしたね。弁護士さんというとお堅いイメージがあったのですが、増田さんは話しやすくて、すぐに意気投合した覚えがあります。

増田 お互いに同い年だとわかって、ますます親しくなりましたよね。小松原さんはシリコンバレーの状況や、当時多かった「シリコンバレー詣で」に来るあらゆる日本企業についてよくご存じなので、学ぶことが多かったです。

小松原 ロースクール修了後は、シカゴに移られて。

増田 はい。ニューヨーク州司法試験を受験したあと、シカゴの法律事務所で働きながら、無事にニューヨーク州弁護士として登録しました。アメリカにいたのはトータル2年。そのあと帰国する予定でしたが、事務所のシンガポールオフィスから「来ないか」と声がかかり、この時も悩んだのですが、行くことにしました。アジアで新しいビジネスが次々と生まれる勢いがあったのと、多くの企業がアジアのヘッドクォーターとしてシンガポールを選んでいる状況だったので、その現場をじかに見ておくべきだと思ったんです。実際、シリコンバレーとは違う活気を感じることができました。そして1年後に帰国しました。

小松原 確か帰国してすぐに金融庁に出向されたんですよね。

増田 はい。事務所から、金融庁がICO(Initial Coin Offerings:仮想通貨を販売して行う資金調達)の法規制を作るため弁護士を求めているという話があって、行くことにしました。出向先は企画市場局市場課というところで、ここでブロックチェーン関連の改正法として、資金決済法や金商法を改正する法案の立案を担当しました。

小松原 暗号資産やブロックチェーン関連についての知識はどの程度あったんですか?

増田 アメリカに居たころは存在を知っている程度でしたが、シンガポールにいた時に、顧問先からブロックチェーンを活用したゲームサービスを提供できないかという相談を受けていたので、それなりに知識はありました。また、仮想通貨は資金決済法に基づき一定の規制を受けていましたが、ゲーム内通貨の発行・販売に関して適用されるのも資金決済法であり、その面ではたびたび扱っていましたので、理解の素地はありました。ただ、金融規制に正面から取り組んだことはなく、その点では全くの畑違いではありましたね。

小松原 帰国早々、畑違いの領域で仕事をするというのはなかなか大変だったんじゃないでしょうか。

増田 そうですね。留学前からの専門領域を突き詰めることもできたので、この時も悩みましたが、30代後半で新しい分野に挑戦できるチャンスはそうないと思って、引き受けることに決めました。

小松原 どのくらい従事していたんですか?

増田 2018年から2020年までの2年弱ですね。法改正の前提となる検討から、施行に至るまでの下位法令やガイドラインの整備まで、改正による法制度の変更に必要な作業を一通り経験することができました。

あらゆる領域を横断し、ITに関する法的課題の解決に取り組む

小松原 事務所に戻ってからは、どのような活動を?

増田 金融庁での活動もあって、金融規制分野、特にフィンテック系の案件がこれまでの仕事に加わりました。とはいえフィンテックもIT領域の一つです。さらに言うと、今や世の中のあらゆる物事がITと切り離せないものになっています。「Web3」と呼ばれる次世代のインターネット概念が注目される中で、NFT(Non-Fungible Token:唯一性のあるブロックチェーン上のトークン)やメタバースなど新たな分野も生まれています。そこで昨年から、当事務所に「ITプラクティスグループ」を新たに設立し、その責任者として、あらゆる領域を横断し、ITに関する法的課題の解決に取り組んでいます。

小松原 増田さんのこれまでの活動を改めて伺うと、バラバラのようでいて、実はすべてITでつながっているんですよね。また、今話題のNFTは、ゲームなどのコンテンツ分野とブロックチェーンが密接に関係する世界です。ITプラクティスグループが立ち上がり、それを増田さんが率いているというのは、満を持してという感じが非常にします。『NFTの教科書』(朝日新聞出版)や『NFTビジネス見るだけノート』(宝島社)など、増田さんが手がけた書籍も大変注目されていますよね。

増田 ありがたいことです。弁護士として早い時期からNFTに関わってきたことで、情報発信の機会をいただきました。

小松原 時代の波を的確にキャッチするだけでなく、その渦中にみずから飛び込んでルールメイキングを担っているところがすごいなと思います。

増田 ありがとうございます、でも自分だけでできることは多くないと感じています。新しい動きについて教えてくれる人が周囲にたくさんいるおかげです。

小松原 確かに様々な領域にネットワークをお持ちの印象があります。さて、最近の活動についても教えてください。

増田 今年3月、自民党デジタル社会推進本部に設置されたNFT政策検討プロジェクトチームが「NFTホワイトペーパー」という政策提言を公表しましたが、私は有識者メンバーとして、この策定に関わりました。いわゆるGAFAが主導した「Web 2.0」の時代に代わり得るWeb3時代の到来は、日本にとって大きなチャンスです。しかし今のままでは必ず乗り遅れる。その危機感を政界と共有し、いま必要な政策を提言しました。Web3時代を担いうる企業はアメリカに集中し、日本企業や若い起業家もシンガポールをはじめとする諸外国に出て行ってしまうのが現状です。この現状を打破するためには、税優遇などによる強烈なインセンティブ誘導や、資源の集中投入が必要ではないかと個人的には考えています。

小松原 NFTやブロックチェーンが人々の暮らしをどう変えていくのか。増田さんはどのように考えていますか。

増田 現代の私たちは、ネット通販やネットバンキングを当たり前に利用しています。それはインターネットというインフラが普及したからです。それと同じで、NFTやブロックチェーンもいずれはインフラになると信じています。例えば、メタバース上での買い物やデジタル資産のやり取りなどが当たり前になっていくのではないかと思います。

小松原 NFTがインフラになる。

増田 はい。インターネットやそれを支える経済圏も、裏側ではエンジニアや法律家がその仕組みを支えています。しかしユーザーはそれを意識することなく「ポチった」などと言いながら日常的に利用しています。NFTもそうなっていくんじゃないでしょうか。

小松原 メタバースの注目度もますます高まっていますね。

増田 メタバースはコロナ禍によって普及が加速していて、今年はいよいよメタバース元年と言われています。メタバース上では音楽やアートなどのコンテンツを個人が自由に提供し、発展させることができます。ユーザーはそこに参加したり、コンテンツやアイテムを買ったりできます。こうした世界が広がれば、例えばミュージシャンは、かつてCDが飛ぶように売れていた時代のように、再びコンテンツを1つずつ販売し消費してもらうことが可能になったり、コンテンツの届け方が多様化するなどして、メタバース上に新たなファンや収益源が生まれたりすることが期待できます。また、メタバースによってクリエーター文化が花開く可能性は大いにあると思いますね。

小松原 誰もがクリエーターになれて、フリーランサーとして活躍できるという世界ですね。

増田 そうですね。法律の専門家としては、より俯瞰的な視点に立ってWeb3.0時代のビジネスを見つめ、地に足の着いた提言をしていくことが重要だと思っています。

小松原 増田さんはARCHのメンターでもあります。増田さんのメンタートークは会員の皆さんに大人気で、NFTをテーマとした回は既に2回開催、どちらも200人もの参加がありました

増田 今はNFTがある種バズワード化していて、その響きに踊らされている風潮が少なからずあります。しかしARCHの方々はNFTをよく理解し、目的意識を持って私の言葉に耳を傾けてくださっているなと感じています。

小松原 NFTをよく理解しないまま、間違った方向性の事業計画を立てて、法関係だけアドバイスしてほしいという企業などは困りますよね。

増田 そうですね。方向性自体を間違えると結果的には大変不幸な結果にもなりますので、私はいつも、事業構想段階から相談してほしいとお願いしています。またアドバイスのスタンスとしても、単に法律の話だけをするのではなく、事業に踏み込んで現状を把握し、適切なアドバイスができるようにと留意しています。

小松原 まさにコンサルタントのようですね。今回は初めて伺う話も多くて面白かったです。ありがとうございました。

増田 こちらこそ、ありがとうございました。

 

profile

小松原威|Takeshi Komatsubara
2005年に慶應義塾大学法学部卒業後、日立製作所、海外放浪を経て2008年SAPジャパンに入社。営業として主に製造業を担当。2015年よりシリコンバレーにあるSAP Labsに日本人として初めて赴任。デザイン思考を使った日本企業の組織/風土改革・イノベーション創出を支援。2018年にWiLに参画しLP Relation担当パートナーとして、大企業の変革・イノベーション創出支援、また海外投資先の日本進出支援を行う。

ARCH


ARCHは、世界で初めて、大企業の事業改革や新規事業創出をミッションとする組織に特化して構想されたインキュベーションセンターです。豊富なリソースやネットワークを持つ大企業ならではの可能性と課題にフォーカスし、ハードとソフトの両面から、事業創出をサポート。国際新都心・グローバルビジネスセンターとして開発が進む虎ノ門ヒルズから、様々な産業分野の多様なプレーヤーが交差する架け橋として、日本ならではのイノベーション創出モデルを提案します。

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