大企業の事業改革や新規事業創出をミッションとして虎ノ門ヒルズにて始動したインキュベーションセンター「ARCH(アーチ)」。企画運営は虎ノ門ヒルズエリアにおいてグローバルビジネスセンターの形成を目指す森ビルが行い、米国シリコンバレーを本拠地とするWiLがベンチャーキャピタルの知見をもって参画している。WiLの小松原威氏が、ambie代表取締役の三原良太氏を迎え、同社の取り組みに迫った。
TEXT BY Kazuko Takahashi
PHOTO BY Koutarou Washizaki
耳穴をふさがないから、日常を奪わない
小松原 三原さんはソニーのエンジニアとして “ながら聴き”ができるイヤホンという発想を製品として実現し、2017年にWiLとのジョイントベンチャーambieを立ち上げました。製品の特徴について改めて教えていただけますか。
三原 ambieが提供するのは、耳をはさむように装着するイヤカフ型のイヤホンで、耳穴をふさがないので日常の音が聞こえ、そこに音楽がBGMとして自然と重なる設計になっています。独自に開発した構造と、ソニーの音響技術を採用しており、一般的なオープンイヤー型イヤホンで使われる骨伝導技術を上回る音質・小型化・音漏れ抑制を実現しています。
小松原 1号機の「ambie sound earcuffs」が発売された時は、それまでになかった画期的な製品として大変話題となりました。登場から約4年が経ち、ユーザー体験がだいぶ集まっていると思います。どのような声が多いですか?
三原 使っていただいているシーンは様々で、例えば育児中の方からは、家事をしながら、赤ちゃんの泣き声や子どもの話を聞き逃すことなく、自分の好きな音楽を楽しめるという声を多くいただいています。“ながら聴き”ができるので、忙しい人の時間や日常を奪わないのです。
小松原 なるほど。
三原 他には、耳をふさぐイヤホンと違って自分の発音がちゃんと聞き取れるので、外国語学習に適しているという声も多いですね。通話用のマイクが付いているので、コロナ下のオンライン会議やオンライン授業での活用も増えています。
アイデアの起点は草の根のハッカソン
小松原 今も三原さんは「ambie sound earcuffs」をつけていますが、確かに音漏れもなく、まったく普通の会話ができています。
三原 僕がつけているのは最新機種で、待望の“完全ワイヤレス”です。つけているのを忘れてシャワーを浴びそうになったこともありました(笑)
小松原 それほど違和感なくつけられるんですね。そんな画期的な製品を生み出した三原さんですが、ソニーでもイヤホンの開発をされていたのですか?
三原 入社当初はヘッドマウントディスプレイの回路設計に従事していました。開発していたのは映画鑑賞用のデバイスで、装着すると750インチのスクリーンが目の前に広がるというものです。
小松原 イヤホンとは分野が違いますね。
三原 はい。ambieの起点となったのは、個人的に主催していたハッカソン(ITエンジニアやデザイナーなどが集まってチームを作り、特定のテーマについて意見やアイデアを出し合い、成果を競い合うイベント)です。ボトムアップの活動として、社内の有志を集めて土曜日に会社の会議室を借りて行っていました。
小松原 通常の業務とは関係なく、休日を割いてやっていたということですか? ものすごい情熱です。
三原 同年代に新しいことをやりたくてウズウズしている人が多かったんです。ただ、通常の業務で組みたい相手とうまく組めるとは限りません。例えば僕は、自分が設計しているデバイスをいろんなアプリで実験したかった。アプリ開発者は、自分の開発したアプリを新しいデバイスで試してみたかった。でもすぐに営利に結びつかないので、まずは自分たちで試行錯誤してみようというノリでした。
小松原 人と人との最適なマッチングは、社員数の多い大企業の悩みであり、うまくいけば大きな強みとなります。
三原 そうですね。新しいことに挑戦したいのに……という愚痴を共有すると、むしろポジティブな方向に進むことが多くて、すぐに仲間が集まり、部署を越えてお互いの技術をシェアすることもありました。
まずはアメリカで試作品の調査を行った
小松原 草の根のハッカソンがどうやってambieの立ち上げにつながったのでしょう。
三原 社が主催する公式のハッカソンが別にあって、担当者から「君らのハッカソンがそんなに盛り上がっているなら、こっちで提案してみないか」と声をかけてもらったんです。
小松原 その提案内容とは?
三原 社会性のある「ヒアラブルデバイス」を作れないかという提案でした。視覚的なAR(拡張現実)を実現する「ウェアラブルデバイス」ではなく、聴覚的なARを実現する「ヒアラブルデバイス」です。
小松原 なるほど。そのアイデアが「ambie sound earcuffs」につながったと。
三原 そうです。これをきっかけに5年ほどいたヘッドマウントディスプレイの設計部門からBluetoothイヤホンの設計に異動になりました。しばらくして上司から「ソニーがWiLと一緒に行っているピッチイベントでプレゼンテーションをしてみないか」と提案されました。つまり、アイデアが採用されれば大きな投資が入るチャンスです。メンバーでかなり盛り上がりました。当時のメンバはー3人でしたが(笑)
小松原 プレゼンが評価され、ゴーサインが出たわけですね。
三原 はい。すぐに予算が出て、フィジビリティスタディ(プロジェクトの実現可能性の事前調査)をやろうということになりました。そのスピードは衝撃的でしたね。
小松原 フィジビリティスタディはシリコンバレーで行ったと聞いています。
三原 WiLの代表である伊佐山元さんから「まずはアメリカで」という提案があって、街頭調査を行いました。
小松原 シリコンバレーで街頭調査をやることには意味があって、テクノロジーがどんどん生まれている街なので、感度の高いユーザーが多いんですよね。私も住んでいた時は、街でしょっちゅう「製品やアイデアの感想を聞かせて」とインタビューされました。
三原 ユーザーに見せながら試作品の改善を繰り返すという、すぐに結果が出るプロセスはとても新鮮でした。ただ、調査の結果は芳しくありませんでした。Bluetoothイヤホン仕様にするなど、機能を盛り込みすぎていたんです。結果的にコストが高くなり、調査でも「この価格なら買わない」という声が多く聞かれました。中には「ケーブルがないのがすごいですね」という意見もあって、“ながら聴き”というコンセプトの価値がまったく伝わっていないことにショックを受けました。
小松原 確か、その頃にWiLの共同創業者である松本真尚がプロジェクトに加わったんですよね。
三原 そうです。松本さんから機能をしぼり込んだ方がいいというアドバイスを受けて、“ながら聴き”という特徴に特化し、有線のデバイスにしてコストを抑えました。
小松原 松本はもともと起業家で、ジョイントベンチャーの立ち上げにも多く関わっているので、私もその知見に学ぶことは多いです。スーパーロジカルな人ですよね。
三原 ビジネスの将来が瞬時に見える人ですね。中途半端な提案をすると、「その提案だとこういう複数の課題があって、喜んでくれるユーザーはこのくらいで、市場規模はこれくらいだけど、まだその提案を続けますか?」とロジカルに突きつけてくる。松本さんに鍛えられたおかげで、ambieの初期メンバーはみんな頭の中に「小さな松本さん」がいます。松本さんだったらどう考えるだろうかと。おかげでシミュレーションの精度が上がりました。
ソニーとは違うアプローチでチャレンジを
小松原 大企業だと、一度役員の承認が降りてしまうと、ユーザーの声を聞いたからといってやすやすと方向転換できないケースも多いと思います。
三原 その点ソニーはユーザーエクスペリエンスを大事にしている会社で、試作品のテストやユーザーインタビューを自由にやれる土壌があります。もちろんアイデアの盗用や特許の侵害などリスクとの兼ね合いを見ながらですが。
小松原 そこはさすがソニーですね。
三原 ambieの立ち上げについても、僕がヘッドマウントディスプレイ部門にいた頃の上司で、現在ambieの取締役を務めている松本義典が、「ソニーの事業と切り離してやるのだから、スタートアップらしいやり方で自由にやれ。困った時は声をかけなさい」と言ってくれました。
小松原 心強い言葉ですね。そうして2017年にソニーとWiLのジョイントベンチャーambieが誕生しました。三原さんはそれを機にソニーからambieに出向という形になったわけですが、どんなお気持ちでしたか?
三原 ソニーはもともと「新しいものを創る人はカッコいい」という企業文化があって、僕もそういう価値観なので、めちゃめちゃうれしかったです。
小松原 とはいえ事業を軌道に乗せるのは簡単ではなかったと思います。何が三原さんのモチベーションになっていたのでしょう。
三原 自分のアイデアを形にして世に届けたいという純粋な気持ちだけです。それは僕がエンジニアだからかもしれません。
小松原 しかし、これまでのお話の流れだと、新しいチャレンジはソニーの中でもできそうですが……。
三原 ソニーのイヤホンは、余計な音を遮断して音楽に没入できる機能を訴求してきました。それに対して「ambie sound earcuffs」が訴求しているのは、日常の音を遮らない“ながら聞き”の機能です。根本的に方向性が違うのです。ですから販売チャネルも家電量販店ではなく、Ron HermanやBeamsなどライフスタイル系のショップやアパレル系のショップから始めました。ソニーの販売チャネルとは全く違うので、そこは泥臭くドアノックで「置いてください」とお願いして回りました。
経営は回路設計と似ている
小松原 ソニーはWiLのファンドに出資いただいているリミテッド・パートナー企業(以下、LP)です。WiL はLP企業同士の交流を積極的に促してきましたが、ARCHという場が生まれてから交流が活発化している印象があります。三原さんはどのように感じていますか?
三原 ARCHはシリコンバレーの雰囲気に似ている気がしています。新規事業に携わっている方が集まっていて、皆さん感度が高いので、インタビューさせていただいたり、刺激をいただいたりしています。同じLP企業であるANAとのおつき合いは、「ambie sound earcuffs」を機内雑誌で扱っていただくなど、ビジネスにつながりました。機内販売でとてもよく売れて、ありがたかったですね。
小松原 「ambie sound earcuffs」は1号機から進化を重ね、着実にユーザー層を広げてきました。三原さんはambie取締役を経て昨年9月から代表取締役を務めています。
三原 経営に関することはほぼ素人でしたが、学んでいく中でambieをより広い視点で見られるようになりました。経営はコツコツとロジックを組み立てて大きなシステムを動かしていく回路設計とどこか似たところがあるなと感じています。自分で決断できることが増えて責任重大ですが、喜びも大きいです。
小松原 最後に、今後の展望について聞かせてください。
三原 プロダクトとユーザーの関係性は、とてもいい感じに築けてきていると思います。今後はハードウェアだけでなくソフトウェアサービスの可能性など、ambieと社会の関係性が継続的につながっていくような仕組みを模索していきたいと考えています。日々の暮らしがドラマや映画よりも楽しいと思えるような、生活そのものが豊かなコンテンツになるようなプロダクトやサービスを、これからも提案し続けていきたいですね。
小松原威|Takeshi Komatsubara
2005年に慶應義塾大学法学部卒業後、日立製作所、海外放浪を経て2008年SAPジャパンに入社。営業として主に製造業を担当。2015年よりシリコンバレーにあるSAP Labsに日本人として初めて赴任。デザイン思考を使った日本企業の組織/風土改革・イノベーション創出を支援。2018年にWiLに参画しLP Relation担当パートナーとして、大企業の変革・イノベーション創出支援、また海外投資先の日本進出支援を行う。
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