ARCH PARTNERS TALK #02
「生活者発想」を起点にデジタル時代の幸せを探り当てる——博報堂DYメディアパートナーズ・博報堂 ミライの事業室 市川貴洋 × WiL 小松原威
大企業の事業改革や新規事業創出をミッションとして虎ノ門ヒルズにて始動したインキュベーションセンター「ARCH|アーチ」。企画運営は虎ノ門ヒルズエリアにおいてグローバルビジネスセンターの形成を目指す森ビルが行い、米国シリコンバレーを本拠地とするWiLがベンチャーキャピタルの知見をもって参画している。WiLの小松原威氏が、博報堂DYメディアパートナーズ・博報堂 ミライの事業室で新規事業に携わる市川貴洋氏を迎え、同社の取り組みに迫った。
TEXT BY Kazuko Takahashi
PHOTO BY Koutarou Washizaki
“ひとつながり”のチームとして新事業を生み出す
小松原 まず、市川さんが所属する「ミライの事業室」の活動についてご紹介ください。
市川 ミライの事業室は2019年4月に博報堂の中に設立された部門で、今年2021年4月に博報堂DYグループの新規事業開発を強化するための専門組織として、博報堂DYメディアパートナーズの新規事業開発部門、グループ会社のSEEDATAが統合されて新生ミライの事業室となりました。コンサルタント、マーケター、クリエイター、ビジネスプロデューサー、テクノロジストなど多様なメンバーがグループ全社から集結して活動しています。企業やスタートアップ、研究機関、自治体など様々なパートナーと連携してチームを組み、自らが事業のオーナーとなったりジョイントベンチャーを立ち上げたりと、リスクテイクしながら新規事業の創出を目指しています。
小松原 博報堂DYグループといえば広告会社の大手で、優秀なクリエイター集団というイメージがあります。自然とイノベーションが起きそうな会社ですが、なぜ今、新規事業開発の強化に取り組んでいるのでしょう。広告産業の変化も背景にあるのでしょうか。
市川 従来の広告ビジネスモデルでは新たな収益を立てにくくなってきたのは確かです。ただ、新聞やテレビといったトラディショナルメディアの広告費は縮小していますが、デジタルメディアの広告費は伸び続けています。また、広告領域にとらわれないデジタルソリューションに期待するクライアントも増えています。デジタルシフトが急速に進む中で、グループのリソースを統合し、組織が分断することなく“ひとつながり”のチームとして新事業を生み出せる体制づくりを戦略的に進めているのです。
小松原 つまり、テクノロジーの進化によってビジネスモデルが変わってきている。
市川 そうです。従来の広告ビジネスは基本的にコンサルティング業務で、クライアントの課題に対していかに最適解を提供するかでした。しかし、これからの時代は5GやIoTといったテクノロジーによって、すべてのモノがつながり、生活の新たなインターフェース(接点)になろうとしています。博報堂DYグループはこれを「生活者インターフェース市場」の到来と捉え、生活者と社会、生活者と企業をつなぐ新しい価値の創造に取り組んでいます。
経営幹部が率先した「マインドセット変革」
小松原 ミライの事業室で活動する市川さんのキャリアについてもご紹介いただけますか。実は転職組なんですよね。
市川 はい。以前は総合ITベンダーにいました。2017年に博報堂DYグループが出資するWiLとのパートナーシップ強化と新規事業開発強化のための人員を募集することになり、その際に縁あって2018年4月に転職しました。
小松原 前職ではどんな業務に携わっていたのですか?
市川 新卒で総合ITベンダーに入社し、リテールテックの仕事に従事していました。例えば、日本の小売り企業が海外に店舗を出店する際のPOSなどの販売管理システムやデジタルサイネージの導入などをサポートする仕事です。転職までの直近3、4年間は、海外企業のM&Aやベンチャー企業への事業投資とマネジメント、シリコンバレーのスタートアップとのアライアンスプロジェクトなど、グローバルビジネスを担当しました。
小松原 やりがいのある仕事ですね。
市川 おもしろかったです。世界中を飛び回っていました。特にシリコンバレーやサンフランシスコなどアメリカ西海岸に行くことが多く、たくさんのスタートアップやベンチャーキャピタリストと交流しました。ある仕事では、ツイッター社を創業したジャック・ドーシーと交渉しました。シリコンバレーの世界観に触れたことが、私にとって大きなターニングポイントで、仕事やキャリアに対する価値観が変わりました。WiLを知ったのもこの時期で、WiLはシリコンバレーでは有名な存在でした。ですから、WiLとのパートナーシップ強化のためのセクションというのがとても興味深かったんです。
小松原 そうだったんですね。転職後は、どんなことから始めたのでしょう。
市川 戸惑いの連続でした。というのも、広告会社は人がアセット(資産)の会社です。つまり、製品や技術などがない中で新規事業をどう立ち上げていくか。難しい課題でした。
小松原 前職の企業にはあったものが、ない。
市川 はい。手がかりはWiLとのパートナーシップだけ。
小松原 (笑)。私が市川さんと出会ったのはその頃でしたね。ミライの事業室が組織化される以前でしたが、ベンチャー企業との協業を模索されたり、WiLのブートキャンプ(シリコンバレー流の方法論を使った「マインドセット変革」のための1週間の研修プログラム)に参加されたりと、様々な試行錯誤をされていた印象があります。
市川 2019年6月、ちょうど新たな中期経営計画が始まる年度のタイミングで、矢嶋弘毅社長を含む経営幹部を対象とした当社オリジナルのWiLブートキャンプを企画・立案し、シリコンバレーオフィスに赴いて実施しました。この時に新規事業にチャレンジする上での価値観を社内のトップマネジメント層で共有できたことが非常に大きかったと思います。以後、ブートキャンプの活用は役員以外にも広がっています。
小松原 マインドセット変革が効いている実感はありますか。
市川 ありますね。「早く行きたいなら1人で行け。遠くに行きたいならチームで行け」。これはWiLのシニアディレクター・大隅雄策さんから教わった言葉ですが、つくづく実感しています。
小松原 確か、アフリカのことわざだとか。
市川 いい言葉ですよね。小さなプロジェクトなら1人でやった方が確かに早いですが、ビッグプロジェクトは大人数で進めた方が大きな成果を生む。だからこそ仲間づくりが大事なのだと思います。
ペットの健康管理アプリ「ペット手帳」を展開
小松原 仲間を増やしつつ、ジョイントベンチャー「stepdays」を立ち上げるなど、着々と成果を出していますね。
市川 stepdaysは、動物病院とペットの飼い主をつなぐプラットフォームビジネスを展開しています。もともと博報堂DYメディアパートナーズが提供していた妊婦向けアプリ「妊婦手帳」の知見をベースとした事業です。スマホアプリ「ペット手帳」に登録すると、かかりつけの動物病院の事前問診や診療予約、動物病院の先生や専門家が監修した情報の閲覧、ペットの健康状態に合ったペットフードの購入などができるサービスです。動物病院のデジタルシフトにも大きく貢献しています。
小松原 stepdaysにはWiLファンドも出資しています。ジョイントベンチャーにするメリットについてはいかがですか。
市川 スタートアップ型のビジネスは初挑戦でしたし、既存事業とは成長の時間軸が異なるビジネスモデルだったので、“出島”的なジョイントベンチャーの形を取りました。
小松原 博報堂DYグループの取り組みを見ていていいなと思うのは、常に「生活者発想」が起点になっているところです。
市川 「生活者発想」は、博報堂DYグループのゆるぎないフィロソフィーです。「消費者」という言葉は決して使いません。生活者は多面的で、例えば私自身、ビジネスマン・夫・父親・地域住民・趣味はマラソンなど、様々な顔を持っています。博報堂DYグループは様々な顔を持つ生活者とのインターフェースを探り、生活者自身が気づかなかったような欲求や動機を見つけ、幸せにつながるような新たなサービスを届けたいと考えています。
小松原 「ペット手帳」がまさにそうですね。今年7月には、「shibuya good pass」のテスト運用を開始されました。
市川 shibuya good passは、生活者を中心としたまちづくり構想「生活者ドリブン・スマートシティ」を実現するために、博報堂が三井物産と共同で進める市民共創まちづくりサービスです。渋谷に住む人や通う人、事業者をデジタルネットワークでつなぐことにより、生活者は専用アプリを通じて渋谷にあるお店のチケットやクーポンをもらえたり、まちづくりに参加できたり、エリア定額乗り放題のモビリティサービスを利用できたりします。現在テスト運用を行っています。
小松原 広告、ブランディング、マーケティングといった博報堂DYグループのこれまでのビジネスは、どちらかというと受託ビジネスだったと思います。しかし「ペット手帳」やshibuya good passは主体的に創造したビジネスモデルです。博報堂DYグループの変化を感じます。
市川 もともと当社の人材登用は「粒違い」をそろえることを原則としていて、分野の異なる人が連携しながら多岐にわたるプロジェクトを遂行してきました。それは外部との関係性においても同様で、あらゆる領域、あらゆる企業とつながり、中立的な立場で1つに束ねることを得意としています。こうした特性がテクノロジーの進化によって増幅し、主体的なビジネスを生みやすくなっているといえると思います。
あらゆる領域とつながり「束ねる」
小松原 公開前なので詳細は伏せますが、新しいスポーツ観戦体験を提供するサービスのローンチも控えていますね。
市川 今、我々のチームで最も注力して立ち上げに取り組んでいる事業が、最先端のテクノロジーを活用したスポーツチームやスポーツ選手とファンとの間で新しい形のエンゲージメントを生み出すサービスです。「0→1(ゼロイチ)」型の新規事業で、昨年9月から、事業計画のブラッシュアップやメンタリングといったWiLのサポートを受けてきました。早ければ今年の秋冬に発表できると思います。
小松原 先ほど、博報堂DYグループには自前の製品がないという話がありましたが、データ収集やデータ活用の領域では先進的なテクノロジーを持っています。
市川 その分野で言えば、普段の会話を記録・解析し、自分に合った英会話を学べるウェアラブルデバイス「ELI」の開発が進んでいます。個々人のデータをもとに、自分らしい英語の言い回しや伝え方を学べる技術です。発話に関する新しい価値を提供するためのチャレンジが続いています。
小松原 他の言語への展開も考えられますし、声質の分析からストレス度を測るなど、言語学習以外にも可能性が広がるアイデアだと思います。技術的な課題に対応できる企業を紹介するなど、WiLも応援しているプロジェクトです。
市川 WiLは頼れるバディであり同志です。相談は無制限にさせていただけるので、どんどんアウトプットして技術やアイデアを一緒に磨き、形にしていけたらと思っています。
小松原 博報堂DYグループは、ARCHのピッチイベント(進行中のプロジェクトや課題を発表するイベント。意見交換や協業先を見つける機会として活用されている)などにも積極的に参加されています。WiLとしては、博報堂DYグループのイノベーションはWiLにかかっているというくらいの意気込みで、全力でお応えしていきたいと思っています。
市川 ありがとうございます。あらゆる領域、あらゆる企業とつながるという意味で、ARCHは当社の取り組みと親和性の高い場です。ここでも得意の「束ねる」を発揮し、新しい価値を生み出していきたいですね。
小松原威|Takeshi Komatsubara
2005年に慶應義塾大学法学部卒業後、日立製作所、海外放浪を経て2008年SAPジャパンに入社。営業として主に製造業を担当。2015年よりシリコンバレーにあるSAP Labsに日本人として初めて赴任。デザイン思考を使った日本企業の組織/風土改革・イノベーション創出を支援。2018年にWiLに参画しLP Relation担当パートナーとして、大企業の変革・イノベーション創出支援、また海外投資先の日本進出支援を行う。
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