NEW WELL-BEING

日本には、ウェルビーイングの「再定義」が必要だ

2018年11月。とある「財団」のキックオフイベントが開催された。その名は、LIFULL財団。国内外のウェルビーイングに関する研究開発活動を支援することで、ウェルビーイングの発展に寄与することを目的とした財団だ。理事長を務める石川善樹と理事のドミニク・チェンの声から、何を、なぜ、どのように目指すのかを見極める。

TEXT BY TOMONARI COTANI
photo: Getty Images

一代にして巨万の富を築いた「石油王」ことジョン・ロックフェラーは、敬虔なバプテストであったという。彼は「得られるすべてを得て、可能な限り節約し、すべてを与えなさい」という言葉を信条とし、常に、収入の10%を教会に寄付し続けたそうだ。

60歳を目前にして引退を決意したロックフェラーは、信条に従い、財産(現在の貨幣価値に換算すると2530億ドル=約28兆円)のほとんどを社会に還元することを決意する。

通り一遍の「慈善事業」を好まなかったロックフェラーは、熟慮の末、投資先を「学問」に決めた。新たな学問が誕生すると、そこに産業が生まれ、文化も花開くとされ、そのサイクルを回すことが真の世界貢献につながると考えたからだ。

そうして設立された「ロックフェラー財団」から、後に「人工知能」や「予防医学」が生まれたことは、意外と知られていないのではないだろうか。

そんなロックフェラー財団を引き合いに出し、石川善樹(予防医学博士)は、LIFULL財団設立の意義をこう語る。

「予防医学から、ヘルスケア産業やフィットネス産業などが生まれたように、ウェルビーイングという学問領域を助成し、それが発展していけば、やがてその研究成果を基にした産業が生まれるはずです。その先には、世界中の人々がより満たされた、より幸せな、より良い人生を送ることができる未来が待っていると思います。LIFULL財団は、それを促すことを目的として設立された財団なんです」

「ウェルビーイング」という学問領域はまだ立ち上がったばかり。しかも主に西洋の、一握りの研究者によって(つまり日本やアジアがその中心にいないなかで)おこなれているのが現状だ。それはつまり、そもそもの指標に偏りが生じている可能性を示唆している。

例えば、戦後日本における「一人当たりGDP」と「主観的ウェルビーイング」の推移を示したグラフがある。

調査が始まった1958年から、経済は大きく成長しているにもかかわらず、生活満足度(主観的ウェルビーイング)はほぼ横ばいとされているが、果たしてこの数字は正しいのだろうか? Source: Diener and Biswas-Diener. (2002) Social Indicators Research 57:2;119-169.

このグラフからは、2つの特徴が見て取れる。「一人当たりGDPは右肩上がりの成長を遂げてきたこと」と、「実感としてのウェルビーイング(=生活満足度)は、ほとんど改善していない」という特徴だ。LIFULL財団の問題意識はまさにそこにあると、石川はいう。

「WHO(世界保健機構)は、1948年に発表した憲章のなかで、『健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態(=ウェルビーイング)であることをいう』と、定義しています。

確かに、この80年で平均寿命は伸びたし、世界も豊かになりました。でも、このグラフを見る限りだと、WHOが定義した意味での『健康』は、達成されていないことになります。果たしてそうなのでしょうか? そこで、『そもそもこのデータは正しいのか』という気宇壮大な視点に立ち、それを科学的に明らかにすることで、真の意味での『健康』を促進する研究活動を助成していきたい、というのが僕らの狙いなんです」

マインドフルネスに象徴される「ねじれ」

ウェルビーイングの“指標”に対しては、ドミニク・チェンも似た思いを抱いている。実際チェンは現在、「日本的ウェルビーイングに基づいた情報技術の設計ガイドライン」を策定するミッションを進めている。要は「日本的ウェルビーイングとは何か」突き詰めているわけだ。

「ウェルビーイングという言葉より先に、一般社会のなかで流行り始めた言葉として、『マインドフルネス』がありました。ビジネス誌やスポーツ誌などで、よく特集が組まれていたと思います。

マインドフルネスは、特にアメリカ西海岸のIT企業が『リーダーを育てるプログラム』の一環として取り入れ始めたことで、広がりをみせました。そしてそのルーツは、禅や仏教にありました。

インドに始まって、中国や朝鮮半島を経て、日本に伝来した仏教。そのなかで禅というものが生まれ、それが鈴木大拙たちによってアメリカに渡り、やがてカリフォルニアでマインドフルネスになり、それが逆輸入され、日本でも『マインドフルネスが大事だよ』という流れになったわけです。

でもそれって、順番がおかしいですよね。日本は古来より独自の仏教の概念を発展させてきた歴史を持っているわけですから。欧米のモデルをありがたがっているだけではいけないと思います。そもそも、海外の考え方をポンッと違う地域に持ってきたときに、うまく行った試しはあまりありません。

ウェルビーイングというものも、海外から輸入するのではなく、自分たちの風土、文化に適したものをローカルから考え、世界に発信していくことが大切だと考えています。

もうひとつ、西洋では個人が個別にウェルビーイングになっていくことを重視します。しかしそれだけではなく、社会的な関係性そのもののウェルビーイングを高めていくことも、大切だと思います。

そうした視点は、日本でしか通用しない考え方ではありません。社会的分断が真剣に議論されているアメリカや欧州にエクスポートしていくことも、この財団の活動としてできるのではないかと考えています」

通常(主観的)ウェルビーイングは、ポジティブ感情とネガティブ感情、そして「カリントリルの階梯」と呼ばれる10段階の満足度の3つを複合したものとして定義される。それに対し、例えば「新たなウェルビーイング測定法の開発」「ウェルビーイングに影響を与える新たな要因の検証」「ウェルビーイングを最適化するための新たな介入方法の開発」を、LIFULL財団では助成対象にしていくという。

石川もチェンも、ウェルビーイングの本質を掘り下げるにあたり、テクノロジーの存在は欠かせないと考えている。石川はこう語る。

「ウェルビーイングを測定するコストが下がり、リアルタイムで世界中の人の『ウェルビーイング度』がわかるようになったら、まったく違う世界が開けると思います。僕たちは、そこを目指していきたいと思います。

今後ウェルビーイングは、GDPでは捉えられない豊かさをはかる指標となるはずです。

それには、2段階のイノベーションが必要だと僕たちは考えています。ひとつは、学問のイノベーション。もうひとつは、産業のイノベーションです。この財団の活動によって、学問の構造を変えていくことで、学問にイノベーションを起こす。それによって産業のイノベーションを呼び起こす。それが、ひとつのゴールです。

いまはまだ、病気ではないことイコール健康、という価値観だと思います。そこは、ヘルスケア産業やフィットネス産業がますます盛んになって、いつか到達してくれるはずです。ただ、WHOが設立当初に定義したように、本来健康というのは、病気ではないだけではなく、ウェルビーイングな状態であることを指します。そこを目指していくためにも、ウェルビーイングを再定義することが急務であり、その研究を促進させる活動を、今後もおこなっていきたいと考えています」

profile

石川善樹|Yoshiki Ishikawa
1981年、広島県生まれ。東京大学医学部健康科学科卒業、ハーバード大学公衆衛生大学院修了後、自治医科大学で博士(医学)取得。「人がより良く生きるとは何か」をテーマとして、企業や大学と学際的研究を行う。専門分野は、予防医学、行動科学、計算創造学など。近著に『仕事はうかつに始めるな』(プレジデント)、『ノーリバウンド・ダイエット』(法研社)など。

profile

ドミニク・チェン|DOMINIQUE CHEN
博士(学際情報学)、早稲田大学文学学術院・准教授。NPOコモンスフィア(クリエイティブ・コモンズ・ジャパン)理事、ディヴィデュアル共同創業者。IPA未踏IT人材育成プログラム・スーパークリエイター認定。NHK NEWSWEB第四期ネットナビゲーター(2016年度)。2016年度、2017年度グッドデザイン賞・審査員兼フォーカスイシューディレクター。