女性の死因の上位を占める乳がん。日本でも乳がんの患者は年々増え続けており、その割合は先進国の中でも最悪のレベルだ。一方で乳がんは、早期発見で治りやすいがんでもある。しかし一般的な「X線マンモグラフィ」は、何かと問題があるという。その問題を打ち消すと期待される、新たなマンモグラフィとは?
TEXT BY ATSUHIKO YASUDA@XOOMS
「雪山で白ウサギをみつける」ような乳がん検診
女性の死因の上位を占める乳がん。全世界で毎年160万人以上にあらたな乳がんが見つかり、50万人以上が亡くなっている。日本でも乳がんの患者は年々増え続けており、その数は1万4000人を超えた。これは、日本の女性の11人に1人がその生涯の中で乳がんを患うことに相当する。先進国の中でも最悪のレベルだ。
一方、乳がんは、早期発見で治りやすいがんでもある。早めに見つけることができれば治療できる可能性は高い。しかし、残念なことに、乳がん検査を受けている女性は、まだ少ないのが現実だ。乳がん検査が比較的普及している欧米でさえ検診率は約70%しかなく、日本にいたっては40%強の女性しか乳がん検診をうけていない。
乳がん検診率が向上しない一因に、X線マンモグラフィの「人気の無さ」がある。微量ではあるがX線による被ばくの問題があるし、検査時に乳房を板で強く挟み込むため、かなりの痛みが伴う。これらのネガティブなイメージから、乳がん検診を敬遠する女性は多い。
イメージの問題だけではなく、実はX線マンモグラフィには、より本質的な問題がある。X線による透過撮影では、がん細胞だけでなく、正常な乳房に存在するコラーゲンも「白い影」となって写ってしまい、がん細胞と区別がつかないのだ。とりわけ、日本人を含むアジア系の女性には、「デンスブレスト」と呼ばれる、コラーゲンを多く含む乳房が多い。そのような乳房をX線マンモグラフィで検査すると乳房全体が白く写ってしまう。その中にあるがん細胞を見つけ出すのは、熟練した医師にとっても「雪山で白ウサギを見つける」ように難しい作業、というより、原理的に不可能な作業だと言われる。
マイクロ波マンモグラフィは救世主になれるか?
このようなX線マンモグラフィの問題を解決すると期待されているのが、神戸大学数理・データサイエンスセンターの木村建次郎が開発した、マイクロ波マンモグラフィだ。
「マイクロ波は携帯電話やWiFiで利用されいる電磁波です。X線に比べて扱いやすく、被ばくの心配もありません。なにより、X線と違って、乳房内のがん細胞だけを明瞭に識別できる特性があるのです」。木村は、マイクロ波に着目した理由をそう説明する。
マイクロ波マンモグラフィは、マイクロ波が、乳房内のがん組織で強く反射するという性質を利用する。乳がん組織は正常な脂肪組織に比べてがん細胞と血管が多く集まっているため、より多くの水分が存在している。このため、がん組織と正常な脂肪組織の境目でマイクロ波の強い反射が計測されるのだ。つまり、マイクロ波を乳房内に照射し、その反射波の強さを計測すれば、乳がん細胞の有無を正確に知ることができる。
実は、マイクロ波が、乳がん組織の検査に有効であることは以前から知られていた。それにもかかわらず、これまでマイクロ波を使った乳がん検査機器は一台も実用化されていなかった。それはなぜなのだろうか?
「マイクロ波を乳がん組織の検査に使うためには、『散乱の逆問題』と呼ばれる、応用数学上の難問を解く必要があります。その解を求めるのは非常に困難で、事実上不可能だと考えられてきたんです」。木村は、今回のブレークスルーの核心について語り始めた。
「散乱の逆問題」の難しさ
『散乱の逆問題』とは、いったいどんなものなのだろうか。木村は、散乱波による計測を、わかりやすい例にたとえて説明する。
「眼の前に大きな湖があって、その湖面の真ん中あたりに鉄塔が立っているとしましょう。湖の上には霧が立ち込めていて、湖岸から鉄塔はまったく見えません。
そこで、湖岸のある場所で水面を揺らして、湖全体に波を送ります。波はやがて(霧で見えない)鉄塔に到達し、一部はすり抜け、それ以外は反射されて、様々な方向に散らばっていきます。これが波の散乱です。
そうして戻ってきた散乱波を湖岸のあらゆる場所で観測し、どの場所でどんな強さの波が、いつ届いたのかをデータとして記録します。それらのデータを解析することで、鉄塔が湖のどの場所にあり、どんな形・大きさをしているのかを理論的に決定できるだろうか。これが『散乱の逆問題』と呼ばれる問題です」
この簡略化した例でも容易に想像できる通り、散乱の逆問題は容易に解くことができない、応用数学上の超難問だ。解はおろか、そもそも散乱波を表現する方程式がどんな形をしているのかさえわからない。
「つまり、乳房の中のがん組織で反射(散乱)したマイクロ波を正確に計測できたとしても、その計測データから、がん組織の位置や大きさを求めることは不可能だと考えられてきました。これまで散乱の逆問題の解を解析的(数学的)に求めた者は誰もいなかったですし、コンピュータを使って力づくで計算しようとしても、最新のPCを数日間、ぶっつづけで動かす必要がありました。しかも、計算で得られ解のほかに、別の解が存在しないという保証もなかったんです」
これでは、現実の医療検査に利用するにはほど遠い。マイクロ波マンモグラフィの実現には、このような大きな壁が立ちふさがっていた。
理論的ブレークスルーから「痛くないマンモグラフィ」へ
この「散乱の逆問題」という、解決不可能と考えられてきた超難問を、世界で初めて解いてみせたのが木村だ。木村は、多重経路の散乱場を五次元の方程式で記述し、その解を求めることに成功した。さらに「時間と空間の極限操作」という手法を使って、散乱をおこす物体の三次元形状を求める関数を導き出した。
「多重経路散乱場の逆解析」と呼ばれるこの理論は、学問上の成果であるだけでなく、「散乱場の逆解析」という理論を実用的な応用につなげる、革命的なブレークスルーといえる。
「この発見によって、今まで医療現場では使えないと考えられてきたマイクロ波を、現実の乳がん検査に利用する道が見えてきました」
木村は、理論上の大発見だけでは満足しない。彼の目標はあくまでも、実際の医療現場で使える乳がん検査を実現することなのだ。
木村は、自らが作り上げた理論と最新の半導体技術を組み合わせ、世界初のマイクロ波マンモグラフィを開発することにも成功した。このまったく新しい乳がん検査装置は、乳房内のがん組織の位置や大きさを3次元的に、正確に、ほぼリアルタイムで計測できる性能を持つ。マイクロ波を使うため、「デンスブレスト」の乳房でも乳がん組織を明瞭に識別できるし、使用するマイクロ波は、携帯電話の千分の一以下の微弱なもので、被爆の心配もない。
「マイクロ波マンモグラフィの検査は、マイクロ波のアンテナで乳房をそっと撫でるだけです。X線マンモグラフィのように乳房を板で挟み込む必要もありません。女性たちの願いだった『痛くない乳がん検診』が、もうすぐ実現できると確信しています」
「痛くない乳がん検診センター」を世界中に
木村たちが開発したマイクロ波マンモグラフィは、現在、大学病院や民間のクリニックで臨床研究を行いながら、効果の検証とさらなる改良が進められ、数年後には製品化することを目指している。そして木村は、さらにその先を見ている。
「数年前に設立した大学発ベンチャー企業で、この技術を使った乳がん検査サービスを提供したいと考えています。マイクロ波マンモグラフィを使った『痛くない乳がん検診センター』を世界中に作って、乳がんで亡くなる女性が1人もいない世界を実現したいんです」
木村は、研究者としてのあくなき探究心と発明家としての強烈な情熱、そして起業家としての大きな野心をあわせ持った稀代のイノベーターだ。真のイノベーターは、単なる理論家でも実践家でもなく、その両方を極限まで追求する者ではないだろうか。そうでなければ、世の中を変えるようなイノベーションは起こせないと知っているのだ。
木村建次郎|Kenjiro Kimura
神戸大学数理データサイエンスセンター教授。京都大学大学院で電子工学を専攻、博士課程を修了した後、JSTさきがけ研究者・A-STEP研究責任者を経て、神戸大学に着任。2018年から現職。一貫して「モノの中を見る技術の開発」に理論と実践の両面から取り組む。画期的な理論に裏付けられた成果の応用先は、蓄電池、トンネル壁面、構造物、人体など多岐にわたる。2012年、株式会社Integral Geometry Scienceを設立し、開発した検査機器の製品化と社会への展開にも取り組んでいる。2017年、マイクロ波マンモグラフィの開発で 日本医療研究開発大賞・日本医療研究開発機構(AMED)理事長賞を受賞
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