冷たい雨がそぼ降る10月20日、金曜日の夜。原宿のとあるレストランで、AIが考案した料理を食する夕べがひっそりと開催された。仕掛け人は、予防医学博士・石川善樹と、フレンチシェフの松嶋啓介。いったい何を目的とし、どんな料理が振る舞われたのだろうか?
TEXT BY TOMONARI COTANI
PHOTO BY KOUTAROU WASHIZAKI
AlphaGo Zeroの衝撃冷めやらぬ夜に
2016年3月、人類最強の囲碁棋士のひとりであったイ・セドル(韓国)を圧倒したことで、一躍その名が知られることとなった人工知能(AI)の「AlphaGo」。この対局(4-1でAlphaGoの勝利)は、やがて人類が、知性の面でAIに遠く及ばなくなる未来を予見させる出来事として世の中に衝撃を与えたが、2017年10月18日、開発元であるディープマインド社(創業地はイギリス。現在はGoogleを子会社に持つアルファベットの傘下)は、さらに驚くべきニュースを我々にもたらした。
改良版であるAlphaGo Zeroが、イ・セドルに完勝した旧AlphaGoと対戦し、100戦全勝を果たしたのだという。このニュースを耳にしたとき、文字通り人智を越えたAIの「進化の質とスピード」に、研究者たちは戦慄を禁じ得なかったのではないだろうか……。
その2日後。AlphaGo Zeroとは別の角度からAIの可能性を指し示すイベントが、原宿のフレンチレストラン「KEISUKE MATSUSHIMA」にて開催された。予防医学博士・石川善樹と、シェフの松嶋啓介による、AIが考案したレシピを試食する会である。
ここ数年石川は、シェフ・ワトソン(IBMが開発したコグニティブ・コンピューティング「Watson」をベースにした派生プロジェクト)の開発者であるラヴ・ヴァーシュニー(イリノイ大学准教授)と共同で、「機械は創造するか?」という大きな問いと向き合っている。その過程で開発されたのが、Food Galaxyという名のAIエンジンである。
このFood Galaxyは、世界各地から集められたレシピデータを「ベクトル化」することによってつくられた、「食の世界地図」のようなものだと石川はいう。その背景にあるのは、ヴァーシュニーがIBM在籍時代に発表した、「創造性=新奇さ(Novelty)×質(Quality)」という定義である。新奇さは「ベイジアン・サプライズ」という数式によって、質は「食材に含まれる風味化合物の組み合わせ」によって評価する基幹システムが、Food Galaxyにも活かされている。
そんなFood Galaxyがはじき出したレシピを元に、シェフ・松嶋啓介が料理を作り、その味を確かめるというのがこのイベントの趣旨であった。松嶋と石川は、毎年アメリカのナパバレーで開催されている「Healthy Kitchens, Healthy Lives」(アメリカ最大の料理学校CIA
今回Food Galaxyが提案したのは、バーニャカウダ、すき焼き、ハンバーグの新たなるレシピであった。このレシピについて、石川はこう語る。
「料理の決め手は、香りだと言われています。たとえば鼻をつまむと、オレンジジュースとグレープフルーツジュースの違いが判らなくなるくらいですからね。もうひとつの決め手は、旨味です。旨味は、味覚の基本である五味(塩味、甘味、酸味、苦味、旨味)のひとつですが、肉と野菜の異なる旨味を組み合わせると、相乗効果が出てくることがわかっています。
そうした観点から『世界の食マップ』を作ってみると、たとえばフレンチと韓国料理は対局にあることがわかりました。そこで、バーニャカウダやすき焼きといった料理にフレンチと韓国料理のテイストを加えてみる提案を、今回、Food Galaxyを使ってしてみたんです。
バーニャカウダと韓国料理とか、すき焼きとフレンチという組み合わせの発想は、常識では出てこないと思います。しかし、香りや旨味という側面から食材を見ているAIには、人間には思いつかないつながりが見えているんです。その意外性を、『機械の創造性』と捉えることもできるのではないかと、僕たちは思っています」
石川はさらにこう続ける。
「僕たちは、『解析』はできるのですが、『解釈』ができない。そうした感性の部分を補ってくれるのが、(松嶋)啓介さんなんです。たとえば塩をいつ入れるかによって、塩味になるのか、塩が食材本来のうまみを引き出すのか、まるで違いますからね。こちらが提案する無理難題をおもしろがりながら、しかもハイレベルで再現してくださるので、本当にありがたいです。実際のところ、シェフで論文を書いたことがある人なんて、世界でもそうそういないでしょうしね」
究極のハンバーグは、トルコ風!?
さてそろそろ、この日のメインディッシュである「究極のハンバーグ」についても、石川に解説していただこう。
「先程、香りと旨味が料理の決め手と言いましたが、それにスパイスを加えた3つが、料理がかたち作られる3大要素だとされています。この3つを自在に操ることができれば、理論的には天才シェフになれる(笑)。それをAIで実現できないか、というのがFood Galaxyのひとつのチャレンジです。
旨味と香りとスパイス。この3つがバランスよく入っているのが、実はトルコ料理なんです。そこで今回の『究極のハンバーグ』は、トルコ料理からヒントを得たレシピを提案させていただきました。
ハンバーグの材料は、仔羊の挽肉、タマネギ、クミン、オールスパイスのみ。つなぎは使わず、バランスよく仔羊の脂を入れていると、啓介さんは仰っていました。
日本だと、ふわふわで柔らかいハンバーグがおいしい、というマーケティングがあるけれど、今回啓介さんが作ったハンバーグは、みしっとしていてとても歯ごたえがありました。これは、何度も肉を休ませながら火入れを行った結果だそうです。グワッと熱が入ると、肉はボソボソになってしまうので、最初に焼き色だけを付けて、その後はオーブンで少しずつ焼いたのだとか。ハンバーグというと、どちらかというと甘いソースのイメージですが、香り高く、スパイシーで、肉の旨味も感じられる仕上がりになったのではないでしょうか。
今回僕たちは、このレシピを『究極のハンバーグ』としましたが、世界のレシピデータをより集めていくことで、解析結果はまた変わってくるかもしれません。まだデータは少ないですが、たとえばペルー料理も、旨味と香りとスパイスの3つが、うまく混ざり合っているとされていますからね。
それこそ囲碁もそうですが、ゲームというのはルールが明確で、かつ、勝ち負けが明確です。ですが、食も含めてクリエイティブの世界って、ルールも不明だし、勝ち負けも不明なんです。なのでAIは、囲碁やチェスのようなゲームは得意ですが、食のように、ルール不明、勝ち負け不明のものは、まだまだ人間の独壇場だと思います」
炊飯器に、紅茶とトマトを入れてみよう!?
最後に、Food Galaxyの今後について語っていただこう。
「意外な組み合わせを提案できるとことがFood Galaxyのおもしろみのひとつですから、たとえば飲み物には挑戦してみたいですね。聞くとギョッとするかもしれませんが、コーヒーとビールって、すごく合うんですよ! コーヒー1にビール3くらいをブレンドすると、香りとコクが生まれます。
主食だったら、ごはんを紅茶で炊いてみるのもおすすめです。紅茶の濃さはお好みですが、飲める濃さより少し薄めの紅茶を炊飯器に入れ、そこにトマトも入れて炊いてみてください。『紅茶&トマトの炊き込みごはん』と聞くと、これまた『えっ!?』って思われるかもしれませんが、紅茶とトマトは香り成分が似ているので、意外なおいしさを味わうことができると思います。
そうした意外な組み合わせはいくらでも作れるので、そこは引き続きやっていきたいですし、世界各地のレシピが十分に揃ってきたら、驚きのマッチングがよりできるようになると思います。その時期が来たら、Food Galaxyを公開したいと思います。その時が早くくるよう、これからも啓介さんやヴァーシュニー、あるいはこのプロジェクトのコアメンバーであるデータサイエンティストの風間正弘くんやデザイナーの出雲翔くんたちと、研究を進めていきたいと思います」
松嶋啓介 | Keisuke Matsushima
1977年福岡県生まれ。シェフ/レストラン経営者。料理学校卒業後、東京のレストランに勤務後、料理修業のため渡仏。フランス各地での修行を経て、2002年、ニースにレストラン『Kei’s Passion』開店。06年、ミシュランガイドで一ツ星を獲得。同年、増床改装し、店名を『KEISUKE MATSUSHIMA』に改める。09年、原宿に『Restaurant-I』(現『KEISUKE MATSUSHIMA』)をオープン。
石川善樹|Yoshiki Ishikawa1981年、広島県生まれ。東京大学医学部健康科学科卒業、ハーバード大学公衆衛生大学院修了後、自治医科大学で博士(医学)取得。「人がより良く生きるとは何か」をテーマとして、企業や大学と学際的研究を行う。専門分野は、予防医学、行動科学、計算創造学など。近著に『仕事はうかつに始めるな』(プレジデント)、『ノーリバウンド・ダイエット』(法研社)など。
SHARE