建築家のネリ・オックスマン教授はいま、デジタルデザインと生物学的デザインの統合を試みる作品づくりに取り組む。そこに込められたアイデアや、そこから広がる可能性、あるいは浮かび上がってくる課題をめぐって、分子生物学者の福岡伸一教授がさまざまな角度から訊く。
TEXT BY SAWAKO AKUNE
PORTRAIT BY MIE MORIMOTO
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共通する“何か”を探してみよう
福岡伸一 はじめまして。私は分子生物学者ですが、一般の読者や視聴者に生物学の楽しさや気づき、驚きを伝えること、科学と芸術に橋を架けることにも取り組んできました。自己紹介代わりに、私が関わっているテレビ番組をお見せしたいと思います。「ミミクリーズ」という子ども向けの番組で、タイトル通りに“ミミクリー(mimicry /擬態・模倣)”を扱っています。
ネリ・オックスマン 面白いですね! 曲にのせて、楽しくグラフィカルに自然界の擬態や模倣を紹介していくんですね。
福岡 子どもたちには難解なことはいわず、自然に興味を持ち、その背後にある原則に気づいていってほしいと思うのです。
オックスマン 自然界に関する知識を教え、伝えていくやり方にはふたつあると思います。ひとつはある現象をとらえ、それを数学的な公式として抽象化し、それを関連する他の現象へと応用していく方法。もうひとつは学んだことを自然界での経験へと結びつける方法。私は間違いなく後者なのですが、「ミミクリーズ」では、ある自然現象の上に公式の図版が重ねられて、それが次の自然現象へとつながっていく。今話したふたつのアプローチがひとつの画面に見事に実現されていますね。
福岡 私たち生物学者も、ヒトゲノムのDNA塩基配列のホモロジー(相同性)や、タンパク質の3次元構造の類似性に注目し、共通する機能を見つけ出すことで研究を進めます。ですから、“ミミクリー”に気づかせることは、子どもたちの科学的野心を芽生えさせる種子になっていくと思うのです。自然は人間の創造を支え培う無限の泉ですからね。
生物学的デザインは挑戦する
福岡 あなたがこれまでに手がけてきたプロジェクトを拝見すると、螺旋構造、あるいはボロノイ図のようなものを連想させられます。実際のところはどうでしょう、こういったパターンや構造を生み出すときには、生物学的アルゴリズムが用いられているのでしょうか?
オックスマン ええ。たとえば細胞分裂はこれまでのプロジェクトの多くに用いてきましたし、反応拡散もそうですね。福岡さんもご存知の通り、反応拡散は血液凝固を説明する数学モデルです。水と油を混ぜた際に起きる現象、皮膚を日光にさらした際に起きるメラニン濃度の変化なども説明できる。
要するに2種類の物質——固い物と柔かい物、透明な物と不透明な物といった異なる物質を混合することができるわけですが、私がこの反応拡散モデルを気に入っているのは、数式の操作によってどの物質がどんな濃度になるかを決定できるところなんです。それを作品に生かしていくんです。
福岡 細胞分裂の方はどうでしょう?
オックスマン 〈Wanderers(放浪者・さまよう者)〉と名づけた一連の作品は、細胞分裂を応用しているといえますね。木星、火星、水星、月という各惑星における人間のウェアラブル(身につけるガジェット)のデザインなんです。ところで惑星(Planet)のラテン語“プラテナス”も「さまよ人」を意味するんですよ。
福岡 そうなんですね!「Planet」の日本語「惑星」も「さまよう星」という意味なんですよ。
オックスマン とても美しい言葉ですね。私の作品〈Wanderers〉それぞれのウェアラブルには合成微生物が注入されていて、これが、酸素、水素、光子、バイオマスなど、各惑星の過酷な環境で人間が生命を維持するのに不可欠な物質を作り出します。微生物の活動に支えられた、人間の臓器の補助的器官というわけです。
福岡 素材は何ですか。ガラス……合成樹脂かな?
オックスマン ある種の感光性樹脂(フォトポリマー)ですね。早い段階から企業と協力を続けていて、3D印刷で形を作り上げています。
福岡 なるほど。
オックスマン 人体と相互に反応し合うデザインを手がけていく時に特に難しいのは、人体には多機能でありながら単一のシステムで出来上がった器官がとても多いことです。例えば皮膚。顔の皮膚は比較的大きな毛穴のある薄いものであるのに対し、背中の皮膚はより小さな毛穴がある、厚いものですよね。基本的には同じ組織なのに、顔の皮膚はフィルターとして機能し、背中の皮膚は外界から身を守る障壁として機能している。つまり、多機能器官なんです。そのようなものにこれからの建築やデザインの可能性はあると感じています。
〈Gemini〉という、皮膚で人体を包み込むような椅子のデザインでは、いくつかの感光性樹脂をブレンドし、透明や不透明の黄色やオレンジ色のさまざまな色合いを、異なる剛性で造形していきました。人間の体も細胞は瞬間ごとに更新され再生していく。私たちが手がけている第2の皮膚もまた、そういう代謝のプロセスを行えるものになったら面白いでしょう。
メタボリズムからの再生
福岡 あなたのデザインを拝見していて思うのはまさにそのことです。1960年代の日本で巻き起こった「メタボリズム」という建築のムーブメントのことはもちろんご存知ですよね。この運動をリードした一人が丹下健三の門下生だった黒川紀章で、彼はいくつかの作品群も実現させました。
今も銀座に建つ「中銀カプセルタワービル」もそのひとつで、その外観はまるで核を持つ細胞が積み重なったかのようです。コンセプトとしてもカプセル単位での増殖・交換が可能でしたが、実際には“代謝”はしませんでした。むしろ朽ち果てたこの建物を廃棄して、新しいビルを建てることを人々は考えている。そういう意味で 60年代のメタボリズムが上手くいかなかったのは、技術云々はともかく、彼ら建築家に真の生物学的視点がなかったからではないかと思うのです。
オックスマン とても興味深いです。
福岡 実際、代謝は器官や組織のレベルでは起こりませんよね。細胞レベルですらなくて、分子のレベルで起きる。人間にとっての食べ物とは車にとっての燃料のようなものではなく、身体に新しい分子が入ると同時に、古い分子が外へと出て行く。完全な再生です。一般的には人間の身体は固定的なものだと思われがちですが、より動的な液状……むしろガス状とすらいっていいものです。
これは私が尊敬する科学者、ルドルフ・シェーンハイマーがマウスに与えた餌を追跡することで見いだした「動的平衡」と呼ぶべき生命観ですが、私はこれを現代の世界に呼び戻したいのです。
生きたパビリオンに向けて
福岡 先ほど〈Wanderers〉のお話をうかがいました。一見とても生物学的だとは思うのですが、同時に代謝についての考え方がまだクリアに見えて来ないのですが。
オックスマン ウェアラブル内の微生物が生み出すものを人間が摂り入れ、人間が排出するものを微生物が摂り入れる。〈Wanderers〉装着時の代謝は、そんな相互的な関係の上に成り立つべきだと考えています。ただしこれを成立させるには、ウェアラブルと人体との間にある種の不浸透性膜を介在させなくてはなりません。したがって、まずその素材を作ることが課題です。さまざまな生命体をさまざまな比率で相互に透過させる新素材の開発ですね。
福岡 なるほど、納得できました。微生物は膜の内側に留まり、酸素やその他の栄養素は膜を通過して人体へ吸収されていく、と。
オックスマン 酸素、蔗糖、タンパク質でも愛のホルモンでも、何でもです(笑)。
福岡 とても面白くなりそうですね。今後のあなたの研究・創作はどこへ向かうのでしょう。建築なども視野に入れているのですよね?
オックスマン そうですね、これまで同様、様々なスケールにまたがって活動していきたいと思っています。新素材を開発しそれを運用していくわけですから、建築ではより困難が多いとは思いますが。昨年(2014年)から森ビルと共同して可能性を探っているのは、本当の意味で代謝する、生きたパビリオンなんです……いや“本当の”という言い方はやめましょう。何が本当かは分からないのですから。
福岡 “新しい”代謝が探り当てられるといいですね。きっとあなたは、これまでなぜか切り離されてきた科学と芸術、もっと言うならば科学精神と人間性との間に橋を架ける方なのだと思います。これからの経過を楽しみに拝見します。
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