
スイスでバリスタチャンピオンに輝いた日本人女性が営むコーヒーショップが世界で人気を集めている。チューリッヒ「MAME」の存在が日本のコーヒーの愛好家を沸かせてから数年、オーナーバリスタの深堀絵美さんが2025年6月、東京・神谷町プレイスにこれまでになかったコーヒーショップ「KURO MAME」をオープンした。バリスタを志した経緯からユニークな店のスタイルに込めた思いまで、深堀さんに話を聞いた。
TEXT BY KEI SASAKI
PHOTO BY SATOSHI NAGARE
EDIT BY KAZUMI YAMAMOTO
——海外発のコーヒー文化が根付き、スペシャルティコーヒーが広く親しまれている日本ですが、スイスのコーヒー文化や食文化に明確なイメージを持っている人は少ないかもしれません。まずはその辺りからお話を伺えますか。
深掘 もちろんです。日本では「九州より少し広い程度」と例えられるように、スイスはとても小さな国です。海はなく、ドイツ、オーストリア、イタリア、フランスなどと国境を接していて、公用語が4言語あります。文化全般において良くも悪くも隣国の影響を受けやすく、それぞれも混じりやすい。こと、コーヒーに関していえば、日本でもおなじみの「ネスプレッソ」の本社がある国です。だから、ネスプレッソマシンは一家に一台がデフォルト。オフィスにも必ずあり、人々にとってコーヒーはとても身近なものです。ちょうど日本人にとっての日本茶のように、誰もが「〇〇産の△△製法」などと気にせず、朝はこれ、オフィスではこれ、とお決まりのものが日常に組み込まれている。だからこそ、特別なものにはなりにくい状況もあった。それが少しずつ変わり始めたのが、コロナ禍の後です。人々が口に入れるものにより意識を向けるようになり、高くても価値があるものに対価を払うようになった。物質的なものから食や旅などの体験が重視され始めたのもこの頃です。

「KURO MAME」のある神谷町プレイスは、麻布台ヒルズに隣接。
一杯のコーヒーをきっかけに、バリスタへ、世界への道へ
——深堀さんがスイスにスペシャルティコーヒーショップ「MAME」を開かれたのは2017年。コロナ禍より少し前ですが、どんな経緯だったのでしょうか。
深掘 その話をするためには、私のコーヒーとの出会いからお話させて下さい。私はスイスで観光系の専門学校を卒業後、現地の旅行代理店で働いていました。仕事は楽しかったのですが、元々大のおいしいもの好きで、同じようなテンションで食事を共にしたり、味について話をしたりできる友人が近くに欲しいとずっと思っていたんですね。それで、ある焙煎所で開催されたコーヒーテイスティングに参加したところ、スイスのバリスタチャンピオンの女性が淹れてくれたカプチーノを飲んで衝撃を受けたんです。先にも話した通り、コーヒーは身近なものだけに、ふだん飲んでいるものとの違いが明確で。「なんでこんな味が作れるのか?」と、不思議で仕方がなく。きっと相当しつこく訊いたのでしょう(笑)。私をバリスタ志望者と勘違いした彼女が「大会を目指してみたら」と言うので、その気になって、すっかり……というのがいきさつです。

まずはウェルカムドリンク(阿波番茶やコールドブリュートニックなど、時季替わり)で口の中をリフレッシュ。

コーヒーを味わう前に、挽きたての豆の香りを楽しむ。

ハンドドリップで淹れたコロンビア。柚子ピールなどの柑橘、山椒から、後半はコニャックなどへ香りが変化する。余韻の長い味わい。
——それで経験ゼロからチャンピオンまで上り詰め、さらにご自身でお店まで開かれるというのが、とてつもないバイタリティですよね。
深掘 「好きになったら、とことん」な、性格なのだと思います。その日を境に、コーヒー漬けの日々が始まりました。会社の仕事終わりに焙煎所に通うようになり、グラインドにスチーミングと一から教わり、トレーニングを重ねました。経験ゼロなのはもちろん、知識もゼロで、初めは「エチオピアのナチュラル(注/コーヒーの精製方法)」といわれたら「ナチュラルって、オーガニックって意味ですか?」と訊き返す、みたいなところから(笑)。毎日休まず約半年、途中からは焙煎所の鍵を渡されたほどです。ところが、努力が実ってスイスのバリスタチャンピオンになり、コーヒーを仕事にしようと会社を辞めてほどなく、働いていた店が閉店してしまうんです。「開業の経緯は?」という先のご質問の答えになりますが、当時、トップバリスタが常駐するコーヒー専門店がほかになく、ならば作るしかない、と。自分の働き口の確保はもちろんですが、私自身がコーヒーとの出会いで人生が変わったので——必ずしも皆がプロを目指さなくとも——誰かがそういう体験ができる場所を作りたいと思ったのも大きかったですね。

世界大会で使用されるような最高品質の豆や「MAME」限定の豆が揃う。販売もしている。
産地での豆選びから始まる味づくり
——スイスの「MAME」はどんなお店なのでしょうか。
深掘 「MAME」は、フランス人のビジネスパートナー、マシュー・ティースと共同で設立した店で、彼も数々の競技会で入賞歴のあるバリスタです。現在、チューリッヒに構えた焙煎所を拠点に、チューリッヒに3軒、ジュネーブに2軒の店を展開していて、海外からも多くのお客様をお迎えしています。「MAME」の味作りは、産地へ出向き、生産者と共に試飲し、豆を買い付けるところから始まります。「今年は雨が多かったから、この精製プロセスにしてみた」「うちのお客様にはあの豆がとても評判がよかった」と、対話をすることで、提供する豆の品質、ひいてはサービスそのもののクオリティを上げていく。仕入れた豆は自社のロースターで焙煎し、常時15種ほどを店に揃えています。コンセプトは「The best coffee is the coffee you like(最高のコーヒーはあなたが好きなコーヒー)」。「KURO MAME」と違ってメニューはありますが、これまでのコーヒー体験やお好みを伺って、コーヒーの新しい世界に触れて頂きたいという気持ちは同じです。

深堀さんが「飲むブルーベリーチーズケーキ」と言うラテ。コーヒー豆、水、牛乳だけとは思えないほど優しく甘く、果実の風味と酸味がある。

エスプレッソマシンはバリスタチャンピオンシップでも使用されるイタリア「アストリア」社のTEMPESTAを使用。「MAME」のコンセプトが刻まれている。
カウンセリングから、一人ひとりの「The best coffee 」を
——東京の「KURO MAME」は、メニューなし、1杯4,000円~。極めてエクスクルーシブなスタイルですが、どんなサービスが受けられるのでしょうか。
深掘 サービスの基本は、カウンセリングです。お好みのコーヒーはあるか、ワインやビールならどうか、今日はどんな気分かなどを入口に、対話を通じて、ベストな1杯を探っていく。お客様に知識は必要ありません。スペシャルティや世界大会限定の特別な豆と聞くと「ミルクは、使わないほうがいいですよね……」と、恐る恐るおっしゃる方がいらっしゃますが、そんなこともない。「The best coffee is the coffee you like」。ですが、コーヒーは嗜好品としての歴史がワインなどのアルコール飲料に比べて短いので、ご自身の好みがわからない方がとても多い。それを一緒に見つけるのが私たちの仕事です。おいしいものにも種類というか段階があって、安心して満足できる美味と、心が揺さぶられてそれまでの価値観や概念を拡張されるような美味がある。ここでご提供したいのは後者です。そのために豆の買い付けや保管、焙煎、機材の選定、豆に応じた水、牛乳選びまですべて考えがあってやっている。それがバリスタの仕事ですから。お客さまには情報より感動を持ち帰って頂きたい。

「1杯のコーヒーとともに、旅のような時間を過ごせる空間を」と、内装はワインバーやワイナリーなども手掛ける「MHAA建築事務所」に設計を依頼。

シートインとは豆が異なるがテイクアウトも可能。1杯600円~。
——スイス以外ならば東京、と決めていらしたそうですね。
深掘 はい、東京にはいつか店を出したいと思っていました。私が日本育ちの日本人なので、日本の皆様に「MAME」のコーヒーを味わって頂きたかった。そして、次に店を作るならば違う形にしたいという気持ちも元々ありました。チューリッヒの店では、毎日ラテをテイクアウェイする近所の方々と、世界から「MAME」を目指して来店された方々が同じ列に並びます。言い換えれば、一秒でも早くいつもの味が欲しい人と、コミュニケーションを楽しみながら特別なコーヒー体験を見つけたい人、となり、それは両者にとって、そして私たちにとってもストレスです。なので、ここでは「体験」に重きを置いた店を作りたかった。コロナ禍以降、世界は空前の日本ブームです。そして日本は、やはり世界に誇れる美食都市で、高級レストランだけでなく、カジュアルも、専門店もバーもすべてレベルが高い。「おいしい日本」を構成する輪に、コーヒーで加わりたいと。その意味では、ここは最高の場所だな、と。トップガストロノミーレストランを筆頭に、あらゆる食の専門店が集結する町ですから。

深堀絵美|Emi Fukahori
「MAME」「KURO MAME」共同オーナー。1987年生まれ。2006年、語学留学のために渡英し、2007年スイスに留学。観光系専門学校卒業後、現地の旅行代理店に就職する。2014年、ビューラッハの焙煎所で開催されたコーヒーテイスティングに参加したのを機にバリスタへの道へ。2015年スイスのバリスタチャンピオンシップで優勝し、2017年チューリッヒに「MAME」開業。2018年、ワールドブリューワーズカップ優勝。2025年東京に「KURO MAME」を開業。
KURO MAME

住所=東京都港区虎ノ門5-3-3 神谷町プレイスE1TEL=03-6403-1890営業時間=10:00〜19:00※店内利用は予約優先
※2025年9月現在の情報です。
※表示価格は全て税込価格です。
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