シャルキュトリーと高級デリカテッセンの先駆けである「メツゲライクスダ」が、20年の歴史の中で、初めて東京に出店、しかも麻布台ヒルズ内ということで、東京のフードシーンが沸いている。オープンは2024年春。楠田裕彦が大きな決断をした理由から伺った。
TEXT BY KEI SASAKI
PHOTO BY AYAKO MOGI
EDIT BY KAZUMI YAMAMOTO
illustration by Geoff McFetridge
楠田 「本当に出店することになるとは」と、今でも自分が驚いているくらいです。現在、兵庫県内にある芦屋本店と六甲道店以外に店を出したいとは、一度も考えたことがなかったので。理由は、森ビルさんの並々ならぬ熱意に負けたとでも言いましょうか。そもそも初めから、一般的な出店のお誘いとは全然違っていました。「ほかにこういう店が入って」とか「このくらいの集客は見込めて」というデータを提示されることはよくあるのですが、そういう話はまったくなかった。彼らが巨大なジオラマやさまざまなデジタルコンテンツを使って見せてくれたのは、災害データに基づく解析や、人口の変遷による都市構造の変化がすべてビジュアル化された東京の未来図。その上で、「私たちは未来の東京を、こういう都市にしたい」と、説明されたんです。国単位の話以上に、都市が競争力を持つことが世界のイニシアチブを取るという考え方に圧倒されました。
数より質を。ディテールにこだわった小さくても特別な店
——確かに、一般的な商業施設誘致の際に聞く話と比べて、かなりユニークです。それで即答に至ったのでしょうか。
楠田 いやいや。圧倒されたものの、店を出すか否かは、そう簡単には決められません。芦屋本店の工房で、自分と数人の職人だけで、手作業で造っている商品なので、製造量を急には増やせないですし。そう説明して、お断りしたのも一度や二度じゃなかったのですが、ありがたいことに、それでも粘り強く声をかけ続けて下さった。「楠田さんができる形で、範囲内で、やって下さい」と。普通、商業施設に入るとなると、ある程度の規模感が求められると思うのですが、それより、プロダクトやマーケットの質や、未来志向のもの造りといった大切なものを守りながらやって行こうと。やりとりを繰り返す中で、僕自身がどんどん“チーム森ビル”に敬意を抱くようになり、彼らと協業し、一緒に作り上げる景色を見てみたいと思うようになったのだと思います。昭和的なアツさというか、昔の日本人が持っていたような、夢を貫こうとがむしゃらになる姿勢があり。リアル昭和世代の重役の方はもちろん、若い社員の方にもイズムが貫かれていて、こういう若い人たちもいるのか、と希望をもらいましたね。
——実際に、麻布台ヒルズの店はどんなお店になる予定でしょうか。
楠田 販売のみ、7坪弱の小さな店舗になります。開業は来年1月下旬を予定。店名は〈KUSUDA CHARCUTERIE MAÎTRE ARTISAN〉です。当初、森ビルさんからは、麻布台ヒルズのガーデンプラザ地下一階の中でもひと際大きなスペースでどうでしょう、というご提案を頂きました。製造ができる工房も備え、イートインのテーブルもあるような。でも、造り手が自分しかいない以上、それはやはり難しく、規模や業態について何度も話し合いを重ね、合意点を探っていった結果です。小さな店ですが、ディテールにこだわって、芦屋本店とはまた違った空間になるようにと考えています。カウンタートップは重厚かつちょっと珍しい大理石に、壁もエイジング感がある建材を採用しました。スライサーも、フランス製の最高級品〈ヴィスメール〉のものを2台、導入します。うちの店のような専門店では、豊富な商品知識とスライスなどの技術を持つ販売スタッフもある意味“職人”であると考えていますので、店に立つスタッフたちにスポットライトが当たるような場にしたい。麻布台ヒルズ店のロゴは、柳原照弘さんにお願いしていて、新しいイメージのものが完成しつつあります。
——販売のみの小規模店舗といっても、単なる商業施設のテナントではない、様々なスペシャル感が詰まっているのですね。
楠田 はい。販売する商品はシャルキュトリーのみ、約15種前後からのスタートと限られていますが、その中で、どんな特別感を感じて頂けるかを考えながら店作りを進めてきました。切りたてのハムの、真空パックしたものにはないおいしさは、長く通販で当店をご利用下さっていたお客様にとっても新鮮なはずです。自家製スモークソルトのほか、麻布台ヒルズ限定の調味料の開発も進めています。せっかくやるのだから、この機に自分自身の、そして「メツゲライクスダ」のフェイズを変えて行きたい。今回の出店のために、長年お付き合い頂いていた卸し先のお客様にご相談し、一時的に取引を休ませて頂きます。そうでないと、不可能なので(笑)。そのくらいの覚悟を持って取り組んでいます。欧州のシャルキュトリーの文化を日本に根付かせるつもりで店を開いて20年になりますが、改めて麻布台ヒルズの新店はシャルキュティエ(食肉加工技術を持つ職人)の仕事をさらに知って頂くよい場にもなる、したいと考えています。
シャルキュティエの視点で、国内の畜産を考える
——楠田さんが店を開かれた頃、「シャルキュトリー」と言ってもわからない人が多かったと思いますが、今はずいぶん日本人の食卓にも根付いたように感じます。
楠田 まだまだ道半ばですね。今、飲食業界はどこも人不足が大きな問題になっていますよね。レストランはもちろんのことですが、料理人以上に実態が見えにくいシャルキュティエという仕事はなおさらという状況です。地味な仕事ですが、きちんとした技術を身につければ、腕一本で生きていくことができる。自分の感性やセンスを、プロダクトの中で表現でき、お客様に喜んで頂ける素晴らしい仕事だと思っています。僕はこの仕事を、自分が「生きる意義」だと思って、やり続けている。そのバトンを渡せる、託せる人や土壌を育てることは大きな課題です。確かにこの20年で「シャルキュトリー」という言葉は浸透し、国内産のさまざまなプロダクトに触れられる機会は増えているけれど、やはり僕はフランスやドイツで学んで、その技術と、食文化を伝承する役目、バトンを託されて今がある。その系譜を絶やさず、正しい形で国内に広げて行かなくてはと。シャルキュティエの仕事は、畜産を考える上でも非常に重要な仕事なので。
——楠田さんは、「シャルキュティエ」という立場から、日本の畜産や食肉流通の問題に切り込んで来られたパイオニアでもありますよね。
楠田 ごく一部の例外を除き、20年前の開業時から、国産原料で製造しています。なぜって、「そういうものだから」。シャルキュトリーは、畜産とともにある。国や地域ごとに、住んでいる人たちが好む、つまり食文化に根付いた家畜が育てられているし、鮮度も重要です。流通という概念がなかった大昔から、世界中のあらゆる場所で当たり前にしてきたこと。地域で動物を育て、堆肥を大地に返して野菜や飼料を育て、屠畜した肉を食べるレストランがあり、精肉店やシャルキュティエのような仕事があって、一頭を余すところなく頂くという循環が成り立つ。お金も地域内循環。ミニマムな経済で成り立つ地域コミュニティの在り方は、今こそ学ぶところが多い。講演などの機会があると、よくそんな話をしています。
——国内の畜産の現場も、大きな転換期を迎えているように思います。
楠田 一言で言えば、危機的状況です。コロナ禍で廃業した畜産農家も、ものすごく多い。できることはと精いっぱい手を尽くしたつもりでも、追い付かなかった。畜産を産業として成り立たせるには、数が必要。2000頭、3000頭の生産規模がないと利益が出にくい。「100頭を、手塩にかけて育てています」と聞いたら「それは大変やなぁ」と思うんです。毎日苦しみながら、寝る間も惜しんで、情熱だけでやっている人達なので、支えられるだけ支えて行きたい。我々がものを作り続ける原資なのですから。家畜の生産現場は常に需要に左右されます。つまり、みんなで消費しないと消滅していく。今後も廃業する農家が増え続けることは避けられなさそうです。エネルギーや穀物が高騰し、飼料をほぼ100%輸入に頼っている日本では、その確保が難しい。値段を上げながら消費を維持しないとならないけれど、経済も大きな問題も抱えていて、若者の給料も上がらない。産地も、気候変動の影響を受けている。フードショックとは、そういうこと。穀物が不足すれば人間の食糧が優先で、家畜は淘汰される、だから世界が培養肉の開発を急いでいる。世界経済のイニシアチブが、タンパク質という時代になってくる。店のことから話が大きく逸れましたが、僕の中では全部繋がった、平行して考えて行かなくてはならない問題なのです。
命とつながるグリーン。都市の真ん中だからこその発信を
——麻布台ヒルズは「グリーン&ウェルネス」という指標を掲げ、都市の中で、より人間らしく生きられるコミュニティ造りを目指しています。店の中だけに限らず、楠田さんの発信が、意味を持つ場面が多く生まれそうです。
楠田 ぜひそうしていきたいですね。僕が緑や自然について考えるとき、背景に必ず「家畜」があります。出店に際し、森ビルさんにもお話ししたのですが、あの美しい芝生の広場で、僕が考える「グリーン」の形をお見せしたい。畜産農家さんに来て頂き、食育の機会を設け、彼らが日本の食の大事な部分を支えているということを、都市の中心部から伝えていきたいんです。パリの農業祭で、一番のステージであるシャンゼリゼに、家畜がずらりと並び、命と触れ合ってから、肉やソーセージを味わうように。この美食の時代、人間の都合で奪われている命について、もう一度考えてみることの大切さ。僕は屠畜もしていたので、その重みが体に染みついていて、だからこそ大切に加工しようと思うんです。きれいなブルジョワ的な街づくりにとどまらず、今、そこへ一歩踏み出すことが真のインテリジェンスなのではないでしょうか。幸い、これまでに繋がりを培ってきた料理人や飲食店オーナーの店も数多く出店する。何かコラボレーションをするなど、彼らの力も借りながら、麻布台ヒルズでしかできないことをやっていきたいですね。
佐々木ケイ|Kei Sasaki
フードライター・エディター出版社勤務を経て、2004年よりフリーランスとして活動。主な分野は食で、飲食店(東京、ローカル、ファインダイニングから大衆食堂まで)、生産者(農業、漁業、加工品)、酒類(ワイン、スピリッツ、ビール等)について幅広く取材、執筆する。連載はBRUTUS、dancyuほか。
※2023年10月現在の情報となります。
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