GREEN WATCHER

世界の都市の片隅で、自生する植物と:『緑をみる人』著者・村田あやこに訊く

せわしなく毎日を過ごしていると、道端に自生する植物に目をやる機会はそう多くないかもしれない。あるいは逆に雑草に苛まれ、駆除に追われている人もいるだろう。都市の隙間の緑は多くの場合、見過ごされる存在か、排除される存在だ。しかし、都市に繁茂し続ける植物を愛で、むしろそうした緑が満ちた姿こそが都市なのだと喝破する人たちが、世界中にいるのだという。

路上園芸鑑賞家/ライターの村田あやこによる新刊『緑をみる人』(雷鳥社、2025年10月)には、フランス、アメリカ、メキシコ、イタリア、韓国や台湾、日本など、世界各地で“名もなき緑”を愛好する人々へのインタビューと、各人が撮影した写真がぎっしりと詰まっている。その緑は、本のかたちを食い破ってさえいるように見える。連載「編集できない世界をめぐる対話」第28回は、愛好家をめぐる本のようでいて、人の意図を超え、都市を覆う緑そのものが主役である本にまつわるインタビューだ。

TEXT BY Fumihisa Miyata
PHOTO BY Kaori Nishida

——インタビュー前に、街中にはみ出す緑を探索しながら一緒に歩かせていただきました。普通に歩いていたら気づかない視線の低さで、わずかなすき間の緑も発見されていくのに驚きました。

村田 お散歩、楽しかったですね! 今回は皆さんと一緒に4人で歩きましたが、路上の観察はこれぐらいの人数がちょうどいいんですよ。ひとりで道端にかがみ込んでいると不審者のように見えてしまいがちで(笑)、かといって大勢すぎると住宅街などではガヤガヤしすぎてしまうので……。

——たしかに。今回のご著作『緑をみる人』は、そんな村田さんだけでなく、都市のすき間に生きる植物を愛でる、国内外の愛好家たちに取材を重ねた一冊です。スタイリッシュな本でありつつ、自生する緑の広がりが本に収まりきらないというか、むしろはみ出しているような印象さえ抱きます。

村田 13の国と地域の方々にお話をうかがって、800枚ほどの写真を掲載しています。おっしゃっていただいたように、ページの隅々から緑がはみ出しているような本なので、人によっては「どこから手をつけていいのかわからない」という反応をいただくこともありますね(笑)

一方でこうした、みんなが目に留めるとは限らない風景に——場合によっては都市のなかで“ない”ものとされていたり、“ない”ほうが望ましいとされていたりするような風景に魅かれている人が自分以外にもいることを知って力をもらった、という感想もいただきました。そうした風景からいろいろなことを受け取っている仲間が世界各地にいることがわかって、勇気をもらった、と。

——見過ごされているものを愛でる人が、知らない街にもいる、と。

村田 ただ面白いことに、どこかの知らない街をふと歩いているような気持ちになれるようなグローバルな本でありながら、写真に撮られている風景は都市のすき間や隅っこばかりなんです(笑)

——通じ合える関心や視点はありつつ、違う土地で暮らしているリアリティがありますよね。メキシコシティに住むステファニー・スアレスさんが、交通渋滞のなかの通勤によって土地とは「愛憎関係」にありつつ緑に目覚めていくエピソードは印象的です。現地のジェントリフィケーションは近年日本でも報じられるようになってきましたが、国際的な状況と、路上の隙間の緑が、意図せぬタイミングで交錯するのにもハッとさせられました。

村田あやこ|Ayako Murata 路上園芸鑑賞家/ライター。一人学会「路上園芸学会」を名乗り、街なかの軒先や隙間で威勢よくはみだす、誰かの園芸や植物を愛でる。著書に『たのしい路上園芸観察』、『はみだす緑 黄昏の路上園芸』。2025年10月に『緑をみる人』を上梓。「散歩の達人」連載や「ボタニカルを愛でたい」出演など雑誌・テレビでの活動のほか、お散歩ユニット「SABOTENS」としても「家ンゲイはんこ」制作などの活動を広げる。

村田 都市で生きるうえでの利便性を享受しつつ、そこに息苦しさを覚えて、路傍の隙間に芽吹く植物に目が向かっていくというのも、いろんな地域の方々にお話をうかがっていると、共通しているものがありました。たとえば、いまは韓国のソウル近郊に住んでいるイ・ユンジュさんという方にインタビューしたのですが、10代の頃に「シンドシ(新都市)」と呼ばれる、高層マンションが並び立つような新興の衛星都市に引っ越したそうなんですね。その環境と、都市の内部に潜む緑についてのイさんの現在のご関心は、切っても切り離せないものだろうと思います。

——世界各地の気候や風土の違いもありますよね。

村田 そうですね。それこそ写真だけだったら一見似通っているようなものでも、温度や湿度であったり、冬に霜がおりるかどうかであったり、そのうえでの周囲の植生など細部にわたる空気感をきちんとインタビューで聞いて、ページを通して伝えるということは意識していました。都市の隙間という関心が通じ合っているからこそ、その違いをきちんと踏まえながら、掲載されている写真の外にまで読者の方に思いを馳せていただけるようにしたい、と考えていましたね。

——たとえばトルコの方へのインタビューでは「針葉樹や広葉樹の混交林や灌木地帯が広がります。よく見られる樹木は、クリやカシ、ニレ」……といった一節が登場して、土地への想像が広がります。他に取材していて印象的だった方はいますか。

村田 皆さん印象的だったのですが、先ほど都市の植物に魅了される経緯という話が出たことに結びつけると、こんなきっかけがあるんだと驚いたのは日本在住の会社員であるモリタケンイチさんにお話をうかがったときです。「水抜き穴協会」というアカウント名でInstagramに写真を投稿している方で、文字通り、雨水を排水するために擁壁にあけられた穴の風景を撮り続けていらっしゃいます。その穴によく、小さな植物が自生しているんですが、モリタさんがこういう風景を撮りはじめたのは、勤務先の食品メーカーでの研究開発の影響だというんですね。

——「お菓子のサクサクした食感を実現するために、いかに隙間や空洞を小さくするか、日々研究していた時期」に、水抜き穴に魅かれていったと書かれていますね。

村田 もともとモリタさんは植物が好きで、大学時代も農学部で光合成の研究をしていたような方だったんですね。それが会社員になってからの仕事の内容と、以前の植物への関心が結びついて、やがて水抜き穴へ目が留まるに至った、と。私にとっては予想もしないようなエピソードでした。

もうおひとり、「路上盆栽」というアカウント名でInstagramの投稿を続けている、デザインエンジニア・法政大学デザイン工学部教授の山田泰之さんの視点も印象的でした。ものづくりには観察が必要だということで路上観察の授業をしたとき、まずはご自身で路上の風景を撮りはじめたのが「路上盆栽」探索のきっかけだったそうなんですね。山田さんは、ヒール部分にクッション性のあるバネを搭載した疲れにくいハイヒールなど、物理的な形や仕組みの工夫によってプロダクトデザインを手がけてきた方で、つまり日常的な力のせめぎ合いのようなところに意識を向けている方。路上の風景を見たときも、人の力が生み出したアスファルトがさまざまな事情で緩んだり歪んだりしているところに植物のエネルギーが噴出している様子に目がとまって、その拮抗が面白いとおっしゃるんですね。

——人為と自生の「拮抗」は、たしかにキーワードのひとつですね。

村田 私もそのお話をうかがってから、エネルギーの拮抗というような観点での緑が目にとまるようになりました。原研哉さんは『白』という著作のなかで、庭の本質とは「自然と人間の営みの、どちらともつかない領域におのずと生まれてくる造形の波打ち際のようなもの」だとおっしゃっています。都市の人工物の隙間にはみ出している緑も、まさに、人為と自然の波打ち際を可視化する存在ですよね。整備されると消えてしまうけれども、時間が経って落葉などが堆積してくるとまた生えてきて……山田さんへのインタビューを通じて、そうした視座で緑を見ることができるようになりました。

——「水抜き穴協会」のモリタさんも、いわばそうした“波打ち際”にかんするようなご発言を書籍内でされていますね。

村田 「時々、水抜き穴の中に馬券や酒瓶が突っ込まれていることもあるんです。もしかしたら水抜き穴の中で、光合成を巡って、人と植物との見えない場所取り合戦が起こっているのかもしれません」というフレーズですね。たとえば空き缶が突っ込まれたとしたら、植物からすれば、「ああっ、何かが上からかぶさって光合成が邪魔される!」という感じだと思うんですよ。水抜き穴を管理している人からすれば、雑草も空き缶も両方邪魔だとは思うのですが……(笑)。でも、まさにそうしたせめぎ合いが、日々行われているということなんですよね。

——ここまでのトピックもあくまで一部であるような、さまざまな観点や論点を含み込んだ書籍として『緑をみる人』は魅力的ですが、そもそもどういった経緯・意図のもとに成立した一冊なのでしょうか。

村田 いまから15年ほど前に遡るのですが、植物にかかわる仕事がしたいなあと思いはじめていた頃、街中の何気ない緑が気になるようになりました。もっと遡れば、大学時代は地理学科にいてフィールドワークなどは好きでした。出版社に勤めたかったのですが就職氷河期でどうにもならず、本をつくるにしてもまずは世界のことを知ろうと、化学メーカーで営業の仕事に就いたんです。もちろんやり甲斐はありましたし、いい同僚にも恵まれたのですが、数字中心の仕事に徐々にしんどさを覚えて、2年ほどで退職しました。自然回帰のように、路上の緑の無垢な美しさに惹かれるようになりました。

——人の手によって育てられている植物にも、路上に自生する植物にも、ともに魅入られるようになったようですね。

村田 はい。最初はカメラ付きの携帯電話を使ってひとりで撮影して、ニヤニヤしながら見ているだけだったんです。ただ、周囲の友人に見せても「何がいいの?」という感じで、芳しい反応を得られなかったんですね(笑)。理解者がいない状況のなかで、「こうなったらワールドワイドウェブだ!」と一念発起。InstagramとXに「路上園芸学会」という一人学会のアカウントを設立して、「路上園芸」と名付けることになる街角の園芸や隙間の植物など、ひたすら自分がグッときた風景の写真を投稿するようになりました。

——現在まで続く、村田さんのアカウントですね。

村田 いろいろと写真を投稿していくうちに、「そういう風景っていいよね」というような反応やコメントを、海外の方からもいただくようになりました。嬉しさのあまり、いそいそとそのコメント主の方のアカウントを見にいって、プロフィール欄を眺めてみると、本当にいろんな国や地域に住んでいらっしゃることがわかったんですね。たとえばそのなかのおひとりが、フランスで「Plants of Babylon」という植物写真のプロジェクトや書籍を手がけているフランソワ・デコベックさんなんです。

——今回の『緑をみる人』にも登場されていますね。そうした縁がつながっていった結果としての書籍なのでしょうか。

村田 はい。デコベックさんとは度々メッセージのやりとりをするようになって、「いつか、いろんな土地にいる植物仲間と一緒に、巡回展のようなことができたら楽しそうだね」といった話も10年前にしていたんです。そうした思いはずっと抱いていて、そのうちにインターネット上でつながった方や、あるいは国内であればイベントを通じて知り合った方なども含めて関係が広がっていって、そろそろZINEでもできたらいいな……と思っていたとき、今回の版元である雷鳥社の編集者の方に話をしたところ、「ぜひ書籍の企画にしましょう」と、出版につなげてくださったんです。

——とはいえ、作業はとても大変な一冊だったのではないですか。

村田 そうなんです(笑)。「世界をまたいで似通っている路上の植物の写真を並べたら面白いかな」ぐらいで軽く考えていたのですが、いや、各地で撮影した方の背景やパーソナリティがきちんとインタビューで伝わったほうが面白いのではないかと方針転換がありました。対面取材が可能だった国内の方を除けば、zoomやメールを通じてインタビューしていったわけなのですが、海外の方へのzoom取材のときには、通訳の方にも入っていただきました。

——そこで各人のバックグラウンドや土地の気候、植生などを聞き出していくわけですよね。

村田 言語にかんしても英語だけでなく、スウェーデン語などにも対応する必要がありました。日英対訳にしているので、一度日本語をすべて仕上げてから英訳して、英文校正の会社さんにも入っていただいて……という感じだったんです。写真は写真で、本当に大変でした。インタビューに添えるのは問題ないのですが、最後の章では当初の予定通り皆さんの写真を混ぜて並べて、通じ合う感覚を見せていく構成にしたんですよね。バラバラのクレジットをすべて確認して校了していくのが、予想以上に苦労しました(笑)

——緑が本からはみ出していくような感覚は、そのあたりに所以があるのかもしれませんね。村田さんの歩みを振り返ると、人の手による路上の園芸から、自生する植物へと、ご関心もすこしずつ移ってきていらっしゃるように見えます。

村田 路上園芸のなかでもまず魅了されたのは文字通り、人が置いた鉢植えなどといった「路上で営む園芸」で、現在もそうした風景を眺めるのは好きです。一方で、今日お話ししてきたような「路上が育む園芸」にも魅せられてきました。同じひとつの場所でも、人の手による「路上が営む園芸」と、「路上が育む園芸」がせめぎ合っているというか、まさに「拮抗」している例も見かけます。

こう話していて思い出すのは、数年前に、ネイチャーガイドの方の案内で、山の中を歩いたことです。専門家の目で、山にどういう樹木が生えているのかを見ていくと、たとえば「すこし前に土砂崩れなどが起こって植生が入れ替わっている」といったことが見えてくるようなんですね。「だからこのへんに新しい先駆種が生えているわけですね」などと解説をしてもらえたのが、すごく面白い経験でした。都市のひび割れから生えているような植物も、非常にミクロなレベルで、その場の状況をリアルに反映しているのだな、という気付きがあったんです。

——風雨にさらされる中で、ミクロなレベルでの土砂崩れは日常茶飯事でしょうね。

村田 その後の荒れ地に真っ先にコケや地表類が定着して、やがて大きい植物が生えていき……といったような植生の遷移は、あちこち、しかも小さなレベルで起こっているのだと思われます。そのように視界をしぼることで見えてきたり、読み解けたりするものはないだろうかという興味に、『緑をみる人』は特化している側面がありますね。

——そのミクロな単位が、都市全体とリンクしてもいるわけですよね。

村田 『緑をみる人』に登場いただいた、アメリカ・ニューヨーク在住のデイビッド・サイターさんはランドスケープアーキテクトとして活躍している方で、マンハッタンのGoogle新オフィスの植栽デザインなども担当されながら、『Spontaneous Urban Plants(自発的都市植物)』というご著作も2016年に出されています。サイターさんによれば都市に自生する植物は単に「迷惑な雑草」というわけではなく、たとえば土壌の汚染物質を吸収したり、食用になったりといったさまざまな機能を果たしているというんですね。

——単純に排除すべき対象ではない、と。

村田 その通りで、サイターさんは路傍の植物が都市の生態系の一部を成している、という視点をもっている方なんですよね。実は私自身も、都市の植物をよりしっかりと生態学の視点から捉えてみたいと近年思うようになってきて、2025年4月から大学の博士課程で植物生態学の研究をはじめているところなんです。

——そうなんですね。改めてアカデミックな目線からも考える、と。

村田 私も当初は、隙間の植物がこちらのいうことを聞かずにはみ出していく「野生」に単に魅かれていたのですが、『緑をみる人』の制作を通じて、自分自身の思考や目線も耕されてきました。都市は人が住みやすくするために自然を制御しているつもりだけれども、むしろどうしたって繁茂する「野生」を受け入れたかたちで設計していくことはできないだろうか、と考えるようになっています。まだ勉強中の身なのですが、実際に植物生態学の論文を読んでいると、「Informal Green Space」というような表現に出くわすことが度々あるんですね。

——なるほど、「インフォーマル」という形容詞が使われるわけですね。

村田 トルコ・イスタンブールのアーティスト兼学者であるケレム・オザン・バイラクターさんも、「都市の植物とは、自然と人間、自然と都市という二項対立を取り払ってくれる存在」だと話していらっしゃいました。自生する緑を都市の一部として受け入れることが、都市に生きる自分にとって心地よい場所が形成されていく可能性につながる、ということなんですね。

——ただ、先ほどの路上散歩でもナガエコミカンソウといった帰化植物も自生していましたよね。一言で都市部の隙間の緑といっても、外来植物にかんしてはさまざまな意見もあるのではないかと思います。

村田 私も勉強中の身なので確たることはいえないのですが、都市の雑草のなかで外来種の数は非常に多いです。なかには在来種の生態系に非常に悪影響を与えてしまうようなものも含まれていますし、靴の裏にくっついた種子が森林に運ばれて生態系を破壊してしまうような事態なども避けるべきで、コントロールが必要でしょう。

一方で都市という環境においては在来種への影響には配慮しながら、ある程度多様な種類の植物を受け入れるという観点も必要なのではないかと感じます。コンクリートやアスファルトに覆われた都市の占める面積が世界的に大きくなっているとすれば、植物もまたそうした環境を行き来するわけですし、外からやってくるものをすべて制御するのは現実的ではないと思います。

——ある意味では、植物に限らず、都市とはそういうものなのかもしれません。もう一点印象的だったのは、韓国のイさんにしてもフランスのアン・ゲーネさんにしても、人が葉っぱを描いてみろといわれると現実にあるものとは似ても似つかない完璧な葉を描いてしまいがちだ、と話しているくだりでした。

村田 たしかに葉っぱの絵を描けといわれたら、切れたり欠けたりしていない綺麗なかたちを描いてしまいがちですよね。でも同じ場所に生える同じ種類の植物でもまったく違うかたちをしているし、私たちが想像しがちな葉っぱはなかなか現実には存在しないのだろうと思います。

むしろ植物は、かたちを変幻自在に変えていく側面があります。たとえばつる植物は、そこにある他の構造物を幹のかわりにして巻きついていくことで、いち早く、そしてコスパよく光合成をしようとしている。かたちは構造物によっていくらでも変わっていくわけです。そうした姿を見ていると、「自分も植物のように生きられたらいいな」と憧れることもあります。環境によって姿かたちを変えられる可塑性、とでもいえばいいのでしょうか。

——物に力を加えたときに変形したままになる性質を可塑性といいますが、植物にはそうしたかたちの変化がある、と。

村田 私は女性として生まれつつも「女性ならばこうすべきだ」というようなことをいわれると強く違和感を抱く人間です。そうしたなかで、たとえば両性花をつける植物を眺めていると、いいなあと思うことがありますね。ほかにも挿し木で子孫を残していくことができる植物に対しては、人間もそうしたかたちで子孫を残すことができたらいいなあ、と憧れることもあります。あるいは綿毛を飛ばすように誰かに言葉を届けていけたら、私もこの世界に何かを残すことができたということになるのかな、とか……。植物が気持ちを楽にさせてくれたり、視野を広げさせてくれたり、ということはしょっちゅうなんです。

——人間や社会のいまのようではない姿を、ふと幻視させてくれる力もまた、都市の緑にはあるのかもしれません。

村田 いまの自分は、人の手による「路上で営む園芸」と、自生する「路上が営む園芸」が、どのような関係にあるのか探ろうとしています。通り一本見てみても、鉢やプランターから流れ出す土や肥料もあれば、逆に雑草の種子が飛んでくることもある。またそうした関係は、昔ながらの町割りが残った下町と、最近宅地造成された新興住宅地とでは違うのではないか。

私はこれまで、植物から世界の豊かさを学んできたのですが、それを自然科学的なアプローチで把握するにはどうしたらいいのか……データをとるにも一苦労だと想定されますし、どう研究を進めるか試行錯誤している真っ最中です。もしかしたら新たな生態学の語り口さえ発見しなければいけないのかもしれないのですが、いずれにしても、できればユーモアを忘れずに語ることができればいいな、と思っています。

profile

宮田文久|Fumihisa Miyata
1985年、神奈川県生まれ。フリーランス編集者。博士(総合社会文化)。2016年に株式会社文藝春秋から独立。2022年3月刊、津野海太郎著『編集の提案』(黒鳥社)の編者を務める。各媒体でポン・ジュノ、タル・ベーラらにインタビューするほか、対談の構成や書籍の編集協力などを担う。