
コメ価格の高騰が人々の耳目を引き続けたまま、2025年の秋はやってきた。世の中全体がこれほどまでに農業のことを考えている季節の只中に、私たちはいる。農業は自然と日々向き合い、市場とも対峙しながら、身体的な労働によってなされる営みであり、そこにあるすべての問題を解決する明快な答えはおそらくない。それはまるで、私たちが生きている世界の象徴のようでもある。 そんな農業についての本が一堂に会する場が「農文協・農業書センター」だ。インタビュー連載「編集できない世界をめぐる対話」第27回は、農業書センターの店長・荒井操、店員の谷藤律子、木間塚一美に話を聞いた。会話のなかで見えてきた、東京・神保町の雑居ビル2階に位置する“街の本屋”の日常は、思わぬ発見に満ちていた。そこにあるのは、私たちが暮らす社会のありようと連動した、ハッとするようなリアリティだ。
TEXT BY Fumihisa Miyata
PHOTO BY Kaori Nishida
——まずは店長の荒井さんに店内をご案内いただきつつ、お話をうかがいたいと思います。
荒井 おそらくは日本で唯一の農業書専門の書店として、1994年の設立から早くも30年を超える年月が経っています。そして農業書専門でありつつ、実は農業だけに狭く限定した本を並べているわけではないんです。店の入り口を入ってすぐにあるのは食文化の棚でして、そこから奥へいくと、たとえば野菜園芸や果樹園芸の棚があり、病害虫や鳥獣害をめぐる棚、漁業や林業、畜産、あるいは協同組合など……さまざまなジャンルの棚があり、書籍を並べています。
1994年に東京大手町JAビル内に開設され、JAビルが新ビルに移るのに合わせて大手町内で一度移転、その後2014年に神保町に移り、神保町内で2021年に現在の場所に移転しました。以前よりすこしスペースは縮小されていますが、それでも約2万冊の在庫がある店舗です。
——農業書中心で約2万冊ですか、棚もバラエティ豊かで目移りしてしまいますね。


荒井 運営をしているのは、『月刊現代農業』などを発行している版元・一般社団法人農山漁村文化協会(農文協)です。『月刊現代農業』は、農家を中心にした定期読者の人が多く読んでいるのみならず、「農家がつくる、農家の雑誌」と謳っています。
農文協では各地の支部の職員が日々バイクに乗って農家を周り、直接農家の方々から今の技術の実際であるとか、暮らし向き、そのほかにもいろいろな声や日々の知恵を聞いてまわっています。それらが『月刊現代農業』の誌面にも反映されていくんです。雑誌が農家の交流の場なんですね。もちろん、編集部自体が掴んだトピックも多くありますし、支部職員が掴んだネタを編集部がさらに深めることもある。そうした記事が組み合わさって、雑誌を構成しています。
——公称だと定期読者15万部、書店読者5万部、合わせて発行部数は20万部とのこと。出版不況といわれる時代で、ちょっと驚いてしまう数字です。
荒井 農文協という組織と農業書センターの関係、センターが立ち上げられた経緯は、後ほどお話しすることがあるでしょう。さて、農業書センターの大きな特徴のひとつは、出版流通業界でいう取次さんによる配本もありつつ、それに留まらない、書店であればここでしか手に入らないような書籍などを置いていることなんです。農家さんが自分でつくった本、農家ではないけれど熱意のままに自費出版した書籍、さまざまな農業関係の団体が手がけた雑誌や冊子など……いろいろとあります。
——なるほど、NPO法人民間稲作研究所編『2020年省力・低コストの循環型有機農業のすすめ』というテキストなど、あちこちに一般書店では目にすることがなさそうな書籍や冊子などが並んでいますね。

荒井 こちらには、花マル農園という、果物のマニアの人たちの会がつくった同人誌が並んでいます。メンバーのひとり、匠さんという方はいちご好きの人で、『おいしいいちごの本 東日本篇編』『おいしいいちごの本 西日本編』をつくっています。同じく花マル農園の少年Bさんという方はぶどうが大好きで、『ぶ!同人誌』、『マスカット大全』、『ぶどうの沼に落ちる』などを当店では扱っています。取り扱うようになったのは、花マル農園の皆さんがオフ会で来店されたのがきっかけなんですよ。
——オフ会ですか?
荒井 同好の士が集まった会の流れで、農業書センターに連れ立って来てくださったようなんですね。私は店にいらしたお客さんとよく会話をするようにしていまして、そのときも話をしていたら、自分たちはこういったものを自費出版で出している、と。だったら置いて売ってみますか?という流れなんです。
そうそう、全国には果樹試験場という施設があるのですが、その職員で果樹の研究をしている方がいらして、「これは面白い」ということで、花マル農園の本を買っていかれましたね。
——そのつながり自体が興味深いですね。オフ会の流れで来店した人たちの本に、プロフェッショナルの人が関心を抱いて買っていく、と。


荒井 レジの前には物販コーナーもありまして、主に種を置いています。二者の業者さんから仕入れていまして、片方は茨城県阿見町のご家族で、「じねん道」さんという屋号の方々。ご家族のおひとりが、自然農法を提唱したことで有名な農学者・福岡正信のお弟子さんなんですね。
もう一方に、小林宙さんという大学生の方が経営する「鶴頸種苗流通プロモーション」という会社の種。小林さんは中学生のときに起業して、東京都内の自宅屋上で野菜を育てて種を採取することからはじめて、群馬県に畑を借り、やがて全国の面白い種屋さんをめぐって伝統野菜の種を仕入れるようになった人です。
——すごい行動力ですね。
荒井 小学生の頃から、ずっとこの農業書センターに出入りしていたお子さんだったんですよ。その熱のままに起業したわけですが、話題を呼んだ小林さんの著書『タネの未来 僕が15歳でタネの会社を起業したわけ』(家の光協会、2019年)が世に出たのも、実はこの店がきっかけというところがあるんです。版元の方が店にいらしたときに、こういう面白い少年がいるんだよと話をしたら、それを本にしようという流れになったんですね。
——お店がハブのような機能を果たしているのですね。改めて本棚を見渡しても、さまざまな本が、この店でしかないような仕方で交錯している。農業をビジネス面から解説する本もあれば、民俗学の本もあり、並存しているのがしっくりきます。

荒井 運営元の農文協の考え方を私なりの表現でお話しすれば、農業(agriculture)を営む農村は、文化が生まれる地である、ということなんですね。農文協は雑誌や書籍など自分たちが手がける出版物を「文化財」と呼んでいます。農村を起点とした「文化財」を再び農家へ、農村へと還流させ、文化をさらに豊かにしていく、といったことを目指して出版活動をおこなっている組織なのです。
——農文協が設立されたのは1940(昭和15)年、戦後の混乱のなかで一度事実上崩壊し、1949(昭和24)年に再建されて現在に至るとのことですね。
荒井 ご多分に漏れず戦中は国策に組み入れられてしまったわけですが、戦後の反省のなかで、農業を科学的な知見から考え、農家たちに伝えていこうとしたのですね。たとえば、作物を育てるための化学肥料の成分を農家自身がきちんと理解できるようになる、といったことです。
——精神主義も合わせて国策に組み込まれた時代を経て、科学的な農業の時代を目指した、と。


荒井 しかし1970年代に入ると、公害の問題が出てくる。有吉佐和子『複合汚染』や、レイチェル・カーソン『沈黙の春』といった本が大変話題になった時代です。近代化路線に対して異議を唱える人々がではじめ、前近代的・伝統的な農法も見直されるようになっていった。
農文協は基本的にその流れのなかに自分たちを位置づけ直し、今日まで至ります。たとえば『月刊現代農業』2025年10月号が「動き出した! 耕さない農業 ちょこっと不耕起のすすめ」という特集を組んでいるのも、こうした歴史のなかで理解いただけるのではないでしょうか。耕さない農業というテーマには、環境問題だけでなく、機械化された資本のシステムのなかで人間の労働や身体をどう捉え直すか、という問いも入っていると思いますね。
——お話しいただいてきた歴史の流れのなかで、農業書センターも設立された、ということでしょうか。

荒井 そうですね。ここまでの話を踏まえるならば、文化を生み出している農村や農家に、農業にまつわる情報を、そして書籍や雑誌といった「文化財」を届ける拠点としてオープンした、といえるでしょう。もちろん実際に足を運んでくださるお客さんもたくさんいますが、農業書センター設立と同時に立ち上げたのが「田舎の本屋さん」という通販サイトです。遠方にお住まいでなかなか農業書センターへは来られないという方にも、気軽に利用いただけるようになっています。
——なるほど。農業書センターの様子や成り立ちが徐々にわかってきました。ではここからは、店員の谷藤律子さんと木間塚一美さんにもご一緒いただいて、お話をうかがってもよろしいでしょうか。改めて、皆さんはどのような立ち位置でお店にかかわってきていらっしゃるのですか。
荒井 私はもともと農文協で営業などを担当していて、2011年から三代目の店長としてこの店で働いている、というかたちですね。
谷藤 私は農文協の嘱託職員です。本部のほうで農業書センターの裏方の仕事をした後に、2014年から店頭で働いています。
木間塚 私はフルタイムのアルバイト店員です。もともと書店員として働いていて、前の職場を離れた後にたまたま農業書センターの求人を見かけまして。かつての勤め先でも農文協の本は取り扱っていましたので、興味を抱いたのが働くことになるきっかけでした。
——そうなんですね、よろしくお願いいたします。先ほど荒井さんに店の棚などをご説明いただいたのですが、実際のお客さんは、どんな方がいらっしゃるのでしょうか。

左から農業書センター・店長の荒井操、店員の谷藤律子、同じく木間塚一美
荒井 基本は農家の方だったり、農業関連の団体の方だったり、ということが多いですね。普段は遠方に住んでいてなかなか来ることができないということで、上京した折に立ち寄っていただくこともあります。今日は食品加工の仕事をしておられる方が情報収集にいらしたり、農業高校の先生がいらっしゃったり、という一日でした。最近は、インバウンドのお客さんがすごく多いです。
木間塚 中国人の方が一番多いですかね。本を買っていかれるときは、基本的に“爆買い”です。
谷藤 本当にすごいですよね。農家の方が中心で、特に大地主のようなタイプの人もいるように見えます。中国以外にも、あとは韓国の方ですとか。
荒井 神保町全体がインバウンドの旅行者で賑わっているということがあるわけですが、さらには東京近郊で農業関連の大きなイベントが開催されることも多かったり、日本の農家の視察に来たり、というさまざまな機会があるんですよね。
——いまは翻訳アプリで画像を読み込めば、日本語の書籍だろうと簡単に他言語で読むことができますね。それにしても、農業書センターのそうした国際的な広がりは想像できていませんでした。

荒井 中国のお客さんからメールで注文が来て、AlipayのQRコードを送って決済してもらって、国際便で書籍を発送して……ということもありましたし、店頭に来た方が現地とテレビ電話で話しつつ翻訳アプリも駆使して買い物していかれた、ということもありました。以前はそうした海外からのお客さんは、農文協が戦後手がけてきた国際交流の文脈でいらっしゃる人が多かったけれど、最近のインバウンド需要はまた文脈が違いますね。
谷藤 ある意味で文脈がフリーといいますか。中国のYouTuberやTikTokerの方が来て、店頭の様子を伝える動画を見たお客さんがさらに来て……という場合も多いです。
木間塚 フォロワーが何百万人というような方がいらして、店頭でたくさん喋りながら動画を収録していかれました(笑)。それを見て来店くださった方も、やっぱりいらっしゃいましたね。
——国内のお客さんにかんしてはいかがですか。これだけ農業書が集まっていると、いろんな問い合わせがありそうですが。
谷藤 たとえばですが、「ネギの本はないか」というような、ざっくりとしたお問い合わせが多い印象はありますね。
木間塚 そうですね。この出版社のこの本がほしいというようなお話ではなくて、「ネギをつくりたいんだけど、やり方がわかる本はないか」と。
谷藤 石だらけの不耕起地で、石を上手に拾う本はないか、というお問い合わせも記憶に残っています。悩んだ末に、土木の本をご案内しました。
荒井 ふたりには、そうした本のコンシェルジュといいますか、水先案内人のような役割をお願いしています。
——農業書に手を伸ばす人それぞれの目的に、どう寄り添うかということですね。最近のコメ価格高騰にかんしては、何か店頭でお感じになっていることはありますか。

荒井 米価については、世のメディアの多くは消費者目線の情報が多いので、生産している農家さんの立場で考えるようにしています。農家にとっても再生産が可能な価格というのはどのあたりにあるのか……生産する人と消費する人がお互いに納得できる価格を、一緒に考えていかなくちゃいけない。センセーショナルな報道の色だけに染まらないような棚づくりを心がけています。
——なるほど。加えて率直にうかがうのですが、農業というのは、すべて実証的に説明できる世界でもないですよね。だからこそ場合によっては、スピリチュアルに過ぎたり、過度にファナティックであったり、ちょっと怪しい内容の書籍も刊行されるような領域であるように思いますが……
谷藤 これはお話しするか悩みつつお伝えしますが、陰謀論には非常に気をつけています。選書のときにタイトルと著者を見て、ネットで検索して……という予防線を張る作業が、ここ何年か一気に増えてきました。
木間塚 ネット社会は気軽にいろんな情報を見ることができてしまいますから、怪しい情報に染まる人はすぐ染まってしまうという事態は、残念ながら理解できてしまうのですけれど……
谷藤 そうなんですよね。となると、染まってしまった人向けの本もたくさん出てしまうので、入荷する前にめちゃくちゃ調べます。
——一方では、現在の時点では科学的に実証されていないけれども、実践が先に進む領域がありますよね。農家の方々が試行している民間農法がいろいろと存在したり、あるいは近年ヨーロッパ中心に注目されているバイオスティミュラント(従来の農薬や肥料とは異なる、海水抽出物や腐植物質、微生物などを用いた資材)があったりと、現在の時点で非科学的だからとすべて切り捨てることができないのも、農業の特徴だと感じます。

谷藤 農業書センターで扱わせていただいているものとしては、たとえば『稲の多年草化栽培 小規模自給農への新たな道』(小川誠著、地湧の杜)というような本があります。最初に聞いたときは、「本当にそんなことができるのだろうか?」と私も驚きました。
——稲を毎年刈り取るのではない、ということですか?
谷藤 稲は本来多年草ですから、その意味では不思議ではないのですが。農業書センターのお客さんから根強い支持が集まっている本の一冊です。
荒井 日本に稲作が伝来してから長い歴史が紡がれてきましたが、そのなかでも画期的かつ面白い取り組みなのではないかと思って、見守っています。このように、エビデンスがまだ確立していないけれども可能性のある技術にまつわる書籍なのか、単に陰謀論的・非科学的な類の本なのかといったことを、書店員として見極める目を養わないといけない。ただ売れればいいというものでもありません。そのうえで、まだ答えがわからないからこそ面白い。
農業書センターはさまざまな情報の伝達や発信を行っていますが、逆にお客さんから教えられることも多いんです。たとえばバイオスティミュラントにしても、最新の動向はむしろお客さんのほうが知っている、ということもよくあるんですよ
谷藤 新刊にしても、基本的に隈なく情報はチェックしているはずなのですが、それでも見落としていたものをお客さんに教えていただく、ということは珍しくありません。
——農業という営みの広さゆえ、ということかと思います。それにしても、お話をうかがえばうかがうほど、書店さんとしての奥深さが見えてきますね。

木間塚 神保町という古書街に店を構えているだけでなく、ここでしか買えないような本を長く置き続けていることもあって、「ここは新刊書店ですか?」と聞かれることもありますよね(笑)。この取材の2日前にも聞かれました。
谷藤 専門書店ですから、たとえ5年売れないからといって、そうたやすくは返品しません。料理書の棚だけは新刊が出るサイクルが早いのでそうはいかないのですが、店内の至るところに、へたをすると10年前とかの、版元でも品切れという本が棚に刺さっているんです。そんな一冊を、ネットで探していた人が「田舎の本屋さん」に行き着いて買ってくださる、ということが実際に起きるんですよ。ああ、置いててよかったなという達成感が、すごくあります。
——歴史が棚に刺さっているのですね。
荒井 その一冊を求めている農家の方もいますから。ここでしか買えない本はなるべく置き続けたいし、専門書店に託してもらっている期待や要望には、なるべく応えられるようにしたいと思っています。


宮田文久|Fumihisa Miyata
1985年、神奈川県生まれ。フリーランス編集者。博士(総合社会文化)。2016年に株式会社文藝春秋から独立。2022年3月刊、津野海太郎著『編集の提案』(黒鳥社)の編者を務める。各媒体でポン・ジュノ、タル・ベーラらにインタビューするほか、対談の構成や書籍の編集協力などを担う。
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