The View from Here

ジャズ喫茶「ダウンビート」店長・吉久修平に聞く、人にはどういう場所が必要か?——連載「そこから何が見えますか」13

「うちの店で流れるのって、絶対家では流れない音楽なんで。ここはそういうふうに他人が、他者と絶対ぶつかり合う場所でもあって。ぶつかるっていうのは正面からじゃなくて、やっぱり生きてる上で絶対、他者の存在って無視して生きてはいけないから、こういう形での他者との触れ合い方というか、同じ空間と時間の身の置き方もあるんだよっていうのを、ずっと、喫茶店として言いたいです」

TEXT BY sumiko sato
PHOTO BY Shingo Wakagi

桜木町の駅から野毛仲通に入ってすぐ、小さなビルの2階に「ダウンビート」というジャズ喫茶がある。吉久修平さんは、そこの3代目の店長だ。ダウンビートでは大きな音のジャズが空気を揺らしている。古い店だけれど、ここの空気は清々しい。ここは、人の「居場所」になっている。1週間に何日も、一度に何時間も、ここで過ごす人がいる。ここはそういう人にとってどういう場所なのか。人にはどういう場所が必要なのか。吉久さんと話して、少し分かった気がする。

 

——平岡正明さんの『昭和ジャズ喫茶伝説』(ちくま文庫)を予習と思って斜め読みしたんですが、ちょっと時代感が強くて。ああ、だいぶ時代が変わっているな、と思いました。

吉久 そう、著者の平岡正明さん、メモリーの中のジャズ喫茶を思い起こしながら書いてるような感じ。何か、平岡文学の一つで正式なドキュメンタリーとはちょっと違う感じですよね。

——そうですね。ここは、ずっとこの場所にあったんですか?

吉久 創業が1956年なんですけど、56年から10年ぐらいは隣の伊勢佐木町の1本裏に若葉町ってのがあるんですけど、映画館のジャック&ベティとかがある通りの、ジャック&ベティの手前にありました。建物自体はまだ残ってます。

——それで10年して……

吉久 67年か68年に、こっちに移転してきました。まるっと移転してきたわけではなくて、最初は2店舗同時にやってたらしいんですけど、すぐにこっちに集約されたらしいです。

——最初のオーナーはどんな人だったんですか。

吉久 安保隼人さんには僕ももちろんお会いしたことがないんですけど、どこだったかな、北関東のほうから上京してきて、徴兵されて、終戦後に両国かどこかで喫茶店を開いて、ベースが弾けたらしいので横浜に来て、ベースの仕事をしながらいろんなお店で演奏したりしてたらしい。

——ミュージシャンだったんですね。

吉久 ミュージシャンでした。どういうきっかけでジャズ喫茶を開いたかとか、そこまでちょっと僕もあんまりよく分かってないですけど、もともとがやっぱり音楽がすごい好きで。ジャズ好きで、自分もプレーしていたと。だから横浜の人間ではないんです。

——2代目の人は?

吉久 2代目が、安保さんの時代にずっと通ってた常連さんの田中公平さんっていうサラリーマンのおっちゃん。

——そうなんだ!

吉久 そう。その人はたまに来て、カウンターには座らなくて、テーブル席でぼけっとジャズ聴いて帰ってたぐらいなんですけど。ある日、たぶん名刺か何か渡したらしくて、創業者の安保さんが亡くなった時に、「ちょっとあなたやってみない?」って、急に電話がかかってきたらしいです。だから「何で俺が」と思ったらしいですよ。

——亡くなった後だったんですね。

吉久 安保さんが亡くなったのが95年で、当時その2代目のマスターは50歳ぐらいで、ばりばり働き盛りだったんだけど、安保さんの奥さまから電話がかかってきて、「田中さん、どうですか」みたいな。もうほんとにびっくりしたって言ってました。「何で俺なの」って。

——でもやることにした。

吉久 かなり悩んだ挙げ句、やることにしたっていう。自分がやらなかったら、店がなくなっちゃうんだろうなって、どっかで考えてたらしくて。後悔したくなかったからやることにしたって、ちらっと言ってましたけどね。その決断もなかなか、あっぱれですよね。同じことは簡単にはできないと思うから。

——そして、吉久さんが3代目に。

吉久 はい(笑)

——同じようにサラリーマンだった。

吉久 サラリーマンでしたね。パターンは一緒っちゃ一緒ですね。

——2代目の人がやめようと思ったのは年齢でしょうか。

吉久 年齢だったんじゃないですかね。70歳ぐらいかな。まだ若いっちゃ若いですけど、本人の中にきっかけがあったのか分かんないですけど。僕も通ってた当時から、適当に、「誰もいないなら俺やりますよ」みたいなこと言ってたから。だからそれがきっかけになったのかもしんないです。

——言ってたんですね。

吉久 もちろん冗談交じりですけどね。このカウンター越しに、全くもう軽口でずっと言ってただけなんですけど。それがけっこう向こうの印象に残ってて、ある日、23時半が当時閉店時間だからその時間に帰ろうとしたら、「ちょっと吉久君、残って」って言われて、「あの話どうなった」みたいな。どうなったって、あれ本気にしてたんだと思って。どうですかみたいなこと言われて。「俺、近々引退するかもしんないんだけど、もし君にやる気があんなら、やってほしい」みたいなこと言われて。ああ、そうなんだ。まあじゃあやります、つって。

——その場で?

吉久 その場で。もう別に、勢いで。ただ、お金なかったんで、1年で俺、貯金するからって。一応、無償で譲渡されるわけではなくて、ある程度まとまったお金で、一応売買という契約になって。で、1年待ってもらって、1年後に買い取ったってわけです。

——でも、いろいろ考えませんでしたか?

吉久 それは、いろいろ。でもその場では、「え、俺以外にも、他に声かけてる人いんの?」って聞いたら、僕も知ってる常連さんの方を何人か挙げてくれたけど、やっぱみんなに断られたと。でもどう考えてもみんな、家庭もあれば、まともな人たちだったんでね。その人たちはやんないだろうなと。これ誰もやんなかったら、マスターどうするんですか、つったら、まあ閉めるしかないよねって言ったから、閉めんのはちょっと忍びないなと思って。で、じゃあやりますって言って。うん、せいぜい10分か15分の問答の中で決めたことではあるんです。

 

——その10分、15分ぐらいの間に、どんなことが頭をよぎってたんですか。

吉久 単純に、この店が閉められることの自分の中での寂しさみたいなのが思い忍ばれるというか。週3~4とかで通ってたんで、まず俺、会社から帰ってきて行くとこなくなるよなと思って。自分の居場所としてのダウンビートみたいなものがなくなることの寂しさが、まず込み上げてきましたよね。

だから、それをなくすことが少し嫌だったって感じって、それぐらいしか思い浮かばなくて、その後の生活だとかそういうことはあんま考えてなくて、その辺はけっこう楽観的なほうなので、まあ何とかなるでしょぐらいな。

——なるほど。そしてサラリーマンだった。

吉久 サラリーマンです、普通に。新卒で8年、9年、働いてましたね。

——平岡さんは、野毛は人の来歴を問わないところがいいみたいなことを書いてたけど、でも聞いちゃう。どういう仕事をしてたんですか。

吉久 僕はIT企業で営業職をずっとやっていて、普通に。サーバーのレンタルだったりとかクラウドアプリケーションの営業だったりだとか、ほんとに普通の営業職。ごく一般的な。

——それで1年間お金をためて。

吉久 はい、でもそれじゃあ全然足りなかったんで、借金もして。これしかたまんなかったって。

ぼくが大事にしていること

——始めてみて、思ってたのと違ったことってありますか。お客さんでいるのと店をやるのとでは違うじゃないですか。

吉久 まあ、全然違いますよね。僕もお店に来てジャズは聴いてはいたんだけど、カウンターにいることが多かったんで気付かなかったんだけど、テーブル席に来て、めちゃくちゃジャズをちゃんと没頭して聴きたいっていう人はいっぱいいるんだなって。もちろん存在は知っていたんですけど、それを目の当たりにしたっていうのは、やってみてちゃんと理解したこと。かなり定期的に来て、ほんとに何枚もレコードを聴いて帰るっていう、純粋なリスナーみたいな存在の人たちがいるっていう。

その人たちは、ほんとの意味でのダウンビートのファンなんで、そういう人たちにちゃんと顔向けできるじゃないですけど、応えなきゃいけないんだろうな、これまでみたいにへらへらジャズを聴いてるわけにはいかないなって思いましたね。こっちも、ちゃんとしたジャズを、ほんとの意味で好きにならなきゃいけないし、ほんとの意味で理解しなきゃいけないしっていう、襟を正されるような感覚はありました。

——ちゃんと聴く人はカウンターに行かずこっちのテーブル席の側で大きい音で聴くんですね。そういうお客さんとは話はしないでしょう。

吉久 全くしないです。カウンター側は話すこともあるけど、テーブルはもう、それこそ僕が引き継いでからずっと毎週来てる人もいますけど、一言もしゃべんないとか、そういう人がほとんどですよ。けどやっぱそういう人こそが、多分、今までもずっと、オーナーが誰であろうがマスターが誰であろうがずっと来てくれてたんでしょうし、今後も何かがない限りはずっと来てくれてるんだろうなっていう人で。

——どんな年代の人が多いんですか。

吉久 年代でいうと、中高年以上の方ですよね、先代の頃から来ているであろう。

——レコードが4,000枚あるんでしたっけ。

吉久 今、5,000枚ぐらいになりました。

——全部聴いたわけじゃないよね。

吉久 全部は聴いてないと思います。

——ジャズをちゃんと聴かなきゃって思ったときって、どんなふうに聴いていくんですか。

吉久 取りあえず、いわゆる「名盤100」みたいな本っていくらでも出てるんで、片っ端から聴いてって。ジャズってミュージシャンの名前が連ねてあるんで、気に入ったミュージシャンからまた派生してって。このサックスの、ソニー・ロリンズのこのピアノ弾いてるトミー・フラナガンがリーダーのアルバムを聴いて、というふうに横展開をがんがんしていけるので。そういう意味では無限に遊べる……というか、無限に追求できる遊びではあるんで。いまだにそれはやり続けてます。

——レコードを見ていくと、前のオーナーが好きだった音楽とか、何か連なってるものがあるんですよね、きっと。

吉久 それはありますね。ジャズ喫茶だけじゃないジャズっていう世界には、いわゆる定番みたいのがあって、それはいまだに僕も好きでよく聴くし、先代もよくかけてたし、ここのお店で教えてもらった音楽も多いので。

——リクエストは取るんですか。

吉久 最近は取らなくなっちゃったかな。前は、それこそ先代の頃はよく取ってたんですけど、最近は僕自身もがんがんレコード買っていて、リクエストリストに追記できてないというのもあるし。このお店において一番、何ていうのかな、それぞれいるお客さんて毎回違うわけじゃないですか。その中で一番、正直言ってベストなレコードをかけられるのは僕しかいないっていうのもあって。個人の、一人の人のためにあんまりかけることは正直なくなっちゃった。

すごく若い人とかの、何々聴きたいんですみたいなリクエストには応える時もあるんですけど、タイミング見て。いきなり入ってきて、あれかけてよみたいな言われたら、いや、受けてないっすって、すぐ言っちゃう。そういう店じゃないっすみたいな。

——そうか。

吉久 そういう意味では、すげえ嫌なやつだと思われてると思います。「あいつ、感じ悪いな」って。

——大事にしてることというか、ここは譲れないっていうのは、どんなことなんでしょう。

吉久 何ていうのかな。誰かひとりのお客さんのための場所ではないっていうか。僕の場所でもあるし、いる人みんながある程度のんびりしてたい場所ではあるんで、そこのための音楽を僕も選んでる感じ。誰か特定の人が特定の音楽を聴きたいと思うのは自由だけど、僕がそれに応えるとは限らないって感じで。ある程度、個のための場所ではある、個々で何してようが自由なんですけど、でもやっぱ全体の空間と時間の雰囲気はキープしたい、っていうのはけっこう大事にしたいです。

——なるほど。その「雰囲気」は一言で言ったら、どういう雰囲気?

吉久 一言で言うと、それぞれが好きに過ごしていい場所。僕、究極で言ったら、この店、別に完全な私語厳禁でもないし、くっちゃべっていようが本読んでいようが、居眠りしてようが、それでさらに言うならジャズなんか聴いてようが聴いてまいが、どっちでもいいと思ってるんで。聴きたい人は聴けばいいし、別に聴きたくない人は聴かなくてもいいし。そういう自由な場であって、ありたくて。ただ、流れてるジャズを聴いてる人がいたら、その人の邪魔はしないでほしいっていうので、大声での会話禁止とは書いてるんですけど。みんな何しててもいいよっていう空間。

やっぱジャズ喫茶の「喫茶」の部分、喫茶っていう言葉をけっこう大事にしてて。喫茶店って、別に用なくぷらっと行ったりするじゃないですか。思い思いに新聞読んだりとかしゃべったりとか、そういう場ではずっとありたいですね。びしっとジャズをひたすら聴きに来てくれとは全然思ってなくて。ある意味で自由な空間。自由な時間と空間というのは、つくり続けたいです。

 

——「喫茶」というのは独特な言葉ですね。

吉久 喫茶店は、カフェとも僕の中で厳密に違ってて、もっと何か漠然としてていいというか、もっと目的なく来てもいいっていう。カフェに行くとなると、じゃ、コーヒー飲みに行くのかなとか、カフェのご飯がうまいから行くかな、だけど、喫茶店に行くってなるともっと緩いじゃないですか。くっちゃべりしたいから行くとか、ぼーっとしたいから行くとか、何か無目的な意味をはらんでる感じがしてて、僕は喫茶って言葉が好きなんですよ。

——「喫」っていうのがなかなかすごい。

吉久 そう。茶を喫するわけですよね。

——ねえ。喫煙と一緒。

吉久 「喫する」なんて、他にあんまり使う動詞じゃないですよね。

——喫茶と喫煙以外にあるのかな。

吉久 あんな画数多いのに使い道が少ない。

——しかもたばこは今や、何か喫せなくなってきちゃったから。ここは天井も低いし、古いんだけど、あんまり重い感じがしないんですよね。

吉久 ああ、そう言ってくれるとありがたいです。

——何か空気が抜けてるというか。造りのせいかもしれないんですけど。最初に来た時にも思ったんですが。

吉久 そうですか。ある程度こういう店に来る時って、僕もそうなんですけど、緊張はしててほしいっていうのもあるんですよ、正直言うと。だけど座って、気に入ってくれたら、究極に言うと混んでなかったら何時間いてくれてもいいし、若い人がずっと本読んでるのは、僕は素晴らしい風景だと思ってるので。何かみんなリラックスして、好きなことしてくれよっていうのはずっとありますね、この店において。

本とジャズは相性がいい

——本読んでる人は多いですか。

吉久 多いですね。

——本とジャズ喫茶って何か相性がいいですね。

吉久 何かおあつらえ向きな感じもあるんじゃないですかね。ジャズ喫茶、せっかく本を読むなら普通の喫茶店じゃなくてジャズ喫茶で読もうとか。あと、このジャズって音楽が。僕も流す音楽の多分8割がボーカルなし、インストゥルメンタルで。要は歌詞が耳に入ってこないから聴き流すこともできるし、聴こうと思えば聴くこともできる。没頭することもできるし無視することもできる音楽っていうので、ジャズと読書の相性っていうのは、僕も感じることはあります。

——吉久さん自身、本がすごくお好きですよね。

吉久 僕はそうです、本めちゃめちゃ好きです。

——川上未映子が好き。

吉久 川上未映子っすね。それも多分ダウンビートで最初に読んだのかな。買って読んでましたね。

——ジャズもそうですけど、本も古くても関係ない本ってありますね。

吉久 普遍的なものって、ジャズ名盤のような扱いで。だから、今ちょっとヴァージニア・ウルフを読んでたりもするんですけど。そういえば読んでなかったなっていう感じ。

——今はネットとかSpotifyとかで時代と関係なく気になる音楽を聴いてる人が、昔より多いようにも思うんですけど。

吉久 多いです。めちゃくちゃ多いです。

——古いジャズも、関係なく聴いてる人もいるのかな。

吉久 レコードかける時はそこも意識していて、交互にかけたりはしますよね。古いジャズかけた後に、普通に新しいジャズかけて。それが、初めて聴く人にとって、何か全然時代とは関係なく、つながってるんだなっていうのを、少しでも思ってくれたら。

今の若い人って、それこそSpotifyで新しいジャズめちゃめちゃ聴いてて、それもすごいフラットにというかポップに聴いてる、カジュアルに聴いてるのが僕すごい好きで。そういう人たちが、何かこういう店に来たことがきっかけになって、新しいジャズの源流には古いジャズもあって、こうつながってるんだなって思えればいいなと思って。リクエストは受けないよっていうのも、そういうとこもあるんですけどね。

——平岡さんの本とか見てると、古いジャズはその時代のことを知識として知らないといけないんだなっていうプレッシャーを感じてしまったりするんですけど。古いジャズを聴いてどういうことを感じてらっしゃるのかな、というのをちょっと聞いてみたかったんです。50年代くらいからあるわけじゃないですか。それって何かもう。

吉久 70年前ですよね。

——そう。文学も年月が経っても読めるものはいっぱいあるけど、やっぱり言葉って少し古くなっちゃうっていうか、読みにくくなっちゃったりするところがあると思うんです。

吉久 それでいったら多分ジャズもそうだと思う。結局、新しい音楽をずっと聴いてるって人にいきなり古い音楽をぶつけたところで、やっぱ全然音の帯域も違うし、低域が出てないから何か踊れるもんでもないし。そういう意味では、古びてるっていう意味では多分一緒だと思いますね。このジャズは今聴いても全然古びてないというのは、ちょっと僕はうそくさい言葉だなって思うこともあって。

古いものは古いものだと思うけど、その古いものが現代の形にどういうふうになっていったかっていう、そのヒストリーじゃないですけど、その変遷みたいなものを語ることはできる。それは別に口で語るわけじゃなくて、選盤というか選ぶ曲によって語ることができることもあると思うんで。その古さもいずれは一つつながってる一本の線として、古いけどやっぱりこの時代の音楽っていいよねっていうふうに思ってほしいというのはずっとあります。

——文学も音楽も、当時の黒人の背景とか、そういうものをいっぱい引きずってるわけなんですけど。

吉久 そうですね。そこの文学は僕は全然、実は読んでないっていう後ろめたさ、ボールドウィンも全然読んでないし。マルコム・Xの話もちゃんと読んでないし。

——結局アメリカって何にもまだ解決されてないじゃないかみたいなことになって、そういう人たちもまた読まれていますね。自分も年をとって、50年、60年昔のことが、前より想像できるようになりました。

吉久 昔のことが想像できる。

——自分の時間軸が長くなったから、あ、50年前ってそんな昔じゃないね、と。

吉久 それは僕も思いますね。自分の身体感覚が養われて。

——そう。だから100年前もその倍だと思うと、前より分かるような。

吉久 何か射程距離になってくるじゃないですか。

 

——そうそう。だから昔のことが以前よりも近く感じられて。自分がちっちゃい時はまだ戦後何年だったとか考えるとびっくりしちゃったりするわけなんですけど。音楽も、50年前、70年前も今も変わっていない状況があるということを行き来できるような感じもありますよね。

吉久 ありますね。それが、レコードという形や本という形で残ってることへの恩恵やそこにアクセシビリティーをわれわれが得ている恩恵。

——それは知らなくても楽しめるけど、時々知ってひやっとするものがあるっていうか……

吉久 知ってしまうことで、音楽を聴くことでただただハッピーになれるわけじゃなくなるかもしれないけど、僕はでもそっちのほうを大事にしたいかなと思ってて。別に音楽っていうのは、ただただ幸せになるためにあるだけじゃないんだよっていうのもあるんですよね。本もそうじゃないですか。

本当の意味での歴史って残酷なものだったり、襟を正さなければいけなかったり。その是正しなきゃいけないことってやっぱ、昔からずっとあって、変わってない現実もあって。黒人の状況もいまだに変わってない、差別なんか全然残っているし。果たして世界はよくなってんのかどうかってのはずっと考えてる。

——逆に新しいジャズはどうですか。面白い?

吉久 面白いです。周縁のジャンルをどんどん巻き込んでいって、進化してってるっていうのがあって。この、ジャズというジャンルに身を任せていれば世の中の、何ていうのかな… 勢いがずっとありますね、この音楽はやっぱり。

——それは世界中で?

吉久 ある程度世界中で。UKジャズっていう言葉もあって。あそこもすごい移民の国なんで、カリブ海の音楽なんかをどんどん取り入れて、それを自分らのジャズというベースに乗せて、ミックスされた新しいジャズがどんどん出てくるっていう状況。

——若い人もいますか。

吉久 若い人、めちゃめちゃいます、今は。

——聴かなくちゃ。

吉久 例えばこのあいだ、UKからユセフ・デイズってドラマーが来日してて。横浜の赤レンガ倉庫のGREENROOM FESTIVALで演奏してて、僕は行けなかったんですけど、友達に動画見せてもらったら、何千人って人たちがジャズで熱狂してるわけですよ。次の日に渋谷のどっかのライブハウスで同じ人がプレーしてて、そこでも何百人もの若者たちが、っていう状況もあるんで。

メディア上には出てこないけど、潜在的にずっとその音楽を愛してる人たちはいて、それに呼応するようにミュージシャンたちもずっと育っていて。だからこのジャズというジャンルは、途絶えることはないんだなっていう安心感はありますよね。ずっと進歩も進化もし続けてる。

——記憶力が必要じゃないですか、ジャズを聴き込むのって。

吉久 ちゃんと体系的に聴くとなると、ですよね。このミュージシャンはあれにも参加してたなとか。それはでも、学問というよりも興味の範疇で何とかなる。本とかと一緒で、この作家のこれ読んだなとか。この作家が影響元として挙げてたこの本を読むかな、みたいな感じっす。やっぱ単純に好きになっちゃえば、そこは、記憶するぞっていうよりも、自然と体が吸収していく感じ。だから別に来てるお客さんがこれ聴け、とか全然思わないし。

——好きなミュージシャンは誰ですか。

吉久 最初にジャズミュージシャン好きになったのが、エリック・ドルフィーっていうアルトサックス奏者。もともとロック聴いてた人間が、ダウンビートにちょこちょこ来るようになって、流れてるジャズを何となく聴いてた中で、最初にプレーヤーと音が一致したというか、「あ、この人はこの音を出す人なんだな」っていうアイデンティティーみたいなものを獲得したのが、エリック・ドルフィーさん。驚異的なスピードのソロっていうのが、僕の中でロックと相通ずるものがあって。

「ジャズ喫茶」ではみんなひとり

——ジャズ喫茶って何か今、若干流行ってますね。

吉久 少し、流行ってます。

——何でしょうね。

吉久 昭和レトロブームの後押しはあって。ぶっちゃけ一過性ではあると思うんですけど。その中でもほんとに、流行りの中で来てくれた中で、100人に1人は多分常連さんになってくれるだろうなって。今、海外にもありますから、ジャズ喫茶は。「JAZZ KISSA」って言葉が。

——「JAZZ KISSA」っていうの?

吉久 今日着てるこのTシャツには「JAZZ BAR」って書いてあるけど、これはドイツ、ベルリンのジャズ喫茶っすね。「KISSA」って言葉、ある程度もう定着してて。

——来日して「喫茶店」に行きたいっていう人がいるっていう話を聞きました。

 

吉久 今年ベルリンに行ったら、「JAZZ KISSA」のほうがいいんじゃないって言おう。これ去年友達にもらったんです。友達がベルリン行って、ジャズの店調べたらここが出てきて、飛び込んだらしいんですよ。で、日本の横浜から来たつったら、「横浜ってダウンビートあるんでしょ」みたいな。「俺、ダウンビートのTシャツ持ってんだよね」って。何かベルリンの人がうちのTシャツ買って、その人にプレゼントしたらしいです。じゃ、これオーナーに持ってってくれって、くれたんですよ。

——かっこいい。そのTシャツの背中の絵はスピーカーですよね。

吉久 そうです。うちとおそろいのスピーカーで。

——おそろいなんだ!

吉久 そう。向こうの人もそれを知ってたらしくて。だからこれをじゃあ修平にぜひって。

——それはすごい。

吉久 ちょっと挨拶に行かないとなってのはずっとあって。ベルリンに。

——古いスピーカーですね。

吉久 これは50年代のボイス・オブ・シアター、アルテック。もともと、映画館とかライブハウスとかで使われてて。当時のジャズ喫茶の定番みたいな。

——壊れないの?

吉久 メンテを何とかしながら使ってるって感じで。

——メンテしてくれる人はいるんですか。

吉久 けっこういるんですよ。やっぱりいまだにオーディオマニアってずっといて、ニーズがある。若い世代でもこの古い機材を直せる人たちはずっといて。その文化も恐らくは途絶えないっていう安心感はありますよね。

——日本人と外国人と、どっちにブームがきてますか。両方ですか。

吉久 うちは日本人のほうが全然多いですね。もう横浜自体がやっぱり、そんな外国の人が来る街でもない。

——まだ来てない?

吉久 うん。

——時間の問題かもしれませんよ。

吉久 どうだろう。まあ外国の人は1日1組は絶対来てくれるんですけど。昨日も来てくれました。イタリアの人たち。

——決して外国の方が悪いわけではないんですけど、オーバーツーリズムって大変ですよね。

吉久 大問題ですよ、あれは。

——急になっちゃいましたね。ここはしばらくこの感じで、このペースだといいですね。

吉久 うちは、まあでも、建屋は古いし、多分この野毛って街もいつかは浄化というものに多分、間違いなくなると思います。

——そうかな。野毛の一部っていう感じは持ってますか。ここ、微妙に野毛町じゃないですよね。

吉久 野毛町ではないですけど、一部っていう感じもあって、僕自身通ってた時はやっぱそれが楽しくて来てましたよね。僕、お酒全く飲めないんですよ。だから野毛に来ても疎外感というか、酒飲めない俺が何で野毛来て、いいのかなっていうのはあったんですけど、ここはコーヒー出してたんで。そっか、ここはコーヒーがあるから堂々と来ていいんだっていうので、ここによく来たっていうのはあって。

じゃ、今、野毛のアイデンティティーがあるかっていったら、ちょっとあんまないです。今の野毛に僕がめちゃくちゃ魅力を感じてるかっていうとあんまなくって。ザ・観光地的な。

——昔はどういうところが魅力だったんですか。

吉久 いい意味で、めちゃめちゃ入りづらい街。入るのに、やっぱどの店も緊張したし、襟正してというか、何かイエーイって感じで入れるような街ではなかったんですよね。僕はいい意味で緊張感をずっと持ちながら「いいですか」みたいな。お酒飲めないんだけどいいですかぐらいな感じだったですけど、今ちょっと、その雰囲気もなくなってきた。そののりでうち来られると、かったるいんで。イエーイって来られても、イエーイじゃねえよってなっちゃうから。やっぱちょっと、今の野毛っていう街の勢いと、うちがやりたいことっていうのは、少し乖離しちゃってるなっていうのが現状ですね。

——今はオープンな感じに向かってる?

吉久 オープンで、わいわいみんなで楽しく騒ぎながら飲むっていうのが、野毛の今のメインストリームだという感じは、僕も肌では感じていて。そこと、今僕がダウンビートでやりたいことっていうのは、ある意味対極だなって思っちゃって。それがまた面白かったりもするんすけど。この変なうるさい街ん中に、こんな変な店があってもいいよねっていうので。

——少し入りにくいぐらいでいいんですね。

吉久 入りにくい感じは、めっちゃ出してますね。

——それがちょうどいいんでしょうね。

吉久 「キネマ」だってそうじゃないですか。入りづらいっちゃ入りづらい。やっぱ、そういう店は必要じゃないのかなと。

——そういうところを必要としてる人って、きっといますよね。

吉久 そうなんですよ。みんながみんな、イエーイって騒ぎたいわけじゃなくて、やっぱ1人でぼけっとしたい人もいる。100人に1人しかいないですけど、100人に1人が来てくれればいいんで、僕は。

——100人に1人ってだいぶ多いんじゃないですか。

 

吉久 多いのかな。究極で言ったら100人来て、1人がリピーターになってくれるって感じ、僕の印象では。だからうちは、めちゃめちゃ混み合うことって絶対ないんですよ。暇な日のほうがほとんどっていうか。それで全然いいと思ってるんで。

——いつ行ってもスペースがあるっていうイメージがあるから行きたい人っていますよね。

吉久 そうそう。そういう人が来てくれたほうが。「あ、ダウンビート、今日もすいてる、ラッキー」って思ってくれるほうが、僕はうれしいのかな。楽しく、みんなでわいわい飲むっていう人は絶対向いてないですね、うちには。

——そんなペースで経営は大丈夫ですか。

吉久 全然。継いだ当初は超暇でしたよね。100人に1人でも、やっぱり7~8年積み上げてったら、一応ちゃんとやれる形にはなってきてるっていう手応えは常に感じていて。やっぱり一定数、陰鬱に飲みたい人はいるんだなっていう。それを見いだす作業でもあります、僕がね。

——でも暗くはないよね。なんでかな。音楽があるからかもしれないですね。

吉久 そうですね。ただ、はい、どうぞ、いらっしゃいませ、みたいな感じではないので。ある意味低血圧的な人ってのは常に一定数いるから。

——でも、そういう人は家にいる場合が多いのでは。

吉久 そうなんですよ。だから一つこだわりとしては、家よりでかい、いい音でかけられるっていう環境は提案し続けたくて、一応音響っていうものには、それなりには気合は入れていて。究極、僕個人としては、別にどんな音で鳴ってようがめちゃめちゃ音悪かろうが関係ないんですけど、でも家じゃない優位性というのは提供したいなっていうのがあります。

——でかい音って、何かそれだけでいいですよね。

吉久 そうなんですよ。音がでかいっていうのは何か、僕はかっこいいことだと思う。ある意味、会話を阻む大きさ。もう会話するだけが別に人間関係の在り方とも思ってない。黙って2人で来て、ぽけっと、ずっと静かに聴いてる人たちも中にはいるから。

——大きい音で聴くって、贅沢ですよね。

吉久 そうなんです。贅沢なんですよ。

——イヤホンだと、全然違うじゃないですか。空気が動いてないから。

吉久 ここが、音で包まれて遮断される感じはあって、より個としての場所みたいなものが強調される、際立たせることができるのかなってのは思うことありますね。だから複数の人がいても、それぞれの存在は背中では感じるけど、そこがあくまで邪魔にはならない。でかい音でそれぞれの空間を遮断する。

——なるほど。バリアーができるというか。

吉久 バリアーができる。だから、小声でしゃべってても、音の波で、音の壁で聞こえないんですよ。お互いの会話もそんなに気になんなくなる。

——それは物理的な波ですね。

吉久 物理的な波です、完全に。見えない壁で、ある程度遮断することができる。それが面白いなと思うんです。だから音はでかめなほうで通ってますよ、うち、ダウンビート。窓開けて音出してるし。下の店とか、めちゃめちゃうるさいと思うんですけど、おっきい音っていうのは一つの、僕が出したい理想の店の一つ。

——カウンターに座る人は、ちょっと違うタイプの人ですか。

吉久 そうですね。ある程度のコミュニケーションを求めてる人でもあるので。

——ちょっと話したい人?

吉久 話したい、そう。

——そういう時は話す?

吉久 話しかけられたら話す。基本あんま話さない。あと、常連さん同士が勝手にしゃべったりとかする感じですよね。カウンターに行けば誰かいるんで。基本、平日なんか常連さんが9割ですね、うちは。

——常連って感覚的にいうと何人ぐらいいらっしゃるんですか。

吉久 100とかいると思いますよ。顔が全然思い浮かばないですけど。

——毎日のように来る人もいるの?

吉久 週4で毎回4、5時間の人とかいますね。一回もしゃべったことないですけど。あいさつだけする。いらっしゃいませ、ありがとうございました。それだけ。

——でもその人の居場所になってるわけですね。

吉久 それもだから、100人に1人のうちの1人。超ありがたいです。他の常連さんも週2~3の人がほとんどかと。

——そういうところに、やりがいがありますか。

吉久 どこを気に入ってくれてるか、僕は分からないし、聞かないし。週4の人もずっと本読んでるんで。

みんな勝手にやってるから、君も勝手にやってくれ

——ここを引き受けることにした10分ぐらいの間で、かなり長い期間の自分の人生が決まっちゃうっていう感じはしませんでしたか?

吉久 それはありますけどね。そこは昔からあんまり……

——そんなに気にしない?

吉久 深く考えるほうじゃなかったというか。将来どうしようとかもあんま。ある意味多分、けっこうアホなんで、「まあ何とかなるでしょ」ぐらいな、ずっとそうなんですよね。

 

——5年後、10年後ぐらいもやってるだろうなって感じはしますか。

吉久 やれてるだろうなぐらい。今もそれは言える。この建物がどうにかならない限りは5年後、10年後も何とか。あと健康的にとかね。そういう外的な何か阻害がなければやれてるだろうなっていう、漠然とした楽観はずっとある。それは昔からずっとそうです。

——毎日4時から23時まで。

吉久 実際には0時ぐらいまではなんだかんだで。

——何時ごろから活動を始めるんですか。

吉久 13時ぐらいには家を出て、15時ぐらいに店入るんで、何かその辺散歩して、ご飯食べて本読んで、居眠りしたりして開店するっていう。店開けても、大体寝てるか本読んでるんで。そんなにやることはないっていう。

——同じことを繰り返すのが苦にならない。

吉久 ずっと、ずっと繰り返してます。

——苦じゃないんですね。

吉久 全く苦じゃないです、それは。

——音楽も本も、毎日違いますもんね。

吉久 そうなんですよ。こんだけ、5,000枚あるし。飽きたことは一回もないっていうか。毎日、基本、楽しくやってますからね。

——いい場所を見つけましたね。

吉久 うん、たまたまいい場所に巡り合えたというか。

——居場所といえば、お客さんというよりもご本人の。

吉久 僕自身の居場所ですね。

——家よりこっちにいる時間のほうが長いですかね。

吉久 断然長いです。休みの日もいたりしますよ。本読みに来たりとか。

——居心地がいいんだね。

吉久 うん。家より全然きれいですしね。店にはソファもあるからいつでも昼寝できるし。

——掃除、かなりしてます?

吉久 掃除はしてます、毎日。古くてもきれいな店っていうのが、けっこう僕の中でかっこいいなって、いつもいろんな店行っても思うんで。古い店をメンテナンスすることの大切さを僕は重要視してる。だから掃除は絶対、毎日します。

——だからですねここは。何か空気がいいんですよ。

吉久 ああ、そうですね。ここの空気がめちゃめちゃよどんでたら、やっぱり1,000人に1人になっちゃう、来る人が。まじで。

——そうだよね。

吉久 そういうのが許される街と許されない街で、野毛においてはやっぱそれはちょっと駄目な気がします。うちは先代がすごいきれい好きだったんで。それはもう、「吉久、ちゃんと掃除はしたほうがいい、掃除したほうがいい」ってずっと言ってたんで、それももう店の教えみたいなもので。

——それは素晴らしいですね。私は年齢とともに、汚い店が苦手になってます。若い頃は「汚いけどいい店」も好きだったけど。

吉久 僕自身はほんとにどっちでもいいです。自分が行く店がめちゃくちゃ汚かろうが。でも少しずつ駄目んなってくのかもしれないですね。

——なってくと思いますよ、それは若さの許容量だと思いますよ。ここはイベントもやるんですよね?

吉久 イベントやります。月に1~2回は必ず。

——どういう?

吉久 それはまた特殊な、今ずっとレギュラーでやってるのが、僕が好きな大谷能生さんっていうジャズの批評家、演奏者でもあって本もいっぱい書いてる人と、あと知り合いのDJの「やけのはら」っていう2人を呼んで、トークショーじゃないですけど、本来ダウンビートで絶対鳴らない音楽を鳴らしてみようとか、ジャズじゃない、全然テクノとかヘビーメタルとかばんばん鳴らして。

——このスピーカーで?

吉久 そうそう、これで。1回目はそれでスタートして、そこから今、派生してって、大谷能生のジャズ講座的なこともやってたりとか。単純にトークショーみたいな感じで。

——普段と違うお客さんが来るんですか。

吉久 また違う人が。でも常連さんプラスそういうのに興味ある人。びっくりするのはけっこう若い人が多い。興味ある潜在的な層はいるんだなっていうのを可視化できる感じですよね。

——なるほど。ライブは?

吉久 ライブもね、やりますよ、月に1回ぐらい。イベントの一環として。DJイベントの合間にライブパフォーマンスやったりとか。あくまでジャズ喫茶の範疇内でって感じで。装備もめちゃめちゃあるわけじゃないんで。ピアノがあるぐらいだから。あくまでジャズ喫茶営業の番外編としてライブをやるって感じ。メインはやっぱ、ジャズ喫茶営業しかできないです。疲れちゃうので。

——行ったらいつもやってるってのが大事ですもんね。

吉久 そうなんですよね。だからイベントもそこまでめちゃめちゃ乗り気でもなく、あくまで番外編。通常ただのジャズ喫茶としてずっとやりたいっていう。

——こういう店って、ちゃんと同じ時間に開けてるっていうのが。

吉久 大事。

——ですよね。

吉久 じゃないと、ふらっと来れないっていうか。ぼけっとしに来たら、「今日はイベントなので」みたいな、そういうのが続いたら、僕だったらちょっと来なくなっちゃうかもしんないしね。

——最近よくかけるアルバムはありますか。

吉久 最近だと、ホン・ソンミ(SUN-MI HONG)っていう韓国女性のドラマーがいるんですけど。今はアムステルダムに住んでるんですけど、その人のアルバムがすごい好きで。複雑難解な音楽をやってるんですけど、でもじゃあ超フリージャズかといったら、そうぶっ飛んでるわけでもなくて、すごいきれいなアンサンブルで。楽器の音のきれいさですごい聴けるものに仕上がってる。難解だけど、意外とハードルが低いっていう。

——聴いてみます! オランダってジャズが盛んなんですか。

吉久 僕もそのイメージあんまりなかったんですけどね。これ聴いて、かなり印象変わりました。ヨーロッパといえば、有名なのはドイツのECMってレーベルだったりとか、あと今だったらイギリス。フランスもないわけじゃないけど、オランダっていうのはあんまり今まで聞かないです。

——ダブルベース奏者の[ニールス=ヘニング・エルステッド・]ペデルセンってどこ出身でしたっけ。

吉久 デンマークです。デンマークはすごいです。ぼくもペデルセン、大好きです。コペンハーゲンに「モンマルトル」っていうジャズカフェがあって。アメリカとかで50~60年に活躍してたミュージシャンが、みんな70年代にコペンハーゲンに移住して演奏してたんです。なので、そこの録音がめちゃめちゃ残ってるっていうか、70年代ジャズの一角をなす「スティープル・チェイス・レコード」ってレーベルがあって。

——実は私、林栄一さんとか菊地雅章さんも好きです。

吉久 今年の1月ぐらいに、いきなりフランス人の団体がやって来て。最初めちゃめちゃ騒いでたから、普通に叱っちゃったんですよ。ごめん、ちょっとそういう店じゃないからって。その日は帰って、次の日はすげえ静かにして入ってきて。気に入ったからまた来ちゃったみたいな。その次の日も来て、「君ら何なの」みたいになったら、近所に滞在してる留学生たちで。ジャズ喫茶なんて初めて、こんな店はパリにはないよみたいなことを言って。そっから一月ぐらいかけて、1日置きぐらいに毎日来て。たまに菊地さんとかかけたらすごい喜んでくれたので、その彼らが帰国する時に、僕、菊地さんのアルバムを1枚あげたの。もしかしたら、この夏にパリの知り合いの店で、ポップアップ的にジャズ喫茶の営業しようかなとか言ってたから、じゃ、これかけてくれよつって。パリで菊地さんが流れるかもしれない。

——ああ、いいですね。菊地さんが70年代に出した『ススト』ってアルバムはすごかった。

吉久 こないだフランス人に渡したのがまさにそれ。パリで『ススト』が流れると思うと、ちょっと熱いなと思って。

——なにか言い残したことがあれば。

吉久 言いたいことか。難しいな。何か東京の喧騒に疲れたら、こういう店で何もしないことを選ぶ。何もしない時間を無理やり選択するというか、選び取ることで何かに至ることもあるかもしれない。

——さっきの話の、家じゃないけど1人になれるっていうのは、いいですね。

吉久 うちの店で流れるのって、絶対家では流れない音楽なんで。ここはそういうふうに他人が、他者と絶対ぶつかり合う場所でもあって。ぶつかるっていうのは正面からじゃなくて、やっぱり生きてる上で絶対、他者の存在って無視して生きてはいけないから、こういう形での他者との触れ合い方というか、同じ空間と時間の身の置き方もあるんだよっていうのを、ずっと、喫茶店として言いたいです。

——いいですね。

吉久 やっぱジャズ喫茶なんで。いろんな人がいます、でも「それぞれみんな勝手にやってっから、君も勝手にやってくれ」って感じです、まじで。騒がなかったら、別に何してたっていいよって。

——音楽は聴き流してもいいっていうのがいいですね。

吉久 聴き流してもいいです、別に。おい、これを聴けとは全く思わないです。

——本とは、そこがちょっと違いますね。本は、読み流せないじゃない。

吉久 読み流せない。それはやっぱりそうだね。聴覚というものの独特な特徴というか。

——確かに。

吉久 そこのチューニングみたいなのは、個々で勝手に設定することはある程度できる。

——ボーカルはあまりかけないって言ってましたね。歌詞が入ってきちゃうから。

吉久 それは単なる好みだけど、結果的にって感じですかね。何か強烈なストーリーとメッセージを伝えるような店でもないっていうのもあります。すごい好きな歌詞とかもあるんですけど、強くなり過ぎちゃうというか。やっぱプロテストソングとかも多かったりするから。

——ブルースとか。

吉久 そうなんですよね。ブルースとかも、何も意味ないようだけど意味あって。ブルースの歌詞も面白いですよ。ほとんど何も言ってない。2回同じこと言って、3回目で少し展開する。

——でも、いいよね、ブルース。普通のおっつぁんがやってる感じがいいですね。


吉久 もともと音楽はそういうもんだと思うし、普通の人の手慰みというか、鼻歌が結果的に録音技術に乗っかって、ミュージシャンというものが生まれて。だから、何か別に正座して聴く必要はないよと思います。

——ここは椅子もちょっとだけ沈んでいい感じですね。

吉久 そうです。いろんなジャズ喫茶行くけど、うちのが一番座り心地いいです。

——いつ張り替えたの、これ。

吉久 僕になってからは張り替えてないっすね。だからスプリング壊れてるのあるんですよね。たまたま常連さんで椅子張り師がいるから、今度お願いしようと思ってます。

 

profile

佐藤澄子|Sumiko Sato

1962年東京生まれ、名古屋在住。クリエーティブディレクター、コピーライター、翻訳家。自ら立ち上げた翻訳出版の版元、2ndLapから最新刊『ニーナ・シモンのガム』が発売中。好評既刊に『スマック シリアからのレシピと物語』などがある。訳書にソナーリ・デラニヤガラ『波』(新潮クレスト・ブックス)ほか。