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私もあなたも、揺らぐ世界で:『入門講義 現代人類学の冒険』著者・里見龍樹に訊く

近年、人類学は密かにブームの様相を呈している。人類学をめぐる一般書が次々に刊行され、ビジネスの現場に人類学の知見が活用される事例も増えてきている。ただ、そこで人類学とされているもののイメージは、あまりに多岐に渡る。近代化されざる地域や人々のありようから今の社会を見つめ直そうとするものもあれば、むしろ自分たちの現代的な暮らしそのものを──それこそSNSを含めて──調査するものもあり、他方では人類学でありながら対象を人に限らず、他の生物や、生物でさえないモノに着目する向きもある。

まさに百花繚乱ではあるものの、門外漢には見取り図を描きづらい状況ともいえるかもしれない。そんななか、人類学の歩みをスッキリと見通しつつ、そのうえで汲めども尽きぬ問いへと向き合わせてくれるのが、気鋭の人類学者・里見龍樹による『入門講義 現代人類学の冒険』(平凡社新書)だ。インタビュー連載「編集できない世界をめぐる対話」第24回は、フィールドワークを行う南太平洋ソロモン諸島へ出立する直前だった里見に東京の街角で話を聞きながら、人類学と現代社会の交点を見つめる。

TEXT BY Fumihisa Miyata
PHOTO BY Kaori Nishida

——『入門講義 現代人類学の冒険』では、「人類学という学問自体、他の分野の学問的作法とは違った『はじっこの学問』」だとしたうえで、里見さんご自身は人類学の「現代的な流れに逆らっているという意味で、まさしく『はじっこのはじっこ』」にいると書かれています。

里見 そもそも人類学という学問自体が20世紀を通じて、「社会の主流から外れる考え方をつねに追究するもの」であり、「近代的な学問における『はじっこ』の性格を帯びてきた」というのが、本書における私の見立てです。それは進歩や合理性という近代の「表面」に隠れているもの、いわば「裏面」を見つめることを引き受けてきた「対抗文化」(カウンター・カルチャー)的な学問である、ということですね。

——人類学が「はじっこ」の学問である所以ですね。

里見 とはいえ、かつての人類学の知見や方法は、徐々に見直されつつあります。西洋近代社会の「当たり前」を問い直すために、当時「未開社会」と呼ばれたような伝統的社会やそこにおける思考を調べるという手法自体が、反省的に捉え直され、ときに問題視されるようになってきたわけです。

『入門講義 現代人類学の冒険』ではその流れを追い、21世紀の現在に至るまでの新たな潮流を紹介しているのですが、一方で私自身は伝統的な人類学のなかにまだ可能性が残っていると考える立場であり、本書はそうした「はじっこのはじっこ」の視点から、現代人類学の試行錯誤を読者と一緒に考えるという一冊になっているんですね。

——新しい人類学の潮流については本書も含め、徐々に一般書でも紹介されるようにはなってきていますが、改めてざっくりとうかがうとすればどういうものだといえるのでしょう。

里見龍樹|Ryujyu Satomi 1980年、東京都生まれ。東京大学教養学部卒業。同大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程単位取得退学。博士(学術)。早稲田大学人間科学学術院教授。専門は人類学、メラネシア民族誌。著書に『「海に住まうこと」の民族誌』(風響社、第45回澁澤賞、第17回日本オセアニア学会賞受賞)、『不穏な熱帯』(河出書房新社、紀伊國屋じんぶん大賞2024入選)など。2024年11月、『入門講義 現代人類学の冒険』(平凡社新書)を上梓。

里見 20世紀末から現在に至る新しい人類学の大きな特徴を、思い切って一言でいってしまえば、「“彼ら”だけではなく、“私たち”も人類学の対象になるのだ」ということだと思います。主に1980年代以降、西洋中心的な知の体系に異議を申し立てる「ポストコロニアリズム」の進展や冷戦体制の崩壊、さらに1990年代頃からは急速なグローバル化のなか、伝統的な人類学が足場を置いてきた「文化」や「社会」、「民族」といった考え方自体が捉え直されていきました。

——どこか遠い地域に赴き、その「文化」や「社会」を観察して、自分たちのありようを考える……という伝統的な人類学の営みが省みられるようになった、と。

里見 私たち自身に、最初からフォーカスするようになってきた流れがあるわけですね。日常的に首まで浸っているような状況や環境──科学やテクノロジー、医療、SNSも含めたさまざまなメディアなども、新しい人類学の対象になるのだ、ということがいわれるようになってきた。さらには環境問題の深刻化などもあいまって、他の生物やモノといった「人間以外の存在」に注目する人類学が、21世紀の人類学では一大分野になってきています。

——それら新たな知見を踏まえつつ、伝統的な人類学のことをもう一度考えてみる、というのが里見さんの立場であるわけですね。

調査を続ける南太平洋ソロモン諸島にて、カヌーで海に出る少年たちの様子(里見龍樹撮影)

里見 私は新しい人類学を否定しているわけではないですし、むしろモノや「自然」をめぐっては後にお話しするように、私も近年の人類学の収穫に大いに依拠しています。とはいえ、遠い場所まで出かけていってフィールドワークをするという伝統的な人類学のやり方にも、なお面白さがあると思うのです。伝統的な人類学と新しい人類学の双方で実は共通した対象を研究できたり、あるいはそれぞれに研究している対象を同じ理論で説明できたり、そうした行き来ができるという気づきこそが、むしろいまの人類学がもつ現代性なのではないかと私は考えているんですね。

——現代人類学のアップデートされた知見を読者へきちんと紹介しつつ、同時に里見さんは遠い場所や「異文化」のなかでのフィールドワークをするという経験の大切さを、改めて強調していますね。

里見 研究者としての私自身が「これが自分の信じる、魅力を感じる人類学なんだ。自分は、この方法でいくんだ」というカラーをはっきりと打ち出している本でもありますので、その意味では、なかなか異色といえる入門書かもしれません。本書でもすこし触れているのですが、実は私が人類学を勉強しはじめたのは、けっこう遅いんです。大学の学部生時代、そして大学院に入ってからもしばらくは社会学に取り組んでいたのですが、あまりうまくいかず、人類学に移りました。ちょうどその頃が、新しい人類学が盛り上がっていた時期だったんですね。周囲を見渡しても、人類学をバージョンアップしなければならないのだという、強い流れを感じました。

——その流れの只中に身を置きながら里見さんが選択されたのは、ニューギニアの隣に位置するソロモン諸島のうち、特にマライタ島のフィールドワークという、いわば伝統的な人類学といえる取り組みでした。

里見 そこには、「海」を意味する「アシ」という現地の言葉で自分たちを呼ぶ人々が住んでいます。マライタ島では北東岸に沿ってサンゴ礁が広がっているのですが、岩石状のサンゴやその化石を浅い海底に積み上げて築いた人工の島が点在しており、アシの人々はその島で暮らしている。沖合にその島々を望むフォウバイタ村(仮名)という村を調査の拠点にして、私はその暮らしを断続的に調査してきました。

結果として非常に反時代的といいますか、時流に逆らった人類学をやることになったなあ、と思います(笑)。私が人類学を学びはじめたときの率直な違和感・危機感というのは、「あれっ、このままでは、ここ100年間ぐらい人類学が取り組んできたことがあまり論じられずに終わってしまうのではないか」ということでした。新しい人類学によって見えてくるものは非常に重要ではあるのですが、とはいえそればっかりになってしまっては、伝統的な人類学の何を引き継ぎ、何を捨てていくのかがきちんと考えられることなく、忘れ去られてしまうのではないか、と。

——新しい人類学一辺倒になるのも問題だと思われたわけですね。

里見 だったらまず私自身が、伝統的な人類学のフィールドワークをやってみて、その伝統のうちにどんな可能性が残っているのか/残っていないのかを、できるだけ考えてみようと思ったのです。いわば、人類学の伝統の“棚卸”ですね。それが私のここ十数年間の研究であり、また『入門講義 現代人類学の冒険』を通して、初学者の方も含めて広い読者の方に届けたいと思ったことでもあるのです。

——そうした立場から新しい人類学の知見についてもフラットに、何よりご自身が体験的に理解し、考察を深めていかれたプロセスに支えられているからこそ、本書はバランスのよい入門書になっているように感じます。さて、人類学ではフィールドワークに基づいてエスノグラフィーと呼ばれる文章を書くことが基本となりますが、里見さんは「コミュニティ」や「格差」、「近代化」といった手持ちの言葉や概念が使えないゾーンで「いかに書くか」悩むことに、人類学者の「冒険」の一端を見ておられますね。

里見 私がマライタ島について調査しているなかで、人類学の重要なポイントだと実感しているのは、私自身が揺さぶられ、そして調査の対象となっている人々もまた揺れている、ということなんです。

まず、人類学の調査は調査者自身を揺さぶるということからお話ししていきましょう。たとえば私がマライタ島の調査をするときには、一貫して私自身もテーマになっています。慣れない南の島にいき、普段とはまったく異なった暮らしをしながら調査を進めるなかで、私が違った自分に変容し、化けていく。自分を危うい状況に放り込むがゆえに、いつもは考えることができないことを考えることができる。仮にビジネスの支援で人類学が役に立つ側面があるとすれば、こうした観察者自身の揺さぶられや変容という点かもしれません。

——なるほど。とはいえ、そのようにして闖入者として現れる人類学者を、調査対象となる人々はどう受け入れるのでしょう。この記事のインタビュアーもまた、ずけずけと人に質問をする仕事を生業としている身なので、なぜそもそも人類学者は調査をしてよいのか、どのようにして相手が納得しているのか気になります。

里見 それは非常に重要な問題だと思います。今回の書籍のなかで書いたことを踏まえつつお答えするとすれば、フォウバイタ村の女性たちが私をからかって「お婿さん」と呼んでくれたことがポイントだと感じます。つまり外部から来た人類学者は、「お婿さん」という身内になりうる可能性を潜在的に秘めた人間として居場所をもらい、現地の社会に入っていく、ということですね。そしてこの「お婿さん」という表現は同時に、マライタ島が外部から人を受け入れてきた、いわば「開かれた」歴史に根差しており、伝統的な社会=閉鎖的であるというステレオタイプを打ち破るものでもあります。

——考えさせられます。とある近年話題のテレビ・ドキュメンタリー作品でも、僻地の原住民に対して「文明に未接触である」という語りが繰り返されるのですが、実際にはそのテレビカメラも含めて少なからず接触は経てきているわけであり、原住民の安全を確保する目的などはあるにせよ「閉じた」イメージを強化しすぎなのではないかと気になっていました。

里見 私の本のなかでは、「マライタ島のような僻地に住んでいる人たちの生活に踏み込んでいくことは許されるのか」という、実際に学生から寄せられた声も紹介しました。しかしこの物言いは、マライタ島の社会が閉じたものであるという想定を暗に仄めかしていると思います。少なくともアシの人々は、外部の人を受け入れるロジックをもっている。もちろん地域や人によってそうした開かれの度合いは千差万別ですし、調査する側も侵略的な関係性は避けなければいけませんが、「ここで調査していいのか」というためらいを乗り越えて、他者がもとからもっている「開かれた」ロジックをもとに関係性を紡いでいくのはいろいろな場所で可能なのだ、ということを伝えていきたいと思っています。

——そのように受け入れられる過程なども含めて、人類学者は揺さぶられ続ける、と。

里見 私がマライタ島にはじめて赴いたのは2008年のことですが、その3年後における調査者の揺れ自体を全面的に展開したのが、1冊前の単著である『不穏な熱帯』という本でした。これは東日本大震災の直後、2011年7月から10月までの3カ月間、フォウバイタ村に滞在しながらおこなったフィールドワークをもとにしたエスノグラフィーです。現地で思いも寄らない出来事に次々と遭遇し、その動揺のなかで深められていく人類学的な思考を表現するうえで、日記などを引用しながら非常に実験的なスタイルで記述してあります。

——あえて錯綜的に記述しているということですよね。

里見 もう一点、ここで重要なのは、アシの人々もまた揺らいでいるということです。2011年の震災で発生した「ツナミ」のニュースはマライタ島にも強い衝撃をもたらしており、「海に住まうこと」を自明としてきたアシの暮らしを根底から揺さぶっていました。私もまた日本で震災の、そして震災をめぐる揺れ動きを体験していた人間であり、そうした自分がアシの人々と共に揺れるなかで、はじめてその不安に理解が至っていったんですね。

——そうした共振的な体験を伝えるうえで、なぜ文章にこだわるのでしょうか。文章を基盤に置くメディアの人間でさえ、近年は映像や音声の配信を模索していますが……

里見 自他の揺らぎを伝えるうえで、いかにエスノグラフィーという文章を書くかということが、やはり重要であるように思うんです。文章のみならず、私は写真にもできるだけこだわるようにはしていまして、通常のエスノグラフィーでは写真が説明的にのみ使われがちであることへの疑問からいろいろと試行錯誤を重ねてきています。そのうえでやはり、人類学における文章、その「不安定な記述」の可能性を考えるんですね。

たしかに学生からは「人類学の研究成果を発信するためには、文章なんてやめて映像を撮ってTikTokに上げればいい」という、率直な声も届いてはいます(笑)

——文章に携わる人間としても、その学生さんの意見は耳が痛いです……(笑)

里見 そもそも映像人類学というジャンルが存在していますし、そこには大きな可能性もあると私は考えていますが、かといって文章表現の可能性もまた、限界まで汲みつくされているとも思えないのです。20世紀にはシュルレアリスムのオートマティスム(自動記述)や、あるいは哲学における言語論的転回というような、文章表現をめぐる斬新な知見や試みが、まさにアバンギャルドなものとして存在していました。

そうした同時代的な動きを視界に入れながら、対抗文化的な20世紀の人類学は文章上の実験を重ね、未知のリアリティの記述の仕方を開拓してきたという側面があるはず。先ほど伝統的な人類学において何が使え、逆に何が使えないかをいったん“棚卸”してみたいとお話ししましたが、同じように文章にかんしても、何を継承しうるのか、できないのかを考えてみたいと思っています。

——揺らぎという観点で『入門講義 現代人類学の冒険』を読んでいると興味深いのが、里見さんがフォウバイタ村で水浴びをしているときに出会った男性の話です。「調査をしている」と自己紹介すると、男性が「私も調査をしている」と答えた、と。

里見 前提をすこし補足しましょう。これはマライタ島へ足を踏み入れた直後から徐々にわかってきていたことなのですが、海岸部の村に住む人々はかつて沖合の島々から、台風の影響などによって移住してきており、沿岸の人口の増加と集中のなかで、さらにマライタ島の内陸部へと住まいを移そうという動きがあるんですね。男性が「調査している」というのは、この移住先を探しているということです。さらにこうした過密な住環境や土地不足をめぐる不安は、海岸部に住むアシのみならず、沖合の人工の島々に住みながら漁獲量の減少を訴えるアシにも、共通しているものなんです。

——そうした不安のなかで、アシ自身が調査をしていると。

里見 この記事をご覧いただいている方もそうかもしれないですし、かつての私もそうだったわけですが、たとえばマライタ島で沖合の島々に暮らす人々がいると聞くと、「なんだかよくわからないけれど、昔ながらの原始的かつ伝統的な生活を長く続けている人たちなのだろうな」とイメージを抱くと思うのです。ところが実際に現地にいってみれば、どんどん変化する暮らしに対応すべく、自ら調査をはじめた人がいる。

フィールドワークの対象である当事者が、いろんなことを考えながら、自ら調査を行っている、という状況が往々にしてあるかもしれない──。その気づきは、新しい人類学の立場で自分たちの社会を調べるときでも、伝統的な人類学がおこなってきた異なる社会でのフィールドワークをパラレルなものとして捉えさせてくれるものとなるのではないか、と感じます。

——伝統的に見える遠くの社会でも、目の前の自分たちの社会でも、調べられる側がむしろ調べている、ということがあるかもしれないわけですね。

里見 繰り返すように、アシの人たち自身による調査は、アシの暮らしが揺らいでいるからこそ行われています。私が調査をはじめた時点で、一見伝統的に見える現地の暮らしが既に揺れ動いており、その後に調査を続ける期間のなかで、その揺れ動きはどんどん上書きされているんです。先述の通り、2011年にマライタ島に戻ったら、最近は太平洋で地震や津波がたくさん起こっているから、自分たちはもうここには住めないというような語りがなされるようになっていた。さらには、海面上昇が進んで自分たちの島がどんどん水浸しになっている、というように新たに問題が重ねられてきています。

——アシの暮らしが、まさに足元から不安定なものになっていく。

里見 こうしたなかで私の研究テーマは、アシの人たちの独特な生活様式について調べるというよりも、人々がどのように揺れ動いているのかを私もまた揺れ動きながら捉えていくことなのだ、と考えていくようになりました。非常に重層的な状況を、その複雑さをなるべく取りこぼさないようにして書く必要があるし、継続的に調査しなければならない。このインタビューから10日も経てばまた現地に向かうので、フィールドワークはなかなか終わることがないなと実感しています。

——加えて印象的なのが、アシの人々が海面上昇について考える理屈です。温暖化による気温上昇といった環境問題的・科学的な観点ではなく、「岩」が「死ぬ」ことで島が低くなり、沈んでいるのだ、と語るそうですね。新しい人類学における、モノを含めた「人間以外の存在」や、あるいは「文化」や「社会」ではない「自然」への着目という点でも示唆的です。

マレフォという貝殻でつくられた貨幣。結婚の際、夫方が妻の実家へ贈る

里見 マライタ島でアシの人たちと一緒に暮らすと、サンゴの「岩」を何千個、何万個と積み上げてその上に暮らしているという光景が、「岩」自体の非常に独特な存在感と共に迫ってきます。しかし、1960年代に同じマライタ島でフィールドワークをしたカナダ人の人類学者の研究成果を読んでも、「岩」やサンゴ礁のことが全然出てこない。アシの人たちが語る神話や儀礼の分析などが延々と続く。

目の前にゴロゴロと積み上げられた「岩」があり、その上で暮らす人々という風景が広がっているにもかかわらず、人類学者が研究対象を限定していた。ですから新しい人類学において、従来の人類学がうまく扱うことができなかったテーマを議論できるようになってきたということにかんしては、私は非常にポジティブに捉えています。

——そうして「岩」がきちんと視野に入るからこそ、アシの人々による「岩」の「死」をめぐる語りもまた耳に届くわけですね。

里見 生きていたり、逆に死んだりするように、アシにとって「岩」は独特な生命であるということが見えてくる。だからこそ、アシの人たちがこのまま「岩」で築かれた島々に住み続けることができるかどうかという生活の危機は、「岩」の生命という問題と実存的に結びつき、切り離すことができない。そしてそうした視座は、島は環境問題の深刻化によって沈みつつあるという語り方に象徴されるような、「科学的」な理解のもとで単一的に「自然」と呼ばれてきたものの位相をも揺るがします。

いずれにしても、アシの人々が今後どのような行動をとるのか、私にはわかりません。ひょっとしたら10年後や20年後、海上の島々にはもう誰も住んでいないということさえあるかもしれない。マライタ島で海に住む人々の調査で訪れた人類学者は私が最後、という事態を迎えることがないともいいきれない。逆に、まったく予想を裏切るような動きが起きて、海に住み続けているかもしれません。想像がつかないからこそ、これからも追いかけ続けなければいけないと感じています。

profile

宮田文久|Fumihisa Miyata
1985年、神奈川県生まれ。フリーランス編集者。博士(総合社会文化)。2016年に株式会社文藝春秋から独立。2022年3月刊、津野海太郎著『編集の提案』(黒鳥社)の編者を務める。各媒体でポン・ジュノ、タル・ベーラらにインタビューするほか、対談の構成や書籍の編集協力などを担う。