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ときに「孤独」について考えたり、あるいは世の中でなかなか聞き取られない「もうひとつの声」について思案したりする雑誌——。それがランニングカルチャーを取り上げるメディアだと、誰が想像するだろうか。2014年にロンドンでスタートした『Like the Wind』は、各地で規模で熱狂的なファンを持つ。国内では『Like the Wind』日本版として2023年に創刊され、私たちの世界に漂っている問題系を、ランニングを通じて柔らかなタッチで掬い取っている。その手つきはきっと、ランナー以外にも魅力的なはずだ。いやむしろ、ランナーではない私たちに向けられたものだとすら感じられる。 インタビュー連載「編集できない世界をめぐる対話」第23回のゲストは、『Like the Wind』日本版を手がける出版社・木星社の代表を務める藤代きよだ。同誌以外にも、人々の心身や社会のありようをめぐる、キラリと光る書籍を手がけてきている。見たことのない景色へとたどりつくこと、あるいは、ときに何かを見失いがちな私たちが自他を回復させながら、ふたたび新たな旅に出るようになっていくこと。藤代へのインタビューを通じて示唆されるのは、私たちが走り続けてきたステップとはまた異なる、オルタナティブな一歩の踏み出し方だ。
TEXT BY Fumihisa Miyata
PHOTO BY Kaori Nishida
——藤代さんが編集/発行人を務める『Like the Wind』日本版には、本稿のインタビュアーも時折執筆で参加させていただいていますが、ランニングを扱ってはいるものの、それに留まらない謎めいた魅力をもつ媒体だと思います。どんな姿勢で編集されているのか、すこしずつうかがえますか。
藤代 創刊号巻頭のEDITORS’S LETTERの書き出しでもあるのですが、「走ることと物語を読むことは似ている」というのが、自分が雑誌や書籍を編集するときの基本的な姿勢なんです。その文章では続けて、「自分なりの速度で一歩一歩を進み、1ページずつ読み進めていく。両方とも地道なものだ。だがそれを続けていると、目の前に広がる新しい景色が見えるようになる」と書きました。気づいたら全然知らない別世界にたどりついているというのは、走っていても物語を読んでいても共に味わうことだよな、と。
——走っていても読んでいても、見知らぬ地点に至るわけですよね。
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藤代 もちろん走るときと物を読んでいるときは、自分の身体のパーツとしてはそれぞれ頭と体という違いはあると思うのですが、本質的には同じことなのかも、と感じるんです。たとえば自分は年に1~2回、100マイルのトレイルランニングレースに出場します。とても長い距離ですが、1マイルずつ積み重ねていくと100マイルになって、気がついたらまったく異なる景色が見えるポイントに到達している。一方で、160ページの本や雑誌であれば——ランニングにかんする多くのストーリーを載せている『Like the Wind』日本版は毎号160ページ程度なのですが——1ページずつ読み進むうち160ページ目にたどり着いて、新しい世界の感触を味わいながら読み終えることになる。ずっとその道を進んだり、ストーリーそのものやそれを書いた誰かと長い間一緒に過ごしたりすることで、自分のなかの何かが変わってくる。走ったり読んだりするだけではなく、本や雑誌や何かをつくる場合でも、同じような体験をしていると感じます。こんな話を北海道のコーヒー屋さんにもしたら、「コーヒーを焙煎して、一杯を淹れることも同じような感覚だ」と言ってくれたこともあります。きっとそうなんだろうなと、その人とはとても話が通じ合いました。
——なるほど。それにしても、『Like the Wind』は、どういう雑誌だと表現すればいいんでしょうか。単にランニングカルチャー誌とすると取りこぼすものがありそうな気もしつつ、この記事をつくっているのですが……
藤代 書店さん向けのリリースなどでは、「ランニングというレンズを通してカルチャーを発信する雑誌」といった言い方をしています。それでもフレーズとしては長くて、よくわからないものになっているかもしれないのですが……(笑)。スポーツの棚というよりも文芸誌やカルチャー誌の棚に置かれていることが多いです。
——日本版は、『Like the Wind』英語版の記事と日本版オリジナル記事がまざったものになっていますね。たとえば第4号「もうひとつの声」特集には、イングランドの田園地方を走るときの詩的な跳躍感について書かれた記事や、著述家として有名な神経/精神医学者オリヴァー・サックスの「患者と“共に共感”する」ことをめぐる文章など、幅広い文章が掲載されていますね。第2号「長距離走者の孤独」特集の目玉は、カリフォルニア州の刑務所内にあるランニングクラブのドキュメントです。
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藤代きよ|Kiyo Fujishiro 京都市生まれ。出版社・木星社代表。コンデナストやハースト婦人画報社、Paramount、SONYなどを経て、2021年に木星社を設立。刊行物は『Like the Wind』日本版、『ほんとうのランニング』『チャンピオンへの道』『アメリカを巡る旅』『ニュー・ダイエット』『スタジアムの神と悪魔』など。同社のポッドキャスト「Thursday」も手がける。ランナーとしては「Mt.FUJI 100(旧UTMF)」などのロングレースに出場。
藤代 『Like the Wind』の本国のコ・ファインダーでエディターであるサイモン・フリーマンと、最近よく話していることがあります。それは、『Like the Wind』はロングフォーム・ジャーナリズム誌なのではないか、ということなんですね。
——たしかに、写真やイラストなどのグラフィックが充実しつつも、基本的には長文も読み物=ストーリーが連なる構成になっていますね。
藤代 そうですね。サイモンとも話しているのですが、昨年からの世界的な政情や、SNSなどのプラットフォームやフェイクニュースをめぐる動向を見るかぎり、ロングフォームというかたちがもつ力、そこで発揮されるリアリティやストーリーテリングの力というものは必ず今後も必要とされるから、この方向でいいのではないか、と。読者の方からいただく反応としても、「ランニングにかんするメディアでいままでにこういうものはなかった」「こうして長い文章をきちんと読むのもいいですね」というようなご感想をよくいただくので、今後ともこうしたメディアが必要とされる局面は多くあるのだろうな、と確信しています。
——そうした編集観とランニングの結びつきは、改めて興味深く感じます。そもそも藤代さんは、いつ頃から走りはじめたのですか。
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藤代 ランニングをするようになって、いま10年と少し経ったぐらいではないでしょうか。2013、14年くらいから走りはじめたと思います。
——いまや100マイルのトレイルランを完走されるにしては、比較的最近のスタートなんですね。
藤代 高校まではサッカー部でしたが、大学で遊んでしまって何も運動をやらなくなり、20代は特になにもせず……体力の貯金を使い果たして30代を迎え、健康診断の数字もわるくなってきて慌てて走りはじめたという、よくあるパターンです(笑)。そこまで本格的ではなかったのですが、友人にトレイルランニングに連れて行ってもらって深みにはまっていったのが10年と少し前ですね。
面白いのは、年をとるごとにスピードなどのフィジカル面での伸びはなくなっていくのに、距離や長いレースで「やりくりする力」を含めたエンデュランス(忍耐)の方向性や「むつかしいこと」をやる楽しさがどんどん増してくる、ということなんです。100マイル走るとなれば、フィジカル面であろうとメンタル面であろうと必ずトラブルが起きるのですが、そのトラブルをうまくやりくりする総合力のようなものが大事になってくる。単にスポーツ的な要素だけではなく、ほとんど人生経験にもとづく人間力、みたいな世界になってくるんだと思います。同い年で、尊敬するランナーであり、ウルトラトレイルのコーチでもあり、『Like the Wind』日本版でも度々取材している井原知一さんを見ていると、走ることだけではなくて、人としての力がほんとうに凄いです。
——そうなんですね。トラブルありきで、なんとかペースを保つように試みる、と。
藤代 自分自身100マイルのレースを年に1、2回走る一方で、『Like the Wind』日本版の刊行ペースも、おおよそ年2回なんです。走る前に最新号を出して、走った後に次の号を出して、また走る前に出して、後に出して……というペース配分ですね(笑)
——なるほど(笑)。『Like the Wind』日本版を手がける前、そもそも木星社という出版社を立ち上げるきっかけについて、うかがえますか。
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藤代 すこし遡ると、前職ではコンデナストという出版社で、雑誌のコンテンツを起点にした映像やデジタル面などのメディアビジネスをはじめとしていろいろ担当していました。それまでにも出版社やウェブメディア、映像メディアで仕事をしてきていたのですが、コロナ禍をきっかけにして、「書籍をきちんと手がけたことってなかったな」と思いまして。独立して、本をつくるからには会社も立ち上げようと、2021年に木星社を設立したんですね。その年の末、木星社として最初の刊行物が、マイク・スピーノ『ほんとうのランニング』(近藤隆文訳)でした。
——帯には「マインドフル・ランニングの名著、初邦訳」とある、原著は1970年代に刊行されたバイブル的な一冊です。
藤代 その後に、マイク・スピーノの先達にあたるランニング・コーチ、パーシー・セラティの『陸上競技 チャンピオンへの道』(近藤隆文訳)や、アメリカ南部を駆け巡って自分たちのいる世界の姿を確かめていく、リッキー・ゲイツによるフォトドキュメント『アメリカを巡る旅 3,700マイルを走って見つけた、僕たちのこと』(川鍋明日香訳)などを手がけていきました。
——ヴィーガンブランド「ULTRA LUNCH」のドミンゴ氏による『ニュー・ダイエット 食いしん坊の大冒険』や、ウルグアイの作家による文学的ジャーナリズムに貫かれた一冊、エドゥアルド・ガレアーノ『スタジアムの神と悪魔 サッカー外伝 増補改訂版』(飯島みどり訳)なども手がけておられますね。こうした書籍に加えて2023年から雑誌『Like the Wind』日本版も……というのはどのような流れだったのでしょう。
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藤代 すこし遠回りした話になるのですが、2025年に邦訳を刊行予定の、バークレー・マラソンという過酷なトレイルレースにかんするフォトドキュメンタリーがあります。テネシー州で開催されているのですが、これまでの大会でも僅かな人数しか完走者が出ていない……そんな厳しいレースを追った、フランスの版元「Éditions Mons」が出しているドキュメントです。その英語版を出しているロンドンのテームズ・アンド・ハドソンという出版社と交渉しているときに、もう一冊、別のトレイルランニングの写真集もあるよと紹介されて、それを手がけていたのが、同じくロンドンを拠点にした『Like the Wind』英語版のチームだったんですね。その写真集は木星社で権利は取得しなかったのですが、むしろ彼らが刊行している雑誌のほうに興味があるんだけど……と、連絡をとりあうようになりました。
——偶然のつながりだったんですね。
藤代 『Like the Wind』という雑誌は、日本国内でも輸入雑誌を置いている書店で手に取っていましたし、優れたテクストやビジュアルに魅かれていました。ランニングを通じて現代的なテーマを追いかけて、いろんな国や地域にもアプローチしながらそれを毎号編集していくという、なかなか日本のスポーツ雑誌ではないタイプのメディアで、すごくいいなと。ただ日本のランニングのストーリーは当時の英語版にはほとんど掲載されていなかったので、日本語版をつくってそのコンテンツをシェアし、英語版にも掲載して……ということができれば彼らにとっても面白いだろうし、やってみませんか、と相談したんです。英語版チームも喜んでくれて、一緒に進めながらいまに至る、という感じですね。ちなみに日本語版の創刊号には、「世にも奇妙なトレイルランニングレース、バークレー・マラソンズの片鱗」という記事を掲載していますし、井原知一さんがこのレースを走る様子もフォトグラファーの藤巻翔さんの写真と共にレポートしています
——経緯がよくわかりました。ちなみに「新しいランニング」「長距離走者の孤独」「南へ」「もうひとつの声」といった、ものによっては一風変わった特集テーマは、日本語版で独自に設定しているのでしょうか。
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藤代 はい。英語版は、海外の文芸誌などでよくあるように、まったく特集テーマを設けていないですね。日本語版では、読者の皆さんにとってすこしフックとなるものがないと読みづらいかなと思って一応特集テーマは設定しているんですが、そこまで厳密なものでもないんです。こういう視点で読んでいただくと、この号は全体的に面白く読んでもらえるのでは……というぐらいの感じですね。
実は毎号、他の本からいろいろとインスピレーションを受けているんですよ。創刊号の「新しいランニング」は、走ることの喜びを生き生きと語ったマイク・スピーノの『新しいランニング』と、あと哲学者ハンナ・アレントの『暗い時代の人々』ですね。第2号の「長距離走者の孤独」は、まさにアラン・シリトーの同題の小説(新潮文庫)などから発想しています。実は毎号巻頭のEDITOR’S LETTERを読んでいただくと、だいたいテーマの元ネタはわかるんですが……(笑)
——私たちが普段、象徴的な意味合いにおいて「北」という価値観に縛られているとすれば、そうではないオルタナティブな価値を探ろう——というような趣旨の第3号「南へ」特集では、小説家・柴崎友香さんが偶然性と他力を語るエッセイ集『あらゆることは今起こる』(医学書院)の一節が引かれていますね。
藤代 そうですね。第4号の「もうひとつの声で」特集は、心理学者/倫理学者キャロル・ギリガンの『もうひとつの声で 心理学の理論とケアの倫理』(風行社)にインスパイアされつつ、EDITOR’S LETTERではトーベ・ヤンソンのムーミンシリーズを参照してもいます。ランニングは好きですから、対象として普段から長い時間考えているので、それ以外のところで目に触れるいろんなものとの関係性を踏まえて発想するようにしています。ランニングとそれ以外の領域を行ったり来たりしているところがありますね。走る自分や仲間たちが都市や自然、社会に関係しながら日々を過ごしているので、いろいろな関係性をもとに考えるようになりました。
——ランニングの外に開かれたテーマ設定の所以がわかりました。
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藤代 ただ、テーマを設けるとしても、「これが次のトレンドだ」というような打ち出し方はしていないんです。そもそも、プロダクトレビューやレースレポートといった類の記事はほとんどやっていません。あくまでランニングというものが、それ以外に何と関係しているのか、みんなで考えてみようという感覚でつくっているところがあります。たとえばこの取材場所の周辺を走るだけでも、信号で止まるときは安全性や道路交通という法律と関連することになりますし、歩行者とすれ違うためにスピードを落とすときは、安全面はもちろんもうすこし広い意味での社会的な配慮の話になりますよね。そうしてすれ違う人のなかにも、近年の都心ではインバウンドの方が多くいるので、ランナーとしてもその風景からツーリズムや都市の風景についての意識がめぐる瞬間もある。
——走っていると、天候などにも敏感に反応していくことになりますね。
藤代 フルマラソンのタイムでサブスリー(3時間切り)するためのハウツー、というような情報は既にたくさんあります。それはもちろんやり甲斐のあることですが、一方では、ランニングには他にも語り尽くせないくらいの魅力があると思っているということなんです。歩くよりも速く、しかも長い距離を走るなかで、私たちが体感することの総体は、実はものすごいものがある。そうしたなかに、近年ランニング界でも注目が集まるようになっていますが、夜に女性ランナーが安心して走ることができる環境をどのようにつくっていくのか、という社会構造的な問題などもあります。ランナーとして考えたほうがいいことは、いっぱいありますよね。都市でもトレイルでも。
——『Like the Wind』は、ランニングが特に白人/男性に特化して発展してきた歴史を、きちんと捉え返そうとしているところがありますね。
藤代 英語版を手がけるサイモン・フリーマンたちの問題意識のなかに、そうした内省的な視点は強く根づいていると思います。そうした社会的な問題があると同時に、ランニング自体も決してひとつではないわけです。ロードで行われるマラソンもあればファンランもある、シティランもあればトレイルランニングもあるし、旅をするように走るランニングもある。他にもたとえば「The Speed Project」という、ロサンゼルスからラスベガスまでの340マイルを、2日間6人でリレーする、日本の駅伝のもっと長距離のバージョンのようなレースも存在します。あるいはストリーク(streak)という、たとえば1日1マイルだけを延々毎日走るというようなランニングのかたちもある。日本であれば、比叡山延暦寺の千日回峰行も、こうした走る営みのひとつとして捉えることもできるかもしれません。
——たしかに、走るといっても、一言では括れませんね。
藤代 もちろん、繰り返しますが、走ることのシンプルな心地よさというものはたしかに存在するので、大事にしたい。気軽に一歩を踏み出す楽しさです。他の趣味でもそうだと思うのですが、走ること自体が楽しいし、うまく走れたら嬉しい、ということは確かにある。砂場で遊んでいる子どもに「砂場で遊ぶ目的は?」とは聞かないじゃないですか。目的に向かっていく手段として砂場があるのではなくて、ただただ楽しいから遊んでいる。そうしたシンプルな喜びは大切です。好きなことは変わらないし、楽しい、美しいと感動することに「目的」や「ゴール」や「理由」はいらないのではと思います。と同時に、たとえば子どもが成長していったら他の子どもや学校などとかかわっていくように、そこには必ず社会が関係してくるところもある。そのなかでどう人やコミュニティとつながりながら過ごしていくのか。こういったバランスは、これからも考えていきたいですね。
——『ほんとうのランニング』のマイク・スピーノは、そうした走ることのバランスを生きた人という気もしますね。「初秋の夕暮れどきに走ると、涙が目に浮かぶことも少なくない」とか、「この身体は自分のものだが、広大なひとつの存在(ワンネス)のなかの一部かもしれ」ないという、神秘性に寄っていくあたりはスピリチュアルな危うさも感じますが、しっかりトレーニング法も書かれていますし、社会における走ることの位置にも意識的なようには見えます。
藤代 昨2024年の末に残念ながら80歳で亡くなられましたが、走ることの喜びを大切に、そして真面目に伝えた人でした。1970年代のヒッピーカルチャーの只中を生きた人でありながら、何人もの一流のアスリートを育てた優れたコーチでもあり、その意味ではバランス感覚に優れた人だったといえるかもしれません。
こうして話してきて、編集者として改めて思うのは、物語のように、答えは明示せずに半分は読者に託したいということですね。小説家は結論を出さないけれど、たしかに作品は書いていて、その物語が読者一人ひとりのなかで異なる意味合いを帯びていく。雑誌や書籍をつくることは、そのようにして、自分が手がけたものをそっと手渡していく感覚に近いんです。ポッドキャストもやっているんですが、あえて言葉にならない一瞬の空白や揺らぎも大切にしたいですし、雑誌や書籍、音源などを通じて、一年なら一年という時間の流れのなかで、走ることをめぐるさまざまな感覚が伝えられたら、と思っています。フォトグラファーの山田陽さんと毎月つくっているフォトグラフィー・シリーズでは、真正面からポートレートだけを撮り続けていて、言葉ではなくある一人のランナーの写真から何かを感じ取ろうとするようなトライもしています。
——インタビュー時ではちょうど『Like the Wind』5号目も準備中とのことですが、今後の取り組みとして考えていらっしゃることはありますか。
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藤代 まだ明確ではないんですが、新しい号で取り組もうと思っているのは、リカバリーやケア、レジリエンスといった、心身の回復をめぐる領域の話なんです。
——これまでもメンタルヘルスや不安障害を語る記事はありましたね。他にも、自分の写真をSNSにアップすると必ず体型についてコメントがつく、とか。
藤代 そうした過去の号の関心も踏まえつつ、アプローチの仕方は悩んでいるところでして……走ればフィジカルも鍛錬されるし、マインドフルにもなるということは、よくいわれることじゃないですか。あるいは走って速くなる爽快感やレースを存分に楽しむことも貴重なことだと思います。でも、そうではなくて、楽しいことに加えて、悲しいこと、喜怒哀楽やアップダウン、それと関連する人間関係やシステムとの関係、というようなことはずっとあるとすると、そういうことはなかなかランニングやスポーツの世界では言語化されてこなかったものなのではないかと思います。体操のシモン・バイルズやテニスの大阪なおみが自分の言葉で語りはじめて、ようやく認識されるようになってきた、ということなのかもしれません。
——たしかにランニングも含めて、運動を通じた心身の達成感だけではない何か——失うこと、再生していくこと、そうした過程を経てより豊かな体験をしていくことの意味合いは、爽快さや競技性のなかで霧散してしまいがち、という気もしますね。
藤代 「ランニングってマインドフルになることができていいよね」という話のもうすこし奥にあるはずの、いろんなかたちのストーリーをみんなで語る場にしたい。そのときの言葉は、やっぱり文芸的なものなのだと思います。
——より広くリカバリーやケアをめぐる文脈を考えてみても、自己責任的に各自が心身をととのえてあとは働け、という方向ではない道を見てみたいです。
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藤代 回復のためのノウハウを自分で知っているかどうか、トレーナーが付いているかどうかが勝負になってしまっても、おかしな話ですよね。これからのランニングのコミュニティというのは、そうではない、横でのさまざまなつながりのなか、コンベンションとは対極の世界観において立ち上がっていくはずだ、という気はしています。
一方で、心身が大事だということだけがイデオロギー的になったり、コマーシャリズムとして拡大していったりするのもおかしい。そこにある手触りとか、さまざまなバリエーションがあるストーリーをひとつひとつ、丁寧に文字にしていかないとだめだろうな、という気はしているんです。ランニングが楽しい、心地いいということはわかったとして、その先を深掘りするとどういうことになるのかな、と考えを巡らせながら、次号の準備を進めているところです。走ることも読むことも、つくることも含めて、いいときもそうでないときも、どうやったら良いバランスでみんなで過ごしていくことができるのだろう、そのグラデーションをどんな言葉で表現するのが良いのだろう、そんなことを考え続けているような気がしています。
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宮田文久|Fumihisa Miyata
1985年、神奈川県生まれ。フリーランス編集者。博士(総合社会文化)。2016年に株式会社文藝春秋から独立。2022年3月刊、津野海太郎著『編集の提案』(黒鳥社)の編者を務める。各媒体でポン・ジュノ、タル・ベーラらにインタビューするほか、対談の構成や書籍の編集協力などを担う。
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