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具志堅幸太に聞く、ニットの緩さと自由であること——連載「そこから何が見えますか」11

「ニットというのはやろうと思えば糸の開発からできるので、オリジナルの糸を作って、その糸をもとにどんな編み方でもできる。二次元の柄も作れるし、グラフィック的なパターンや、凹凸のある柄もできる。三次元に、彫刻に近いものも作れて、かたちも好きなかたちが作れて、となると、メチャクチャ自由なんですよね」

Interview by Sumiko Sato
movie by Shingo Wakagi

具志堅幸太さんのブランド、「Kota Gushiken」のニットを1枚持っている。風神雷神が図案化されて編み込まれていて、とても気に入っている。いわゆるハイブランドと呼ばれるものなのだろうが、包容力があり、私も着ていいんだな、と思わせてくれる。そしてクスッと笑ってしまうようなユーモアを感じる。クスッと笑える服って、そうあるものではない。2024年春夏のコレクションで「TOKYO FASHION AWARD」を受賞したこのブランドを作っているのは、日常とファッションとの両方を跨いで立ち、迷いながらも真剣に脱力している、まさにニットのように柔らかで温かい人なのだった。
 

——記事に顔は出さないということもあり、表に出るのが好きじゃないのかな、という雰囲気を感じていました。そして、すべてひとりでやっていて、ブランドをあまり大きくしたくない、と話していらっしゃるのも読みました。ご自身のブランドについて、どんなことを優先してやっていきたいと考えているんですか?

具志堅 それで言うと、いま、ちょうど変換期です。大きくしすぎたくはない、というのはあるものの、いろいろなことがひとりじゃ無理になってきていて。で、ちょうど人を入れようかな、と……

もちろん仕事としてファッションデザインが好きですし、ずっと続けていきたいなと思っているんですけど、この前の展示会が終わったぐらいから、違うことをやってみるのはどうなのかなと、思ったりもして。でも、もっとちゃんとブランドを、ものづくり的にも経営的にも強くしてからじゃないと駄目だな、と思って。それで、もうひとりじゃ無理になってきたから、ちゃんと人を入れようか、と。いままでは会社外の人、例えば工場さんとかニッターさんとか、あとお世話になっている方たちに頼りながらやってきていた部分があって。これからも沢山お世話になると思うのですが、それ以外に自分の会社としてもちゃんとチームを作りたいと思っています。このあいだ、将来的に長いスパンで就職していただけるぐらい本気の方を探して、インターンを募集しました。

——応募は来ましたか?

具志堅 けっこう来ました。20人以上。それで7人ぐらいとお会いして。ひとりは海外に住んでいたのでオンラインでしたけど、もう決まりました。今後いろいろ動きだします。やっぱりひとりでやるのと複数人でやるのとはちょっと違うと思うので、楽しみでもありますが、どうなるのかな。ずっとひとりでやっていたし、会社員をしたこともないので、会社ってどういうものなのかというのも分からない。常に人と仕事はしてますけど、空間としてはひとりで使うことが多かったので。

——いま、デザインからものづくり、販売や経理まで、ほんとうに全部ひとりでやってるんですよね。

具志堅 そうなんです。

——1日の過ごし方は、というか1年の過ごし方なのかもしれないですが、どんな感じなんですか?

具志堅 ほんとうに時期によって全然違って。展示会が終わって、まずはオーダーいただいた数をまとめて、それを工場さんとかニッターさんに発注して。時と場合によっては糸も作ったりもします。

それがひと段落したら、今までは2カ月ぐらいはアートの展覧会を見に行ったりとか友だちの展示会を見に行ったりとか、インスピレーションという名のもと、遊びまくるという期間がありました。ニートのように。時々仕事もしますけど、基本的にそういう感じで。で、その数カ月の間にためたものを、次のシーズンにバッとデザインにして。そのリサーチ期間みたいなものなので。リサーチ期間で見聞きしたものとか、面白いなと思ったことをデザインに落とし込んで、展示会をして、オーダーして、また次、みたいなことが多かったんです。でも、AW24の時、初めてパリに持っていって、それでパリのタイミングに合わせなきゃいけなかったので、2カ月前倒しになったんです。なので、その2カ月がまるっとなくなって。

 

——インプットの2カ月がなくなっちゃった。

具志堅 そうなんですよ。それでこの1年間ずっとタイミングが崩れていたんですけど。この間のSS25の展示の後、ようやく、1年半越しぐらいに、仕事ではない時間が久々にあって。待ちに待ったという感じで。それが今、終わりかけて、次に向き合わなきゃなというタイミングです。

——パリはどんなでした? 

具志堅 パリは展示会だけやりました。高校を出てロンドンに行っていたので、日本以外に海外でもいつかは売りたいなとずっと思っていて。むしろ向こうに居る時はそっちのほうが自然だという感覚でしたから。日本に帰ってから、まずは日本で作る背景を持って、できあがったものをちゃんと日本で売って、という基盤を固めようと思って。で、いつか日本以外でも売りたいなと思っていたんですが、SS24の時に、海外に持っていきたいなとふと思いました。この数字に届いたらというようなことは何も決めてなくて、ほんとうに感覚で、次、持っていこうと思って、それで持っていったんです。

持っていく前から何となくそうだろうなと思っていたんですけど、海外のお店からしたら知らない極東のブランドにたくさん人が来てくれるわけでもなく、売り上げがメッチャ急に伸びるわけでもなくというのが、正直あって。ただ、長い目で見た時に、今のようなものづくりを、強度をどんどん上げながら、この雰囲気は壊さずに続けたい、お客さんの数を増やしていきたいなと思うと、もう国内を増やすよりは、世界は広いので、同じように「面白いね」って思ってくれる人を日本以外でも探したいなと思った。国内に関して言えば増やすというよりかは深めたいなと思っています。それで長い目で見た時には、今のこの踏ん張り時を超えて頑張ってよかったなと思えるようなところまで行きたいなと思います。でも、現実的にずっと売り上げが伸びなかったらそれはたぶん倒産を意味するので、そこのバランス感は保ちながら、やりたいことはやりつつ、ちゃんと数字的にも強くしていかなきゃなという、今、タイミングです。

——ブランドを始めて5年経ったんですね。

具志堅 はい。

——ものの作り方というか、発想して作ってという感じはずっと変わらないですか。

具志堅 そうですね。むしろ始めた頃は、こういうのやりたいけど、どうやって作ればいいか分からないとか、どこで作ってもらえばいいか分からないみたいなのが多かったのが、ちょっとずつ作れる工場さんとか人たちとつながりだして、最初の頃よりもできるものが増えた感じがあります。それはありがたいですし、ノリは変わらないまま強度はちょっとずつ上がってきているような感覚があるので、うれしいし、楽しいです。

緩さ、いびつさ、独特なゆがみ

——自分のブランドの特徴はどんなところだと思いますか? 

具志堅 いまのところニットだけでやっている、ということがいちばん分かりやすいのかな。ニットというのはやろうと思えば糸の開発からできるので、オリジナルの糸を作って、その糸をもとにどんな編み方でもできる。二次元の柄も作れるし、グラフィック的なパターンや、凹凸のある柄もできる。三次元に、彫刻に近いものも作れて、かたちも好きなかたちが作れて、となると、メチャクチャ自由なんですよね。絵で言ったら絵具から作れるみたいな感じで、しかもそれが三次元にもできるので、すごく僕は自由な媒体だなと思っていて。それがすごい楽しいですし、それをどんどんやっていく中で、たぶんそこがうちのブランドの一つの独自性になっているんだろうなと思います。

 

——初めの頃から「ちょっと変」とか「ちょっと面白い」とか、「思いっきりくだらないことをやる」というようなことをポロポロと語っていらっしゃいますけど、その辺はもともとの性格というか、自分にとって自然な感じなんでしょうか。それとも、表現していく中で考えてきたことなんでしょうか。

具志堅 どうでしょうね。単純に楽しいことが好きというのもありますし。ファッション以外のジャンルのものを見ていて、映画とかアートとか音楽とか聴いていて、ちょっと「何これ、変だな」みたいなのが気になる時も多いです。でも、超王道な超美しいものも好きですし。そのバランス感というのが、たぶん時期によってもその日によってもシーズンによっても変わってくるので、自分の中の好奇心がそそられるものの範疇をちょっとずつ広げていっている感覚はあります。

© Kota Gushiken

——私が今着ている、この風神雷神の柄のニットも、なんだかちょっとおかしいんです。何なんでしょうね。この、図柄が平面になっている感じがおかしいんでしょうか。

具志堅 そうだと思います。あと、ニットってグリッドで柄を書くことになるので、どうしても崩れるんですよね。なので、どれだけきれいな絵をもとに描いたとしても、ニットにしたらちょっと崩れて、その崩れ具合が面白い、みたいなところにつながっている気がします。

——自分で着てると、なんだかニヤニヤしちゃうんです。なかなかそういう服ってないな、と思って考えていたんです。なんだかおかしいけれど、これは何なんだろう、って。ふざけて作ってるわけではないんだし。

具志堅 本気で。

——ニットというものには、そういう隙間があるというか。

具志堅 それは絶対あると思います。

——実際、編み目の隙間がありますね。

具志堅 プラス、例えばメンズのスーツのテーラリングとか、ミリ単位で作っていく洋服もたくさんある中で、ニットって一目が数ミリで、伸び縮みもしますし、ミリ単位のデザインというのはほぼ不可能なんですよね。なので、そこの細かさを捨てるがゆえに、緩さが出て、そこが逆に面白みになる服でもある。それとか、メッチャでっかい編地のやつとかは、一目がこんな数センチ数センチなので。それがさらに何十目、何百目、何百段とある中で、着ていったら伸びるというのを考えると、メンズのテーラリングとは真逆なよさというか、緩さがあるかなと思います。その中で、逆にジャケットを作ってみたらどうなるんだろうと思って、ちょっとやってみたりもしました。

© Kota Gushiken

——このニットのデニムもおかしいですよね。ニットが、構造的により自由だということはあまり考えたことがなかったです。学生の時は、非常に厳密なものと、両方あったわけですよね。学校では幅広く基礎を勉強するんですか? それとも最初から好きなものを選ぶんですか?

© Kota Gushiken

具志堅 大学(*ロンドンのセントラル・セント・マーチンズ)の学部自体は3年間あるんですけど、その前に1年間、基礎コースというのがあって、それはファッション以外も全部やるんですよ。その1年目の最初の半年間で、グラフィックとか絵とか写真、建築、ファッション、インダストリアルデザインとか、いろんなことを1週間1プロジェクトとか2週間1プロジェクトぐらいの単位でパッパッパッとやっていって、その中で自分に合うものとか強いものを選んで、後半の半年間はそれに特化して勉強して。で、それで作ったポートフォリオをもとに大学をもう一回受験し直すんです。なので、1年目が終わったタイミングで僕はニット科とプリント科に応募して、それでニット科から合格をもらったのでニット科に進んだという感じです。

——ニット科には、何か「ここだな」と思うところがあったんですか?

具志堅 卒業生で、作品が好きな人がニットとプリントに多くて。でも、ニットと布帛(ふはく)、こういう織り物との違いも分からないまま応募したんですよ。今になって思うと、たぶんさっき言ったみたいな緩さだったり、いびつな感じとか、独特なゆがみとかが好きだったんだろうなと。

——自分の作品はきっとぜんぶ好きなんだろうなという感じがしますけど、特にこの作品はすごく気に入ってる、というのはありますか?

© Kota Gushiken

具志堅 はい、この富士山もすごい好きです。これは朝の富士山で、夕方と夜で色展開していて。これはすごい好きです。

——もともと富士山が好きだったんですか?

具志堅 富士山は、もともと普通に。やっぱり日本の象徴的な山じゃないですか。日本に帰ってすぐ、まだブランドを始めるって決めてない時に、一回就職したくて、中国の先輩のブランドで就職しない?と言われて、「やりたいです」って言ったんです。そうしたらビザ待ちで1年間日本で時間をつぶしてって言われて。それで日本に帰って1週間後ぐらいのタイミングに伊勢丹さんからメールをいただいて。「新しいコレクションありますか?」と言われて、「ないです」と言ったら、「作ったら売りますけど、作りませんか?」と言っていただいて。で、ちょうど1年間、日本で時間をつぶさなきゃいけなかったので、最高なご縁が来た、と思いやらせてもらいました。

 

その時、日本に6年ぶりに帰ってきたので、たぶん外国人的な感じで日本を楽しんでいたんです。いろんなものが新鮮に見えて。その中で富士山も、やっぱりすごいきれいだなと思って、小っちゃい富士山の柄のセーターをデザインしたんです。そうしたら、伊勢丹の当時のバイヤーさんに「これはちょっと日本人からしたら日本的過ぎて売れないと思うよ」と言われて作れなかったんですよ。で、ちょっと自分の中で残っていて、いつか富士山をまたやりたいなと思っていたタイミングで、2022年の1月1日に実家の家族とみんなでお参りに行って、そこから解散して、僕は東京の家に帰ってきた時に、世田谷に住んでいるんですけど、家の近所でよく通るところでみんながすごい写真撮ってて、「ん?」と思ったら、メッチャきれいな富士山が見えて。

——世田谷で。

具志堅 はい。それが1月1日だったので、今年はいい年になりそうだなと思って、富士山をセーターにしようと思って。それでやりました。

——いいな。でも、伊勢丹のバイヤーさん、さすがですね。なぜそんなタイミングで。

具志堅 向こうに居る時に、英語のインタビューをけっこう受けてたんですけど、1個だけ日本語のインタビューをメールベースで受けさせてもらって。それが出たタイミングと僕の帰国のタイミングがかぶったんです。それを見て、ということでした。

すごく相反するのを行ったり来たり

——今、「自己紹介と整理整頓」というテーマでやっていますね。「自己紹介」というのはだいたいわかるのですが、「整理整頓」のことを教えていただけますか?

具志堅 「整理整頓」はAW24のテーマです。さっき言ったみたいに、SS24の展示が終わってからすぐAW24を作らなきゃいけなくて、ほんとうに何もできないまま、すぐ移行したんです。なのでアトリエが散らかりすぎていて、これは駄目だと思って。

——ここ?

具志堅 ここです。で、一回掃除したんですよ。ガッツリ。家具の場所とかもちょっと変えたりして。そうしたらすごいスッキリして、っていうのがまずありました。あと、自己紹介をするために、今まで学生の頃から作った作品を全部見返していて、その中で、自分のデザイナーとしての強みとか、もっと改善できる点とかっていうのを自分なりに整理整頓して。それが、唯一やった次のシーズンに向けてのプロセスだったので、それってある意味同じことを空間と自分の作品でやっていたなと思ったので、テーマにしてしまえという感じです。

——そこで感じた自分の強みは何でしたか?

具志堅 やっぱり柄とかの力の抜け具合とか。あと、意図してる時もあるし、意図してない時もあるんですけど、変な緩さとかいびつさ。あと、色はけっこう大事だなと。好きですし。色合いを考えるのも好きですけど、やっぱり色味というのはうちのブランドにとってすごく大事だなと思った。そしてやっぱりニットのよさがいいなと思いました。

——あらためて好きだなという感じですか。

具志堅 そうですね。好きです。

——ニットからは当分離れずに行きそうですか。

具志堅 ニットは絶対ずっとやり続けるんですけど。でも、ニット以外の服もいつかはちょっと作ってみたいな、とは思ったりします。昔一回、アーティストの友達に誘われてアートの展示をコラボで作ったことがあって、京都で展示したんですけど、すごい面白くて。ファッションってどうしても、経営とクリエイティビティの両方を考えながら作らなきゃいけないジャンルだと僕は思っていて。もちろんガン無視して作りたいことをやって、作品としてやってそれで一着も売れなくてもハッピーであればいいんですけど、僕はそこは両立したいなと思っているので。

でも、そうやって行くと量産をしなきゃいけなくて、量産できるテクニックの中で面白いものを突き詰める能力がワンシーズンごとにどんどん強くなっている気がするんですけど、その過程で「これ、量産できないよね」といって捨てている部分があって。それが例えば10%だとしても、ワンシーズンに10%だったら、今、6年目で、SS25が12シーズン目だったので、もう120%ぐらいたまってきていて。で、ふとこのあいだ立ち止まった時に見てみたら、「メッチャ捨ててるじゃん」と思って。「こっちも何かやりたいな。かわいそう」と。で、それを発表する場所があったら面白そうだなと。

 

そっちはほんとうに売り上げとか一切気にせずにというか、何なら売り物じゃなくてもいいから、何かやるのがあってもいいかなと思って。でも、ブランドのほうのクリエーションとビジネスをもうちょっと強くしてからじゃないと、両方ゴチャゴチャになって終わりそうだなと思ったので、まだ。

——ちょっと話はそれますけど、ニットの服がデザインから商品になるまでの過程をよく分かってないんです。この編み機でスケッチのようなことをされているということだったんですけど。その後、形になって店に出るまでには、どんなプロセスがあって、どんな人が関わるんですか?

具志堅 いちばん最初にアイデアがあって。それはこの編み機で試しで編むこともあれば、絵で描くこともあるし、何なら言葉だけで伝えることもあります。最初は編む前のアイデアがあって、「これをやったらどうなるんだろう」というので、自分で編めるものの場合は編み機とか手編みで編んでみて、「あ、こうなるんだ」というのを確認するんです。それが自分で編めないテクニックの場合とか、工場さんとかニッターさんに編んでもらったほうが早い場合は、「こういう編地を一回編んでいただくことはできますか?」といって試編みしてもらう。

で、それを見ながら同時並行でかたちをどうしようというのを考えて。かたちのデザインを決めたら、パタンナーさんに「たぶんこういう編地でこういう糸で、これぐらいの分厚さでこういうかたちにしたいです」と言って、パターンを引いてもらって。そのあいだに編地は進めておいて。さらに言うと、編地の前に糸を選ぶ段階があるので、糸をどういう糸でどれぐらいの……例えばウール100なのかコットン100なのかとかっていうところから、色とか、ウールにも硬いウールもあれば柔らかいウールもあって、どういったバランスの糸でどういった色合いでというのを考えながら糸を決めて、それを編んでもらって。

で、さっきの試編みの段階で1発で行くこともあるし、何往復もして、もっとここの……例えばモナ・リザで言ったら、「目がちょっとでかすぎるので、もうちょっと小っちゃくしたい」みたいな。それを言葉で言うこともあれば、試編みをスキャンして、整形手術みたいにその上に描くこともあれば、あとは工場さんのパソコン上のグリッドのPDFを送ってもらって、そのグリッド上で僕がやることもあるし。モナ・リザで言ったら顔ですけど、例えばこの編地で言ったら、ヘリンボーンが崩れているというヘリンボーンなんですけど、その崩れ具合が「ちょっとまだきれいすぎるので」とか、「ちょっと汚すぎるので」とかっていうのを、絵とか言葉とかでやって。

そうこうする中で最終的な編地が決まったら、パタンナーさんに作ってもらったかたちを、それもトワルといって、本番の編地ではない普通のジャージみたいなのでかたちだけ作って、かたちのチェックをして、そこも何回かやり取りして。例えば「ここの長さを修正したいです」みたいなことで、かたちを決めたら、最後、パタンナーさんが作ってくださった型紙に合わせて僕がデザインしたデザインを乗せたデザインを工場さんに渡して、工場さんがそれを編んで、組み立てて洋服にしてくれる。それがファーストサンプルと言われるものです。そこからさらにまた修正する場合は、例えば伸びすぎちゃっているのを短くしたいとかっていうのを修正して、あと、モナ・リザの顔が服にしたら意外とでかく見えちゃったから小さくしたいとかっていうのを、やる時間がある時はそれをやって。で、サンプル完成っていう流れです。

——それで、展示、そして受注。

具志堅 はい。

——工場は日本ですね。一つ一つは小さい工場ですか?

具志堅 工場によりますね。家族経営でやっている工場もあれば、社員数が百人弱のところもありますし。

——今、展示会に出されている服は、受注さえあれば何枚でも作れるんですか?

具志堅 まず手編みとかは、100着ぐらいまでは行けると思うんですけど、300着とかになると、ちょっと国内のニッターさんだけだと厳しくなってきて。手編みでそこまで数が付くと、国内のニッターさんがメチャクチャ頑張るか、海外と分担するかということになります。手編みはやっぱりちょっと売れすぎても困るもので。工場のやつでも、ちょっとこれは手がかかるので、たくさん数が付きすぎても困るというものも時々はあるんですけど、基本的には工場生産のものに関してはどれだけ売れても大丈夫です。

——ニッターさんというのは、みなさん個人なんですか?

具志堅 ハンドニットのほうは、僕は、ニットの先生とやらせてもらっています。もともとは手芸をされていた方だったんですけど、もう何十年も前からファッションに来た方で。で、その方のお弟子さんが日本中にいらっしゃって、その先生にお願いして、お弟子さんだったり、知り合いの別のニッターさんだったりというグループがいろいろあって、やっていただいているという感じです。

——お弟子さんのネットワークがあるんですね。どうやっているんだろうと思っていました。ニッターさんの中でも、感覚の合う方も合わない方もいらっしゃるんでしょうね。

 

具志堅 あと、これは得意なテクニック、これは苦手とかもあるので。

——糸から作る時はどんなプロセスになるんですか?

具志堅 糸からで言うと、例えばこれはゴッホなんですけど、ここら辺の青いのとかは……いや、これ全部だったっけな。こういうシャバシャバしたテクスチャーの糸はあったんですけど、色がいいのがなくて。例えば肌のところは、これは肌色1色じゃなくて5色ぐらいが混ざっている糸をこういうシャバシャバの形状にしてもらって。で、ここはただのベージュで。この色でこのテクスチャーで、みたいなのを作ってもらって、それを編んでみて、という感じです。絵の具の調合に近いかもしれないです。

——手間がかかりますね。

具志堅 手間がかかりますし、糸を作ったらミニマムもあるので、じゃあこれだけ糸があるんだったらこれだけセーターを作らないと元取れないよね、みたいなところもあったりするので。作れば作るほど経営的にはハードルが上がっていくんですけど、どうしてもやりたい時とか、あと、これはある程度さばけるんじゃないかというものとか。

なので、「これやったら面白いじゃん」とかっていう脳みその時と、メッチャ数字を計算して「でも、やりたいことやったら、このラインをクリアしなくちゃいけないけど、いけるの?」みたいな、すごく相反するのを行ったり来たりしながらやっている感覚はあります。でも、どちらかと言えば「面白いじゃん」ベースでやって、「どうにかなるっしょ」みたいなところはちょっとあるとは思います。

教えてもらいながら、一緒に握り合いながら

——経営と両方やるというのはそういうことですね。

具志堅 いちばん最初の頃は、それこそ大学の時は、アートの大学だったので、面白いものを作れば作るほど評価されるところがあって。それが売れるか売れないかとか、量産できるかできないかって一切関係なくて、ある種のクリエーション天国というか、そっちだけに全振りした学校だったので。そこからいざブランドとして始める時に、デザインじゃない部分があまりにも分からなすぎて、いろんな人に聞いて教えてもらいながらやっていたんです。違いすぎて最初はきつかったんですけど、それってつながっているものでもあるじゃないですか。

お金がないと作りたいものは作れないし。それが、何シーズンかやって分かってきたタイミングから、そこは表裏一体で、ある種同じものだなみたいな感覚になる時もあって。そういう時もあるし、「もうヤダ。数字分かんない」っていう時も……まあ、そっちのほうが多いですけど。結果、そこを行ったり来たりするのが、意外とメッチャ嫌いではないなと思って。そこがふわふわしたまま「どこまで行けるのかな」、クリエーション的にこれがやりたいけど「どこまでやっていいのかな」って不安になりながらやるよりは、ちゃんと数字的に「ここまでだったらやっていい。ここから先へ行くとどうなるか分からないよ」とか、「ここは絶対やっちゃ駄目」みたいなのが自分の中で数字越しに体感として分かっておいたほうが、逆に安心してクリエーションに全振りできるという側面もあるなと気づいて。

なので、そこは、最初は邪魔だなと思っていたんですけど、今は逆にそっちのほうが安心。だけど、そこの数字の計算は自分でやらなくてもいいなと思った。数字を通して「ここまでは大丈夫」っていうのは、計算がもっと得意な人がやったほうがリアルな数字が出るだろうし。だから、今後そういうところは任せていきたいなとは思います。でも、数字は丸投げでこっちはクリエーション天国じゃなくて、数字も見つつやるというのは、今後もどれだけそれが得意な人がいたとしても、教えてもらいながら一緒に握り合いながらやりたいなという感覚はあります。

——1人で取りあえずブランドを立ち上げなかったら、身につかなかった感覚かもしれないですよね。

具志堅 そうかもしれません。

——会社に入るよりよかったかもしれないですね。

 

具志堅 かもしれないです。それもそれで表裏一体というか。

——いくつかの会社でインターンをされて、大きな会社も見てますよね。

具志堅 そうですね。インターンを大中小いろんなところに行かせてもらって。社員10人もいないところもありましたし、40〜50人のところもありましたし、いちばん大きいところは販売員とかも入れたら世界中に何人なんだろうみたいな会社もありましたし。

——ディオールでしたね。

具志堅 はい。大中小見させてもらったのはいい経験だったなと思います。

——さっき渋谷の街で撮影していたとき、同じ服を着た新入社員がぞろぞろ歩いている前に立っていらして、そのコントラストが激しかった。ああいう方向は選ばなかったわけですね。

具志堅 うーん……僕は高校を中退していて、そのタイミングでそっちの道はあきらめたというか。このまま高校に行っていたら勉強をして日本の大学に入って会社に入ってという道が濃厚になるなと思って、たぶんそっちは僕は向いてないというのは分かっていたので。あと10代の頃、そっちはもう無理と思いすぎて体調的にも精神的にも崩してしまったので、自分にはできないなと思ったのもあります。中退することについては、親からはメッチャ止められました。なので親に何回もプレゼンしました。

——今、ご両親はなんておっしゃってますか?

具志堅 すごく応援してくれています。毎回展示会に来て、毎回買ってくれます。

——着ていらっしゃいますか。

具志堅 着てます、着てます。

——どれが気に入ってますか? モナ・リザさんとか着てますか?

具志堅 母親はモナ・リザ着てますね。

——喜んでいらっしゃるんじゃないですか。

具志堅 うれしいですよね。いちばん最初は、特に父親とかは、そんなの無理というか、「難しいよ」みたいに言ってたんですけど、今はすごい応援してくれるのでメチャクチャありがたいです。

——でも、さっきの経営の話でいうと、ファッションって流行りの色とか流行りの雰囲気みたいなものがあるじゃないですか。買ってもらうためにそういうことは意識するんですか?

具志堅 色とかに関してはまったく分からなくて。流行りの色とかあるのは知ってますけど、まったく気にしないで、ほんとうにそのシーズンそのシーズン、そのデザインそのデザインに自分が思う最適な色合いをやっているだけです。かたちとか丈感とかに関しては、メチャクチャ意識してるわけではないですけど、普通に生活していて、自分の服とか他の人の服を見て、無意識のうちに影響されている側面は多分にあると思います。でも、意図的に流行りを読んでとかっていうのは、正直それが分かるぐらいたくさん今の他のブランドの洋服を見ているわけではないので、分からないんですけど。でも、普通に生活していたら目に入ってくるものもあるので、そういう中で入っているものがあるとは思います。

楽しく穏やかな時間は多ければ多いほどいい

——普通に生活している、ということを大事にされている感じがとても伝わってきます。ファッション以外ではどんなところから刺激を受けているんですか?

具志堅 逆にファッション以外の方が多いと思います。

——絵画はいつもモチーフになってますよね。あとは今、どんなことに興味を持って見てますか? 

 

具志堅 今の今で言うと、仏教の般若心経の意味を現代の言葉で書いている本を読んで、仏教が面白いなと思って。仏教とか神道とかって、宗教だけど哲学みたいな感じだから、全然詳しくないですけど、読んだりすればするほど面白いし、勉強になるし、現代でもメッチャ使えるなと思うので。本気を出して勉強というよりかは、緩く何となくもっと知りたいな、みたいな。で、今の今はそういう本を読んでいたり。本で言うと、今メチャクチャ読みたい本がたくさんあって、家にこんな積み重なって、まだ全然読めてないみたいなのばっかりなので。他で言うと、音楽はやっぱりすごい好きです。今年、たまたまライブ運がよくて、大中小さまざまなライブに行く機会があって。今年もあと何個も楽しみなのがあります。

——ジャンルは問わず?

具志堅 ジャンル問わずですね。今年それこそ宇多田ヒカルとか藤井風とかも行きましたし。

——行きましたか! 代々木の?

具志堅 はい、代々木体育館。藤井風は日産スタジアム。

——YouTubeで見ました。

具志堅 居ました。

——いいなー

具志堅 メッチャ楽しかった。そういう大きいのも今年はあったし、ちっちゃい100人キャパぐらいのライブもよく行きますし。

——食べることは?

具志堅 大好きです。正直お店とか全然知らないんですけど、友達に連れていってもらったりとか。行ってもお店を覚えられなくて。でも、やっぱり大好きですね。

——それもジャンル問わずですか?

具志堅 ジャンル問わずですけど、体調的なことで言うと、和食を含めたアジア料理のほうが体に合う感じがします。フレンチとかはちょっと重くて。小麦というよりかは、たぶんお米のほうが合ってるんだろうなと思います。でも、何でも好きですね。お酒も大好きです。弱いんですけどね。

——これから5年、10年して、こんな感じになっていたらいいなというのはありますか?

具志堅 穏やかというか、楽しくて心が落ち着いている時間は多ければ多いほどいいなと僕は思います。その中で、忙しくてバーッと仕事をしたり、気持ちとか数字の浮き沈みはもちろんあると思いますけど、楽しく居たいなというのはすごくある。仕事も好きですし、でも、友達と会ったり家族と会ったりとかっていう時間もすごい大事なので。仕事の面で言うと、いろいろやりたいことはありますし、仕事になるのかならないのか分からないようなことでもたくさんありますが、それもちゃんとやりつつ、そうじゃない時間もちゃんと、人間的な楽しい時間、おいしいご飯を食べるとか、そういうのも。今は友達と草野球をやってて。中退したけど、高校の友達と草野球をやってるんですよ。そういう時間もすごい楽しいです。

——草野球!

具志堅 それこそ忙しい時は行けてないですけど、9月は2試合やりました。3盗塁しました。

——すごいじゃないですか。

具志堅 僕、球技が駄目で打つ方ができないので、塁に出たら走りで。楽しい時間を過ごしたいんですけど、けっこう迷っているという感じはあります。仕事も大好きですし、そっちでやりたいこともたくさんあるので。でも、そっち全部やっていたら、たぶんプライベートの時間はどんどんなくなってくる。でも、プライベートと仕事がすごく近い側面も多分にあるので、そこは……たぶんバランス取ろうと思っても取れないと思うので、目の前にあることを本気で楽しみながらやりたいなと思います。5年後10年後もその先も、目の前のことにちゃんと本気で向き合って楽しむという時間を過ごしたいなと思います。

——そういう毎日があって、作品ができているように感じられるので、それが続けられるといいですね。今日はありがとうございました。


profile

佐藤澄子|Sumiko Sato

1962年東京生まれ、名古屋在住。クリエーティブディレクター、コピーライター、翻訳家。自ら立ち上げた翻訳出版の版元、2ndLapから最新刊『ニーナ・シモンのガム』が発売中。好評既刊に『スマック シリアからのレシピと物語』などがある。訳書にソナーリ・デラニヤガラ『波』(新潮クレスト・ブックス)ほか。