生成AIをはじめとした人工知能は、かたやその創造性をめぐって、かたやその倫理的側面をめぐって、さまざまな、そして多くの議論が既になされてきている。だからこそ、その議論をより立体的に照らし出す、いわば“斜光”のような知見として、人工生命(Artficial Life:ALife)という分野は興味深い。人工生命研究者である岡瑞起の著作『ALIFE|人工生命 ―より生命的なAIへ』(BNN、2022年)には、このように書かれている。「人工生命は、生命を人工的に再現することで、『生命とは何か』を探求する分野である」、「人工生命は、細胞やDNAではないものから生命をつくり出そうとしている。たとえば、コンピュータなどから生命をつくり出すことを通して、生命を理解しようとしているのだ」──。 つくり出すことを通して、理解する。第20回を数えることとなったインタビュー連載「編集できない世界をめぐる対話」のテーマとして、これ以上にふさわしいものはない。しかも岡たちがつくろうとしているのは、オープンエンドな(=終わりなき)進化を続ける、まるで自然のような生命であり、AIも含み込むものだという。
TEXT BY Fumihisa Miyata
PHOTO BY Kaori Nishida
──AIについては近年多くの議論がなされており、本連載でもどう触れるべきか思案してきたのですが、人工生命をめぐる岡さんの議論を拝見し、異なる角度から光を当ててくださると確信してお声がけさせていただきました。一方で岡さんも、「編集」という営みにご興味を抱かれているようですね。
岡 そうなんです。依頼をいただいた際にも、「編集」というキーワードに魅かれるところがありました。古賀史健さんが書かれた『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』(ダイヤモンド社)がとても好きで、私もこれまで論文を書く際や、それこそ『ALIFE』を執筆するときにも何度も参考にしてきたように、「編集」という分野には研究のプロセスと相通ずるものがあると感じている本なんですね。
──「編集」をめぐるさまざまな行為の、どのあたりが気になられたのでしょうか。
岡 『取材・執筆・推敲』に書かれていることを私なりに受け取るとすれば、何かを「わかる」ということは、その対象を自分で言葉にし、表現していくという体験を通してしか達しえないものだ、ということなんです。実験を踏まえ、ときには実験しながら書くことを通じて、わかっていなかったことがきちんと整理され、また今後やるべきことも理解されていく。そのプロセスにおいて、特に身体性が重視されているという点が、後ほどお伝えしていくように、人工生命の研究とも通じるな、と。
──「編集」にかんする価値観はさまざまですが、“つくりながら理解する”試行錯誤的な、プラグマティックな方法だという見方については、とてもしっくりきます。人工生命にかんして岡さんは『ALIFE』でこう書かれています。「人工生命研究者の多くは、生命という複雑な現象の理解を、『構成論的』に行おうとしている。構成論的とは、つくることによって理解するという意味である」と。
岡 おっしゃる通り、人工生命という分野は、いわば“つくってなんぼ”の世界だと思うのです。古典的な生物学や生命科学は、既にある生命を分析し、記述していくという学問です。一方で人工生命は、コンピュータやロボット、無機物などを用いてゼロから構成論的に「ありうる生命」をつくり出すことで、「われわれの知っている生命」を理解しようとします。私が人工生命という分野のことを好きでいる理由のひとつです。
──なるほど。そんな人工生命について、改めて基礎的な説明をいただけますか。字面からすれば遺伝子操作などを行う学問だと誤解されることもあるかもしれませんが、『ALIFE』では「多くの人工生命研究者は、生命システムの特性を人工的につくることで生命システムを理解しようとしている」と書かれていますね。「これまでの研究から、自己複製やパターン形成の他にも、生物の進化を模倣することや、個体が複数集まることによって生まれる集団の創発現象もコンピュータで実現されている」と。
岡 人工生命には、大きくわけて3つの分野があります。ひとつは、私が現在研究しているような、ソフトな人工生命といえるもの。人工生命の研究の多くは、このソフトなものです。生命的なふるまいを示すコンピュータ・プログラムによってシミュレーションを行ったり、生命のもつメカニズムを体現するアルゴリズムをつくったりするというアプローチをとります。
もうひとつは、たとえばお掃除ロボットのルンバ、そしてその開発者のひとりであるロボット工学者ロドニー・ブルックスなどが象徴的ですが、生命のような働きをするシステムをハードウェアをつくるアプローチをとるものです。他方で、生化学的な物質から生命システムをつくり出すアプローチもあります。無機物のみならず、カエルの胚細胞を分解して再び組み合わせるなどしながら、自己複製をはじめとした生命の仕組みを理解するというものです。
──そうしたさまざまな道筋のなかで、岡さんはコンピュータを用いた、ソフトな人工生命というアプローチをとられているわけですね。
岡 私も含めて、多くの人工生命研究者がいま目指しているのは、コンピュータのなかで延々と複雑化していく、「オープンエンドな進化」を続ける人工生命です。約46億年という長い時間のなかで、単細胞生物から現在に至る多種多様な生命体が誕生してきたプロセス、いわば生命の樹形図をつくりだすようなエンジンをつくりたい、というのが大きな夢なんですね。人工知能にかんしても、そうした全体的なメカニズムのなかでとらえようとしているのが、人工生命という分野なんです。
──人工知能をめぐる研究とは、隣接的でありながら、異なるアプローチをとっているということですか。
岡 人工知能研究が、人間の脳のようなニューラルネットワークをつくろうとしているのに対して、私たち人工生命研究者は人間に限らず、多種多様な生物のありかたを参照しながら進化し続ける生命のメカニズムをつくり出そうとしており、そのなかで人工知能もとらえている点に、ひとつの違いはありますね。
──他にも違いがあるのでしょうか。
岡 人工知能研究に比べて、人工生命研究は身体性というものを大きな要素として考えている、という点もひとつの特徴です。生物の認知は、脳のなかだけでなく、身体と環境との相互作用のなかで行われている、という考え方ですね。そうした身体性をもっているからこそ、個体間での集団的な創発というものも重要になってきます。そうして複雑化したネットワークをダイレクトにつくろうとするのが基本的に人工知能のアプローチなのですが、私たち人工生命の研究者は、複雑化していくメカニズム自体をつくろうとしているんです。
──なるほど。部分的には重なり合いつつ、基本的な姿勢の違いがありますね。
岡 とはいえ、徐々によい刺激を与え合える関係にもなってきているんです。たとえば、近年注目を浴びているスタートアップ企業「Sakana AI」の共同創業者兼CEOのデビッド・ハさんは、実はもともと人工生命の研究者です。Sakana AIのウェブサイトのトップページには「nature-inspired intelligence」に基づいた新たな基礎モデルをつくろうとしている、と書かれています。
そのように人工生命から人工知能へとアプローチしていく方の他にも、多くの人工知能の研究者の方々から、人工生命のオープンエンド性に関心を抱いていただく機会が増えてきました。従来はどうしても人工知能分野にリソースが集中していましたが、私たち人工生命研究者たちとしても、多くの英知を集めて研究を一気に進展させていけるよう、さまざまな準備を進めているところなんです。
──人工知能研究者の方々が、人工生命に着目するのには、どんな背景があるのでしょうか。
岡 設置した個別のタスクに対して精度を高めて最適化していくというかつてのAIのパラダイムを乗り越えて、AGI(Artificial General Intelligence)、すなわち汎用人工知能という、人間レベルの知能を実現するオープンエンドな学習が注目されています。人間が新しいタスクにも対応していくように、あらゆるタスクに対応していくのがAGIです。そのためには学習するデータや環境、そしてタスクを人間がすべて与えてあげるのではなく、人工知能自身がずっと学習し続けられるシステムが必要。AGIにはオープンエンデッドネスが重要である、という見方が徐々に浸透してきているんですね。
──まさに過渡期なのですね。
岡 私の師匠でもあり友人でもある、池上高志先生(東京⼤学大学院広域システム科学系・教授)に出会ったときのことを思い出します。将来のことについて悩んでいたので相談したら、「とりあえず散歩するぞ」といわれて、本当に一緒にキャンパスを歩き回ったんです(笑)。でも人工生命の研究は、まさにそのような、最適化とは真逆の方向性をもった試みなんですよね。
──いいお話ですね(笑)。人工生命の研究者が、生命が複雑化していくメカニズムを理解しようとするとき、どんな手順を踏むのでしょうか。
岡 生命の複雑なメカニズムを構成している、実はシンプルなルールを見つめることで、複雑化していくプロセスを理解していくというのが基本的なステップです。ひとつの個体と周辺の環境の相互作用のみでなく、個体間の相互作用がつくる創発現象にかんしても同様です。たとえば、この記事を読んでくださっている方々も鳥の群れを見たことがあると思います。鳥が集団として見せる振る舞いや動きというものは非常に複雑に見えますよね。
──思わず見入ってしまうほどの、複雑な蠢きです。
岡 かつてはその動きを制御するリーダーの鳥がいるのではないかという、トップダウン型の推察がされていました。そんななか、1986年にアニメーションプログラマーのクレイグ・レイノルズは、鳥たちはローカルな相互作用のなかで3つの単純なルールに従い、ボトムアップで群れの振る舞いを形成しているという「ボイドモデル」を提示しました。
──「衝突回避」、「スピード・方向を合わせる」、「鳥が多くいる方向に向かう」というのが、その3つの単純なルールということですね。
岡 実際そのルール通りにプログラムを組んでみると鳥の群れのように見えるということで、科学的な実証がされる前の段階で、CGアニメーションなどの世界でさまざまな動物の群れを描写する際に活用されていきました。自然科学の研究者たちが、実際にボイドモデルに基づいてムクドリの群れが動いていると実証したのは、モデルの提唱から30年以上の歳月が経過した2008年のことです。
複雑な動きに見えても、そのメカニズムの裏に隠れているルールは実はシンプルであり、オープンエンドな進化につながっている──こうした順序で複雑化のプロセスを理解していくのが、人工生命のアプローチです。議論のスタート地点があまりにシンプルなので、「そんなことでうまく理解できるのか」と懐疑的な目を向けられることも多いのですが……(笑)。一つひとつのアルゴリズムはシンプルであるというのが、やはり面白いところなんですね。
──興味深いです。『ALIFE』において集合知を考えるくだりで、「共通の目的がない」「発散的な探索」が重要である、と書かれている点も気になります。
岡 これも面白いのは、「新規性」、つまりは過去との比較による「新しさ」を軸とした探索を、コンピュータ・プログラムでアルゴリズムとして実現するべく、先人たちが行ってきた実験です。迷路において、ゴール地点にたどり着くという目標をもたせたロボットの実験結果は、実はゴールに近づくことが最優先されるがゆえに壁に阻まれて止まってしまいます。一方で目的をもたせず、過去にやったことのない行動のみを追求させる新規性探索アルゴリズムを組むと、ロボットの「世代」を重ねるごとに複雑化していくんですね。
──……どういうことでしょうか?
岡 当初はどんな行動も新規性があるので、第一世代のロボットは壁にぶつかって止まってしまう。そのうち壁にぶつかるだけでは新規性がなくなるために、ロボットは壁にぶつからないよう、より遠くに移動することで新規性を体現していくようになり、やがてゴールに到達していくんですね。目的をもたせないほうが、学習し、進化し、結果的にゴールに近づくわけです。企業組織においても、目先の利益ばかり追求しているとデッドエンドにはまり込んでしまいますから、何に役立つかわからないけれども新規性を探索するチームも組んでいる例は多いですよね。
──体感的にもピンとくるようなお話ですね。
岡 ここで、人工知能の話が絡んでくるんです。膨大なテキストデータを学習する大規模言語モデル(LLM)が2017年頃に登場したことは、実は人工生命の研究においても大きな出来事でした。
というのも、上記した新規性探索モデルは2011年に提唱されたもので、「いままでにとったことのない行動をとる」という新規性の定義は人間の側が与えなければいけなかった。一方で大規模言語モデルにおいては、たとえば新規性のなかでも「面白さ」というような、さまざまな軸を設定しうる概念にかんして、人間が予め定義しなくても人工知能の側が方向性を示すことができるようになりました。人間による事前の基準の設定なしに、既に世にある多様な面白さを学習しながら「これも面白いよね?」と人工知能が提示することが可能になったわけですね。オープンエンドにすこし近づいたということであり、人工生命の研究においても参考になることがとても多いんですね。
──終わりなき進化に、大規模言語モデルがひとつの手がかりを与えた、と。
岡 とはいえ、まだ大規模言語モデルだけでは、「面白い」ことがずっと見出だされていくことはないんです。
──といいますと?
岡 大規模言語モデルは、人間が何かしらのテーマを与えて、それに対する新しい「面白さ」を携えたアイデアを次々と生み出していくということにかんしては驚くべき地平に達しつつあります。ただ、LLMが生み出したアイデアの「面白さ」の評価自体がLLMのなかでなされてしまうので、やがて平均的なところへ収束していってしまうんですね。
その「面白さ」を判断するなかで切り捨ててしまったものをあえて追い求めていく、というような創造性にかんしては、現時点では人間のほうが優れているようなのです。では人間が何をやっているのか……? それを基礎的なレベルから理解していくのが、まさに人工生命的なアプローチ。そして、鍵になるのはおそらく集合知だろう、と考えられているんです。
──「編集」という営みは、何かうまく名指せないけれども面白いものを追い求める集合知的な営みですが、仄かに接点が見えてきた気がします。
岡 ChatGPT同士で面白いアイデアを出させようとして話し合わせても、現時点ではどうしても「発散的な探索」にならず、隘路へと収斂していってしまう。やはり相互作用というものが、何より興味深い領域なのではないかとは感じます。競争による生物の進化といった話ではない、「何かここに面白いことがありそうだ」という予感のなかで話し合っていくような情報理論的な相互作用にかんしては、これからさらなる研究が求められるところだと思いますね。
──創発を生み出す相互作用のとらえ方が問題であるわけですね。
岡 人間同士のシナジーが発生する場では何が起こっているかと考えると、お互いに使用している単語が重なり合いつつズレているのかとか、いや、言語的なものだけではなくその言葉が発せられるタイミングが重要なのではないか、あるいは身振り手振りが影響を与えているのではないかなど、考えるべき要素はたくさんある。
シナジーを計算するための理論こそあれど、実践的なデータにかんしてはまだ不透明なんです。何を値としてとるべきかが、判然としていない。理論と実践がうまく手を取り合うことができたとき、人間がおこなってきたインタラクションが人工生命や人工知能にきちんと応用されていくことになると思います。
──並行して、学習するデータなどにかんする倫理的な課題がクリアされていったとき、現在のテクノロジーのありようとは異なる未来が見えることがあるかもしれませんね。
岡 一方で、そうした創造性が達成されたときに、人間の側がどうあるべきかということにかんしては、悩ましいとも感じています。いまの若い世代の方々を見ていても、そもそも生成AIをうまく使用できる前提としての、身体性を伴った理解というものに不安を覚えるからです。
──どういうことでしょうか?
岡 生成AIに適切な指示を与えることができる人、どんなプロンプトを与えればいいのかわかる人というのは、自分が考えていること、理解していること、これから理解したいことにかんする言語化に長けている人です。しかし、何かを読解するにせよ記述するにせよ現代人は訓練が足りていませんから、たとえば学生を相手にしていても、ChatGPTに指示を与えるときの言葉の粒度が粗すぎる、といった例をよく目にするんです。そのとき、自分が何をわかっていないのかがわからない、ということすらままあります。
──テクノロジーの側が自律的な創造性を持ちえたとき、それを使用する人間の側がふさわしい存在なのかどうか、という課題があるのかもしれないですね……。
岡 そういうことかもしれません。人工知能がオープンエンドな創造性を獲得するということは、将来的にありえることでしょう。ただ、そこで人間が協働するには、やはり身体性に基づいた理解というものが不可欠なのだろうと感じます。
自分の手を動かした体験に基づいた、粒度の細かい言葉で文章をつくることができなければ、仮に大まかな内容としては相違ないものであってもディティールがまったく異なり、言葉が上滑りしていくということが起こりえます。人工生命の研究が身体性を重視するのは、それは人間を含めた生命が身体性をひとつの起点にしているから。であれば、これから改めて人間が、身体性を見つめ直すべきなのではないだろうか、と感じているところです。
1985年、神奈川県生まれ。フリーランス編集者。博士(総合社会文化)。2016年に株式会社文藝春秋から独立。2022年3月刊、津野海太郎著『編集の提案』(黒鳥社)の編者を務める。各媒体でポン・ジュノ、タル・ベーラらにインタビューするほか、対談の構成や書籍の編集協力などを担う。
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